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2010年6月18日 (金)

史跡めぐり~いま、むかし

 

今日は、少し、史跡めぐりのお話をしましょう!

・・・と言っても、「どこどこに行って来たよ」というお話ではありません。

題名の通り、昔の史跡めぐりと現在の史跡めぐりの違い・・・というよりは、旅の目的の違いと言った感じかも知れませんが・・・

・‥…━━━☆

いつもブログを読んでいただいている方は、すでにご存知でしょうが、私は歴史好きであるとともに、その歴史の舞台となった史跡を訪れる事も大好きです。

小学生の頃は、現在のような「ガイドブック」なる物もあまりなく、親が買ったとおぼしき亀井勝一郎氏の「大和古寺風物誌」なる文庫本を、たまたま家で見つけて読みふけり、「行きたい~ヽ( )`ε´( )ノと、訴えておりましたが、「小学生が1人で電車乗って遠くに行ったらアカン!」と親に言われ、一応、小学生の間は我慢・・・

そして、晴れて中学生になった春・・・夢殿の救世観音の開扉に合わせて訪問した法隆寺が初体験でした。

歳がバレるので、あまりくわしく言いたくありませんが、「non-no」「anan」が京都の特集を組んだり、国鉄が「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンを展開して、社寺めぐりがブームと化すのは、この、もう少し後ですかね。

・・・で、なんで、こんなところから話はじめるかと言いますと・・・
その中学生の頃に、初めて唐招提寺に行った時のパンフレットと、○○年経って、ごく最近訪れた時のパンフレットが、まったく同じ物だったのです。

南大門の前にあるお店も、あの頃と変わりなく・・・置いてあるベンチの位置まで同じでした。

ふと、感じた事は・・・
「こうして、人は、何十年も何百年も変わりなく、神社仏閣めぐりを楽しんだんだろうなぁ」
・・・と、
京街道山の辺の道なんて歩いたひにゃ、昔の旅人に思いを馳せまくり・・・

と、思いきや、意外にも、今の感覚と昔の感覚はちょっとばかり違うのですね~これが・・・

もちろん、以前に【人はなぜ、別れる時に手を振るのか?】(1月31日参照>>)で書かせていただいたように、古代には遊覧目的の旅なんて物は存在しません。

その頃は、一般庶民のほとんどが、生まれ育った土地で一生を過ごすわけですが、やがて、中央集権が確立するようになって、都造営の人足や防衛の兵士としてかりだされる事で、はじめて、命がけで村を出るわけです。

だからこそ、役行者(えんのぎょうじゃ)弘法大師が諸国をめぐる事が「修行」となるのです。

それだけ、危険で命がけ・・・でないと、修行ではなく、それこそ単なる旅行ですからね。

そんな命がけだった旅行のイメージが払拭されるのが江戸時代・・・

もちろん、それまでに大きな街道は整備され、織田信長楽市楽座などに見られるように物資の輸送経路などは、おおむね発達していましたが、なんせ、世の中が戦国ですから、行商などの目的があるならいざ知らず、一般庶民が遊び目的で遠方へというには治安が悪すぎます・・・せいぜい領国内で精一杯。

やはり、それは大いなる平和がもたらされる江戸時代になってからという事になるでしょうね。

有名なのは、伊勢神宮の参拝目的で旅する「お陰参り(おかげまいり)・・・以前、奈良街道を散策した時のページ(2月22日参照>>)に、早くも慶安三年(1650年)に一回目にブームが訪れた事を書かせていただきましたね。

この感覚は江戸時代を通じて変わりないわけで、ここだけ見ると「なんだ、今も昔も変らないじゃん!」と思われるかも知れませんが、実は、その名所旧跡となる条件が、現代人の感覚とは少し違うのです。

今、私たちが、名所としてその名を挙げる神社仏閣の条件と言えば・・・
1、美しい景色が見られる
2、すごい建物がある
3、他に類を見ないめずらしい場所である
4、歴史が古く由緒が正しい

・・・てな感じでしょうか?

しかし、江戸時代の名所の1番の条件は、
「いかに霊験あらたかでご利益があるか」
なのです。

今で言えば、パワースポットですね。

そういう意味で言えば、昨年あたりからブームになってるパワースポットめぐりは、江戸時代の旅の感覚に似ているのかも知れませんが、江戸時代のソレは、ブームなんて物ではなく、それが定番・・・しかも、建物の古い新しいも関係なく、歴史の古い新しいも関係ありません。

とにかく、「ここに行ったら、こんなご利益があった」という情報が流れると、そこに人が集まり、名所となったのです。

そこに安置されている仏像も、その古さや美術的価値ではなく、ご利益が最優先だったのです。

史跡に関しても、「そこに何がある」というのではなく、「そこで何があったか?」が最優先されます。

それも、一番人気は、「歌に詠まれている」という事でした。

話が少しそれますが・・・
昔から日本人は、驚くほど学識が豊かなのです。

たとえば、あの『源氏物語』・・・この古典文学が、外国で高い評価を受けるのは、その内容もさる事ながら、千年も前に、架空の物語=いわゆる小説を書く人(しかも女性)がいて、それを、周囲が読んで楽しむという事があったという事・・・

同時代のヨーロッパでは、日記を書いたり、日々の記録をとる習慣はあっても、架空の物語を楽しむという事はなかったとも言われているくらいなのに、日本では、それが写本に写本を重ねて読み継がれ、いつしか、一般庶民もが楽しむという事なってたわけですから・・・。

江戸には600軒、大阪には300軒以上の本屋があって、売れに売れたベストセラーなる物も生まれてますから、江戸時代には、「本を読む」という事が一部の特権階級だけでなく、庶民にまで行き渡っていたかがわかります。

幕末の日本を訪れた外国人の記録には、
「日本文字(仮名)と中国文字(漢字)を駆使した、この独特の文章を読み書きできない男女はいない」
「様々な印刷物を売る本屋がいくつもあり、安価で誰でも買い求められる」

と、驚いています。

つまり、日本人は、たいへんな読書好きだと・・・

その基本となる物が『万葉集』などの歌集だったのです。

「かつて貴族が訪れて歌を詠んだ場所」・・・それが、名所の第一条件だったんです。

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明治三十六年の猿沢池

未だ、江戸時代が色濃く残る明治初年の『奈良名所細見図』には、猿沢池興福寺東大寺の大仏などとともに、あの「奈良の都の八重桜」(4月30日参照>>)がしっかりと書き込まれています。

あの京都の円山公園も、鎌倉時代の僧・慈円『古今和歌集』に詠んだ事から、何もない草ボーボーの場所だったのが、江戸時代には貸し席が設けられるほどの一大リゾート地となり、明治になってから公園として整備された物です(くわしくは本家HP「歴史散歩:ねねの道」でどうぞ>>

もちろん、今でも、歴史や由緒を求めて史跡をめぐる事は大いにありますが、一番、現在と違うところは、江戸時代の旧跡めぐりには、復元という感覚がなかった事でしょうか?

今なら、「○○跡」なんていう史跡があって、ポツンと看板一つが立っているだけだと、「結局、何もないじゃん!」と肩を落す人も多いでしょうが、江戸時代の史跡めぐりは、そこが、どんな状態になっていようと、いっこうにかまわず、それが名所の条件を左右する事はありませんでした。

たとえ現状がどうであろうと「ここで、昔、こんな事があったんだ」と、古の出来事に思いを馳せる・・・なんだか、ちょっとうらやましいくらいの史跡めぐりです。

今の旅の感覚だと、ついつい、何かそれらしい物を求めてしまいます。

お城にしろ御殿にしろ寺社にしろ・・・確かに、全盛期の姿に復元されるのも、それはそれで良い事なのでしょうが・・・
江戸時代の旅を思うと、少し考えさせられますね。
 .

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コメント

茶々さんこんばんわ~(^-^)
あたしも歴史大好きで色んなとこに行っています。
初めて言ったのは、京都の前川邸でした。
幕末大好きなので、京都には何度も足を運びました。
今は仙台の伊達政宗ゆかりの地へ行こうと思っています(^-^)
楽しい史跡巡り…
最高ですよね!

投稿: みか | 2010年6月18日 (金) 20時07分

みかさん、こんばんは~

ゆっくりと、じっくりと、その場所で浸っているのが大好きです。

史跡めぐり 最高!

投稿: 茶々 | 2010年6月18日 (金) 23時37分

こんにちわ~、茶々様!

史跡巡り・・・歴史好きにとっては至高の瞬間ヽ(´▽`)/
少し変な私は 当時の主人公に変身(と言っても仮装するのではなく仮想するだけですけど・・・)

>パワースポット
初めて小田原城に行った時の話。
銅門の大きさ、雄大さ。
堀の大きさですでにハイテンション!!
石垣に張り付くし、登るわで 当時の彼女からは呆れられましたが・・・

現在でも史跡は歴史好きにとってはパワースポット(゚0゚)

投稿: DAI | 2010年6月19日 (土) 12時53分

今年の近畿地方の観光は「奈良一色」なので、修学旅行の中高生がワンサカ詰め掛けているでしょうね。私も中学時代に京都・奈良へ行った事があります。

投稿: えびすこ | 2010年6月19日 (土) 16時05分

DAIさん、こんばんは~

>史跡は歴史好きにとってはパワースポット

ホント!
まさに、おっしゃる通りですね。

史跡めぐりは、パワーの源です。

投稿: 茶々 | 2010年6月19日 (土) 22時54分

えびすこさん、こんばんは~

京都&奈良は修学旅行生が多いですね~

でも、昔と違って、今は班行動が多いので、一見、近くからの遠足なのか?遠くからの修学旅行か、見分けがつきにくいです。

投稿: 茶々 | 2010年6月19日 (土) 22時58分

いつも、いつも素晴らしい内容のエッセイで楽しみです。集約や添削箇条?して本に成らないかなと思います。その時に挿絵があれば最高ですネ。
ところで富士登山やお伊勢参りなどは、信仰という名目で、庶民にとっては許される唯一の旅行方法だったんではないでしょうか!単に信仰心が厚いと言う訳でもないと思いますが・・

投稿: syunchan | 2010年6月20日 (日) 10時08分

syunchanさん、こんにちは~

そうですね。
奈良街道のところでもチョコッと書かせていただきましたが、伊勢参りがブームとなるきっかけは、ほとんど女子供…おっしゃる通り、自由に旅が出来ない女性や、年季奉公に出された子供たちの唯一の抜け所だったのかも知れませんね。

PS:お言葉…素直に喜ばさせていただきます。

投稿: 茶々 | 2010年6月20日 (日) 12時36分

>それも、一番人気は、「歌に詠まれている」という事でした。

『らき☆すた』の鷹宮神社のモデル鷲宮神社を連想しました。
伝統的な観光スタイルなんですね、アレ。

投稿: ことかね | 2010年6月20日 (日) 17時01分

ことかねさん、こんばんは~

痛車に代わる何かもあったかも知れませんね。

まさに、聖地巡礼です。

私は、「桜坂」で二人の世界に浸っているカップルを想像してしまいました。

投稿: 茶々 | 2010年6月20日 (日) 18時18分

こんばんは。
学校の自由研究に、史跡めぐりや地名の由来を調べるのもいいかもしれませんね。

古戦場の跡に、石碑だけが建っているだけと
いうのもあります。
一ノ谷(須磨浦公園)に行ったことあります。

投稿: やぶひび | 2010年6月21日 (月) 00時17分

やぶひびさん、こんばんば~

地名は奥が深いです~
住んでた人の職業がわかったり、ご先祖がわかったり、調べるととても楽しいと思います。

投稿: 茶々 | 2010年6月21日 (月) 01時42分

ディスカバー・ジャパン!ってことは先生は私より10歳以上は上ですな~!

ピョーン°゜°。。ヘ(;^^)ノ スタコラサッサ

投稿: 桃色熊 | 2010年6月21日 (月) 09時59分

らきすた神社・・・
自宅から歩いて5分の地元の神社です・・・
イタ車だけではなくヲタクがそこら中に出現しています!
ヲタクだけなら良いんですが変質者や仮装、オッサンの女装などが出現して田舎の小さな町の子供を育てている住民としては困っています!
(;´д`)トホホ

投稿: 桃色熊 | 2010年6月21日 (月) 10時03分

桃色熊さん、こんにちは~

>ディスカバー・ジャパン!ってことは…

歳がバレそうなので、最後まで書くか書くまいか悩んだんですから、計算するのは(A;´・ω・)

>小さな町の子供を育てている住民としては…

特撮ヲタクの私としては、
今のうちに「色々な趣味の人がいる事を知っておくのよ」
って事で、偏見を解いておいてあげてくださる事を希望しますデス

投稿: 茶々 | 2010年6月21日 (月) 14時31分

以前豊饒の海の舞台となった尼寺を通り過ぎて少し山の辺の道を歩きました。気持ちよかったです。天理まで行きませんでしたが途中まで歩きました。
今日は調子が悪いのでここで終わります。

投稿: non | 2016年10月25日 (火) 12時17分

nonさん、こんばんは~

山辺の道は、中学生で行ったのを皮切りに、何度も歩いていますが、良い道です(*^-^)
その1本となりの上ツ道もステキですよ。
お大事になさって下さい。

投稿: 茶々 | 2016年10月26日 (水) 04時05分

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