戦国の活版印刷と日本にある世界最古の印刷物
天正十八年(1590年)6月20日、ヨーロッパを訪問し、ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節が、8年5ヶ月ぶりに帰国・・・ともに長崎に帰国したヴァリニャーノが、活版印刷や銅版画の技術をもたらしました。
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大友宗麟(そうりん)など、九州のキリシタン大名によって派遣された天正遣欧少年使節が帰国・・・しかし、命がけで使命を果たした彼らを待っていたのは、キリシタンへの対応が180度変わった日本でした。
天正少年使節については、2007年の6月20日>>に書かせていただいておりますので、本日はお題にある通り、その帰国の手土産にと、イエズス会の宣教師・ヴァリアーノがもたらした活版印刷のお話です(ついでに、世界最古の印刷物のお話も・・・)。
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活版印刷と言えば、ドイツ出身の金属加工職人のヨハネス・グーテンベルクが1445年頃に発明した物・・・
それが、こうして、宣教師・ヴァリアーノを通じて、天正少年使節の帰国とともに日本にもたらされ、その後、日本語の文をローマ字で書いた『サントス御作業の内抜書』や『日羅辞典』『どちりなきりしたん』などなど・・・いくつかの本が、この時に持ちこまれた活版印刷機で印刷されました。
日本製の漢字やカタカナ・ひらがなの銅活字も作られて、しばらくの間はブームとなりましたが、キリスト教の禁止とともに、江戸幕府が行った鎖国政策(海外交易縮小)により、いつしかヨーロッパからもたらされた印刷技術は使われなくなってしまいます。
また、同時期に、朝鮮出兵で大陸へと渡った豊臣秀吉配下の武将たちが、現地にて活版印刷の道具を見つけて持ち帰って来た事から、朝鮮方式の活版印刷も日本に伝わりましたが、こちらは、非常にコストがかかる事から次第に敬遠され、江戸時代には、ご存じのように、手軽な木版印刷が主流となります。
・・・とは、言いながらも、
実は、「印刷年代がはっきりしている世界最古の印刷物が、日本にある」というのをご存知でしょうか?
今も、約4万基が残されているという百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)という物で、約15cmほどの小さな塔の中に、「陀羅尼」というお経を印刷した紙が、折りたたまれて入っている物なのです。
これは、天平宝字八年(764年)に勃発した、あの藤原仲麻呂=恵美押勝(えみのおしかつ)の乱・・・(9月11日参照>>)
この事件は、当時、政界のトップに君臨していた藤原仲麻呂が起した叛乱を、時の天皇である第46代・孝謙(こうけん)天皇(乱後の第48代・称徳天皇と同一人物)が鎮圧したという物・・・
まぁ、仲麻呂の叛乱というよりは、孝謙天皇の相方チェンジのニュアンスが強い事件ですが、そのページでも書かせていただいたように、すでに新しい都の建設にまで着手していた仲麻呂を抹殺という強引な戦いは、国の世情にも、大きな動揺を与えたわけです。
そんな戦後の混乱を鎮めるべく、その称徳天皇自らの発案によって行われた国家の安泰を願うイベントというか儀式というか・・・そんな感じで作られた物なのです。
発案から四年後の宝亀元年(770年)4月26日には、文字通り、100万基の小塔(もちろん中にお経を印刷した紙も入ってます)が完成し、法隆寺や薬師寺・東大寺などの10のお寺にそれぞれ10万基ずつ寄進されたのです。
しかし、その後、火災で焼失したりして、現在では、法隆寺に残る約4万基と博物館、そして数基の個人蔵のみとなってしまっています。
4万でも多いっちゃぁ多いですが、もともと100万あった事を考えると、やっぱり少ない・・・
いったいどうしたのか?と言えば・・・
ご存じの、明治に起こったあの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐で、多くの寺院が縮小されたり壊されたり、たくさんの美術品も流失した時代からしばらくして、アメリカ人講師・フェノロサや岡倉天心(10月15日参照>>)の「日本美術の見直し運動」によって、その重要性を知った政府は、明治三十年(1897年)に、やっと「古社寺保存法」という、現在の文化財保護法の前身とも言える法律が制定し、重要な遺産は国が資金援助をを行って保存する方向へと向いたのですが、
残念ながら、あの時、10のお寺に収められた100万基の小塔の多くが、すでに消失してしまっていました。
ただ、それでも、法隆寺の陀羅尼だけは、まだ無事だった・・・しかし、そんな法隆寺も、未だ拝観料という物が存在しない当時では、国から出される資金援助だけでは、到底、寺を維持できない状態で、やむをえず資金調達のために多くの陀羅尼を手放したのだそうです。
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こうして、
戦国時代に伝わりながらも、一旦は無くなったり・・・
世界最古でありながら売りに出されたり・・・
数奇な運命をたどる日本の印刷技術ですが、100万のうちの4万基だけとは言え、世界最古が、なんとか無事に残ったのは、うれしいですね。
ちなみに、百万塔陀羅尼の印刷方法が、木版だったのか銅版だったのかは、未だ不明なのだそうです。
★国会図書館のサイトに、お経の文字も確認できる百万塔陀羅尼の大型画像があります・・・コチラからどうぞ>>(別窓で開きます)
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