豊臣秀次ゆかりの京都・瑞泉寺
文禄四年(1595年)7月15日、豊臣秀吉の甥・秀次が、謀反の罪により高野山で切腹しました。
・・・・・・・
すでに、2007年のご命日の今日、【殺生関白・豊臣秀次の汚名を晴らしたい!】(2007年7月15日参照>>)と題して、殺生関白の名のもととなった悪行の数々が事実ではないであろうという事、彼が城下町を整備した近江八幡(4月4日参照>>)では名君の誉れ高い人物であった事など書かせていただきましたが、これらの事は、今となっては有名なお話で、最近のドラマなどで描かれる秀次さんは、暴君にはほど遠い悲劇の人として描かれる事が多いようです。
本日は、まさに秀次さんの死を悼んで建立された寺・・・京都の瑞泉寺(ずいせんじ)をご紹介します。
・‥…━━━☆
京都は、三条大橋から西へ・・・一つ目の高瀬川沿いの木屋町通を南に折れたところにひっそりと建つのが瑞泉寺・・・
慈舟山(じしゅうざん)と号し、浄土宗西山禅林寺派に属するお寺です。
そもそもは・・・
どんなに優秀な重臣がいようとも、やはり、後継者は肉親に・・・というのが戦国時代の鉄則。
そのために、実子のいなかった豊臣秀吉は、縁の深い他家との養子縁組などで二代目を模索するわけですが、姉・ともの子供である秀次は、数少ない血縁者だったわけです。
しかし、側室の淀殿が秀吉の子供を産むと事情は変わります。
この数少ない血縁者は、秀吉の実子=秀頼にとって、
最も信頼のおける親族となるのか?
最も強力なライバルになるのか?
結局、秀吉に生じた疑心暗鬼を払拭する事ができずにいる中、かつて秀次が各地の諸将に送った「有事の際には秀次に忠誠を誓う」といった内容の書状が決定打となり、文禄四年(1595年)7月15日、28歳の若さで、高野山にて自害させられる事となったのです。
この時、秀次の息子が4名と娘が1名・・・そして、正室や側室・侍女などの女性が34名、一族もろとも処刑された事で、その悲劇は、より悲惨さを増す事となります。
たまにドラマでは、秀次と一族が同時に死に行くシーンが描かれたりしますが、上記の通り、秀次は、この7月15日に高野山で自害し、一族が処刑されたのは、それから半月ほどたった8月2日で、その場所が、ここ瑞泉寺の建つ場所・・・当時は、三条河原の中洲となっていたこの場所なのです。
その日、一族の処刑の噂を聞いて、三条河原に集まって来た大勢の町衆が、固唾を飲んで見守る中、39名は、次々と処刑されていきました。
しかし、その遺体は縁者へと下げ渡される事はなく、刑場の横に掘った大穴の中に次々と投げ込まれ、最後には、その上に四角垂の形に土石を積上げて塚を築き、頂上に、高野山で自害した秀次の首を収めた「石びつ」を据えたのです。
この塚は、「せっしょうつか(摂政塚・殺生塚)」と呼ばれ、江戸初期の洛中名所絵図などに描かれたりもしましたが、いつしか、鴨川の洪水などで一部が流され、荒廃の一途をたどっていたのです。
やがて、一族の処刑から十五年経った慶長十六年(1611年)、高瀬川を開削中だった角倉了以(すみのくらりょうい)という人物が、その工事中に埋もれていた墓石を発掘したのです。
なんと言う偶然でしょう!
実は、了以の弟は、医師として秀次に仕えていた人なのです。
早速、塚の横に「秀次公御一族の墓石」を建立する了以・・・これが、現在も残る墓石です。
瑞泉寺にある秀次一族の墓石
中央の秀次の墓石には、四角い「石びつ」があるような、ないような…
さらに、塚そのものの跡を寺院とし、これを永く保存する事としたのです。
これが、瑞泉寺・・・創建の日は、ちょうど、その弟の一周忌だったそうです。
瑞泉寺の記録には、角倉了以の言葉として「くれぐれも、この地に民家を建てないでね!和尚と相談して堂を建て、瑞泉と名付け、永く保存しよう」
とあります。
和尚というのは、僧・桂叔(けいしゅく)の事・・・この桂叔を開基とし、秀次の法号・瑞泉寺殿をとって、その名は瑞泉寺と名付けられました。
縁を持ちながらも生き残った人々の篤い思いが、天に通じたのかも知れませんね。
瑞泉寺・本堂…この場所に、もともとの塚があったとされています
現在のお堂は、天明の大火(1788年)で類焼した後に建てられたものだそうですが、秀次さんへの思いは、今も変わりなく受け継がれています。
秀次事件に連座した熊谷直之の逸話>>も合わせてどうぞm(_ _)m
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コメント
こんにちは。秀次さんはまさに悲劇の人という感じで、私の秀吉嫌いの一因でもあります。死後安らかに眠っておられることを祈っています。
投稿: 露草 | 2010年7月15日 (木) 13時07分
露草さん、こんにちは~
そうですね~
若い時、アレだけカッコイイ秀吉が、晩年はちょっと…秀吉がお嫌いな方は、ほとんど、そのあたりの出来事が要因になってるような気がします。
投稿: 茶々 | 2010年7月15日 (木) 13時57分
茶々さま、こんばんわです。天下統一を成した秀吉が我が子可愛さにしたこの行為は、周囲にどう映っていたんでしょうか?豊臣家の繁栄=泰平の世、としても秀次一族を根絶やしにする考えは理解されたのでしょうか?
投稿: 伸之介 | 2010年7月15日 (木) 20時37分
伸之介さん、こんばんは~
一般庶民には…
秀次を「殺生関白」だと信じている人から見れば、処刑は当然のように見えるでしょうし、「秀次は名君だ」と思っている人にとってはツライ出来事だったでしょうね。
そのへんの情報操作もやってたでしょうから、なかなか真実は見えてこなかったんではないでしょうか?
投稿: 茶々 | 2010年7月15日 (木) 23時04分
あんなに多くの側室がいた秀吉なのに、何故成人した実子は一人だけだったのでしょう!
その一人さえも・・
多くの人を死に至らしめた因果でしょうか!
投稿: syunchan | 2010年7月16日 (金) 00時20分
syunchanさん、こんばんは~
因果ですか…
どうでしょうね~
戦国という世は、現在の尺度では測れないものがありますからね~
完璧にやっつけると鬼と言われ、無防備でいると寝首をかかれますから…なかなか判断が難しいです。
投稿: 茶々 | 2010年7月16日 (金) 01時29分
秀次が城下を整備した近江八幡市が、3月に豊臣秀吉の主家・織田家ゆかりの安土町を「吸収」したのは、何かの因縁かも?
思うに来年は「天地人」より出番が増えそう(第1回目の配役発表で登場が決まったから)です。秀次以外の人物を見ても「日の当る」位置づけと言えますね。来年は滋賀県がいろいろ話題になりそうです。
2012年大河作品はどうなりますかね?
早ければ今日、遅くても再来週までには決まるでしょう。主役の選考期間が約半年と言う事を考えると、今月中には決めないと。
投稿: えびすこ | 2010年7月16日 (金) 09時02分
こんにちは。
「ビジネスジャンプ」に連載中の
『猛き黄金の国・柳生宗矩』で、
この処刑の場面が出てきます。
本宮ひろ志作です。
次号(7/20)で。
投稿: やぶひび | 2010年7月16日 (金) 12時15分
えびすこさん、こんばんは~
安土に限らず、財政の面では、市町村合併もいたしかたないのでしょうが、古き良き地名な、なんとか残していっていただきたいですね。
なんだかんだで、大河ドラマは楽しみです。
投稿: 茶々 | 2010年7月16日 (金) 22時49分
やぶひびさん、こんばんは~
そうですか…
最近、漫画は単行本の大人買いでしか読まないようになってしまいましたが、歴史物に関しては、なかなかスルドイ作品が多いようですね。
また、チェックしときます。
投稿: 茶々 | 2010年7月16日 (金) 22時52分
今年の大河では、「間抜けな人ではない」人物像です。番組の上では江さんの2回目の結婚が、秀次の「お目付け役」の意味もあったんですね。
最近番組を見て気になるのは、「関ヶ原」後の男性陣がどうなるかです。「豊臣関係者」が番組から去りますね。
俳優名で袴田さん、石坂さん、AKIRAさん、北村さん、岸谷さん、萩原さんの順で番組を去ります。
斉藤工くんも最終回前に番組を去ります。
一時的に男性が少ない回があるかも。
「徳川関係者」で見ると、今後登場が見込まれる人がいるんですが、まだ「配役も未定」の状況でしょうか?終盤まで登場するのは現時点では3人(徳川家康、徳川秀忠、本多正信)だけですが、誰かが出ると思います。時間が進むと世代交代しますね。それとも「関ヶ原」以降か、「大坂の陣」あたりに大物俳優が、「サプライズ」で登場するのかも?秀忠・江さんの息子2人がいるので、さすがに「男性がいなくなる」と言う事態はないですが。
投稿: えびすこ | 2011年7月 9日 (土) 12時56分
えびすこさん、こんにちは~
江さんは、ファーストレディになってからのほうが、エピソードが多い気がするんですが、今のこの時点で、最後までできるのか?のほうが心配です。
投稿: 茶々 | 2011年7月 9日 (土) 15時12分
>江さんの晩年までできるかどうか心配
大河ドラマガイドブックでは、宮沢りえさんが大坂の陣について言及してるので、晩年までやる(以前にも書いたかな?)と思います。前半は「劇中の時間進行」がスローでしたね。
秀忠が江さんに「あなたとはもう会う事はないでしょう」と言いますが、あれはどういう意味を持つんでしょうか?
それでも近々夫婦となりますが、「ツンデレ夫婦」になりそうな予感(笑)。
先ほど書き忘れましたが、豊臣秀頼も当然出ますね。今年は誰が射止めるか?放送予定では、今月中にお拾(秀頼)が生まれますね。江さんとの年齢差がちょうど20歳です。
投稿: えびすこ | 2011年7月 9日 (土) 19時47分
えびすこさん、こんばんは~
娘の入内とか春日局との絡みとか、今のままのスピードが難しいのでは?とも思いますが、そこは脚本次第でどうにでもなりますからね。
投稿: 茶々 | 2011年7月 9日 (土) 23時39分
江でやってましたね。
最初はてっきり今頃には、関ヶ原やっているかと思いました。春日局とのバトルは観れるかな?
姫たちの`戦国´だから戦国中心なのか?
今後はどーなる!
投稿: Ikuya | 2011年8月 2日 (火) 17時06分
Ikuyaさん、こんばんは~
瑞泉寺が映ってましたね~
個人的には、秀忠の奥さんになってからが江の活躍の場だと思って楽しみにしてたんですが、本来なら、おそらく関わっていないであろう重要事件に首を突っ込まされる幼児期が長かったですね~
投稿: 茶々 | 2011年8月 3日 (水) 00時29分
ブログ、初めて読ませていただきました。奥深い歴史の話がたくさんあり、興味深いブログでした。
昨日、たまたま高野山に行ってきました。豊臣秀次が自刃した「柳の間」を見ましたが、本当にごく普通の部屋で・・・。
「殺傷関白」とあだ名されていた秀次に切腹の命令を下すのはまだしも、秀次の一族までというのはひどいと思いました。
また読ませていただきたいと思います。
投稿: | 2013年8月15日 (木) 14時47分
初めまして…
>秀次の一族までというのは…
ホントですね。。。
幼い子供や側室になったばかりの若い娘さんも…と思うと胸が痛みます。
投稿: 茶々 | 2013年8月16日 (金) 01時25分
「真田丸」の関白・秀次は、新解釈で
演出されるようです。
矢部健太郎「関白・秀次の切腹」がタネ本。
講演会も聴いてきましたが、
「殺生関白」ではなく、気の弱い性格の
人物と描かれています。
実子の秀頼が生まれても、
すぐ執務が取れるわけでないのに。
切腹命令を出したのは、秀吉でなく、
使者の陰謀では?
投稿: やぶひび | 2016年7月13日 (水) 18時49分
やぶひびさん、こんばんは~
以前の2007年のページにも書かせていただきましたが、秀次の側にいた医師の記録に「持病の喘息がひどくなって夜も寝られないようだった」と書かれていますから、気弱というか、マジメな人だったんでしょうね。
こないだの「真田丸」では、すでに、自ら高野山に入ってしまってましたね。
投稿: 茶々 | 2016年7月14日 (木) 02時57分