北条政子~尼将軍・誕生への道
嘉禄元年(1225年)7月11日、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻で、尼将軍と称される北条政子が69歳で、この世を去りました。
・・・・・・・・・・
夫の源頼朝(みなもとのよりとも)がいた頃は、愛人宅を燃やしてしまうほどにヤキモチを焼き、夫の死後は、まさに尼将軍として実権を握り、果ては、意にそぐわない息子を死に追いやる・・・確かに、実力はあるものの、そのぶん気が強く、鬼嫁のイメージが拭えない北条政子(ほうじょうまさこ)さん・・・
かなりの有名人なので、すでに度々このブログにはご登場いただいておりますが、やはり、あまり印象のよくない登場の仕方・・・とは言え、さすがに本日は、ご命日という事で、少し、政子さんの側から見た感じのご紹介にしてみましょう。
・‥…━━━☆
北条政子は、保元元年(1157年)、北条時政の長女として、伊豆の北条(静岡県伊豆の国市)で生まれます。
ご存知のように、平治元年(1159年)に勃発した平治の乱(12月9日参照>>)で、父・源義朝(みなもとのよしとも)とともに平清盛と戦って敗北した源頼朝が、伊豆の蛭ヶ小島に流罪となり(2月9日参照>>)、その監視役となっていたのが、清盛と同じ平氏の流れを汲む北条家の時政だったのです。
やがて、年頃になった頼朝は恋をします。
その相手は、時政と同じく、頼朝の監視役となっていた平家に属する伊豆の豪族・伊藤祐親(すけちか)の娘・八重姫・・・
祐親が京都番役として、長期に渡って都に滞在している留守中に、屋敷に転がり込んで、祐親が帰ってきた時には、なんと、二人の間に男の子まで生まれていました。
平家全盛の時代です。
自分が監視している敵の子供を、自分の娘が産んだなんて事がわかったら、どんな事になるかわかりません。
激怒した祐親は、孫にあたる、その男の子を殺し、娘を別の男と結婚させてしまいました。
しかし、めげない頼朝さん・・・今度は、時政が京都番役を命じられた長期不在の間に、娘の政子をコマして・・・もとい、政子と恋に落ちたのです。
もちろん、祐親と同様、自宅に戻ってきた時政は激怒・・・早速、二人を別れさせ、政子を別の男と結婚させる事にします。
噂によれば、その相手は伊豆の目代(代官)の山本兼隆だったそうですが、いよいよ、明日が婚礼の日という前の夜、降りしきる豪雨の中を、政子は家出を決行したのです。
その時、頼朝は、伊豆権現で彼女を待っていたと言われます。
家を捨て、親を捨て、まさに着の身着のまま、嫁入り道具の一つすら持たずに、政子は頼朝のもとに走ったのです。
まぁ、結局、時政は二人を許してしまうわけですが・・・
それには、時政の直系のご先祖様の平直方(なおつね)の娘の嫁ぎ先が源頼義(よりよし)で、この二人の間に生まれたのがあの八幡太郎義家・・・つまり、時政は、平家であると同時に、源氏の遠い親戚でもあったのです。
さらに、頼朝に人生を賭けてみようって野望も少なからずあったでしょう。
なんたって、頼朝は源氏の御曹子・・・自分は、このまま平氏の中にいたって、伊豆の豪族以上に出世する事は望めませんからね~。
しかし、そんな風に揺れ動く時政の心を決断させたのは、やはり、娘・政子の一途な愛だった事は確かでしょう。
この時の政子がいかに真剣だったかは、有名な、静御前の鶴岡八幡宮での舞いのシーンの逸話でご存知の方も多いでしょう。
鎌倉幕府の一大イベントで、逃亡者となった恋人=源義経を慕う歌を舞い歌い、激怒した頼朝に、
「流人のアンタに恋をした…昔の私もこんなんだったワ」
と、静御前の味方となって、頼朝を諌めるシーンです(4月8日参照>>)。
嵐の夜の家出と言い、この時の静御前への態度と言い、彼女は、やはり、頼朝を好きで好きでたまらなかったのでしょう。
亀の前への襲撃事件(11月10日参照>>)が有名ですが、そんなヤキモチ焼きも、恋しい気持ちの反動という物かも知れません。
…と、こんな風に、将軍=頼朝の奥さんとして、天下のおカミさんに徹していた彼女の人生が一変するのが、夫の急死です(12月27日参照>>)。
この頃の武家の奥さんというのは、夫が亡くなると髪をおろして尼となり、生涯、亡き夫の菩提を弔うというのが定番なわけですが、彼女は、確かに、尼となるものの、ご存知のように、政治の表舞台にも登場する事になります。
それには、やはり、頼朝があまりにも急に亡くなってしまった事・・・
この時、二人の間には頼家(よりいえ)と、実朝(さねとも)という二人の息子がいましたが、実朝が、未だ8歳という幼さであったので、将軍の後継者は、兄の頼家・・・ここは、すんなりと決まったのですが、この頼家だって、未だ18歳ですから、母・政子から見れば、なんとも頼りない息子だったわけです。
もちろん、これは、あくまで、政子から見た頼家で、実際に愚将だったかどうかは、簡単に判断はできないでしょう。
しかし、一つの事件が、彼女と、そして、頼朝と苦労をともにした御家人たちから見た頼家の印象を悪くしてしまったようなのです。
それは、まだ、頼朝が亡くなってから7ヶ月しか経っていない頃・・・
頼家は、頼朝が伊豆での挙兵以前から頼りにしていた重臣・安達盛長の息子・景盛の奥さんを好きになってしまったのです。
そして、なんと、その景盛が公用で三河(愛知県)へと出張中のところを見計らって、その奥さんを寝取ってしまいます。
当然の事ながら、その事に猛抗議する景盛・・・それに対して、頼家は、懲罰を与えようとしたのです。
なんせ、将軍なんですから、家臣の誰もが「そりゃ、ないだろう」と思っても、注意する事なんてできません。
そこに立ちはだかったのが母・政子・・・「景盛を殺すなら、私を殺しなさい!」と一喝!
おそらく、この出来事があったで、御家人たちから見た政子の評価が上がり、逆に、頼家の評価が下がってしまったのではないでしょうか?
もちろん、政子から見た頼家の評価も・・・
比企能員(ひきよしかず)との絡みもあり、結局、政子は、わが子・頼家を死に追いやってしまうわけですが(7月18日参照>>)、この事で、政子=悪女のイメージは決定的となります。
しかし、確かに、政子と頼家は、母と子ではありますが、その子は、この国を背負っていかねばならない将軍という地位にあるのですから、そこには、ただ単に、母と子という関係だけに重きを置く事ができなかったのかも知れません。
結局、その頼家の後を継いで将軍となった実朝も、若くして暗殺されてしまい(1月27日参照>>)、政子は、またまた政治の表舞台へと推しあげられ(5月14日参照>>)、承久の乱にて「尼将軍」と呼ばれる事になるのです。
…と、本日は、政子さんの味方に立って書いてみました。
★承久の乱のアレコレについては・・・
●承久の乱勃発~北条義時追討の院宣>>
●北条泰時が京へ進発>>
●幕府軍の出撃を京方が知る>>
●美濃の戦いに幕府方が勝利>>
●瀬田・宇治の戦いに幕府方が勝利>>
●承久の乱終結~戦後処理と六波羅探題>>
.
「 鎌倉時代」カテゴリの記事
- 四条天皇の崩御~後継者を巡る京洛政変(2025.01.09)
- 息子のために母ちゃん頑張る~阿仏尼と十六夜日記(2023.04.08)
- 「平家にあらずんば人にあらず」と言った人…清盛の義弟~平時忠(2023.02.24)
- 武士による武士のための~北条泰時の御成敗式目(2022.08.10)
- 承久の乱へ~後鳥羽上皇をその気にさせた?源頼茂事件(2022.07.13)
コメント
大河ファンの間では、主人公候補によく名前が挙がるようです。後鳥羽上皇の倒幕の際に、大演説で東国武士が一致団結したのは有名ですね。女性の演説史上で特筆です。
「21世紀の北条政子」に当る人は誰か?
「ファーストレディー」が1年で変わるご時世なので…。
投稿: えびすこ | 2010年7月11日 (日) 08時18分
へー。大河ドラマの候補ですか。
北条政子側からみた鎌倉時代初期も面白そうですね。
投稿: いんちき | 2010年7月11日 (日) 11時36分
えびすこさん、こんにちは~
ファーストレディ…宇宙人と仲良しの人はいましたが…
今日の選挙で景気も上向きになると良いですね~
投稿: 茶々 | 2010年7月11日 (日) 12時52分
いんちきさん、こんにちは~
女性向き路線の最近の大河なら、政子さんもあるかも知れませんね~
まぁ、来年が江なので連続女性ってことがないとすれば、再来年のそのつぎ…先は長いですね~
投稿: 茶々 | 2010年7月11日 (日) 13時01分
こんにちは。
昨夜「テレビ東京」で土曜スペシャル』
という番組
をやっていました。
政子ゆかりの神社や熱海名湯を
紹介されていました。
政子ってこの時代
の女性から見たら、駆け落ち婚しちゃうし、
政治に対しても『女帝』的な存在だと思います。
大河ドラマ「草燃える」では「岩下志麻」が演じていましたね。頼朝は「石坂浩二」でした。
投稿: やぶひび | 2010年7月11日 (日) 13時27分
やぶひびさん、こんばんは~
岩下志麻さん、なかなかイメージぴったりですね~
晩年の演説のシーンなんか、今でもいけそうです
投稿: 茶々 | 2010年7月11日 (日) 18時34分
こんばんは。物事にはいろんな視点がある訳で、一概に政子さんが悪女とは言えないですよね。史実と言われているものと現実にあった事実は違うかもしれないし、だからこそ歴史って面白いですよね。
投稿: 露草 | 2010年7月11日 (日) 18時56分
露草さん、こんにちは~
本当に…
色々な見方があるからこそ歴代は面白いですよね~
投稿: 茶々 | 2010年7月11日 (日) 21時14分
「草燃える」北条政子を主人公にした大河ドラマ、覚えてます。あの頃の大河ドラマはきちんとその時代の空気を伝えていたと思います。(平成の空気に包まれた今時の大河と違って) 政子さん、結婚ドタキャン、駆け落ちって伝えられてることが本当ならカッコいい人だなぁ~。お父ちゃんの時政も、ここで責任とって腹切ったりしないで「この人に賭けてみるか」っていうのも政子同様肝の座った御仁で、その後トップに立つのもうなずけます。真面目な祐親さんなら娘がこんなことしたら腹切ってたんじゃ・・・でも歴史の主人公になる人は皆大変。政子も夫に先立たれ(浮気もされ)息子を死に追いやり、決して幸せだとは思えないけど、選ばれた人の宿命なんでしょうか。
投稿: Hiromin | 2010年7月11日 (日) 21時22分
こんばんは。
最近は政子は頼朝の正室でいることができたのは何故だろうという疑問を呈している専門の方もいるようです。
北条氏は豪族の規模としては他の坂東豪族に比べて飛びぬけて強大なものではなく(弱小豪族説まである)、時政も頼朝の生前は無位無官(無断ではない任官をした御家人も多数あり)。
一方の頼朝は最終的には従二位右大将という「公卿」にまで上り詰めています。
公卿の正室が無位無官北条時政の娘ではつりあわないということだそうです。
頼朝がその気になれば都の公家の姫君なり東国の有力豪族の娘を正室に据えて政子を側室にすることも可能だったのに何故頼朝は政子を正室に据え続けたのかが疑問であるというのです。
以下私の意見です。政子は頼朝を本気で愛していたとおもいますが、頼朝も政子を信頼し愛していた。だから他の有力な実家を持つ妻を娶らずに政子のみを妻としていたのではないかと思うのです。
頼朝の意図してところはどうなのかは専門の方の今後の研究の成果が出るとおもいますが、私の個人的な考えとしては↑の通りになっております。
投稿: さがみ | 2010年7月11日 (日) 22時17分
Hirominさん、こんにちは~
>選ばれた人の宿命…
そうですよね。
本文にも書きましたが、息子は将軍…この国の運命をも握っている人物なんですから、母親という立場だけでは測れない物があったのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2010年7月12日 (月) 18時27分
さがみさん、こんにちは~
私も、そうだと思います。
頼朝は政子を愛していた…というよりは、「大切な人」と思っていたような気がします。
たとえば、売れない芸人が、苦労時代に自分を食べさせてくれた奥さんを大切にする感じ???
人気者になって、モテるようになると、ちょっといい気になって、おネェちゃんと浮気したりするけど、苦労をともにした奥さんは別格みたいな???
そんな感じがします。
投稿: 茶々 | 2010年7月12日 (月) 18時32分
そういうことなんですか~~~
勉強になりました。
ありがとうございます。。。
投稿: 珠理奈 | 2011年2月 8日 (火) 21時37分
珠理奈さん、こんばんは~
また、遊びに来てくださいね
投稿: 茶々 | 2011年2月 8日 (火) 23時07分
見てみたいな~
北条政子さんの大河ドラマ
草燃えるは、夏休みに見てみよう!
修学旅行でもっとゆっくり鎌倉を見てくればよかった。
投稿: Ikuya | 2011年7月 9日 (土) 22時55分
Ikuyaさん、こんばんは~
来年の大河には、政子さんは出るんでしょうか??
出ても、主役との絡みはありませんが…
投稿: 茶々 | 2011年7月 9日 (土) 23時43分
北条政子は終盤に少し出る程度でしょうか?
来年のテレビ東京系の正月時代劇の主人公も、そろそろ決まる時期だと思いますが、来年は誰でしょうね?
来年の1月2日は月曜日です。
きのう記事に書いた成海さんは12年8月で20歳になります。今はまだ18歳です。
投稿: えびすこ | 2011年7月10日 (日) 09時27分
えびすこさん、こんにちは~
来年は、頼朝の横にいるくらいですかね。
投稿: 茶々 | 2011年7月10日 (日) 15時42分