薩長同盟の龍馬に疑問?西郷と木戸が待っていたのは…
大河ドラマ「龍馬伝」 第35回『薩長同盟ぜよ』・・・
ドラマの内容については、NHKのサイトにも書かれてありますので、ここでは省かせていただきますが、それにしても、何やら忙しい回でしたぜよ。
もちろん、ドラマなんですから創作はあって当然ですので、あくまで番組批判ではなく、いつもの愛のツッコミ・・・プラス、せっかくの話題なので、薩長同盟と坂本龍馬の関係についての異説を・・・
・‥…━━━☆
なんたって、1日のうちで、京都市中(現在の同志社大学のあたり)にある薩摩藩邸と、伏見にある寺田屋を何度も行き来するのには、ちょいとびっくり・・・
しかも、その前には大坂で近藤長次郎の奥さんにも会ってますし、途中には、新撰組に捕まった岩崎弥太郎も助けに行ってますからね~かなり、しんどいゾ~( ̄○ ̄;)!
まっ、昔の人は健脚だし、体力もかなりあったでしょうから、京阪電車で15分や20分(中書島⇔出町柳間)ほどの距離なんて、何往復しようが、どーって事ないっちゃぁ、どーって事ないですしね。
それにしても、龍馬の移動も速いが、幕府の情報収集の速さもスゴイ!
もう、その日のうちに薩長がつながりを持った事もバレたなら、そこに龍馬が関係してた事までバレちゃってる・・・これは、スルド過ぎるほどスルドイですね~
ちなみに、ドラマでは、見廻組と新撰組が何やらいがみ合ってるような雰囲気でしたが、たぶん、そんな事実はなかったと思います。
どちらかと言うと連携プレーで、ともに不逞浪士の探索に当たっていたはず・・・確かに、幕臣と浪士あがりの身分の違いはありましょうが、ともに会津藩の配下ですから、ともにトップは松平容保(かたもり)なので、ここがいがみ合ってたら、それこそ、容保さんに統率力がないって事になって面目丸つぶれですからね。
しかし、その二つの速さに比べて、断然遅いのが、龍馬とお龍ちゃんとの関係・・・
ドラマでは、何やら、まだまだお二人はよそよそしい感じの、「お互い気になってる」程度の関係に見えましたが、実は、実際の二人は、この時、すでに結婚して1年半の仲です。
一般的には、ドラマで来週放送されるであろう寺田屋騒動(1月23日参照>>)の時に、龍馬の危機をお龍が救い、その後、薩摩藩でお世話になってから、あの九州旅行に出かけ、それが、日本最初の新婚旅行だなんだと言われるため、この頃に、寺田屋騒動きっかけで結婚したように思われがちですが、意外に、その根拠となる物はないんですよ。
逆に、明治になってからのお龍さんの思い出話では、元治元年(1864年)の8月・・・禁門(蛤御門)の変(7月19日参照>>)のあった頃に、現在の地下鉄・東山三条駅近くにあった青蓮院の塔頭(たっちゅう・大きな寺院に付属するお寺)の 金蔵寺(こんぞうじ・→写真)で、内々の結婚式を挙げたと、ご本人がおっしゃてるので、どちらを信じるかとなれば、やっぱ、コチラ・・・
だとすると、薩長同盟の慶応二年(1866年)1月には、もうすっかり夫婦・・・いや、禁門の変の頃に、龍馬はお龍を寺田屋に預けてますから、むしろ「俺の嫁さん、ここで働かせたって!」って感じだったのかも知れませんね。
ところで、今回メインの薩長同盟・・・
ドラマでも、何やら「龍馬が来ないと交渉できない」とかなんとか言って、龍馬の登場を待ってましたが・・・
確かに、実際にも、何日か前に交渉は始まっていたものの、まったく進展がなく、もはや決裂寸前のところに龍馬が登場し、西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)の両方を説得して、再び交渉のテーブルについた事で、結果的に同盟がなったとされていて、以前の薩長同盟のページにも、そのように書かせていただきましたが(1月21日参照>>)、実は、これは後々、その小五郎の手記である『防長勤王事蹟自叙』なる物に書かれてある公式発表なのだそうです。
(ドラマでは、これも無かったですが…(゚ー゚;)
・・・で、この一般的に知られている「龍馬待ち」以外にも、この時の小五郎と隆盛は、「別の物を待っていた」という話があります。
それは、この薩長同盟が成る日と同じ日に行われていた二条城での会議です。
実はこの慶応二年(1866年)1月21日の会議で、先の禁門の変で御所に突入した長州への処分が話し合われていて、その結果が出るのを待っていたというのです。
この時行われた会議では、はじめ、「長州を廃藩にする」という厳しい意見も出ましたが、結果的には、領地の10万石の減削、藩主・毛利敬親(たかちか・よしちか)の隠居、世嗣・定広の蟄居(ちっきょ・謹慎)に決定し、最後に、これを朝廷が勅許(ちょっきょ・天皇のお許し)して認めるという結果・・・つまり、ここで、長州は朝敵と決定したわけです。
この決定に対し、小五郎は、あくまで「冤罪(えんざい・無実の罪)」を主張し、結局は、隆盛がそれに同意して同盟が成される・・・なので、現在も残る覚書にも、「朝敵となった長州の冤罪を晴らすために、薩摩が朝廷に働きかけて尽力する」事が約束されているわけで、それは、処分が決定した後の同意である事が重要なわけです。
ちなみに、この時の薩長同盟は、口約束・・・ゆえに、立会人が必要なわけで、それが龍馬だったので、後日、小五郎が、その内容をまとめ、その裏に龍馬が署名した、その有名な覚書が存在するのです。
・・・で、ならば、なぜ?手記に龍馬が来てから話が進展したかのように書いたのかというと、「長州が朝敵」というのを決定したのは朝廷なので、それを冤罪と主張する事は、イコール朝廷批判となるわけで、さすがに公式文書では、会議の結果を待っていた事はウヤムヤにしたかったのではないか?と・・・
ところで、やっぱり登場しませんでしたね~中岡慎太郎・・・
もともとは慎太郎が薩長同盟の発案者(8月6日参照>>)で、龍馬は途中参加・・・とは言え、実際に同盟成立の現場にはいなかったわけですから、今回ばかりは仕方ないのかも知れませんが、実は、その時、大宰府にいた三条実美(さんじょうさねとみ)ら五卿(八月十八日の政変>>で都落ちした7人の公卿のうち5人)の応接役という役職についていて、しかも、その頃の福岡藩で内紛があったため、彼らの安全のためにも、慎太郎は福岡を離れる事ができなかったとされるほか、怪我をしていて動きづらかったとの話もあり、来たくても来れなかったのでは???そのために、龍馬が立会人となったとの見方もあります。
最近では、龍馬の薩長同盟での活躍に疑問を投げかける説も多くありますが、それは、こういう事なわけです。
ただし、もし、そうであっても、これで龍馬の魅力がなくなるわけでもなく、その価値が下がるわけではありません・・・実際に同盟成立のために奔走したわけですし、立会人も人当たりが良く、交渉上手な龍馬だった事が功を奏した感もありますしね。
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コメント
いやいや鋭いご指摘。頭が下がりますo(_ _)oペコッ。
坂本龍馬がお龍と既に夫婦であると言うのは、気がつきませんでした(うすうす2人がまだ結婚しないのは、おかしいと感じていましたが)。
「倒幕側」の人間がメインのはずなのに、新しい時代を開拓するという「前向きな政治信条」ではなく、本当は幕府がそうなのに窮地に立たされている状況=レームダック(死に体)的な発想と言うのも変ですよ。
慶応年間にいたっても、幕府が倒幕勢力を「粉砕できるくらい元気満々」と言うのは少しおかしいですね。
人物を見るとわかるんですが、「新時代を作る」意気込みや熱意が伝わりません。肝心の会談も数分で済ませましたね。本当はもっと詰めたはずですね。握手する場面とかないので、本当に西郷も木戸も納得できたかわかりません。「篤姫」の時とはかなりシチュエーションが違いますよね。画期的なことなのに(画面も含め)暗い感じがしました。当初からのネックであるサスペンス的な場面が(前回のタイトルとはやや無縁)多すぎましたね。ご不満に感じる中岡がでないと言うのは、やはり上川さんの奥様の件があるので調整したんでしょうかね?
あの程度の内容では、(今年の)視聴率最低記録更新でしょうなε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…。裏が「24時間テレビ」のマラソンゴールシーン(ちょうど8時45分頃にゴール)なので。昨日は「龍馬伝」を見た後にくたびれてしまいました。
(*´ェ`*)フゥ~
投稿: えびすこ | 2010年8月30日 (月) 10時23分
えびすこさん、こんにちは~
やはり、友情大事と、純愛路線は、ドラマでは重要なんでしょうね。
>「前向きな政治信条」ではなく…
というのも、維新を見ずに亡くなるという最期の段階を、スタッフが意識しすぎなのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2010年8月30日 (月) 17時16分
>維新を見ずに亡くなる…
最終回で「暗殺されて終わり」となれば、後味が悪い結末ですよね。明治改元前で物語が終わってしまうと、「(海援隊含め)残された人たちは新しい時代でどうするんだ?」と言うことですね。
書き手が「サスペンスドラマ調」にする意図(本当にサスペンス要素が多いです)があったのかどうか知りませんが、サスペンスには子供も感動もありません。でも、大河ドラマで「(主人公および周囲に)子供も感動もない作品」と言うのはいただけないですよ。
余談ですが、大河ドラマの最近の傾向で「夫婦愛を濃く描写する」一方で、「親子の絆」の描写が薄い事は意外にあまり指摘されません。来年以降はそこを是正してほしいですね。
投稿: えびすこ | 2010年8月30日 (月) 17時43分
ドラマではない、歴史の検証番組なんかでも、ほとんど、亡くなったところで終わって、その後の海援隊はスルーされる事が多いので、今回も語りで終わっちゃうかも知れませんね~
ただ、今回は、その語りが弥太郎なので、いつも違う感じを、ちょっと期待しています。
投稿: 茶々 | 2010年8月30日 (月) 18時17分
同じ日にBSジャパンでは龍馬暗殺を中岡慎太郎の仕業とする番組が放映されました。意見や方法論の違いがあったのは確かでしょうが激論がエスカレートして殺し合いになったというなら兎も角、暗殺云々という言葉は使って欲しくなかったです。
播磨の国で生まれた宮本武蔵が、幾ら吉川英治が美作生まれと書いてしまったことで岡山出生説が出るのは岡山県人の僕でも納得行きません。
また、BSジャパンの放送では龍馬も慎太郎もエージェントだったということですが、説得力が不十分なように思えました。要は中岡慎太郎の維新への十分な評価の欠如と読み物・竜馬が行くの余りにも大きすぎる影響力の成せるワザでしょうか?
投稿: syunchan | 2010年8月30日 (月) 18時44分
syunchanさん、こんばんは~
ありますね~龍馬暗殺=中岡慎太郎説…
でも、おっしゃる通り、中岡なら「暗殺」という表現はオカシイです。
>中岡慎太郎の維新への十分な評価の欠如…
その通りだと思います。
中岡への評価が低いために、あたかも龍馬ひとりで成し遂げたようなところに違和感を感じるわけで、龍馬もやったし、慎太郎もやったという風に描いていただきたいなぁと思っています。
投稿: 茶々 | 2010年8月30日 (月) 19時13分