« 少年・徳川家康の命の値段 | トップページ | 「お父ちゃん、褒めたげて!」黒田長政の関ヶ原 »

2010年8月 3日 (火)

豊臣秀頼・出生のヒミツ

 

文禄二年(1593年)8月3日、豊臣秀吉の次男・秀頼が、大坂城で誕生しました。

・・・・・・・・・・・

母親は、ご存知・・・
北近江を支配していた浅井長政(あざいながまさ)を父に、織田信長の妹・お市の方を母に持つ、あの浅井三姉妹の長女=淀殿です。

そして、気になるのは・・・
誰もが疑い、誰もが知ってる、あのウワサ秀頼・出生の秘密・・・。

いまさら、言う事もないような語りつくされた感のあるお話ですが、やはり、避けて通れないという事で、本日は、そのお話をさせていただきます。

・‥…━━━☆

そもそもは、無類の女好きとして知られる豊臣秀吉・・・

あまりの激しさに正室のおねさんがグチをこぼし、主君の信長が慰めの手紙を送ったという有名な逸話も、ご存知の事と思います(5月12日参照>>)

あの宣教師のルイス・フロイスも、著書『日本史』の中で、「宮殿を遊郭にしている」と、通説で言うところの15人の側室以外にも、一夜限りの相手としての多くの女性が、秀吉のもとに出入りしていた事を書き残しています。

しかし、そのいずれにも子供はいない・・・

そんな中で、淀殿だけが2回も出産・・・しかも、その時の秀吉はすでに50歳を過ぎた、当時としては、すっかり老人の部類に入る高齢ですし・・・

さらに、側室のうち、松の丸殿は前夫との間に子供がおり、加賀殿という女性も秀吉の死後に他家に嫁いで出産していますし、伊達政宗に下げ渡されたお種殿という人も、政宗との間に子供ができている・・・

当然の事ながら、おそらく、「秀吉のほうに子供を作る能力がなかったのだろう」と判断しますし、そうなると「その中で、淀殿だけが2度も妊娠するのはオカシイ」と、後世の誰しもが疑ってしまうわけです。

・・・で、もし、そうなら、
秀頼の本当の父親は誰なのか???

実は、後世だけではありません。

当時、すでに、そのウワサは囁かれていました。

毛利家に残る『萩藩閥閲録(ばつえつろく)の中にも、朝鮮出兵の際に日本に連れて来られた姜沆(カンハン)『睡陰看羊録(すいいんかんようろく)にも、淀殿不倫の話が登場します。

その内容の真偽はともかく、少なくとも、周りでそんなウワサが囁かれているという事は確認できます。

・・・で、その不倫の相手として一番にあげられるのは・・・

淀殿の乳母・大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)(4月24日参照>>)の息子=大野治長(はるなが)です。

彼は、淀殿が生まれ育った故郷・近江ゆかりの人物ですし、後に秀頼の側近となって、あの大坂の陣では、中心人物となって采配を振る人・・・

しかも・・・
小柄で「猿」「禿ねずみ」に例えられた秀吉とは、その容姿がまったく似ていなかったとされる身長190cm・体重130kg(あくまで噂ですが…)の巨漢に成長した秀頼ですが、この大野治長は、まさに長身で色白のイケメンだったとの事で、その風貌のそっくりさから、ますます、ウワサがウワサを呼ぶ事に・・・

また、そこには、父だけでなく、母をも死に追いやった秀吉を、淀殿が怨んでいないはずはなく、近江ゆかりの人物の子供を、わが子として秀吉に抱かせる事で、その怨みを晴らしたなんて、昼ドラまがいのドロドロ感満載の裏テーマも相まって、今もなお、取りざたされる一大スキャンダルとなっているわけです。

治長のほかにも、あの関ヶ原を引き起こした石田三成や、歌舞伎役者の名古屋山三(さんざ)などの名前もあがってはいますが、それらが囁かれるのは後世になってから・・・直後の周辺の人の日記には、「秀吉の死後は、その遺言で、家康と結婚する事が決まっていた淀殿が、大野治長と一緒に高野山へ逃げた?」なんて話まで出てきます(くわしくは【大砲2発・冬の陣~家康×淀殿×治長=愛憎の三角関係】でどうぞ>>)

しかし・・・
直後から、これだけ噂になっていたという事は、おそらく秀吉が生きていた頃から、怪しい雰囲気は醸し出されていたはず・・・ご本人の秀吉さんは、疑いを持たなかったのでしょうか?

なんとなく、歳をとってからの秀吉は、猜疑心が強く、事あるごとに、なにかしらに疑いをかけていた雰囲気がするのに、この秀頼に関しては、まったく疑う事なく、むしろ溺愛に近い態度で接しています。

とは言え・・・
もちろん、正史としては秀頼は秀吉の子供で、それを否定する史料なんて無いわけですから、ここからは憶測になるわけですが・・・

私個人的には、秀吉は、
「まったく疑わなかった」
のではなく、
「疑いたくなかった」
というように思えてならないのです。

秀吉には、その生涯で、3人の秀勝と名付ける息子がいます(←これは憶測ではなく記録として残ってます)が、その中の二人は養子・・・1人は姉・ともの子供で甥にあたる秀勝、もう1人は、信長の四男で養子に入った秀勝。

そして、もう1人・・・長浜城主だった時代に南殿という側室が生んだ石松丸=後に秀勝と名乗らせた男の子がいたのです。

ただ、その史料が少なく、おそらくは、まだ幼いうちに亡くなったのだろうという程度しかわからない人物ですが、長浜の寺に残された位牌や寺伝などから、実子であった可能性が高いと言われているのです。

(ここからは完全に憶測ですが・・・)
おそらく、秀吉は、その過去の事実に一筋の希望を見出した・・・

子供ができる可能性が、まったくのゼロではない以上、「秀頼を実子だと信じよう」と、自分自身に言いきかせていたのでは?と思うのです。

それこそ、疑い出したらキリがありません。

今のようにDNA鑑定ができるわけでもないですから、どっちにしろ「絶対」なんて言えないわけですし、すでに58歳の秀吉に、この先、本当に子供ができるとは、とても思えません。

だったら、周りがどんなに疑おうが、どんなにウワサしようが、「自分は信じよう」と決めたのではないか?と思います。

以前の【千利休の切腹の謎】(2月28日参照>>)でも、その理由の一つとして、利休が秀吉の逆鱗に触れるような事=秀吉が聞きたくない事実を言っちゃったんじゃ???と書かせていただきましたが、案外、当たってるかも知れません。

「わかっちゃいるけど、知りたくない」
そんな事って、あると思います。

秀吉は、自分に言いきかせながら、信じようと努力しながら、豊臣家の未来のすべてを秀頼に託したのかも知れません。

Dscn7958800
昼下がりの大阪城・六番櫓
 .

あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


« 少年・徳川家康の命の値段 | トップページ | 「お父ちゃん、褒めたげて!」黒田長政の関ヶ原 »

戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

コメント

茶々さん、こんにちは!
秀頼関連でTBさせて頂きます。

さて、来年は正月2日から黒田官兵衛ネタのドラマで始まりますよ。(大河が同じ日から始まるのか、翌週なのかはまだ不明ですがk…)またまた戦国ネタで話題が広がりそう!

投稿: 御堂 | 2010年8月 3日 (火) 13時00分

当時から秀頼出生にうわさがあったのですね。年老いた秀吉の気持ち、わからないわけではありません。真相を知るのは淀殿だけ……。

投稿: 露草 | 2010年8月 3日 (火) 13時06分

御堂さん、トラバ、サンクスです!

黒田官兵衛…若い頃から晩年まで、エピソード満載ですね。
楽しみです。
目薬屋は出てくるかな?

投稿: 茶々 | 2010年8月 3日 (火) 13時10分

露草さん、こんにちは~

本文に登場した毛利家の文書には、「不倫がバレて手打ちになるところを宇喜多家に助けられた」なんて事まで書いてあるそうですが…

ホント
真相を知るのは淀殿だけですね~

投稿: 茶々 | 2010年8月 3日 (火) 13時15分

石田、大野、片桐の3人が「容疑者」として有名です。豊臣秀頼は体重が160kgもあると言う説がありますが、これは少しオーバーですね。力士でもあるまいし。
「大河ドラマの豊臣秀頼」は、若手俳優の登竜門と言う位置づけらしいので、配役は20代前半の俳優か?おおむね長身の若手が演じます。

余談。「1月2日に大河ドラマが始まる事」はあまりないです。テレビ東京の時代劇SPの方も放送時間は未定です。さて来年はどうなるかな?同日放送だと視聴者の奪い合いなので。

投稿: えびすこ | 2010年8月 3日 (火) 17時50分

私は、戦国の荒波をまともに受けた淀殿には秀吉に対する復讐として他の男の子供を「あなたの子」と喜ばせ、後継者にさせるしたたかさがあったと思うんですけど。それは決してずるくも何でもなく女の戦い方・・ってやっぱり昼メロっぽかったかしら。秀吉はカリスマ上司、信長の姪を手に入れて嬉しさと同時に崇めたてまつる気持ちもあったんじゃないか。あと、密かに同情も。自分にとっては雲の上のお姫様だった美しい女性が子供を産んで俺の子だと言ってる、ならばそうなのだ、そうしとこう、それに世間にも信長の血をひく息子をもったことで我こそ信長の後継者、と言えるし・・・なんて思惑があったりして。秀吉も自分には子供を作れないことはよ~く分かってたと思います。南殿とやらもあやしい。よその男の子供じゃないか。茶々の産んだ子が自分の子じゃないだろうと分かった上で、あえて騙されてあげてた。時々いたたまれず大荒れに荒れて周囲を困惑させた、なんてストーリーはどうでしょう?

投稿: Hiromin | 2010年8月 3日 (火) 20時59分

茶々さん、こんばんは!

そうですよね、秀頼が秀吉の子ではない可能性って高いですよね…。
そうなると、関ヶ原も、「秀吉の世を守る」ためでなく、「織田の世の再来」のために…みたいな説もありますよね。三成も近江出身ですし、茶々のために動いたとも…。
私としては、三成は秀吉至上主義者で、秀頼はちゃんと秀吉の子で、淀と秀吉はラブラブだったら嬉しいんですがw
映画の『茶々ー生涯の貴女』は、いろいろありえなさがあって、面白かったですw茶々かっこいいww

私、今度の土日で初めて大阪にいくんですが、
大坂城に行くのは決定してますw秀吉様に会いたい!!!(肖像画)
それで、大坂城以外で秀吉を身近に感じれる場所でお勧めを教えてくださったら嬉しいです!

長々とすみませんでした。

投稿: 暗離音渡 | 2010年8月 3日 (火) 23時16分

えびすこさん、こんばんは~

おぉ、片桐さんも候補にあがっているのですね。
なるほど…

…で、大河ドラマが2日に始まる事は無かったんですか?
ぜんぜん気づきませんでした( ̄○ ̄;)!

投稿: 茶々 | 2010年8月 3日 (火) 23時53分

Hirominさん、こんばんは~

イイですね~
岸田今日子さん時代の「大奥」みたいです~

戦国物で合戦シーンがNGなら、いっその事、こういう展開にしていただきたいですね。

投稿: 茶々 | 2010年8月 3日 (火) 23時56分

暗離音渡さん、こんばんは~

おぉ…ラッキーですね。
今、大阪城天守閣では、アンコールの声が大きかったとかで、数年前にオーストリアの古城で発見された「豊臣大坂城図屏風」の展示を再びやってます。
黒田家屏風以外の豊臣時代の大坂城ですから、私も、この機会に行こうかと思っていたんです。

あと、豊臣時代を感じたいなら「太閤下水」はどうでしょう?
現役の下水道なので、興味のない方にとっては、ただの下水道ですが、現在の大阪城が、すべて徳川時代の物ですから、ここは希少な豊臣時代の遺物です。

手前味噌ではありますが、本家HPでくわしい場所を紹介していますので、見ていただけるとウレシイです。
【太閤下水】>>
あと、大阪城周辺の散策のページもどうぞ
【大阪城公園周辺散歩】>>

楽しい旅行になる事を祈ってます。
ぜひ、秀吉の兜をかぶって写真撮ってきてくださいね!

投稿: 茶々 | 2010年8月 4日 (水) 00時14分

「祖母のお市の方が長身であり、隔世遺伝ならありえる」と言う研究者もいます。さて来年は誰が豊臣秀頼になるのか?

「八代将軍吉宗」以降の作品は、1月2日に始まった事はないです。ただテレビ東京系時代劇SPの方が、「午後7時に終わる」と言う時間なら、「1月2日開始」もありそうですね。今年が午後4時~午後11時なので、来年も同じならば1月9日開始でしょう。最近の「1月9日・第2日曜日開始」の作品は、「葵 徳川三代」と「義経」です。

投稿: えびすこ | 2010年8月 4日 (水) 13時45分

茶々さん、こんばんは!
いろいろとご紹介してくださり有難うございます!!「豊臣大坂城図屏風」を見れるんですか!
ラッキーです!本家HP、参考にして廻りますねっ!!秀吉の兜は、絶対にかぶりたいです!!

茶々さんは大阪出身なんですよね?秀吉関係でなくていいんですが、ココはやっぱり落とせないでしょう~っていうお勧めの場所はありますか?あ、ユニバは既にあきらめました(笑)一回行きたいんですがね…大坂城には勝てませんw
ねねの寺とか、行きたいなって思います。秀吉さんの手紙とか眺めたいですw秀吉様の像は全部見たいですw何人くらいいるんでしょう?

また質問してしまいすみませんでした。

投稿: 暗離音渡 | 2010年8月 4日 (水) 22時19分

えびすこさん、こんばんは~

さすがに、おくわしいですね~
びっくり!!

投稿: 茶々 | 2010年8月 5日 (木) 02時26分

暗離音渡さん、こんばんは~

生まれ育った町なので、いざ!観光…と聞かれると悩みますね~

他の場所の人から「どこか大阪らしい場所は?」なんて聞かれると考えちゃいます。

ねねさんのお寺??は、高台寺かな?
確かに、高台寺には秀吉さんの像もありますが、京都観光になっちゃいますね~

あと、秀吉関連なら、大阪城からは電車で2~30分かかりますけど、守口の文禄堤>>なんかもありますが…ここもただの道ですが、秀吉好きの歴史ファンなら、その場所に立つだけで感激です。

あと、近くなら、上町台地>>の細川ガラシャ最期の地である越中井から、真田の抜け穴のある真田山公園くらいまでなら、大阪城から歩いてでも行けます。

また、参考にしてみてください。

投稿: 茶々 | 2010年8月 5日 (木) 02時44分

茶々さん、こんばんは!
質問に答えてくださり有難うございます!
参考にさせてもらいます!
今から土日が楽しみですw
まあ、受験生なんで勉強もしなきゃいけませんが…。
ほんとうに丁寧に教えてくれて有難うございました!!!!!!!!!

投稿: 暗離音渡 | 2010年8月 6日 (金) 00時43分

暗離音渡さん、こんにちは~

ご紹介した「太閤下水」や「文禄堤」はかなりマニアックです。

「太閤下水」はただの下水ですし、「文禄堤」もただの土手ですので、歴史好きと言えど、行く方によってはガッカリする場所でもあります。

なので、くれぐれも、他の一般的なガイドブックも合わせてご覧になってくださいね。

貴重な時間ですから、できるだけ有意義に廻れるよう祈っております。

投稿: 茶々 | 2010年8月 6日 (金) 08時19分

こんばんは。
大阪のマイナーな観光では、「通天閣」と「法善寺横町」がおすすめだと思います。
映画「ビリケンさん」を見ました。
見てて楽しめました。

投稿: やぶひび | 2010年8月 9日 (月) 18時28分

ビリケンさん…

誰も通らない階段のところ(皆、エレベーターで昇るので)に放置されている時代を知っているので、今の人気には不思議な思いです。

投稿: 茶々 | 2010年8月 9日 (月) 19時29分

今年の豊臣秀頼は誰でしょうかね。
宮沢りえさんの息子役で向井くんの婿役ですから、誰になるかな?
配役はおおむね背の高い若手俳優となります。

投稿: えびすこ | 2011年5月29日 (日) 17時00分

えびすこさん、こんにちは~

毎週毎週の恋愛話に、胸のすくような武将の活躍を期待してる身としてはツライ大河ですが、何とか、脚本家さんの今後の目覚めに期待したいです。

投稿: 茶々 | 2011年5月29日 (日) 18時04分

きょうの朝日新聞に「実子いなかった?-豊臣秀吉」という記事が出ていました。
九州大学教授、服部英雄氏の『川原の者・非人 秀吉』という本の内容の一部を紹介したもので、秀頼の父親は秀吉の部下ではなく、陰陽師だといいます。
最初の子は秀吉が望んで淀殿に子供を作ってもらったのですが、二人目は淀殿の判断で秀吉不在の日に懐妊した、とのこと。そう推理する根拠としては、一体なにに怒ったのか、秀吉は淀殿の侍女を30人も処刑したそうです。
侍女の話は初めて知りました。
話変わって、防災の日特集で、地震、津波のほかに大雨も話題になっていますね。ひそかに天正大地震のネタを期待していたりするのですが…山崩れはほんとに恐ろしいです。

投稿: りくにす | 2012年9月 3日 (月) 22時59分

りくにすさん、こんばんは~

淀殿の女房たちの話は『時慶記』やルイス・フロイスの記録にも登場しますね。

陰陽師というのは、若狭の土御門の誰かという事なのでしょうか?
それは、淀殿の女房たちを処分した事件に絡む仏僧たちとも関係があるのでしょうか?

戦国屈指のミステリーですからね…様々な説が登場するのはおもしろいです。

投稿: 茶々 | 2012年9月 4日 (火) 00時53分

すみません。この問題には詳しくないもので。陰陽師が土御門のことなのかどうかは存じません。
3日の記事では、秀吉は織田家の血を神聖視しており、信長の姪に子を産ませることで、その子を織田・豊臣の子であると同時に神仏の申し子にしようと考えたのではないか、そこで唱門師(しょうもじ)が祈祷を担当の上父親候補に挙がったのではないかとしています。
女房たちのほかに唱門師、僧侶たちが追放された、とあるのですが、これだけでは僧侶たちがどんな役割を果たしていたのかわかりません。秀吉からすれば「お前たちの魂胆は分かっているぞ」ということなのでしょうけど。
詳しいことは服部氏の本を読んでのお楽しみ、ですね。
今世紀に入って新種のクジラが日本で捕獲されていた、と今しがた知って驚いたのですが、人の歴史にもまだまだ新説が浮上する余地があるんですね。

投稿: りくにす | 2012年9月 5日 (水) 23時47分

りくにすさん、こんばんは~

お答え、ありがとうございます。
歴史は謎が謎呼び、様々な説が生まれ…
日々進化して終わりの無いところが、これまたワクワクしますね。

投稿: 茶々 | 2012年9月 6日 (木) 01時33分

いろいろ検索していてこのHPを発見しました。とても面白い話がいろいろ有りますね。気長に少しずつ読んでいきたいと思います。

少し前から気になっていることでもあるのですが、

>父だけでなく、
>母をも死に追いやった秀吉を、
>淀殿が怨んでいないはずはなく

子供の頃から読んだ伝記とかでも大抵このようになっていましたし、『江』でも父母の敵というのが強調されていましたが、母はともかく父(浅井長政)に関しては死に追いやったのは秀吉でなく信長ではないでしょうか?秀吉は当時信長の命令で動く部将に過ぎなかったわけですから。例えば延暦寺の焼き討ちなどは実際に行った光秀等でなく「信長がやった」と当たり前のようにされていますよね。

投稿: 黒猫 | 2013年5月 6日 (月) 22時05分

黒猫さん、こんばんは~

>父(浅井長政)に関しては死に追いやったのは秀吉でなく信長ではないでしょうか?

もちろん、おっしゃる通りです。
ただ、小谷城攻め責任者だったのは秀吉ですし、実際には助命を約束する手紙など交換しながら、開城の交渉していたにも関わらず、結果的に長政は亡くなってしまうわけですから…

なので、もし、淀殿が怨んでいるとしたら(本人の気持ちなどは想像するしかありませんが)、信長と秀吉の両方を怨んでいたのではないか?と思います。

大河ドラマ「江」の場合は、なぜか、秀吉にばかり怨みを持ち、信長を尊敬している風な描き方だったので、私もツッコミを入れさせていただいてました~

投稿: 茶々 | 2013年5月 6日 (月) 23時33分

茶々さん、こんにちは!

光る君への藤原宣孝は筑前守、中の人は他の大河でも筑前守、世渡り上手、清濁も上手く使いこなす、派手好きでお金はケチらずに使う、北の方がいるけど親子ほど年下の女性と結婚する、ドラマの脚本家は功名が辻の人、どこかで聞いた設定だなと思っていたら、27話でまさかの大展開となりましたね。

大石静氏は「分からないことが多い時代なので、全編オリジナルストーリーの気概で臨んでいます」と仰っていて、それをフルに活用しているようです。
とりあえず、現時点では宣孝も倫子も功名が辻の秀吉のような酷い当て馬役ではないようなので、安心しています(;^_^A

投稿: 禿鼠 | 2024年7月24日 (水) 11時43分

禿鼠さん、こんばんは~

さすがに子供の父親が道長さんで、しかも二人だけの暗黙の秘密ならまだしも、夫や弟も知ってる(前回の放送ではわざわざ「父親似」とか言って知ってる雰囲気でしたね)という設定は、個人的にはちょっとヤリ過ぎな気がしないでもないですが、

今の所ドラマはまだ途中の段階で、この後、その事がアッと驚く展開に結び付く可能性もあるかも知れないので、感想は保留にしときます(笑

とりあえず昨年ほどは破綻してないのでww
私も安心してます

投稿: 茶々 | 2024年7月25日 (木) 04時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 豊臣秀頼・出生のヒミツ:

» 豊臣秀頼画像! [歴史~とはずがたり~]
豊臣秀頼は豊臣秀吉の次男として生まれますが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で大坂城落城時に生害します。 この豊臣秀頼の画像で最も知られているのは少年期の直衣姿を映した養源院(京都市東山区)所蔵の画像でしょうね。 対して、青年期の束帯姿を映した画像が..... [続きを読む]

受信: 2010年8月 3日 (火) 12時54分

« 少年・徳川家康の命の値段 | トップページ | 「お父ちゃん、褒めたげて!」黒田長政の関ヶ原 »