会津戦争~白虎隊も参戦した十六橋・戸ノ口原の戦い
慶応四年(1868年)8月22日、会津若松城へ迫る新政府軍と守る会津軍とで、十六橋・戸ノ口原にて戦闘が繰り広げられました。
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慶応四年(1868年)1月に勃発した鳥羽伏見の戦い(1月9日参照>>)に始まった戊辰戦争は、江戸城無血開城(3月14日参照>>)を経て、舞台はさらに北へ・・・(4月25日参照>>)
東北への玄関口である白河城への攻撃が開始されたのが5月1日(5月1日参照>>)・・・その後、7月29日に二本松城を落とされた(1月15日参照>>)会津藩は、本拠地・会津若松へと迫りくる新政府軍を阻止すべく、要所の母成(ぼなり)峠で待ち受けますが、ここも突破されてしまいます(8月20日参照>>)。
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8月21日の母成峠での敗戦の一報が、会津若松城(鶴ヶ城)に届けられたのは、翌日の慶応四年(1868年)8月22日の早朝の事でした(前日の夕刻の説もあり)。
早速、名だたる家老たちが集まっての城内御前会議・・・今後の方針を検討します。
しかし、田中土佐(たなかとさ)と神保内蔵助(じんぼくらのすけ)の二人は、連続の負け戦に意気消沈・・・もはやオロオロするばかりでまともに戦えません。
先の白河口での戦いの後に意見の食い違いにより蟄居(ちっきょ・謹慎処分)させられていた西郷頼母(さいごうたのも)は、やっと、ここに来て許されはしましたが、そのゴタゴタで孤立気味・・・もともと政務担当の梶原平馬(かじわらへいま)も、ちょっと・・・
という事で、まともに指揮がとれる家老と言えば、佐川官兵衛(さがわかんべえ)と萱野権兵衛(かやのごんべえ)くらい・・・
しかし、おちおちしてられません。
昨日、母成峠を破った新政府軍は、その勢いのまま、敗走する会津兵士を追って、もはや、猪苗代城下へと迫る勢いです。
母成峠で主力を担っていた大鳥圭介(おおとりけいすけ)の伝習隊(でんしゅうたい)は、山奥に逃げ込んだまま連絡がとれず、前線部隊の指揮命令系統がバラバラ・・・戦うに戦えない猪苗代城主の高橋権太夫(たかはしごんだゆう)は、やむなく、城に火を放って、自ら会津若松での決戦を決意し、城をあとにしました。
・・・で、結局、この日の指揮を任されたのは、鳥羽伏見の大活躍で「鬼官兵衛」の異名をとった佐川官兵衛・・・
とにかく、猪苗代湖から流れる日橋川に架かる十六橋(じゅうろっきょう)・・・この橋は江戸街道上にある石橋で、ここを突破されると、まさに会津若松城下への障害はゼロの状態となってしまいますから、なんとか、ここで、橋を壊して、新政府軍の城下侵入を阻止せなばならい・・・となったわけです。
時間はありません!
早速、官兵衛は、奇勝隊(きしょうたい)・敢死隊(かんしたい)・回天隊(かいてんたい)・誠忠隊(せいちゅうたい)の諸隊を率いて、十六橋と目と鼻の先にある戸ノ口原へと出陣しました。
この時、防衛の最前線となる戸ノ口原の兵士を激励せんと、前藩主・松平容保(まつだいらかたもり・2月に養子・喜徳に家督を譲っています)も出馬しますが、この容保の護衛の役目を預かったのがあの白虎隊の二番隊・・・飯盛山の悲劇で有名な彼らです。
しかし、実は、すでに、もう遅かったのです。
なんせ、昨日の敗戦の報を聞いてからスッタモンダの会議、そして進発ですから、官兵衛らが出陣したのは、お昼過ぎ・・・もう、新政府軍は間近に迫っていたのです。
到着後、すぐに十六橋の橋板を外しはじめた彼らでしたが、まだ、一部しかはがし終えていないところで、新政府軍の先頭=川村純義(かわむらすみよし)率いる薩摩隊が、そこに到着してしまったのです。
いきなりの銃撃戦になんとか応戦する官兵衛らでしたが、そこに後続の諸隊が次から次へと到着・・・いつしか、新政府軍は3000ほどの兵力に膨れ上がります。
その数に、まず、恐れをなしてしまったのは奇勝隊・・・実は、この奇勝隊、戦闘経験の少ない僧侶中心に形成されていた隊だったため、この状況に耐えきれず散り散りに逃走してしまいます。
一つ崩れると、その結束も揺るぐもの・・・奇勝隊につられて、他の諸隊も次々と戦線離脱してしまいます。
一方、その頃、戸ノ口原へと向かっていた容保らにも、十六橋での苦戦が伝えられ、ここで、急きょ、容保の護衛役だった白虎隊に出陣命令が出た事で、未だ幼さが残る彼らも、激戦渦巻く戸ノ口原へと急ぐ事になったわけですが、その後の白虎隊については、以前に書かせていただいた【白虎隊・飯盛山に散る】(8月23日)でどうぞ>>。
・・・で、会津の諸隊が退却した後、橋の補修を終えた新政府軍は、この日の夜には戸ノ口原へと進み、さらに、その着陣地を破っての8月23日・・・いよいよ、新政府軍が会津若松城下へと迫りますが、そのお話はあ・し・た・・( ̄ー ̄)ニヤリ8月23日のページへどうぞ>>
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コメント
大河ドラマであまり白虎隊が出てきませんがある意味で意外ですよね。
会津戦争は省略する事が多いせいでしょうか?
白虎隊の隊士で1人だけ生き残った少年が、20世紀まで生きて当時の戦況を後世に伝えたとか。
投稿: えびすこ | 2010年8月22日 (日) 13時43分
えびすこさん、こんにちは~
>白虎隊の隊士で1人だけ生き残った少年…
実は、明日は、そのお話を書こうか市街戦のお話を書こうか悩んでいます(*゚ー゚*)
投稿: 茶々 | 2010年8月22日 (日) 16時42分