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2010年8月25日 (水)

戦場の華と散った会津娘子軍・中野竹子

 

慶応四年(明治元年・1868年)8月25日、明治新政府軍の迫る会津若松城下にて、娘子軍が奮戦・・・中野竹子が命を落としました。

・・・・・・・・・・

いよいよ城下の戦いが激化する会津戦争・・・

「一つ一つ読んでる暇がない」「もう全部見た」という方もおられましょうが、とりあえず、これまでの経緯は・・・

・・・と、とにかく、鳥羽伏見の戦いに始まった幕府軍VS新政府軍の戦い戊辰戦争が、江戸城無血開城を経ても、さらに抵抗を続ける東北へと移り、会津若松・鶴ヶ城を包囲した新政府軍との城下での合戦が展開されていたわけです。

・‥…━━━☆

23日のページで、新政府軍が滝沢本陣から甲賀町口(こうかまちぐち)へと向かっている頃、城下では、「敵近し」を知らせる鐘が打ち鳴らされ、藩士の妻子や家族たちが、続々と城内へ向かっていったと書かせていただきました。

このように、会津藩では、緊急事態において、積極的に藩士の家族を城内へ避難させる体制をとっていたのですが、一方では、もはや、入城するのはムリと判断した多くの家族たちが、決戦の足手まといにならないよう、自ら命を絶った事も書かせていただきました。

そんな中、入城もせず、自害もしなかった女性たちもいたのです。

会津藩士で江戸詰勘定方(えどづめかんじょうがた)を務めていた中野平内忠順(へいないただまさ)の妻=孝子(たかこ・こうこ)と娘の竹子優子の姉妹・・・

平内と家族たちは、その仕事の関係上、ほとんど江戸で生活していて、二人の娘も江戸生まれ江戸育ちだったわけですが、かの松平容保(かたもり)会津帰還とともに、一家も会津へと戻って来ていたのです。

そんな彼女らは、来るべき緊急事態に備えて、20人ほどの女性ばかりのグループを結成し、「いざ!」という時は、行動をともにする事を誓っていたのです。

・・・で、去る23日、その「いざ!」という時がやって来ました。

「敵近し」の鐘が鳴り響く城下・・・二人の娘とともに屋敷を飛び出した孝子でしたが、かねてから約束していたとは言え、さすがの大混乱の中、仲間との連絡もとれないまま、とにかく城下をひた走ります。

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 ↑クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

途中、運良く、依田(よだ)まき子菊子の姉妹ら数名と出会う事ができ、さらに城下を駆け巡ります。

実は、彼女たちは、「緊急事態になったら、容保公の義姉・照姫様をお守りしよう!」と約束していたのです。

この時、城下から12kmほど北西にある坂下(ばんげ)という場所に照姫がいると聞き伝えていた彼女らは、髪を切り、袴をはき、若武者のような姿になって、かの地へと急ぎます。

幸いな事に、坂下に着くと、約束通り20名ほどの仲間が集まっている状態ではありましたが、逆に、「照姫が坂下にいる」という情報が誤報であった事がわかります。

目的が果たせず、少し落胆する彼女たち・・・

・・・とは言え、ここまで来て、何もしないわけにもいきませんから、翌日には立ち直って、その坂下の軍事方に、「ともに従軍したい!」と願い出たのです。

しかし、当然の事ながら
「婦女子を戦わせたとあっては会津藩の恥となる!」
と言われて、受け入れてはもらえません。

かと言って、彼女たちのここまでの行動を見ても、1度や2度、断られたからと言って「ハイ、そうですか」と、おとなしく引き下がるようなタイプの女性たちではない事も想像できますね。

そう、お察しの通り、彼女たちは食い下がり、とうとう根負けした軍事方は、この坂下に駐屯していた古屋佐久左衛門(ふるやさくざえもん)率いる衝鋒隊(しょうほうたい)の一員として、彼女たちを受け入れたのです。

これが、後に娘子軍(じょうしぐん)と呼ばれる女性ばかりの隊です(この時点では名前はありませんでした)

かくして慶応四年(明治元年・1868年)8月25日・・・彼女たちを含めた衝鋒隊は、城下めざして進軍を開始したのです。

・・・が、しかし、その途中で、新政府軍と遭遇します。

いきなりの激しい銃撃戦となりますが、新政府軍のような最新装備を持たない衝鋒隊はかなりの苦戦・・・

そこで、隊士たちは身を低くして前進・・・敵の近くへと寄り、刀を抜いての白兵戦に持ち込みます。

ここで、大活躍をしたのが、娘子軍の実質的リーダーでもある孝子の長女・竹子でした。

彼女は、幼い頃から薙刀(なぎなた)などの武芸を習っており、少々腕に覚えがあります。

女性と言えど、それはかなりの物で、同じく薙刀を得意とする平田小蝶とともに、隊の先頭に立って敵軍に迫ります。

しかし、いかに腕がたっても、所詮、飛び道具にはかないません。

銃撃の雨あられに押され気味の衝鋒隊は、やがて少しずつ後退を余儀なくされてしまいます

徐々に敗走の色濃くなる中、竹子は、その銃弾を胸(額とも)に受けて、倒れこんでしまいました。

そばに駆け寄る妹の優子・・・

そんな妹に、彼女は小さな声で「介錯(かいしゃく)を頼んだのです。

涙とも汗ともつかない物が顔中を流れる中、妹は姉の思いを受け止めます。

そう・・・「女と言えど、敵に、この首を取られたくない」との思い・・・

優子は、必死に刀を振るいますが、乱れた髪が首にからんで、思うように斬れません。

結局、この混乱の中、優子は3度、刀を振りおろしましたが、うまく行かず、やむなく、竹子の遺体をそのままにして、母とともに退却したのです。

なんとか、高久陣屋までたどりついた彼女たち・・・しかし、命は助かったとは言え、姉の無念を思うと優子たちは涙をこらえる事ができませんでした。

そこへ、やって来た吉野吉三郎という男・・・彼は農兵として衝鋒隊に加わっていた一人だったのですが、戦場での優子の様子を見ていて、竹子の介錯ができなかった事を察し、その首と薙刀を、なんとか回収して持って来てくれたのです。

亡くなってしまったとは言え、武家の娘としての誇りを失わずにすんだ事に、一つの安心感を覚える娘子軍の面々・・・

平和な時代に生まれた私たちには、なかなか理解し難い部分ではありますが、戦場で華と散るのが武士の誉れなら、それは、女性とて同じ事・・・

遺品となった薙刀には、歌が記された短冊が一つ・・

♪もののふの 猛(たけ)きこころに くらぶれば
  数にも入らぬ わが身ながらも ♪

中野竹子・・・享年:22歳
まさに、戦場の華となって散ったのです。
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コメント

もののふの 猛きいさおし 数あれど
  吾、仰ぎみる たけき竹林

投稿: ことかね | 2010年8月25日 (水) 18時28分

ことかねさん、こんばんは~

>吾、仰ぎみる たけき竹林

いいですね~

巴御前にあこがれ、女優の松山容子さんにあこがれていた私としては、言われてみたいです~

投稿: 茶々 | 2010年8月25日 (水) 21時14分

「祖国防衛の戦い」に男も女もありません。

「戦争、軍事は男の仕事」などというのは、祖国を侵略軍に蹂躙されたことのない、侵略戦争ばかりやっている国のリクツに過ぎません。

自分たちが日々、生きて生活している場である祖国の地が侵略軍に蹂躙されたら、男も女も子供もありません。侵略軍は女だろうが子供だろうが、容赦なく殺戮するからです。

だから、本当に侵略軍に祖国を蹂躙されて、祖国防衛戦を戦った国では、ポーランドもユーゴスラビアも、ベトナムも、そして支那もみな、女も武器を取って侵略軍と戦い、そして少なからぬ女戦士たちが戦死しました。

「ネレトバの戦い」という、第二次大戦時のユーゴスラビア・パルチザン軍の戦いを描いたユーゴスラビア映画があります。ナチスドイツ軍に対して、女も銃を取って男と共に銃撃戦を戦い、火炎瓶を投げて戦車に立ち向かい、そして戦死して行きます。

同じく、第二次大戦時のワルシャワ蜂起を描いたポーランド映画「地下水道」もまたしかり。ナチスドイツ軍の殲滅戦に対して、女たちも勇敢に戦い、そして戦死して行きました。

会津娘子軍は決して過去の戦争のハナシではなく、現代の戦争でもまた同じなのです。

投稿: 松本英志 | 2013年6月30日 (日) 04時16分

松本英志さん、こんにちは~

ホントですね~
このブログでも、女傑と呼ばれるような女戦士を数多くご紹介していますが、戦時下となれば、女子供と言えど戦闘員の一人として戦わねばならないのは、古今東西変わりませんね。

まして白兵戦で銃が主力となって後の時代(もちろん現代も)は、もはや、力の差や体格の差は関係なくなりましたからね。

投稿: 茶々 | 2013年6月30日 (日) 12時36分

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