中岡慎太郎・薩長同盟への決意を語る
元治二年(慶応元年・1865年)8月6日、薩長同盟を進めつつあった中岡慎太郎が、長州の桂小五郎に、決意の手紙を出しました。
・・・・・・・・・・
元治二年(慶応元年・1865年)8月6日付けの書状には・・・
「僕の心に決めた事は、先生(桂の事)が疑おうが、諸隊が疑おうが、長州みんなが疑おうが、天下万民が疑おうが、死を覚悟して決めた事・・・少しも揺るぎはしない決意です」
と、あります。
・・・で、慎太郎は、何を決意したのか?
それは、かの薩長同盟です。
上記の手紙は・・・
かつて、文久四年(元治元年・1864年)の禁門(蛤御門)の変(7月19日参照>>)において、敵対した薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)・・・その二つを、なんとかひっつけようと奔走する慎太郎でしたが、なかなかうまく行かず、「本当に薩摩は長州と和解する気があるのか?」と疑いはじめた小五郎に、その決意のほどをしたためた手紙というわけです。
・‥…━━━☆
先日の7月27日、陸援隊(りくえんたい)発足の日づけとともに、中岡慎太郎について書かせていただきましたが(7月27日参照>>)、そこで、書かせていただいたように、土佐(高知県)藩で始まった攘夷派への取り締まりから逃れるように脱藩して長州に身を寄せていた慎太郎は、かの禁門の変にも参加します。
そこで、負傷した慎太郎は、
「おたくの藩のスゴイ攻撃に見入ってたら、流れ弾に当たってしまいましたゎ~」
と、長州藩側の人間である事を隠して薩摩藩の支藩である佐土原藩の藩士の家で治療してもらっています。
その藩士は、以前、塾がいっしょだった事で、友人関係になった人物だったのですが、ここで、その友人から、
「西郷の真意は、長州討伐にあるのではなく、禁裏の守護のみである」
と、聞かされたと言います。
つまり、この時点で、慎太郎は、すでに薩長同盟の可能性に気づいていたと・・・そう考える歴史家のかたも少なくないようですが、先の陸援隊のページにも書かせていただいたように、その動きが活発になるのは、禁門の変から4ヶ月後の11月・・・下関にやってきた福岡藩士・早川勇(いさむ)からの、「薩摩と手を組んだら?」という提案があってからです。
翌月、小倉を訪れていた薩摩藩の西郷隆盛と面会して、その「長州をサポートする気がある」という真意を聞き、がぜん活発に動きはじめる慎太郎・・・
年が明けて元治二年(慶応元年・1865年)2月、長州に保護されている三条実美(さんじょうさねとみ)を説得して、薩長同盟への内命を受け取った慎太郎は、諸藩の勤王家と連絡をとるため京都へと向かいます。
しかし、忙しい・・・4月には、再び下関へ戻り、桂小五郎や伊藤俊輔(博文)に面会して、薩摩との和解の話を持ちかけます。
ちなみに、坂本龍馬が慎太郎に同調するようになるのは、この頃からだろうと言われていて、おそらくは、慎太郎の同志である土方久元(ひじかたひさもと)なる人物の話に心動かされたのだろうとされています。
そして、まもなく第二次長州征伐(5月22日参照>>)がはじまろうかという4月末・・・西郷は、来る長州征伐において、薩摩藩が幕府の一員として出兵しないよう藩に進言するため薩摩へと帰国します。
それを知った慎太郎と久元は、早速、京都の薩摩藩邸に行き、
「次に、西郷さんが上洛する時には、是非とも下関で途中下船して、小五郎と会ってちょーだい!」と・・・
一方の龍馬も、この間に小五郎に「相手がせっかく下関まで来るんだから・・・」
と、長州側の説得をしていたと言われます。
こうして、彼らが手はずを整えた・・・はずでしたが、なぜか、その時の西郷の乗った船は、下関で止まらず、直接、京都へ・・・(ちょうど、前回の「龍馬伝」でやってましたね(゚ー゚))
一応、西郷さんの言い分では
「京都にいる大久保一蔵(利通)に急いで来い!と言われたんで・・・」
との事ですが、その真意はわかりません。(ドラマのようにドロボーが入ったのかも)
とにかく、やり直しとなってしまいました。
しかし、ふさいではいられません。
早速、京都へ向かった西郷を追って、彼ら・慎太郎ご一行も京都へ・・・
そして、京都の薩摩藩邸で西郷や小松帯刀(こまつたてわき)と面会し、
「何とか、薩摩のほうから、長州への使者を送ってくれないか?」
と説得・・・彼らの熱心さに心動かされた薩摩藩は、藩士の黒田清隆(8月23日参照>>)を近々、使者として派遣する事を約束してくれました。
こうして、何とか、薩摩との約束をとりつけはしましたが、問題は・・・
そう、西郷にドタキャンされて怒り爆発の長州です。
ただでさえ、「禁門の変の怨み」とかで、なかなか心開いてくれない長州なのに・・・
そう、冒頭の手紙は、この頃の慎太郎が小五郎に送った物なのです。
同じ頃、薩摩藩の重臣・伊地知正治(いぢぢまさはる)から、かの吉田松陰(よしだしょういん)の著書を入手してくれないか?と頼まれた慎太郎・・・なんと、その本の入手を小五郎に依頼します。
やがて、小五郎が入手した著書を慎太郎が伊地知に送ったところ、お礼の品として薬籠が小五郎のもとへ送られて来たのだとか・・・
こんな細かな努力が実って、やがて翌年、ご存知の薩長同盟の成立(1月21日参照>>)・・・となるのですが、この同盟が成立した慶応二年(1866年)1月21日には、その場にいなかった慎太郎・・・
会見を終えて帰国した小五郎の口から、慎太郎がうれしい報告を聞いたのは、翌・2月の初め事だったそうです。
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コメント
どうも坂本龍馬が「フリーターの神様」と言うような感じ(海援隊を「フリーター集団」と言う人がいる。フリーターそのものに悪意はないです)になってきております。「つかみどころがない」点(=スケール・発想の大きさ)が彼の魅力のはずなんですが。その点があまり番組では描写されていないです。
こうして考えると、中岡慎太郎の方が真面目に見えます。演者の「俳優として経験」の兼ね合いもある?
投稿: えびすこ | 2010年8月 7日 (土) 09時08分
えびすこさん、こんにちは~
初めの頃は、まるで岩崎弥太郎が主人公かと思えるくらいに目だっていて、やっと、この頃、龍馬に目がいくようになって来たのに、中岡慎太郎の登場で、また龍馬がかすんで見える…個人的な印象ですが、すごく不思議なドラマです。
福山さんが、それほど悪いとも思わないんですが、なんだなんだろ???
投稿: 茶々 | 2010年8月 7日 (土) 12時02分
m(_ _)m ご返答ありがとうございます。全くの同感ですね。
確かに「あれ?この人が主人公か?」と思う人が、時間の経過とともに岩崎⇒武市⇒中岡と変わっていますね。世間の番組そのものへの関心も、最近はほとんどなくなりました。
まるで「主人公不在」のような感じですね。
今回は主人公を演じる俳優が、「持ち味」を生かせる役ではなかった(平たく言うとイメージに合わない)のかも。
今年は人物像における演出が下手すぎますよ。
NHKには申し訳ないですが、やはり主演の選考ミスですな。(*´ェ`*)この点を再来年への課題としてもらえれば。
投稿: えびすこ | 2010年8月 7日 (土) 14時02分
こんばんは。
福山さんは主役より脇役の方が、
光っているような感じもします。
泥臭いキャラの方が目立ちますね。
酒と女好きなヤンキー風の龍馬なら、
かなり目立つと思いますが、福山さんの
イメージこわしてしまいますね。
今週号で終了した「幕末ヤンキー龍」は、
面白かったです。「漫画サンデー」に連載されていました。
投稿: やぶひび | 2010年8月 7日 (土) 22時16分
やぶひびさん、こんばんは~
新しい龍馬像を造らなきゃいけないし、それでいて、もともとの龍馬ファンのイメージを壊してもいけないし…なかなか、作り手のかたも大変なのかも知れません。
その点、漫画は、イメージを逸脱しても、あまり怒られないので、作家さんも自由な発想ができて良いのかも…
投稿: 茶々 | 2010年8月 7日 (土) 22時55分
>※欄やぶひび様:今週号で終了した「幕末ヤンキー龍」は、面白かったです。「漫画サンデー」に連載されていました。
シブいの読んでいらっしゃいますね。
私は、YJの「新説! さかもっちゃん」が好きです。
中岡慎太郎の“マジンガーZ”のような顔がツボでした。
あと、こんなの見つけたのですが。(既出?)
ttp://blog.livedoor.jp/egoist777/archives/51818292.html
「龍馬伝」に中岡慎太郎は登場しないハズだった!!
( ゚Д゚)ポカーン
マジか、NHK...
投稿: ことかね | 2010年8月 9日 (月) 12時19分
>ことかねさん
本来は中岡慎太郎が登場しなかったんですか?仮に出なかったら完全に「岩崎弥太郎が相棒」ですね。では上川さんを起用した訳は、どういう事情でしょうかね?気になります。
でも、出てよかったですよ。今や「一筋の望み」なので
昨日の放送でも奮闘していましたね。
薩長同盟は実現まで紆余曲折ありますね。
投稿: えびすこ | 2010年8月 9日 (月) 16時38分
ひょぇ~~(゚0゚)
中岡なしで龍馬を???
もはや、歴史ドラマではなく、娯楽時代劇の世界です~~
怖い物見たさで、見てみたい気もしますが…
投稿: 茶々 | 2010年8月 9日 (月) 19時26分
「中岡慎太郎が登場しないハズだった」?の真相がわかりました。
当初はスタッフの構想外であったようです。それを知った「中岡愛好会」みたいな団体がNHKを説得。私のカンどうり、(大河経験者の)上川さんも坂本龍馬の候補でした。残念。
ならばと言うことで事務所側が中岡慎太郎役を打診して、上川さんが引き受けたようです。
ところで、龍馬伝で最近カステラを作る回がありましたが、関ジャニ8の錦戸亮君主演の映画「ちょんまげぷりん」のパクリにも、何となく見えますよね?意図的ではないと思いますが。
実際に彼らがカステラを作っていた記録があるならいいんですが…。
投稿: えびすこ | 2010年8月10日 (火) 09時30分
えびすこさん、こんにちは~
彼らがカステラを作ったという記録はないようですが、海援隊の記録の中に、なぜかカステラのレシピがポツンと書かれているのですよ。
…で、ドラマスタッフが「レシピがあるなら作ったのかも」という事で、あのシーンを加えたらしいです。
先日の近藤勇とのシーンも、私的には、あまり受け入れ難いシーンでした。
投稿: 茶々 | 2010年8月10日 (火) 13時11分
薩長同盟がなるとき、中岡慎太郎は三条実美の傍に確かいたと思います。周辺が不安な状況から三条公は慎太郎がたのみで、「お主こそ、立役者。成約の場に臨みたいたいじゃろが今は麻呂から離れないでくれ」とか懇願したのではないでしょうか。ところで、慎太郎の剣は、武市半平太に学んだものですね。半平太が田野の藩校に剣術などを教えにきたとき、いっぺんに彼の人となりに心酔してしまった慎太郎は半平太を追って高知の道場に入門したと思います。小柄ながら慎太郎は眼圧鋭くめきめきと磨いた剣は鋭かったのではと思います。三条公の信頼を得て、やがて岩倉卿との和解を遂げるのも慎太郎ならではのことだと思われます。
投稿: 植松樹美 | 2010年8月11日 (水) 20時23分
植松樹美さん、こんばんは~
坂本龍馬と知り合うのも半平太の道場でしたね。
中岡さんの功績は大きいです。
投稿: 茶々 | 2010年8月12日 (木) 01時08分
>知り合うのは半平太の道場…
そうなんです。だから中岡慎太郎が春先から出てもいいんです。問題は脚本家が主人公以外の誰に、ウェートを置くかによりますね。
前半は存在すら無視されかけていたんですが、終盤では一躍キーマンに。
投稿: えびすこ | 2010年8月12日 (木) 08時59分
えびすこさん、こんにちは~
やっぱり、中岡は登場するはずじゃなかったぶん、実際の遅かったのでしょうかね。
ことかねさんの教えてくださったページの主も書いておられましたが、「中岡なしで、龍馬の最期を描くなら、龍馬は1人で鍋を食ってたって事にするのかな?」…私も同感です。
確かに、致命傷の関係から、中岡さんは2日間だけ生き延びますが、状況から言えば、ともに暗殺されたわけで、その人をパスしようなんて、普通、考えられませんからねぇ
投稿: 茶々 | 2010年8月12日 (木) 14時43分