関ヶ原後に領地が1/4~上杉家・大幅減封の危機
慶長六年(1601年)8月24日、上杉景勝の会津百万石を没収され米沢三十万石への移封が決定・・・旧領酒田城は最上義光が請け取る事になりました。
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ご存じ、慶長五年(1600年)の天下分け目の関ヶ原・・・
その要因は、豊臣・家臣の内部分裂や徳川家康の野心など様々あれど、勃発のきっかけとなっのは、家康からの上洛要請を断った会津の上杉景勝(かげかつ)の行動(4月1日参照>>)・・・そこに、火に油を注ぐがごとく、上杉家執政の直江兼続(かねつぐ)の、「お前、ケンカ売っとんのか?」と言いたくなるような高飛車な直江状(4月14日参照>>)・・・
まぁ、直江状については偽書の噂もありますが、とりあえずは、そこに「上杉に謀反の兆しアリ」という理由をつけて、家康が会津征伐へと出陣し、その留守を狙った石田三成(みつなり)が伏見城を攻撃(7月19日参照>>)・・・、それを知って、関東からUターンして来た家康(7月25日参照>>)と関ヶ原・・・という事になります。
(くわしくは【関ヶ原の合戦の年表】>>で…)
・・・で、この本チャンの関ヶ原に先駆けて、前月の8月8日には、北陸の関ヶ原ともいえる浅井畷(あさいなわて)の戦いが、東軍=家康派の前田利長と、西軍=三成派の丹羽長茂(にわながしげ)の間で繰り広げられ(8月8日参照>>)、直前の9月13日には、九州の関ヶ原と言われる石垣原の戦いが、東軍=家康派の黒田如水と、西軍=三成派の大友義統(よしむね)との間で行われています(9月13日参照>>)。
そんな中、張本人の一人とも言える景勝&兼続は、当然、西軍=三成派として、まさに、関ヶ原が行われるその日=9月15日、隣国の東軍=家康派の最上義光(もがみよしあき)の領地へと進攻・・・これが、東北の関ヶ原と言われる長谷堂の戦いです(9月16日参照>>)。
しかし、最初こそ調子良かったものの、敵が地の利を生かしたゲリラ戦を展開した事で、なかなかの苦戦・・・その上、肝心の関ヶ原が、わずか半日で決着がついてしまったために、この長谷堂の戦いは戦う意味のない合戦となってしまうのです。
なんせ、ここで勝って最上の領地を奪い取ったとしても、その後に、関ヶ原で勝った家康の采配が待っているわけですから・・・
現地で奮戦する兼続に、関ヶ原の勝敗が知らされたのは9月30日・・・早速、撤退を決意する兼続でしたが、それこそ、一旦は死を覚悟する場面もあった、まさに死闘の撤退劇で、兼続は何とか、命からがら会津へと帰還したのでした(10月1日参照>>)。
しかし、無事帰還したからと言って、ゆっくりもしていられません。
東軍側についた伊達政宗(だてまさむね)も、これをチャンスに領地を広げようと画策しますし・・・(8月12日参照>>)
第一、そんな政宗より、なんたって、これからの家康への対処が、最大の問題・・・で、早速、10月20日に諸将を集めての作戦会議となったわけですが、もはや、家康の覇権が全国ネットになりつつある今、負け組となった上杉の生き残る道は、家康が持ちかけてきている和平への道しかありませんでした。
それも、相手が言うがままの条件で・・・。
翌年の7月、景勝は家康の要請に答えて、兼続らとともに上洛・・・8月16日に大坂城・西の丸にて、家康と会見しました。
何度かブログでお話しておりますが、この時の上洛・・・連れていた供侍の数の記録が残っているのですが、これが、殿様の景勝より、家臣の兼続のほうが多かったとされるところから、すでにこの頃、上杉家の実験を握っていたのは執政の兼続であったと言われています。
行列を見物した人の中からも、「まるで兼続が殿様のようだった」との声もあったようで、実際、すでに、兼続が上杉家を乗っ取ってしまっていたのでは?と考える専門家も多いようですが、そこまでではないにしろ、今回の合戦に、西軍として参戦する事を推し進めたのは、景勝ではなく、兼続であった事は事実であろうと思われ、そうなると、結果的に敗戦となっってしまった責任も、当然、兼続にあるわけです。
今回の会見にあたっては、さすがの兼続も、相当な覚悟がいった事でしょう。
実際には、どのくらい景勝が関わっていたのかは定かではありませんが、とにかく、会見では、兼続は、「全責任を自分一人がかぶる」といった感じの弁明を、家康の前でやってのけたようです。
良いように考えれば、とにかく上杉家を守るために命がけの弁明をした事になりますが、悪い言い方をすれば、兼続の、一世一代の駆け引きだったのかも知れません。
捨て身の弁明だったのか?相手の心をつかむ大芝居だったのか?・・・とにかく、それは、家康の心をガッチリと捉えたようです。
罪を一身に背負い、堂々と訴える兼続の態度に感動した家康は、本来、事の流れから考えれば特Aクラスの戦犯・・・死罪を免れないであろう兼続に、減封のみの判断を下したのです。
もちろん、主君の景勝も・・・
かくして慶長六年(1601年)8月24日、上杉家に会津百万石から米沢三十万石への減封が決定されたのです。
こうして、謙信以来の名門・上杉家は、一地方大名に転落してはしまいましたが、とにかく、お家は残り、当主の命も救われました。
合戦に負けたのですから、減封は仕方ないです。
そして、景勝自身も、部下=兼続の責任を問う事もありませんでした。
とは言え、領地が4分の1になってしまった事は、今後の領地運営に大変な努力がいる事を物語っていました。
この後の兼続は、いかにしてこの米沢を豊かにするか?という上杉家の経営のみに力を注ぎ、それによって負け戦の責任をとるという生涯を送る事になりますが、そのお話は、以前書かせていただいた「景勝の米沢入城」のページで>>・・・前半は、今回と内容がかぶる部分もありますが、ご容赦を・・・o(_ _)oペコッ
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コメント
昨年の「天地人」でこの大減封の経緯を取り上げていましたね。ただ、劇中で飛ばしてしまった米沢時代の城下整備や新田開発などを、もう少し掘り下げてほしかった(原作小説の「天地人」自体が内容が薄いという意見もあります。あの本は読みやすかったんですが、内容が薄いからでしょうかね?)ですね。米沢時代の直江兼続は春日山時代とは違う手腕を発揮(それも立派な実績)したんですよね。
記念館のある米沢市の人にとっては、終盤は不満が残る感じでしたね┐(´-`)┌
投稿: えびすこ | 2010年8月24日 (火) 11時30分
えびすこさん、こんにちは~
>米沢市の人にとっては…
米沢市民ではない私にとっても不満の残る終盤でした。
あれだけ合戦をスルーするのだから、スタッフが描きたいのは「武人・兼続」ではなく、「政治家・兼続」なのだろうと期待していましたが、そこもほぼスルーでした。
投稿: 茶々 | 2010年8月24日 (火) 12時30分
お邪魔します
越後の坂戸城主時代にも、治水工事と新田開発と殖産事業をしていました(記録有り)。
こちらの方もスルーでした(-_-)
原作本ともかなり違ってたし(;^_^A
NHKはどういうつもりでドラマ化したのでしょうか?
こちらも残念無念でした。お察しします。
投稿: 越後 | 2010年8月24日 (火) 14時54分
兼続話でもう1つ。
少年期に2000人の子供を動員して、土木工事をしたと言う記録がありますね。
二代目の景虎がいつ人質に来たのかも、飛ばしましたね。1570年に人質で越後にきています。だから子供の時から景勝・景虎の2人を知っています。
越後さんのご指摘もごもっともです。
景勝・兼続後の米沢藩上杉家は(石高が半減して)さらに苦境に立たされて、鷹山の時代まで150年ほど苦難の道のりを歩むんですね。
投稿: えびすこ | 2010年8月24日 (火) 16時43分
茶々様。こんにちは。
ここ何年か、大河ドラマは見続けようと思って、1月から頑張っているのですが、5、6月でダウン。天地人も同じパターンでした。コメントを見ると、不満なことが多かったようですね。茶々さんはここ最近の大河ドラマにどのような印象をお持ちですか?
投稿: インチキ | 2010年8月24日 (火) 17時24分
越後さん、こんばんは~
>越後の坂戸城主時代にも…
確かに、新潟県の皆さまも作品の出来栄えにガックリされているとの噂を耳にした事があります。
平和主義で「愛」を掲げるなら、せめて、そこの部分はちゃんと描いてほしかったですよね~
投稿: 茶々 | 2010年8月24日 (火) 19時48分
えびすこさん、こんばんは~
確かに、景虎も、突然現れた赤の他人みたいな描き方でしたよね。
景虎最期のシーンでも、本当は春の出来事なのに、ドラマでは秋の彼岸花が狂い咲きしてました。
変えるなら変えるで結構ですが、春の出来事を、わざわざ秋のように描いた意味を明確にしていただきたかったです。
投稿: 茶々 | 2010年8月24日 (火) 19時54分
インチキさん、こんばんは~
なんか、いろんな事が中途半端なような気がします。
振ったサイコロは、どんな目が出たか知りたいし、まいた種には、どんな花が咲いたか知りたいのに、まきっぱなしの振りっぱなしで、ウヤムヤになってる感じ???
うまく言えませんが、なんか、スッキリしない造りになってるような気がします。
投稿: 茶々 | 2010年8月24日 (火) 20時01分
管理人さんへ
ご返事どうもです。
今回は参考になる良書を見つけたのでご紹介します。
☆「直江兼続」/矢田俊文 編(高志書院ヨリ2008年出版,税込\2600位)
専門書ですが、老舗書店や図書館で手に入りますよ。
以上でした。
ではでは。
投稿: 越後 | 2010年8月29日 (日) 08時34分
越後さん、再びのコメントありがとうございます。
チェックしてみます。
投稿: 茶々 | 2010年8月29日 (日) 10時46分