勤王の志士たちを支えたパトロン・白石正一郎
明治十三年(1880年)8月31日、幕末に、貿易商として財をなし、勤王の志士たちを経済面でバックアップした白石正一郎が、69歳でこの世を去りました。
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人間、ただ生きていくだけでもお金はいります。
まして、幕末の勤王の志士と呼ばれる人たちは、その時々に全国を飛び回り、郎党を組んで生活し、その身を守りながらの武力行使には武器も必要・・・
確かに、長州のように藩を挙げて尊王攘夷に向かっている場合は、藩からその資金が出なくもないですが、そういう場合の多くは、藩政の中枢をなすような重要人物で、かつ、その活動に藩が同意していなければ、藩からの資金援助はありません。
しかし、現実には、志士たちのほとんどが、藩にはナイショの活動か、脱藩浪士・・・つまり無職なわけで、その生活費や活動費を何とか捻出しなければならなかったわけです。
「この国を変える!」
という理想が美しいだけに、ドラマなどではスルーされがちですが、実際のところは、藩の密命をおびて機密費で生活している藩士にたかったり、その美しい大義名分をチラつかせて半ば脅しで寄付を募る事もしばしば・・・
以前、11月16日【どうなった?龍馬亡き後の海援隊】>>でもチョコッと書かせていただきましたが、長崎時代の坂本龍馬も、イカロス号事件の調査のために土佐藩から派遣されていた佐々木高行の機密費のお世話になっていました。
そんな中、すすんで大口の資金を提供してくれる、いわゆるパトロンが、彼らの理想に共感してくれた豪商たちです。
今年の大河ドラマ「龍馬伝」でも、余喜美子(よきみこ)さん演じる長崎の油問屋の大浦慶(おおうらけい)が登場していますが、実際に、慶に借金を申し込んだ龍馬が、そのカタに陸奥宗光(むつむねみつ)を置いて帰り、その陸奥が彼女の背中流しをさせられたという有名なエピソードもありますよね。
もちろん、以前書かせていただいたように、あの岩崎弥太郎も海援隊の資金繰りに苦労してました(1月31日参照>>)(こっちは藩のお金ですが…)。
・・・で、今回の白石正一郎(しょういちろう)・・・、長州藩の属領である清末(きよすえ)藩にて小倉屋という貿易商を営んでおりました。
テリトリーである下関が西国交通の要所だった事もあって、商船を何隻も所有していた正一郎は荷受問屋として、米はもちろん、反物やタバコに塩や木材などを扱う他に、質屋や酒蔵も営み、さらに大地主でもあったので、それはそれは大金持ち・・・
そんな彼は、あの月照(げっしょう)(11月16日参照>>)や真木和泉(まきいずみ)(10月21日参照>>)らと親しく話すうち、心はどんどん尊王攘夷に傾いていったと言います。
やがて、安政の頃、あの将軍継承問題で江戸へと向かう西郷隆盛に一夜の宿を提供した事で、彼ら勤王の志士の抱く、新しい世の中への夢が、一気に加速したのです。
その後は、桂小五郎(後の木戸孝允)や久坂玄瑞(くさかげんずい)などの長州の志士はもちろん、坂本龍馬や中岡慎太郎など出身藩にこだわる事なく・・・
また一夜の宿を貸すだけにとどまらず、追われる者をかくまったり、求められれば資金援助をしたりと・・・有名無名に関わらず、正一郎に支援を受けた志士は400人を超えると言われています。
とは言え、ここらあたりまでは、あくまで志士たちの援助・・・彼らを泊めようが、タダで飲み食いさせようが、豪商の正一郎にとっては、さほど痛いと感じる金額ではありませんでしたが、そんな正一郎が、一大決心をするのが、あの高杉晋作の奇兵隊(きへいたい)結成でした。
文久三年(1863年)、高杉から夢を語られた正一郎は、それまでの貯蓄をすべて高杉に差し出したばかりか、自らが弟とともに隊士となって参加・・・もちろん、自宅も奇兵隊の本陣として提供します。
ところが、ご存じのように、その奇兵隊も順風満帆ではありません。
結成当時は、確かに、長州は尊王攘夷の旗頭として政権の中心にいましたから、藩を推しての奇兵隊にも、藩からのお金が出ていましたが、
あの八月十八日の政変(8月18日参照>>)で、中央を追われてからは、
池田屋騒動(6月5日参照>>)、
禁門の変(7月19日参照>>)と、
事件が起こるたびに、藩内は保守に傾いたり勤王に傾いたり・・・当然、保守派が藩の実権を握っている間は、藩からの活動資金はいっさい無くなります。
それでも奇兵隊が存続し続ける事ができたのも、この正一郎さんの資金援助のおかげ・・・
しかし、さすがに当の高杉自身も
「飲み尽くされ、食い尽くされ、借り尽くされ・・・」
と、心配していたように、その状況はハンパなく・・・
そのため、すでに慶応元年(1865年)頃には、もはや破産寸前の状態に陥っていたようです。
しかし、何とか踏ん張って、維新後も経営を続けていきますが、明治八年(1875年)・・・とうとう破産してしまいます。
その頃には、もう奇兵隊も、すでに悲惨な末路を遂げていました(11月27日参照>>)。
当然の事ながら、元薩長の志士を中心として誕生している明治政府ですから、政府内にも正一郎に恩義を感じている人も少なくないわけで、やはり、誰からともなく、「政府に彼を取り立てよう」の声がでます。
しかし、正一郎は、その話をすべて断り、故郷の赤間神宮の2代目宮司として、ひっそりと暮らす事を選びます。
かくして明治十三年(1880年)8月31日、晩年は故郷を出る事なく、静かに69歳の生涯を閉じました。
そう、正一郎が支援したのは、高杉個人でもなく、奇兵隊だけでもなく、この国の未来・・・
すべての財産をなげうってでも手に入れたかったのは、新政府での役職なんかではなく、新しい日本・・・きっと、それで満足だったのでしょうね。
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コメント
こんばんは。
奇特な人ですね。
今の日本にはいないなあ。
投稿: やぶひび | 2010年8月31日 (火) 20時53分
やぶひびさん、こんばんは~
>奇特な人…
ですよね~
今の日本にはいないでしょうね~
支援したくなるような美しい理想を持った人も少ないかも知れません。
投稿: 茶々 | 2010年8月31日 (火) 22時18分
>※欄茶々様:支援したくなるような美しい理想~
すでに、『美しい理想』に到達しているとは考えられないでしょうか?
誰もが、これ以上何を理想とすれば良いのか、判らなくなっているのかもしれません。
あるいは、新たな『美しい理想』が多種多様すぎるのかも。
投稿: ことかね | 2010年9月 2日 (木) 16時37分
ことかねさん、こんばんは~
>すでに、『美しい理想』に到達している…
確かにそうかも知れません。
歴史上、一番、一般民衆が幸せな時代かも知れません。
それだけに、更なる美しい未来というのが見えて来ないのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2010年9月 2日 (木) 19時17分