95年後の恩返し~エルトゥールル号・遭難事件
明治二十三年(1890年)9月16日、和歌山県・串本沖を航行中のトルコ軍艦・エルトゥールル号が遭難しました。
・・・・・・・・・・
トルコの人が、日本の事を大好きだという事をご存じですか?
この事は、けっこう最近まで、日本人のほとんどが知らなかったのですが、ある出来事をきっかけに、多くの人の知るところとなりました。
その出来事とは、1980年から88年まで続いたイラン・イラク戦争・・・その真っただ中だった1985年(昭和六十年)3月17日に起きた出来事です。
その日、イラクのフセイン大統領が突然宣言したのです。
「今から48時間の猶予期限以降に、イラン上空を飛ぶ、すべての飛行機を攻撃対象とする」
と・・・
つまり、「48時間後には、民間の旅客機であろうと、イラン上空を飛んでいたら攻撃するかも知れないゾ」という宣戦布告なわけで
当然、イランに滞在中の外国人たちに動揺が走ります。
攻撃されないためには飛行機を飛ばさない事になりますから・・・飛行機が飛ばない=イランから母国へ戻れなくなるわけで・・・
早速、それぞれの国籍を持つ航空会社や、それぞれの国の軍の手によって、速やかにイランからの脱出が図られます。
この時のイランには200人以上の日本人がいて、もちろん、彼ら日本人は、日本の航空会社の飛行機が救出に向かわねばなりません。
この報を受けた日本側・・・当時の日本航空の経営陣は、すぐにでも救援機を飛ばす覚悟があったとも言われていますが、反会社の姿勢を取る労働組合の反対や、外務省のおエラ方の決断のグラつきによって、何も決まらないまま時間だけが過ぎ、とうとうタイムリミットを迎えてしまいます。
もはや、日本から飛行機を飛ばしても、あの48時間の猶予期限に間に合わない時間になってしまったのです。
万事休す・・・
「なぜ、日本の飛行機は来ない?」と、空港で不安にかられる現地・イランの日本人の姿が、日本でも刻々と報道される中、タイムリミットまであと3時間となった・・・その時です。
トルコ航空の飛行機が2機、イランの空港に降り立ちました。
本来なら、自国のトルコ人を救うはずだった最終便を2機に増やし、その両方に日本人全員を乗せて飛び立ちます。
まだ残っていたトルコ人には、陸路で脱出するよう手配させての救出・・・そう、より確実な飛行機の輸送に、日本人を優先してくれたのです。
この奇跡の救出劇を報じた日本のマスコミ・・・中には、トルコがなぜ日本人を救ってくれたのかがわからず、その理由を「日本からの経済支援を期待しての事だろう」と、バカな論調を述べる新聞もありましたが、その理由がわからなかったのは日本人だけ・・・
この時のトルコ国民のほとんどは、なぜトルコがそうしたのかを知っていたのです。
トルコには、「自分の歴史を知らない者には未来はない」ということわざがあるそうですが、まさにその通り・・・自分の国の歴史を知らないのは、日本人のほうだったのです。
・‥…━━━☆
事は明治二十三年(1890年)にさかのぼります。
この頃のオスマン・トルコ帝国と日本は、同じような立場にありました。
自国を近代的な国家に改革するとともに、対外的には欧米列強から平等な扱いを認めさせようと努力していたのです。
時のアブドル・ハミト2世は、同じ立場で同じ目標を持つ日本に親善使節を派遣・・・オスマン・パシャ提督率いる総勢650人の使節団は、軍艦・エルトゥールル号に乗り込み、約1年をかけて明治二十三年(1890年)6月5日に横浜港に入港しました。
上陸した一行は盛大なる歓迎を受け、明治天皇にも拝謁しての晩さん会も行われ、無事に親善の役目を果たし、3か月後の9月15日、横浜港を出港して帰国の途につきました。
一方、エルトゥールル号が横浜を出港した翌日の明治二十三年(1890年)9月16日、和歌山県・大島にある樫野埼(かしのざき)灯台には、二人の宿直員がいましたが、荒れ狂う外の様子を不安そうに見つめていました。
そう、この日、このあたり一帯を台風が直撃していたのです。
その時、突然ドアが開いて、一人の男が灯台内に入ってきて、うずくまるように倒れ込んだのです。
驚き、助け起こしながらも、冷静に様子を見る二人・・・
大きな体に彫りの深い顔立ち、傷だらけで前身ズブ濡れ・・・一目で、海難事故に遭った外国人である事がわかりました。
すると間もなく、次から次へとけが人が、半死半生の状態で助けを求めて入ってきます。
「これは、とても二人では対処できない!」
「村の人に応援を頼もう」
知らせを聞いた村人たちが海岸に駆けつけると、もう、そこは悲惨な状態・・・おびただしい数の船の破片と倒れた男たち・・・わずかに息をしている者も、ほとんど体温を感じない状況です。
「とにかく一人でも多く助けたい!」
ただ、それだけの思いで、村人たちは動きます。
ある者は自分の体でけが人の体温を温めながら寝ずの看病・・・ある者は未だ荒れた海に決死の覚悟で生存者を求めて潜ります。
やがて、一夜明け、ようやく、事故の事がわかってきます。
そう、あのエルトゥールル号が、台風の直撃を受け、沈没してしまったのです。
乗組員650名のうち、生存者は69名・・・なんと、581名が亡くなるという大惨事でした。
翌日も、村人総出でけが人たちの看護にあたる大島村の人々・・・しかし、困りました。
ここは、半農半漁の小さな村で、とてもじゃないが69名もの遭難者に与えるほど、食べ物の蓄えがないのです。
しかも、先日の台風で2~3日漁にも出ていません。
すると、誰からともなく、こんな声が・・・
「俺らの分を彼らに・・・」
「そやそや、俺らは元気なんやから、2~3日食えへんかっても死ねへん!」
こうして、村人たちは、自分たちの生活そっちのけで、心をこめて、彼らのお世話をしたのです。
やがて、台風が去ると同時に、この一件も大きく新聞報道され、全国からの義援金も寄せられました。
乗組員たちも神戸の大きな病院に運ばれ、万全の治療を受けて順調に快復していったのです。
そして、事故からおよそ1カ月後の10月11日・・・日本海軍の軍艦・比叡と金剛に分乗した彼らは、付き添う日本軍将校らとともに、トルコへの帰路についたのでした。
別れの時、その代表者は言いました、
「我々は、この度の措置に心から感謝している。
乗組員一同は、帰国後、広く、日本人の温情を同胞に伝えるだろう」と・・・
その言葉通り、この出来事は、トルコの教科書に掲載され、国民のほとんどが知っているという有名な出来事となったのでした。
かくして95年後、日本人を救うため、トルコ航空機はイランに降り立ったというわけです。
奇跡の救出劇の後、日本のマスコミに対して記者会見を開いた駐日トルコ大使は、言葉短く答えました。
「我々は、エルトゥールル号の借りを返しただけですよ」
と・・・
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コメント
今日のテーマは美談ですね。トルコの人は親日派と言うきっかけが、明治時代の上記のエピソードだったんですね。トルコのアイスクリームが一時流行しましたね。
250万件おめでとうございます。┗(^o^)┛パーン
年内に記載900人&アクセス300万件に届くでしょうか?
楽しみです。
投稿: えびすこ | 2010年9月16日 (木) 08時51分
新潟の柏崎にあった「トルコ村」が閉鎖されてとても残念です。(一度は行きたかったです)
投稿: 山は緑 | 2010年9月16日 (木) 12時41分
えびすこさん、こんにちは~
トルコアイス…
まだ、テレビで見ただけで、実際に食べた事ないんです…たべてみたい~
年内に300万は難しいかもしれませんが、とりあえず、「継続は力なり」で頑張りマス
投稿: 茶々 | 2010年9月16日 (木) 15時40分
山は緑さん、こんにちは~
えぇ~
あの「トルコ村」閉鎖されたんですか?
私も、一度行ってみたかったです。
トルコには関係ないですが、富山にいる間にウラジオストックへ行っとくべきだったなと反省しています。
大阪からだと、直行便がないので、たぶん行かないですもんね~
わずか3時間でヨーロッパの風景は魅力です~
投稿: 茶々 | 2010年9月16日 (木) 15時47分
日本人であることを誇りに思います。今の日本人のとりあえず「いい人に見られよう」というペコペコ外交とは明らかに違う。本物の友好親善は95年たっても生かされるのですね。
投稿: Hiromin | 2010年9月16日 (木) 20時02分
Hirominさん、こんばんは~
こういう話を聞くと、ホント同胞としてうれしいですね。
投稿: 茶々 | 2010年9月16日 (木) 20時38分
茶々さん、こんばんは!チョット急な情報を1つ!
今日10月1日(金)午後8時からNHK総合で放送される「かんさい特集」で「日本・トルコ 120年の記憶~エルトゥールル号救助・語り継ぐ子孫たち~」という番組がありますよ。
この番組、実は昨年の12月に和歌山エリアだけに放送されたものですが、関西地方向けに放送されるようになったみたいですね。良かったらチェックしてみて下さい!(因みに、再放送は翌2日(土)午前10時5分からですって!)
投稿: 御堂 | 2010年10月 1日 (金) 04時50分
御堂さん、おぉ…今日やないですかo(*^▽^*)o
明日の10時は見忘れそうなので、今日のぶんチェックしときます。
情報、ありがとうございました~
投稿: 茶々 | 2010年10月 1日 (金) 13時08分
伝説ですねー
すばらしい
投稿: meseyan | 2010年11月13日 (土) 17時59分
meseyanさん、こんばんは~
>伝説ですねー
>すばらしい
ハイ!
感動しますね。
投稿: 茶々 | 2010年11月14日 (日) 00時58分
初めて投稿いたします。生まれも育ちも福岡県北九州市の歴史大好き?九州人です。実はイラン・イラク戦争時は受験生でこのニュースの事は全然知らないか覚えていませんでした。後に「世界ふしぎ発見」で初めて詳しく知ったと言う、歴史大好き失格の大失態でした。ただそのとき、エルトゥールル号の事と、この時トルコまで義援金を持って行き、そのままトルコと日本の掛け橋となった山田寅次郎という人のことを知りました。もし機会があったら、この方の事も取り上げてください。これからも応援します。
投稿: アッチ君 | 2018年3月30日 (金) 01時56分
アッチ君さん、コメントありがとうございます。
色々調べてみて、また書いてみたいと思います。
投稿: 茶々 | 2018年3月30日 (金) 03時10分