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2010年9月 3日 (金)

南北朝時代の前ぶれ?皇位の綱引き・伏見天皇

 

文保元年(1317年)9月3日、第92代・伏見天皇が53歳で崩御されました。

・・・・・・・・・

第89代・後深草天皇第1皇子(第2とも)として生まれた伏見天皇は、第91代・後宇多天皇の時代に皇太子となり、その退位を受けた弘安十年(1287年)に23歳で即位しました。

この伏見天皇が持明院殿に住んでいたので、この伏見天皇の系列を持明院統(じみょういんとう)と言います。

ちなみに、先代の後宇多天皇は、その父である第90代・亀山天皇とともに大覚寺に住んでいたので大覚寺統(だいかくじとう)と呼ばれます。

Nanbokutyoukeizu2cc ・・・で、この89代の後深草さんと90代の亀山さんは、同じ第88代・後嵯峨天皇を父に持つ兄弟・・・つまり、兄の系列が持明院統で、弟の系列が大覚寺統というわけですが、実は、これが、あの南北朝の火種となるのです。

というのも、系図を見ていただければ、おわかりのように、後深草さんが亀山さんへと、兄から弟に皇位譲ったにも関わらず、亀山さんは、わが息子・後宇多天皇に皇位を譲っちゃいます。

当然の事ながら、後深草さんの息子である伏見天皇にとっては、「オイオイ…それって、もともと俺の座る椅子ちゃうんかい!」って事になるわけです。

・・・で、冒頭に書いた通り、24歳で皇位についた伏見天皇は、早速、仕返しとばかりに、即位から1年後には、自分の息子・胤仁親王(たねひとしんのう・後の後伏見天皇)を皇太子に立てるのです。

もう、ここらへんで争いの臭いプンプンですが、案の定、即位から3年後の正応三年(1290年)、甲斐・小笠原の一族である浅原為頼(ためより)らによる「天皇暗殺未遂事件」が起ります。

その日、為頼率いる数人の武士が宮中に乱入して伏見天皇に襲いかかりますが、天皇も皇太子も女官たちに助けられて難を逃れ、暗殺に失敗した為頼らは、そのまま、夜の御殿で自害したという事件・・・

もちろん、関与した犯人が全員亡くなってしまっているため、その動機がわからず、事件直後は、先の弘安八年(1285年)に起こった騒動で、鎌倉幕府の執権である北条氏に領地を没収された事への恨みと思われていましたが、後になって、三条実盛という公家の関与が発覚し、亀山上皇が裏で画策していたのでは?との疑いが浮上するのです。

結局、亀山上皇らが、「事件には無関係である」という誓紙を幕府に提出し、一件落着となりますが、お互いの確執が強まった感がぬぐえない事件でした。

とは言え、この伏見天皇は、意外にも積極的に宮中制度の改革を行っています。

訴訟機構を一新して記録所の充実に力を注ぐとともに、朝廷の権威の復権にも取り組みます。

中でも、皇位継承に口を出す鎌倉幕府には強い主張を貫き、一時は倒幕を画策しているとの噂も立つほど・・・おかげで、天皇の歌の師匠である京極為兼(きょうごくためかね)が、大した罪もないのに、佐渡と土佐の2度に渡って配流されるという憂き目に・・・

これは、幕府に異を唱える伏見天皇の身代わりの配流だと考えられています。

永仁六年(1298年)、伏見天皇は、皇太子である息子・胤仁親王に皇位を譲り、即位した第93代・後伏見天皇のもと、自らは上皇となって院政をとりますが、3年後の正安三年(1301年)には、大覚寺統が勢力を取り戻し、第94代は大覚寺統の後二条天皇が即位・・・しかし、そのまた7年後には、伏見上皇の第4皇子花園天皇が即位して、再び院政復活!

・・・と、ここらあたりは、「こっち、によこせ!」「いや、こっちだ!」と完全に皇位の綱引き状態・・・

この状態のまま、文保元年(1317年)9月3日伏見天皇は53歳で崩御されますが、この綱引きに終止符を打ったのが、花園天皇の次に即位した第96代の後醍醐(ごだいご)天皇・・・

足利尊氏らとともに後醍醐天皇が倒幕に成功した事で(5月22日参照>>)、この綱引きは一旦終わり、もはや伏見天皇の子孫=持明院統の復権は不可能かと思われましたが、結局、その後醍醐天皇に尊氏が反旗をひるがえした事によって、再び担ぎあげられる事となり、あの南北朝となるのです。
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南北朝時代のお話は、本日の内容(系図)と重複する部分もありますが、よろしければ10月27日【南北朝の動乱~ある公家の悲しい都落ち】でどうぞ>>
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