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2010年9月21日 (火)

エッゲンベルグ城複製「豊臣期大坂図屏風」を見てきました~

 

久しぶりに、先日、大阪城へ行って参りました~

いつもは、その拝観料をケチり、公園をウロウロするだけの私ですが、今回は天守閣の拝観が目的!!…というのも、この10月7日まで、天守閣内で『「豊臣期大坂図屏風」ふたたび』と題して、その「豊臣期大坂図屏風」が公開されているからです。

これは、2006年に新たな発見として話題になったこの屏風が、昨年の秋(10月2日~11月23日)、大阪城天守閣にて初めて公開されたのをきっかけに、この屏風の特集番組がNHKハイビジョンで10月に放送されたのですが、その番組が総合テレビで再放送されたり、あるいは人気番組の「歴史秘話ヒストリア」で取り上げられたのが、屏風の公開が終わった12月だった事で、12月の番組を見て「屏風を見たい!」と思った人のほとんどが見られなかったという、運の悪い巡り合わせとなってしまったため、「見たいので、もう一度!」という多くの声に答えて「ふたたび」の開催となったものです。

格言う私も、「見たい!」と思いながらも、昨年の公開には行けなかったクチで・・・「今回逃せば、いつ見られるかワカラン!」とばかりに行って参りました~

…、とは言え、この屏風、現在の画家さんが描いた複製です。
なぜ、複製なのか?
そこには、この屏風がたどった数奇な運命があるのです。

・‥…━━━☆

Eggenberg オーストリア第2の都市・グラーツ市エッゲンベルグ城という中世の貴族の城があります。

初代の貴族から数えて6代目にあたるマリア・エレオノアが当主だった1700年頃、美術品好きだった祖父の遺品を集めて、城の中に「インドの間」という東洋風の部屋を造ったのです。

Eggenbergj 壁には、中国風の絵がはめ込まれ、テーブルや椅子やじゅうたんも、東洋からの輸入品で飾られたその部屋…

しかし、洋の東西を問わず、衰退した一族の運命は過酷なもの・・・いつしか、城は人手に渡り、侵略者の手によって、城内の宝物という宝物が持ち去られ、近世になった頃には、「インドの間」にも何一つ残ってはいませんでした。

しかし、ただ一つ…、壁にはめ込まれた絵だけが、盗人が建物の一部と解釈してくれたおかげで、城とともに現代に伝わりました。

とは言っても、その壁の絵は、長い間、中国の物と思われ、注目を浴びる事もなく、忘れられた存在となっていたのです。

ところが、2006年、州立博物館の総監督となったペーター・パケシュ氏が、その絵が「日本の風景ではないか?」という事に気づき、急きょ関西大学の専門家に鑑定を依頼します。

すると、どうでしょう!!!

その絵は、もともと8枚が連なっていたのを一つ一つ外して城の壁にはめ込んだ8曲1隻の屏風である事かわかりました。

しかも、そこに描かれていたのは、まぎれもなく大阪城・・・それも、今や日本でも貴重な豊臣時代の大坂城の絵だったのです(現在「インドの間」は「日本の間」と改められました)

江戸のはじめ、オランダ東インド会社は、イギリススペインなどのライバルを抑えて、日本との独占交易権を勝ち取り大儲けします。

しかし、1641年に幕府が金や銀などの貴金属の輸出を禁止したために、その代償となるべき商品=屏風の輸出を始めて手がけます。

翌1642年、20数枚の屏風を乗せた船が海を渡りました。

ところが、その翌年に続いて出港した船は嵐で沈没…その翌年出港した船の屏風は、水濡れと虫食いで使い物にならず、途中でどこかへ…

やがて、オランダ国内での内戦が悪化して、高級な品物は輸入の対象とされなくなり、同時に、上記のように「水濡れや虫食いでリスクの多い屏風はワリに合わない」として、その後の輸入は2度とされなかったのです。

つまり、エッゲンベルグ城の壁にはめ込まれた絵は、ただ一度の1642年に運ばれた屏風の一つという可能性大なわけです(他の物は未発見)

ご存じのように、現在の大阪城の石垣などは、すべて、家康が豊臣家を滅ぼして建てなおした徳川時代のまったく別の城…、秀吉の大坂城は、地中深く埋まったままで、その全容は未だ謎です。(9月1日参照>>)

現在、天守閣の北側に「秀頼・淀殿 自刃の地」という石碑が建ってますが、あそこにあったとされる山里曲輪の事さえ、本当は、よくわかっていないのです。

そんな中での、豊臣時代の大坂城の絵

Toyotomikioosakazubyoubu
豊臣期大坂図屏風・部分(関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター蔵)

・・・で、上記のように、この絵は城の壁の一部であるため、簡単に運び出す事は不可能・・・よって、現代の匠が精魂込めて模写し、それを屏風の形に仕上げた物が、今回の「豊臣期大坂図屏風」というわけです。

複製とは言え、数奇な運命をたどって大阪に戻ってきた屏風…、そこに描かれた大坂城天守閣は、まさに豊臣デザイン。

Oosakazugokurakubasi 天守閣の下に描かれている極楽橋には、壁や屋根があり高楼も見えますが、これは、あのイエズス会のルイス・フロイスの記録と一致します。

しかも、この様式の極楽橋は秀吉の死とともに、京都の豊国神社に移築されていますので、まさに秀吉の全盛期を描いた貴重な絵なのですよ!

もし、この屏風が話せたら、いったいどんな旅の思い出を語ってくれるのかしら?

・・・と、少し興奮気味になってしまいましたが、この展示は10月7日まで・・・遅ればせではありますが、まだ間に合います。
興味のある方は、ぜひとも大阪城天守閣へ・・・

「屏風は見たいけど遠くて行けない」という方には、例のごとく、大阪城天守閣のホームページ「図録の通信販売」もやってはります(大阪城天守閣・図録販売のページへ>>)

注!:ただし、この「図録」というのは、オールカラーのせいもあって1300円というお値段がします。
それが、高いと思うか安いと思うかは、個人によって違いますので、くれぐれも自己責任でお求めくださいね。
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コメント

屏風をばらして、建物に埋め込んであるなんて、奇抜のアイデアです。日本なら絵師が描くでしょう。平岡八幡宮の花天井のように。

投稿: やぶひび | 2010年9月21日 (火) 10時04分

やぶひびさん、こんにちは~

やはり、「ヨーロッパ人には描けない東洋系の絵を…」というのが、貴族の贅沢の醍醐味だったんでしょうね。

何より、現在に残ってくれた事がうれしいです。

投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 10時40分

興味津々なお話しを有難う御座います。そのような屏風のことを、今、初めて知りました。
・・・、でも、江戸時代に、何故、豊臣時代のお城の絵が、輸出品として描かれたのでしょうか ?、
その城は、もしかして、外国とも縁のある何かがあったのではないでしょうか、
荒廃してしまった城で、唯一残った、というのも凄い話しだと思います。
豊臣秀吉は強運を持った人、として捉えられていますが、その屏風にも、そのイメージが取り憑いているように感じます。

投稿: 重陽の節句を祝う | 2010年9月21日 (火) 11時50分

「洛中洛外図屏風」とか、絵画資料に描かれた都市景観を歴史資料として活用するっていう手法は研究史的には比較的最近のやり方ですし、この絵画が注目されるようになった背景には、そうい研究動向の事情もあるのでしょうね。

投稿: 黒駒 | 2010年9月21日 (火) 16時39分

重陽の節句を祝うさん、こんにちは~

>江戸時代に、何故、豊臣時代のお城の絵が…

それは、この屏風の研究チームの皆さん方も興味を持って調べておられるようです。

この屏風には、大坂城のほかに、近隣の名所も書かれているのですが、それが明らかに秀吉ゆかりの地ばかり…その根底に流れるのは、「秀吉賛美」とも言えるのだそうで、「それを江戸時代に…」というのは、とても気になりますね~

>豊臣秀吉は強運を持った人…

まさに、そうかも知れませんね

投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 17時38分

黒駒さん、こんにちは~

>「洛中洛外図屏風」とか…

そうですね。
屏風絵は、その時代に生きた人々の生活を知るうえで、重要な史料になると思います。

この屏風にも高麗橋の商人やお客も描かれたりしていて興味津々です。

投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 17時41分

あぁ~ テレビでやってましたね~
今となってはうろ覚えですが。

価値が解ってやってるのかよ~って、値段が恐ろしく高くて、きれい、他にないって事で、はめ込んだって気がしたのを、覚えています。

投稿: 山は緑 | 2010年9月21日 (火) 20時58分

>もともと8枚が連なっていたのを一つ一つ外して城の壁にはめ込んだ8曲1隻の屏風
ならばこれをまた一つ一つ壁から外して元の屏風にすることは・・・無理かしら?

投稿: Hiromin | 2010年9月21日 (火) 21時11分

山は緑さん、こんばんは~

「美術品好きだった祖父の遺品を…」ってとこがミソじゃないでしょうか?

集めた本人なら、きっと、そのままの状態で飾ったでしょうね。

投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 23時55分

Hirominさん、こんばんは~

>元の屏風にすることは…

歴史好きとしては、元の状態になったのも見てみたいですが、確かエッゲンベルグ城も世界遺産になってるので、たぶんムリでしょうね。

壁として扱われてる以上、世界遺産に修復以外の目的で、手を加える事になっちゃいますもんね。

投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 23時58分

今日の歴史秘話ヒストリアでは、豊臣秀吉の「筆まめぶり」がわかります。
もうすぐ「茶々」に改名して1年たちますが、改名効果はありましたか?

投稿: えびすこ | 2010年9月22日 (水) 09時02分

えびすこさん、こんにちは~

>改名して1年…

いつ改名したかなんて、もう、すっかり忘れてました((ノ)゚ω(ヾ))

今日は「学べるニュース」も「芸人オークションもホンマでっか」も見ないといけないので大変です…
昨日は、「ミナミの帝王」しか見てない

投稿: 茶々 | 2010年9月22日 (水) 12時52分

たまたま、4日に大阪に行くので(3~4時間だけ)、なんとか見てきます!( ^▽^)

投稿: 桃色熊 | 2010年9月24日 (金) 16時38分

桃色熊さん、こんにちは~

おぉ…大阪に来られるのですか?

3階では大坂の陣の展示もやってますよ!
ぜひとも堪能して来てください。

投稿: 茶々 | 2010年9月24日 (金) 17時03分

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