琉球王国・最後の忠臣~謝名利山
万歴三十九年(慶長十五年・1611年)9月19日、琉球国王・尚寧王に仕えた三仕官の一人・謝名利山が処刑されました。
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当時の琉球王国(沖縄)では、摂政(琉球では「せっせい」と読みます)と三仕官は、国王を補佐して国家の中枢となる決定に参加する重要な役どころ・・・例えるなら、摂政が総理大臣で、三仕官が閣僚(かくりょう)です。
明(みん・中国)からの帰化人の血筋とされる謝名利山(じゃなりざん)は、肌の色は浅黒く、体型も六尺(180cm)以上あったとか・・・
血筋だけでなく、かつて明に留学した経験もあり、その国の大きさを肌で実感した利山は、万歴三十五年(慶長十一年・1606年)に、57歳で三仕官に就任すると、明の助力を得て、国政をしようとしたと言います。
一方では、薩摩の島津の要求をことごとく無視し続け、奄美諸島を譲り渡すように要求された時も、これを断固としてはねのけています。
まぁ、もともと、豊臣秀吉の政権の時代から、島津の要求と言えば、朝鮮出兵用の兵糧を要求したりといったような事ですから、琉球側から見れば、無関係の無理難題なわけで、その要求内容が事実であるとすれば、要求を無視し続けた利山の判断は、正当と言える物です。
そんな、強気の利山の姿勢を、たのもしく感じたのでしょうか、数奇な運命のもと、第7代の琉球国王となった尚寧王(しょうねいおう)は、利山に厚い信頼を寄せていました。
それは
「利山以外には、外交問題を任せられない」
と、口に出してはばからないほどだったと言います。
しかし、再三の要求をはねつけられてばかりの薩摩・・・慶長十四年(1609年)、いよいよ琉球への進攻を開始しました(4月5日参照>>)。
そのページにも書かせていただいたように、最新兵器を持たない琉球は、わずかの期間で降伏を余儀なくされ、薩摩の配下となってしまいます。
薩摩は、琉球王国の体制を温存したまま、那覇に在番奉行を設置し、琉球を、その影響下に治めました。
一方、捕縛された尚寧王や重臣たちは、薩摩へと連行され、島津家へ忠誠を誓うよう強要されます。
まさに、苦渋の決断・・・
やむなく、尚寧王は起請文にサインしますが、利山は、むしろ薩摩の横暴を批判して、連判する事を、かたくなに拒否しました。
かくして万歴三十九年(慶長十五年・1611年)9月19日、利山は鹿児島にて処刑されます。
あまり信じる事のできない俗説ではありますが・・・
「この時の処刑の方法が釜茹でだった」という話が残っていて、その伝説によれば、大柄の利山は、いきなり、横にいた二人の武士を抱きかかえ、その二人を道連れに釜に飛び込んだのだそうで、後に、尚家が、「三つ巴」を家紋としたのは、この時の3人が絶命する様子を図案化した物なのだとか・・・
そんな話を聞くと、ちょっと怖い気もしますが、実際には、この3つのマークは、「北山」「中山」「南山」という3つの山を表していて、「その三山を統一する」という、勇ましく前向きな意味が込められた物なのだとか・・・
ほかにも、蛇神や龍神を表しているという説もあります。
ともあれ、たとえ、どのような処刑だったかはわからずとも、この時、ただ一人、薩摩へ屈する事を許さず、王国の尊厳を守ろうとした利山・・・琉球最後の忠臣と言えるかも知れません。
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コメント
茶々さん、こんばんは!
謝名親方はNHK大河ドラマ「琉球の風」で初めてその存在を知りました。
どちらの方法が琉球の活きる道だったかはリアルタイムではなかなか図りきれない問題だったでしょうけど、謝名親方の生き方はこれしかなかったのでしょうね!
投稿: 御堂 | 2010年9月20日 (月) 23時36分
御堂さん、お早うございます。
>NHK大河ドラマ「琉球の風」
残念ながら、私は見てないんです~
今更ながら悔やまれます。
戦国と幕末だけでなく、様々な時代と視点からの大河ドラマに期待!!
おっしゃる通り、降伏した尚寧王の判断も、反発した利山の判断も、それぞれの立場を考えると間違ってはいなかったと思います。
投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 07時28分
確か「琉球の風」の主人公は架空人物なんですよ。今ならDVDで見られますか?
「NHK大河ドラマで文化人の生涯を取り上げる」と言うのも、たまにはいいのではないかと私は最近考えます。
投稿: えびすこ | 2010年9月21日 (火) 09時16分
えびすこさん、こんにちは~
>「琉球の風」の主人公は架空人物…
へぇ、そうなんですか?
まったく情報を知らないものですから、勝手に尚寧王が主役なのかな?と思ってました。
投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 17時29分
茶々さん、こんばんは!
「琉球の風」ですが、まぁ殆んど架空の人物設定ですが、参考になった人物はいたようですよ。
その中で、東山紀之が演じた楊啓泰は謝名親方の後継者的存在の人物で琉球王朝の政事を執り仕切ったようですし、その弟役で渡部篤郎さんが演じた楊啓山は琉球舞踊という一面から、“文化は政事に勝る”という主張をして琉球の誇りを保とうとした人物が参考になっていると昔聴いた事があります。(こっちの方が主役っぽかったです…)
この時期の大河ドラマは前後して「炎立つ」にしても“文化は政事に勝る”がテーマだったので、現在に至ってもあまり受けないかも…
ちなみに原作(案)は陳舜臣さんですよ!
投稿: 御堂 | 2010年9月21日 (火) 20時05分
>御堂さん
なるほど、当時は製作元が「NHKエンタープライズ」でしたね。文化人を主人公にする場合は世間に評価されて、政府首脳にも認知のある人物でないとだめですかね?
水戸黄門もある意味で文化人(歴史学・考古学の始祖)ですよ。現代で言うと誰だろう?
投稿: えびすこ | 2010年9月21日 (火) 21時04分
えびすこさん、こんばんは!
私は韓国の時代劇ドラマなどにみられる多彩な主人公の例を観て思うのには、華岡青洲(麻酔による外科手術の最初)や間宮林蔵(間宮海峡の発見!)の一代記とかを観てみたい気がします…
投稿: 御堂 | 2010年9月21日 (火) 22時25分
個人的には間宮林蔵を見てみたいです(*^ω^*)ノ
なんせ、本職は忍者ですから、イロイロ話題も豊富なのではないかと…
晩年、寂しそうなので、ちょっと尻すぼみ風になってしまうかも知れませんが…
投稿: 茶々 | 2010年9月21日 (火) 23時52分