今夏最後の怪談話…九戸政実~怨みます!
天正十九年(1591年)9月4日、九戸政実が寄せ手の豊臣秀吉配下の総奉行・浅野長政の扱いで降伏・・・九戸城を明け渡しました。
・・・・・・・・・
2007年の9月4日にも書かせていただいた九戸(くのへ)の乱ですので、いかにして九戸城が豊臣軍に包囲される事になったか?のくわしい経緯は、そちらでご覧いただくとして(2007年9月4日を見る>>)、とりあえず、ごくごく簡単に紹介させていただきますと・・・
小田原征伐の後、その矛先を東北へ向けて奥州仕置を開始する豊臣秀吉ですが、その小田原征伐にいち早く駆けつけた南部信直(なんぶのぶなお)は、すでに秀吉の保護を受けておりました。
しかし、もともと、南部家の家督争いに不満を持っていた重臣の九戸政実(くのへまさざね)は、「俺が南部家の当主だ!」と言わんばかりに反乱・・・乱を鎮圧できない信直が、秀吉に加勢を頼んだというわけです。
・・・で、最終的に6万という大軍に囲まれた九戸城は、天正十九年(1591年)の今日、開城して降伏・・・捕えられた城主の政実は、この半月後の9月20日斬首されますが、その時は、すでに死を覚悟し、慌てふためる事もなく、勇猛な武士らしい落ち着いた死に様であったと伝えられます。
ところが、一方では、この九戸城の開城は、完全なる謀略で、騙されたと知った政実は、鬼の形相で亡くなったという話もあります。
本日は、その後者のお話・・・政実の怨み節を、とくと・・・
・‥…━━━☆
蒲生氏郷(がもううじさと)や浅野長政らに囲まれながらも、大軍ゆえの小回りのきかない部分をゲリラ戦法で翻弄する九戸の兵によって、城はなかなか落ちませんでした。
・・・とは言え、すでに囲まれている以上、永遠に籠城を続ける事も不可能っちゃぁ、不可能です。
そんな不安がよぎる頃、政実の親戚でもあり、城下の菩提寺の僧でもある人物が使者として城を訪れます。
「相手は、降伏を求めています・・・ただし、さすがに無条件というわけにはいきません。
政実殿が京へとおもむき、太閤殿下への釈明をせよという事だそうです。
これは、浅野殿、蒲生殿が責任をもって、とりなしていただけるとの事・・・」
少し考えた政実は、
「そうか・・・で、城内の者たちは助けてもらえるんか?」
「もちろん、全員残らず助けていただけるでしょう」
天然の要害を誇る九戸城・・・
ゲリラ戦で大軍を翻弄する痛快さ・・・
女子供や老人も含めての、わずか5000という城兵ながら、その士気は、まったく衰えていません。
しかし、ここで耐えてもどうなる物でもなく、負けはしないかも知れない代わりに、勝つ方法も見い出せません。
いよいよ政実は、最後の軍議を開き、配下の皆々に、降伏の意思を告げました。
そこに待った!をかけたのが弟の実親(さねちか)・・・
「たかが数千の我が軍に、天下人が手を焼いてるんですよ!
開城したとて、すんなり収まるワケはありません・・・これは謀略に違いないです!」
「お前の心配もわかるけど、豊臣屈指の名将がとりなすと言うてくれてる・・・こっちも兵糧が無くなりつつあるけど、向こうかて無くなりかけやと思うから、ここら手打ちたいんやと思う。
こっちから折れたら、あっちの顔も立つし、九戸の家のためにも、ここは引こう」
その後、何度も実親は説得しますが、もはや決意の固まっている政実の心が変わる事はありませんでした。
覚悟を決めた政実は、息子・亀千代と水杯(みずさかずき)を交わした後、子供を先ほどの僧に託し、天正十九年(1591年)9月4日、数名の近臣を従えて、九戸城の門を出たのです。
目の前に立つは勇将・浅野長政・・・
「この度のご決断・・・まことに見事であります。では、こちらへ・・・」
と、政実一人を配下の者に預け、供の者には、しばらく別の場所で待つように指示すると、すかさず、合図を送ったのです。
すると蒲生氏郷が・・・
「さぁ、突っ込め!ネズミ一匹たりとも逃がすなよ!」
その号令とともに、大軍が一気に城内になだれ込みます。
予想だにしなかった攻撃に慌てふためく九戸の城兵・・・
驚きのあまり、声も出せない女子供たち・・・
それらを容赦なく斬り倒しながら、奥へ奥へと進む大軍・・・
いつしか城には火が放たれ、彼らの断末魔の叫びは炎の中へと消えていきます。
「おのれ・・・謀りおったな!」
と、振りかえった政実の目に映るのは、黒煙を上げて崩れ落ちる愛すべき九戸の城・・・
(この物語では…)その日のうちに斬り殺された政実の首は、やがて京へと送られてさらされますが、その形相はすざまじく、見た者が皆、深い怨みを感じずにはいられないものだったとか・・・
こうして終わりを告げた九戸の乱・・・
政実亡きあとの九戸城には、あの信直が入りますが、やはり、奪い取った状況が状況だったのか、慶長二年(1597年)に新しく築城された盛岡城へと拠点を移し、この九戸城は廃城となりました。
それから何年か経った頃から、夏も終わりに近づくと、南部藩の城下では奇妙な噂が立つようになります。
「お前、聞いたか?」
「おぉ・・・九戸城の事やろ?」
「青白い炎の中、鎧兜の侍が、あっちでもこっちでも歩きまわって、苦しげな叫び声をあげてるらしい」
「見た者は、3日3晩うなされて、死んでしまうらしいゾ」
そう、噂では、毎年9月4日・・・亡霊たちによって、あの日の地獄絵図が再現されるというのです。
弓矢で射られた武者が立ちすくみ、炎に焼かれた女子供が逃げ惑う・・・その横には、京都でさらされた政実のの首が、鬼の形相のまま、無念の叫び声をあげるのです。
このお話は、徳川の天下泰平の世になっても、絶える事なく、語り継がれいったのだとか・・・
ウアォ!((゜Д゜Uu))
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コメント
猛暑であえいでいたのでこういうお話は大歓迎!しかし戦国武将が殺されていちいち恨んで化けてたら、この世は亡者で満杯になってしまう。 「勇猛な武士らしい落ち着いた死に様であった」
こちらを信じてあげたいけど、幽霊として徳川の世になっても語り継がれて名前が忘れられないのはのはちょっと嬉しかったりして。嬉しい、とまでいかなくてもあの世で苦笑いくらいはしてるかなぁ。茶々様のおかげでこうして平成の世にも名前が伝えられてるし。
投稿: Hiromin | 2010年9月 4日 (土) 20時27分
Hirominさん、こんばんは~
後世に名を残す事は、武将として名誉な事かも知れませんね。
とは言え、おっしゃる通り、いちいち化けて出てたら、日本中怨霊だらけです(゚ー゚;
投稿: 茶々 | 2010年9月 5日 (日) 00時58分