龍馬伝・第47回「大政奉還」と徳川慶喜の思惑
大正二年(1913年)11月22日は、江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜さんのご命日・・・しかも、昨日の大河ドラマ「龍馬伝」は「第47回=大政奉還」って事で、ここは、またまた慶喜さんと大政奉還について書かずにおられなくなった次第で・・・
先週は、山内容堂公との会話の中で、ちょいとばかり幕府崩壊の雰囲気をかもし出し過ぎの感があり、ついついツッコミを入れさせていただきましたが(先週のページはコチラです>>)、今週は、その予告通り、慶喜の側近の永井さんに、「徳川家を存続させるためにはこれしかないので、大政奉還を受け入れるように」と坂本龍馬が説得に行ってましたね。
一方の徳川慶喜さんは、ドラマ内では、二条城の大広間に集めた面々に向かって、「何か意見はないか?」と聞き、悩みに悩んでいる雰囲気・・・この大政奉還については、ずいぶん前のブログでも書かせていただいていて(2006年10月14日参照>>)、個人的には、この頃には、すでに、慶喜の気持ちは大政奉還に決まっていたのではないか?と感じています。
もちろん重大な決断なので、最後の最後まで真剣に向き合った事は確かでしょうが・・・
というのも、この時の慶喜のそばには、西周(にしあまね)という側近がいたからです。
この人は、幕臣ではなく、津和野藩の奥医師の息子として生まれながら、藩籍を捨てて蘭学を学び、オランダに留学した後、帰国してからは塾の先生などやってた人で、この時期は、慶喜にフランス語を教えていました。
実は、慶喜は、大政奉還を発表する前日の10月13日・・・つまり、ドラマで描かれた二条城の大広間のあのシーンの後にも、この周を呼び寄せてから、最終決断に至っているのです。
オランダ留学で、ヨーロッパの議会制度を目の当たりにしていた周には、この時、すでに描いていた政権構想=「議題草案」がありました。
その案とは・・・
まずは、政府の元首を大君とし、その下に全国事務府・外国事務府・国益事務府・度支(たくし)事務府・寺社事務府などの機関を置き、それぞれには宰相を任命・・・この宰相には各大名が割り当てられます。
さらに、その機関とは別の組織、具体的には上院と下院の二院政の議政院を設け、上院には万石以上の大名が就任し、下院には各藩から一人ずつ「輿論(よろん・世間一般の意見)に叶う人」(つまりは、実力されあれば身分は問わない人材投与)を藩主が選んで送り込むというものでした。
周の構想では、上記の大君には、もちろん慶喜が就任するという事で、しかも、この新体制は、京都と離れ過ぎている江戸ではなく、天皇のおわす場所に近い大坂を首都にして行うなんて具体的な話にまでなっていたそうで、さすがに、「選挙する」までの民主主義には至らないものの、かなり先進的なプランです。
つまり、この大政奉還をするしないの時点で慶喜は、周の考える、ここまでの政権構想を理解していたわけで、大政奉還をしても、将軍から大君に移行するだけで、自らが政治の舞台から降りる事はないと考えていたと思われるわけです。
なんせ、朝廷はあの南北朝の時代以来、まともに政治をやった事ないわけですし、(忘れそうになってましたが)慶喜は内大臣でもあるのですから、例え政権を朝廷に返上したとしても、天皇の下で政治に参加できるものと考えるのは当然と言えば当然なのかも・・・
現に、その大政奉還の上奏文には
「従来の旧習を改め、政権を朝廷に返し奏り、広く天下の公儀を尽くし、聖断を仰ぎ、同心協力、共に皇国を保護仕り候えば、必ず外国万国とならび立つべく候」
と、完全に、朝廷に協力する気満々の言葉が並んでいます。
・・・で、そこにいち早く気づいて手を打ったのが、(何度も出てきますが)あの岩倉具視(ともみ)の「討幕の密勅(みっちょく)」(10月13日参照>>)なわけで・・・
ドラマでは、慶喜の大政奉還を受けて「しまった!」「してやられた」といった雰囲気の、西郷隆盛や桂小五郎がいましたが、実際には、彼らが大政奉還を知った時には、すでに、この討幕の密勅を受け取っていますから、次の対策を練っていたかも知れませんね。
この次の対策というのは、もちろん王政復古の大号令(12月9日参照>>)・・・これによって、やっと、朝廷内の倒幕派が実権を握り、慶喜に対して辞官・納地の決定を下し、彼を政治の舞台から排除する事を宣言したわけですよね。
慶喜の敗因は、この王政復古のクーデターをされる前に、将軍から大君への移行ができなかった事にあるのでは?とも思えます。
さて・・・
いよいよ来週は、最終回=龍の魂を迎える事になった「龍馬伝」・・・
最終回を前にして、あの名ゼリフが出ましたね。
「新しい日本の夜明けぜよ~!」
龍馬ファンの方にとっては、待ってました!のシーンなんでしょうね。
ところで、今回、ドラマに登場した「ええじゃないか」の大騒ぎ・・・ずいぶん前の記事で、この「ええじゃないか」についても書かせていただきましたが(2006年7月15日参照>>)、この場を借りてちょいとだけ捕捉情報を・・・
この「ええじゃないか」の発端となった天から降ってきた伊勢神宮のお札ですが・・・もちろん、本当にお札が自然に降って来る事はあり得ないわけで、誰かが、騒ぎを起こそうとして意図的に降らせた(降ったように見せかけた)可能性大なわけです。
・・・で、実は「自分が降らせた」と後に告白している人が何人かいます。
そのうちの一人が大江卓(たく)という人物・・・
彼は土佐出身で、中岡慎太郎率いる陸援隊(7月27日参照>>)の隊士・・・もちろん、倒幕派の一員として、騒ぎを起こして支配者=幕府を困らせるのと同時に、自分たちの動きを目くらましするための行動だったわけですが・・・
そんな身近な人なら・・・ひょっとして、龍馬も知ってたって事は???ないのかなぁ
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コメント
おおっ、なんと言うタイミング。最後の将軍の命日前日が、「大政奉還」の放送日とは。
「龍馬伝」もあと1回ですね。今や本屋では龍馬の「りの字」もないです。
側近の西周もドラマに出なかったですね。徳川慶喜(幕府)がフランスを当てにした理由は何でしょうか?昨夜、家族に聞かれたんですが、うまく答えられませんでした。私の推理では「イギリスとの(貿易・外交の)ライバル関係もあるのでは?」と言う理由です。
投稿: えびすこ | 2010年11月22日 (月) 11時03分
えびすこさん、こんにちは~
>フランスを当てにした理由は何でしょうか?
そうですね~それこそ、本人に聞いてみないとわからないでしょうが…
薩英戦争があってからは、イギリスと薩摩が仲良しになってますから、それに対抗するには、やはりフランスって事なのかも…
フランス語を学んで、フランス料理が大好きで、「フランスかぶれ」と陰口までたたかれていた慶喜さんですし、慶応3年の2月には、2日間に渡ってフランス公使のロッシュと長時間の会談を行い、この時にはロッシュが「全力を挙げての幕府への協力」を約束していますので、慶喜さんとしては、このあたりで新体制への移行を考えていたのではないかと…
投稿: 茶々 | 2010年11月22日 (月) 13時02分
私は観光で元会津の日進館という藩校を見学したことがありますが、その学校で教えていた知識の高さを知った時には驚きました。
天文学などもあったようです。
その上に精神修養や武道もありましたから、そこで学ぶ人間が、どれ程立派な人間になるか、今や計り知れないものがあると思います。
攘夷を叫ぶ日本人を尻目に、抜け駆けのように外国と親交を持った徳川幕府では、新しい知識を学ぶ機会をも、始めは独り占め状態だったかもしれません。
今は、維新の政府の方が何もかも新しくて進んでいたように思いがちですが、実際は、そうでもないことがイロイロあったように思います。
投稿: 五節句 | 2010年11月22日 (月) 14時09分
五節句さん、こんばんは~
そうですね~
以前書かせていただいた小栗忠順さんなんかも、幕府の立場でありながら、かなり先見の目があったと思います。
幕末・維新の時代は、新政府にも幕府にも、驚くほど優秀な人材がたくさんいますね。
まずは、その人材育成の方法から、現代人は学ばねばならないかも知れませんね~
投稿: 茶々 | 2010年11月23日 (火) 00時54分
幕末期は将軍(家定・家茂・慶喜)が若いと言う事もあり、情勢の変化に対処できなかったと言う事もありますね。黒船来航の時に古株の譜代大名や旗本でさえうろたえた(勝海州の談話より)と聞きます。大政奉還の内容を読むと、「完全なる政権交代」を狙う薩摩・長州には「虫が良すぎる」と言えますね。「大名が政治に関与する」点に違和感を感じたのかも。
大河ドラマは09~11年の3年間は11月に終わりますが、私は「NHK大河ドラマの終わりはテレビドラマの1年の締めくくり」と考えているので、11月に終わる(12月に総集編をしますが)と「1年の終り」を早く感じるんですよ。
投稿: えびすこ | 2010年11月23日 (火) 08時58分
えびすこさん、こんにちは~
私には「坂の上の雲」を1年開けてやる意味もわかりません。
もう、去年の事はほぼ忘れています。
投稿: 茶々 | 2010年11月23日 (火) 15時23分