白河上皇の院政の影に武士の存在
応徳三年(1086年)11月26日、第72代・白河天皇が息子の善仁(よしひと)親王(堀川天皇)に譲位して上皇となり、院庁を開設しました・・・これが院政のはじまりとされています。
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まぁ、そもそも一番の理由は、「息子に後を継がせたい」って事なんですけどね( ´,_ゝ`)
実は、白河天皇の父の後三条天皇は、「自分の後には異母弟を順々に即位させたまえ」ってな遺言を残して亡くなられたんですが、やっぱり白河天皇のホンネとしては息子がカワイイわけで・・・
それには、自分の目の黒いうちに、さっさと皇位を譲ってしまって、幼い天皇を、自分が上皇となって助けてやるのが一番良い方法なわけで・・・
って事で、応徳三年(1086年)11月26日、まだ8歳の我が子・堀川天皇を即位させて、自分が天皇に代わって政務をこなす=院政の誕生となったわけです。
とは言え、これまでも、幼い天皇が即位して周囲の大人がサポートする事はありました。
ご存じ、摂関政治というヤツで、例の藤原一族・大栄華の一時代となったわけですが(8月19日参照>>)、もし、この時も、その時代のような環境だったら、当然、白河天皇が上皇となったところで、院政なんてできるはずもなかったのですが・・・
もはや時代が変わりました。
実は、先ほど出て来た白河天皇のお父さんの後三条天皇・・・この方、実に170年ぶりの摂関家を外戚(がいせき・母方の実家)としない天皇だったのです。
そもそもは、奈良時代のあの藤原不比等(ふひと)にはじまる藤原一族の外戚ゲット作戦(8月3日参照>>)・・・次から次へと藤原一族の娘を天皇家に嫁がせて、必死のパッチで男の子を誕生させ、その男の子を将来の天皇に・・・
ほんでもって外戚をゲットして実権を握る・・・と。
ところが、そんな藤原氏の勢力が、ここに来て急降下・・・というのも、後三条天皇の先々代の後朱雀(ごすざく)天皇や、先代の後令泉(ごれいぜい)天皇に入内した摂関家の娘たちが、男の子を生まなかった事で、上記のように、とうとう摂関家の女性ではない人が生んだ後三条天皇の即位となったのです。
まぁ、おかげで後三条天皇は、摂関家に遠慮する事なく政治が行えるようになっていたのですけどね。
そんな父の環境を受けての白河上皇・・・今回の第73代・堀川天皇にはじまり、第74代・鳥羽天皇、第75代・崇徳(すどく)天皇と、3代=43年間に渡って院政を行い、「治天(ちてん)の君」と呼ばれて政界に君臨する事となります。
こうして、もともとは「我が子に天皇を継がせたい」がためにはじめた院政でしたが、思わぬ付録もついていました。
なんせ、色々な制約のある天皇という地位に比べて、上皇なら、うっとおしい束縛を受けずに自由な政治が行えるのです。
調子に乗った白河上皇は
「(自分の)思い通りにならないのは、賀茂川の水と双六のサイと僧兵だけ・・」
なんて、有名なお言葉も残されていますよね。
そんな院政の中心となるのは「院庁」という機関で、これは院(上皇の御所)に設置された私的な機関にも関わらず、ここから出される院宣(いんぜん・命令)には絶大な効力があり、朝廷も逆らえないという状況だったのです。
院庁が、これほどまでの力を持つ要因となった1番は、直属の武力を持っていた事・・・
それは、院の北側の置いて警固を行わせた事から、「北面の武士」と呼ばれた武装集団です。
先ほども、白河上皇が「思い通りにならない」と言ってたように、この頃の寺院の勢力というのは、それぞれに僧兵を備え、その武力で以って政治にも圧力をかけて来るものだった(12月18日参照>>)わけですが、一方の朝廷内の貴族たちも、ほとんどが仏教徒なわけで、無理難題をふっかけて来られても、仏罰が怖くて対抗できない・・・結局は、その力に屈する事になってしまうのです。
しかし、武士は仏罰を恐れる事無く、堂々と僧兵に立ち向かう・・・そんな武装集団を持っている院だけが、彼らに対抗できたわけです。
おかげで、白河上皇にはじまった院政は、鳥羽上皇を経て、あの日本一の大天狗=後白河法皇(10月26日参照>>)へと約100年に渡って受け継がれます。
・・・とは言え、皮肉なものですね~
結局は、その院が頼りにした武士が政権を奪取し、まったく違う世の中へと変貌していくのですから・・・
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コメント
藤原家は500年にわたって政治の中枢にいましたが、これ以降は衰退しても鎌倉時代以降は「近衛」姓に変えましたね。そして今日まで残っています。
投稿: えびすこ | 2010年11月26日 (金) 08時28分
えびすこさん、こんばんは~
いくつかに枝分かれして、現在にも受け継がれているようですね。
確か、細川元首相の弟さんが養子に入って継いでおられたのではないでしょううか?
投稿: 茶々 | 2010年11月27日 (土) 01時39分