大砲2発!大坂冬の陣~徳川家康×淀殿×大野治長=愛憎の三角関係
慶長十九年(1614年)12月16日、大坂冬の陣にて、備前島に設置されていた徳川方の大砲から発射された砲弾が大坂城・天守に命中しました。
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徳川家康が、今回の大坂城攻めのために大量に動員した大砲(大筒・石火矢)・・・この冬の陣では、大坂城の周囲に約300挺を設置して、数十人の砲術家を配備したと言われています。
特に、城の北側を流れる淀川の中州・備前島(びぜんじま)に設置された物は、天守から約700mほどの距離しかなく、完全に射程距離内に入っていたのだとか・・・
とは言え、この頃の砲弾は炸裂弾ではなく、ただの鉄の固まり・・・しかも、射程距離内であっても、どこか1か所に狙いを定めるほどの性能はありませんから、これで戦況を一変させるほどの威力はなかったと思われます。
それでも、昼夜を問わず砲撃を繰り返す事で、絶えまなく響き渡る地響きや轟音による精神的な圧迫を狙っての効果は充分にあります。
ところがドッコイ、慶長十九年(1614年)12月16日、その備前島から放たれた砲弾の1発が、たまたま天守に命中して柱は崩壊・・・さらに、もう一発が淀殿の居所である櫓を撃ち抜いたと言います(千畳敷に1発…という話もあり、命中したのが1発か2発か3発なのか微妙なところですが…)。
破壊力は、それほどでもなかった大砲でしたが、今回の着弾によって、淀殿はじめ城内の女性たちが一時パニック状態となり、その後、一気に講和へと向かって行く、一つの要因となったとも言われています。
ところで、
本日は、題名にある通り、今回の大坂の陣突入の一因となったかも知れない家康×淀殿×治長による愛の三角関係について・・・
題名を見て
「んな、アホな」
と、お思いの方もおられるかも知れませんが、それこそ事実は小説より奇なり・・・
もちろん、大坂の陣の直接のきっかけとなったのは、ご存じ、方広寺の鐘銘事件(7月21日参照>>)ですが、それはあくまで、家康が豊臣潰しの口火を切るための口実である事は明白・・・
以前、関ヶ原から大坂の陣までに微妙な関係について書かせていただいたように、家康にとって豊臣は目の上のタンコブ(5月10日参照>>)・・・天下を牛耳るためには、どうしても潰したい相手だったわけですが、ひょっとしたら、そこには、ちょっとばかりの私情が絡んでいた?のかも・・・てなお話。
それは姜沆(きょうこう・カンハン)が記した『看羊録』・・・
この姜沆という人は、例の朝鮮出兵で捕虜となり、日本へ連れて来られた朝鮮の儒学者なのですが、この『看羊録』は、その彼が、日本で見聞きした事を記録した文書で、多少の誤解や捕虜という立場ゆえの偏見はあるものの、その内容については、かなり信憑性の高い1級史料とされている物ですが・・・
そこに、病に倒れて、未だ幼い息子・秀頼を心配する豊臣秀吉の事が書かれています。
「戊戌年(1598年の事)三月晦(みそか)から病気にかかった秀吉は、自分でも死ぬかもしれないと思って諸将を召し寄せて、後の事を託した。
家康には秀頼の母を室として政事を後見し、秀頼成人の後に政権を返すように約束させた。
加賀大納言(前田利家)の子・肥前守(前田利長)には秀頼の乳父(仮の父)となって、備前中納言(宇喜多)秀家とともに、終始秀頼を奉じて大坂に居るようにさせた」
「家康には秀頼の母を室として…」
つまり、家康と淀殿に「二人は結婚しなさい」というのが、秀吉の遺言だったと・・・
しかも、専門家によれば、この結婚の事が書かれている文書は複数あり、いずれも信憑性の高い1級史料なのだそうです。
さらにダメ押しの『多聞院日記』(こちらも信憑性の高い史料です)の慶長四年(1599年)9月17日の条・・・
「十七日、如前、一日大雨下候…
大坂ニテ去十日秀頼之母家康ト祝言在之候、
太閤之書置在由候、
大野修理秀頼之母ヲ連候、
高野ヘ参候由珍重、
無殊儀候、大名之由候、」
なんと!
秀吉が亡くなった翌年の9月10日に、家康と淀殿が祝言を挙げる事が決まっていたにも関わらず、その直前に大野治長(はるなが)が彼女を連れ出して高野山に行っちゃったと・・・
♪Hello,darkness my old friend~♪
大野治長=ダスティン・ホフマン…映画「卒業」かw(゚o゚)w
この大野さんは、淀殿の乳母の息子なので、幼い頃からの乳兄弟で、長身のイケメン・・・以前も書かせていただいたように、もし、秀頼が秀吉の実子でなかった場合には、最も疑わしい人物(8月3日参照>>)・・・
最近では、ドラマなどで、石田三成をはじめ複数の人物が、淀殿の不倫相手として描かれたりしますが、これは後世になって出て来た噂の域を越えない物や、近代になってからの小説の中のお話で、当時の1級史料とされる物には、ほぼほぼ大野さんの名前しか出てきませんので、もし、本当に秀頼が秀吉の子供でなかったのなら、おそらく、父親は彼なんでしょう。
妻となるべき人を、結婚式の直前に奪った男が、その彼女を守って籠城する大坂城・・・そこに、大砲を射かける家康の心情たるや・・・
確かに、秀吉が命じた政略結婚なのですから、そこに愛情は含まれてはいなかったでしょうし、家康だって、ホントは乗り気じゃなかっかも知れません。
しかし、日取りまで決まっていた物をドタキャンされたら、いらない物でも欲しくなってしまうのが人の常・・・
もちろん、大坂の陣の勃発に、少なからずの私情があったかどうかは、ご本人のみぞ知るところでしょうが、まるで、ひところのトレンディードラマのような展開に、心ワクワクしますね。
はたして、来年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」では、いかように描かれるのでありましょうか・・・ワクワクドキドキ
●同じ16日にあった塙団右衛門の夜襲については2009年の12月16日のページでどうぞ>>
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コメント
いつも拝見しながら 感心しています。
「歴史は女によって作られる」の命題どおりの話で、大河ドラマの見方の事前情報ですね。
投稿: 田上の親爺 | 2010年12月16日 (木) 23時02分
田上の親爺さん、こんばんは~
「篤姫」は、それこそ創作も多かったですが、物語としてはとてもオモシロイ作品だったと思いますので、来年は楽しみです。
投稿: 茶々 | 2010年12月17日 (金) 01時50分
>秀吉が淀を家康の妻にさせようとした
妹・朝日を家康の後妻にさせたので、可能性はゼロではないですね。今日の記事・大坂の陣はちょうど来年の終盤の山場ですが、どういう顛末になるでしょうか?「天地人」ではタイムリミットが迫った事情で、経緯がかなり割愛されましたね。田淵さんによると、「有名な人物は時間が経つと順番に出る」そうです。
先日記載した「コミック大河」ですが、今秋で休刊となってしまいました。残念(ρ_;)。
投稿: えびすこ | 2010年12月17日 (金) 20時36分
えびすこさん、こんばんは~
「家康と淀殿の結婚話」は、「関ヶ原で秀頼が600万石の一大名に成り下がった」よりは、ずっと史実に近いような気がします。
いつか、ドラマで描かれるといいですね。
投稿: 茶々 | 2010年12月18日 (土) 01時22分
大阪城の近くで、不発弾か゛発見されたとか。大阪城来年も注目されそうです。
投稿: やぶひび | 2010年12月18日 (土) 07時59分
やぶひびさん、こんばんは~
>大阪城の近くで、不発弾か゛…
そうですね~
いまだに出てきますね~
小さい頃は、避難したりなんかしました。
今も、交通規制されますね。
あのあたりは、スゴかったらしいですから…
投稿: 茶々 | 2010年12月18日 (土) 23時49分
でも、大野治長が勝手に連れ出してくれてよかったですね。
ホントに秀吉の遺言が実行されていたら、元々豊臣家を叩こうと早くから決めていたと思われる家康は(別の意味で)困ったと思いますよ…
いや、もちろん、ほとんど豊臣を守る防波堤にはならなかったでしょうが、淀殿個人については出家させるとかの(徳川的には)苦々しい処置になった気がします。
投稿: ほよよんほよよん | 2014年11月28日 (金) 23時29分
ほよよんほよよんさん、こんばんは~
もし、家康と淀殿が結婚していたら…いったい、どんな展開になってたんでしょうね?
妄想満開ですヽ(´▽`)/
投稿: 茶々 | 2014年11月29日 (土) 02時40分
茶々さん、こんにちは!
色々ネット上で大荒れしている今年の大河ドラマですが、家康と淀殿の関係が怪しい?というか意味ありげっぽいので、
この記事のように大野治長が結婚を阻止!!みたいになるんだろうかと視聴しています。
歴史上の偉人を扱うドラマなんだから、恋愛よりも他にやるべきことがあるだろうと突っ込みたいですが、もはや時間が全然足りないですしね…。
投稿: 禿鼠 | 2023年10月11日 (水) 12時14分
禿鼠さん、こんばんは~
今回の淀殿は、何か怪しげですね~
雰囲気的には、家康と淀殿の結婚話が出てくるかも知れません。
なんせ、軍記物ではなく一級史料に残ってる話ですから。。。
投稿: 茶々 | 2023年10月12日 (木) 01時47分
こんにちは。
家康と淀君が結婚して、静岡で平和に暮らすのもいいかもしれませんね。
秀頼は一大名になって、幕府を支えると
いう事もありますけど。
漫画か、おとめゲームの世界ぽい話。
投稿: やぶひび | 2023年12月11日 (月) 14時08分
やぶひびさん、こんばんは~
あくまでifですが…
個人的には、「家康と淀殿が結婚してたら豊臣が一大名になる事は無い」と思ってます。
以前の【関ヶ原~大坂の陣・徳川と豊臣の関係】>>のページにも書かせていただきましたが、
秀吉の遺言や晩年の言葉を記した複数の文書が残っていますが、いずれも
「家康が淀殿と結婚して秀頼を盛り上げてくれ」と秀吉が言っていた類の事が書かれています。
東日本の将軍(征夷大将軍)を家康に、西日本の将軍を毛利輝元に任せ、両者を統率する中央の立場にある秀頼(関白?)を補佐するの(管領?)が前田利家&利長
的な構想を秀吉は持っていて残った皆に頼んでいたみたいなので、家康と淀殿が結婚すれば、この形に近い物になるのではないか?と思います。
あくまで家康が大人しくしてれば…ですが
秀吉が亡くなる時は、ほぼ、このように決まっていたので、家康はこの体制が嫌だったんじゃないですかね?
もちろん、心の内はわかりませんが…
投稿: 茶々 | 2023年12月12日 (火) 02時46分