内閣総理大臣・伊藤博文くんを評価したい
明治十八年(1885年)12月22日、明治政府が太政官を廃止して内閣制度が開始・・・第一次伊藤博文内閣が発足しました。
・・・・・・・・・・・
あの豊臣秀吉が太閤検地と刀狩りを実施して(7月8日参照>>)、兵農を完全に分離、封建的な身分制度を確立して、2度と自分と同じような=つまり、農民から天下を取るような人間が輩出されないようにして以来の、画期的な出来事です。
そう・・・
足軽身分の伊藤家の養子になったとは言え、この伊藤博文(ひろぶみ)自身は農民の出身であり、そこから這い上がって初代内閣総理大臣=天下を取った人なのです。
幕末には松下村塾(しょうかそんじゅく)で吉田松陰(しょういん)に学び、高杉晋作の奇兵隊に所属して、命がけのゲリラ戦にも挑んでいます(12月16日参照>>)し、その最期も、暗殺という劇的な出来事で、生涯の幕を下ろします(10月26日参照>>)。
なのに、も一つ人気がない・・・
ちなみに、「人気がない」というのは、歴史上の人物としてドラマや小説になったりする・しないという意味の人気で、ご本人の人となりや、政治的手腕の善し悪しではありませんよ。
あくまで、歴史ファンから見て、屈指の人気の幕末&維新の時代に生きながら、その時代を描いたドラマや小説に、ほとんど主役として登場しないんじゃないか?という意味です。
やはり、彼が考えた大日本帝国憲法と軍国主義の関係や、彼が道を開いた日韓併合など、現在の日本の国際的立場にも関係する出来事にも絡む事で、「どうしても否定的なイメージがぬぐえない」というところなのでしょうが、最近では、その帝国憲法が意外に民主的であった事や、大陸との関係も、彼自身は親身になって温和な政策を心がけようとしていたらしい事などが囁かれるようになり、私個人的には、博文さんは「かなりデキる政治家だ」という印象です。
もともと、上記のように、松下村塾で学び、高杉晋作や久坂玄瑞(げんずい)の影響を受けた博文少年(当時は俊輔)は、ガッチガチの尊王攘夷論者だったわけですが、文久三年(1863年)=22歳の時に、志願してイギリスに留学した事で、その考えは一変します。
西洋文明を尊敬しつつ、それでいて臆する事なく・・・
外国の良いところを見習いつつ、日本独自の吸収の仕方をする・・・
帰国後は、見事な開国論者となって、攘夷一辺倒の長州藩を開国論へと向ける大きな原動力となりました。
維新の時は、まだ28歳・・・維新の三傑と呼ばれる西郷隆盛・大久保利通(としみち)・木戸孝允(たかよし)らとは10歳ほど若かったので、新政府でついたポストも、彼らよりはワンランク下といった感じの役職でした。
しかし、明治十年(1877年)に木戸と西郷(9月24日参照>>)が、その翌年には大久保(5月14日参照>>)が、まだまだ働き盛りの年齢で逝ってしまった事から、思ったよりも早く、博文の出番がやって来る事になります。
明治十四年(1881年)・・・明治十四年の政変(10月11日参照>>)で大隈重信(おおくまじげのぶ)を失脚させた博文は、その翌年から約1年間をかけて、ヨーロッパの憲法制度を調査するため、海を渡ります。
すでに政権担当者となっていた彼が、1年間も日本を留守にする・・・そこには並々ならない決意があった事でしょうが、それを裏づけるように、ベルリンでウィーンで、憲法や近代行政、議会のあり方や選挙の方法など、精力的に学び、吸収していきます。
しかし、帰国後の彼が希望したのは、政治の中枢である工部卿や内務卿ではなく、なぜか宮内卿・・・そして翌・明治十七年(1884年)には宮内大臣に就任します。
そうです。
当時の太政官制度から、ヨーロッパで学んだ内閣制度へと移行するために、最も障害となるのは宮中だったのです。
すでに、あの岩倉具視(ともみ)も今は亡く、太政官制度のトップに立つのは、太政大臣の三条実美(さねとみ)・・・虎穴に入らずんば虎児を得ずとばかりに、自ら宮内大臣となって、宮中を改変しようとしたのです。
しかし実美もさるもの・・・ちょうど、ウマイ事に、この時、右大臣の席が空席だったので、すかさず博文に右大臣のポストを打診します。
ところがドッコイ・・・博文は1枚も2枚もウワテ。
その右大臣をあっさり蹴って、逆に、黒田清隆(8月23日参照>>)を推薦したのです。
実は、この黒田と明治天皇のそりが合わない事が、当時の宮中では衆知の事だったわけですが、案の定、天皇は、黒田の右大臣就任に反対し、その話は、そこから前へ進まない・・・
そのスキに、博文は内閣の導入を天皇に打診し、それを認めさせてしまったのです。
かくして明治十八年(1885年)12月22日、太政官を廃止して内閣制度を開始させ、自らが、初代総理大臣となったのです。
冒頭に、伊藤博文は人気がない・・・と書かせていただきましたが、彼は、その目標のために、一つ一つ積み重ねていくタイプ・・・
実は・・・
維新に活躍する志士たちをベタ褒めに褒めまくっている生前の松陰なのに、博文の事については
「学問も浅いし才能も劣る、マジメやけど華がない」
と、かなりの酷評を残しています。
しかし、博文は博文で
「松陰先生は理想主義に走りすぎ、理想を貫くためには過激な事もおかまいなしや」
てな、師匠批判を展開しています。
ここに、博文さんがドラマになり難く、人気がない原因があるように思います。
今年の大河ドラマ「龍馬伝」を見てもそうです。
理想を掲げ、夢に向かってまっしぐら・・・そして、その理念のために、アッと驚くような事をやってみせる主人公が、物語の上では魅力的なのです。
しかし、現実の政治は違います。
複雑に絡む組織と人間・・・
お互いの利害関係で、あっちに引っ張ったり、こっちに引き寄せたり・・・
それを、アッという間に確実に乱麻をほどく快刀なんて、実際にはありはしないわけで、そこには、着実に進む華のないマジメさが必要なのではないでしょうか。
そういう意味では、伊藤博文は、まさに、幕末・維新の人ではなく、明治新政府の人・・・ドラマになるような華やかさはなくとも、政治家として評価されるべき人だったのではないでしょうか。
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コメント
以前ご紹介されてた「川上貞奴」を水揚げした、って聞いたことあります。最近の風潮としてこの人を英雄視したらお隣さんが黙ってないでしょうし・・なんたってこの人を暗殺した人は自国では英雄らしいし。
投稿: Hiromin | 2010年12月22日 (水) 20時33分
これも秀吉に似ていますが、女性に対する扱いや、天皇に対する不敬も人気のない原因でしょうか!
でも、お札になった政治家ですから、ヤッパリエライ!いくら人気があっても、西郷さんや龍馬はお札にはなりませんものね!
投稿: syun | 2010年12月22日 (水) 20時58分
Hirominさん、こんばんは~
そうなんですよね~
ひょっとして、伊藤さんのファンの方もたくさんいるのかも知れませんが、大手を振ってその気持ちを表現できないのかも…ですね。
投稿: 茶々 | 2010年12月22日 (水) 21時18分
syunさん、こんばんは~
何か、聞くところによると、国会議事堂の中には、いっぱい、この方の銅像があるとか…
やはり、政治家から見て立派な政治家なんだろうなと思います。
投稿: 茶々 | 2010年12月22日 (水) 21時19分
茶々さん、こんばんは!
伊藤博文の評価…
やはり俊輔は政治家らしい政治家だと感じます。現代において、似てると言えば中曽根康弘元首相でしょうね。
たまたま松下村塾生徒だったので、出世の糸口にありつけたし…
たまたま秘密留学生として英国留学したおかげで英国公使など外交官とのパイプが持てたし…
たまたま使節団の失敗を大久保と共にしたおかげでその後の大久保政権の一翼を担えたし…
たまたま藩閥政権に見切りをつけておかげで政党政治への一歩を踏む事ができたし…
たまたま晩年の明治天皇のお側にいたおかげで明治天皇の信頼を勝ち得たし…
松陰先生が「俊輔は立派な周旋家(=政治家)になる」と仰った目利きは十分に的を得ていた事になる訳です。
投稿: 御堂 | 2010年12月22日 (水) 21時42分
御堂さん、こんばんは~
なるほど…
松陰先生は、本文のような酷評だけでなく、ちゃんと評価もされていたんですね。
よかったです。
投稿: 茶々 | 2010年12月22日 (水) 21時50分
茶々さん、こんばんは!
伊藤博文!いいですね、好きです!幸運をもっていて、ほんと秀吉様にそっくりですね、いいと思います。
「坂の上の雲」でも大活躍ですね!アメリカを味方につけろ…とか、素晴らしいです、かっこいい!
寿太郎も活躍してますよね!この前、仙石大臣が自身を寿太郎に例えてましたよね?でもそれはちょっと、おこがましいと思います…。命を懸けて外交に挑んだ寿太郎はほんとあっぱれですから!彼と肩を並べられる人はなかなかいないですよ。出て欲しいですが。
「坂の上の雲」を見て、山本権兵衛を見直しました。やっぱり、実力はあったんですね、ただ総理のときに運がなっかただけで。(ジーナメンス事件、関東大震災で特になにもしないうちに辞職へ)
それにしても海軍かっこいいと思います。岡田啓介、米内光政もいい人ですよね。
もちろん、東郷さんもかっこいいですけど!
話がずれてしまいすみませんでした。
投稿: 暗離音渡 | 2010年12月23日 (木) 01時59分
暗離音渡さん、こんばんは~
あぁ…そうでした~
「あんまりドラマにならない」と書いてしまいましたが、確かに、「坂の上の雲」には出てますね~
今年の分は、撮りだめだけしてまだ見てないんですが、ゆっくり楽しませていただきますです。
投稿: 茶々 | 2010年12月23日 (木) 02時17分
中村俊輔は人気がありますし、
親戚にも、俊輔さんがいます。
ちなみに、僕も俊〇です!
俊というじが良いんですね。
自画自賛で申し訳有りません。
澄(済)みません。
投稿: syun | 2010年12月23日 (木) 22時24分
syunさん、こんばんは~
確かに、○○衛門さんとかいう名前よりは、俊輔さんは現在もあるような名前なので、親しみやすい感じがしますね。
投稿: 茶々 | 2010年12月24日 (金) 00時47分
今年の大河ドラマでは山崎育三郎くんでしたね。振り返ると今年の大河ドラマは「お札大河」のような感じでした。ただ、「百円札」の板垣退助が出なかったのが少し意外。
現職の岸田首相が第100代目、総選挙後に改めて第101代目の首相となっていますが、何かの企画で「日本憲政史上第100代目の総理大臣は誰か?」、という予想を数年前にした人はいるんでしょうか?
投稿: えびすこ | 2021年12月22日 (水) 11時05分
えびすこさん、こんばんは~
福沢諭吉さんから路線変更されましたが、一時代前までのお札は、政治絡みが多かったですからね~
その前は神話絡み…今後しばらくは学者さんか文化人なのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2021年12月23日 (木) 03時23分
はじめまして、道産子和井戸です。
伊藤博文という人物につきましては、
私が幼い頃に読んだ歴史漫画の主人公にもなっていながら、
「知ってるつもり?!」などの歴史バラエティー番組には、あまり紹介されませんでした。
なぜ紹介されなかったのか不思議でしたけれど、
恐らく紹介したくても、中国や韓国との関係を考えると、それは不可能だったのでしょうね😢
投稿: 道産子和井戸 | 2023年7月 2日 (日) 16時35分
道産子和井戸さん、こんばんは~
おっしゃる通りだと思います。
しかも、年数が経ってるとは言え、
現在の政権に直結してる感もあって、なかなか「歴史」として扱い難い人なのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2023年7月 3日 (月) 02時37分