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2011年1月 9日 (日)

『常山紀談』と湯浅常山

 

安永十年(1781年)1月9日、戦国の説話集として有名な「常山紀談」を著した備前岡山藩士・湯浅常山が、74歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・

戦国好きなら、一度は読みたい『常山紀談(じょうざんきだん)

斯く言う私も、一卷~七巻の訳注本を持ってますが、日々時間に追われ、未だ、全部を読み切れておらず、エラそうな事は言えませんが…(/ー\*)

古くは、神代の昔からあったと思われる「軍語(いくさがた)り」・・・

『記紀』に登場する吉備津彦命(きびつひこのみこと)(12月1日参照>>)日本武尊(倭建命・ヤマトタケルノミコト)(10月7日参照>>)などなど・・・

時代が下がって平安中期には、少し前の源義家の武勇伝(9月17日参照>>)が語られる・・・

そして、やはり記紀がそうであったように、これらの軍語りは、往々にして、天下が平定された時代になると、その語りを書きとめた文章として残されます。

源為朝(みなもとのためとも)の姿勇ましい(3月6日参照>>)保元の乱平治の乱を描いた『保元物語』『平治物語』は、まさに平家全盛の頃に成立したとされていますし、その平家が滅ぶ『平家物語』『源平盛衰記』は、源氏の世となった鎌倉時代に成立します。

あの『太平記』の成立が、南北朝に別れたままの頃なので、ちと早い気がしますが、ちょうど、足利義満(よしみつ)が第3代将軍に就任した(12月30日参照>>)時期とくれば、なんとなく、天下が定まりつつあった感がなくもない時代ですよね。

戦国時代も同様・・・

そもそもは、実際の体験談や自らが挙げた武功を、
戦陣で過ごす長い夜に・・・
殿さまお抱えのお伽衆(とぎしゅう)夜話として・・・

未だ戦国真っただ中の時代に語られていた軍語りが、徳川の時代に入り逸話集となって次々に成立していくのです。

それは、戦場での体験を語る老人たちが徐々に亡くなり、それを後世に伝えるためという一面もありましたし、なにより、平和な時代となって官僚化していく武士たちの武士らしき気質を保ち続けるための道具でもありました。

いくら「戦争がない」と言っても、武士は軍人であって政治家ではないのですから、その本分を見失わないためにも、手に汗握る作戦の鮮やかさや、命を惜しまず突進していく清らかさにその身を重ねてテンションを保ち続ける必要があったのでしょう。

そんな中で、後世に残る説話集『常山紀談』を残したのが備前岡山藩・池田氏に仕える湯浅常山(ゆあさじょうざん)です。

岡山藩の中級藩士・湯浅子傑(しけつ)の息子として宝永五年(1708年)に生まれた常山は、本名を元禎(もとさだ)、通称を新兵衛と言いますが、その邸宅から児島半島の名山・常山(岡山県玉野市)が見えた事から、そこを「常山楼」と称し、自らを常山と号しました。

池田継政宗政治政と3代の岡山藩主に仕え、若い頃に江戸へ出て服部南郭(はっとりなんかく)に入門し、漢詩や儒学を学びました。

岡山に帰った後も、折を見ては江戸へ出て、門下生らと親交を重ねつつ、更なる勉学も怠らなかったと言います。

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明治初期に撮影された岡山城古写真(岡山城事務所蔵)

やがて寺社奉行町奉行を歴任するまでになりますが、明和六年(1769年)に江戸詰(づめ)となった時、藩政を批判したために強制帰国させられ、そのまま隠居処分となってしまいました。

しかし、後から考えれば、これが功を奏しましたね~
そう、これで、執筆活動に専念する事ができます。

多くの著書を書いたとされる常山ですが、やはり世に残ったのは『常山紀談』・・・すでに原型が出来上がりつつも、書き直しで苦労していたこの著作が完成したのが明和七年(1770年)と言いますから、やはり隠居も悪くない・・・

とは言え、これが発刊されたのは文政年間(1818年~30年)の後半とされており、安永十年(1781年)1月9日常山が亡くなってから3~40年経った後という事になります。

それには、あまりに膨大な分量である事と、徳川家にさし障りがあるかも?という配慮があったようですが、それだけ、実話に近い生々しい出来事が書かれていたという事かも知れません。

案の定、世に出た『常山紀談』は評価され、後世に引き継がれていきます。

そこには、有名な山内一豊(やまうちかずとよ)が奥さん=千代のへそくりで馬を買う話(9月20日参照>>)や、長篠の合戦での鳥居強右衛門(とりいすねえもん)(5月16日参照>>)の勇姿も出てきます。

最後の最後には、『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)はウソ八百だぜ!」ってな批判めいた事も書いてます。

「戦国時代の事情がうまく書かれているので、ついつい細かなストーリーも本当であると勘違いしてしまうので注意が必要」と、まるで、歴史小説や時代劇につけたい注意書きのような(笑)

でも、それでいて
「功名なんかに関しては笑っちゃうほどヒドイけど、戦国の時代をよく知り、武士の魂も心得たとおぼしき人が書いているようなので、その部分がウソだからと軽くみないで、学ぶべき所は大いに学ぶべき」
と、褒める事も忘れません。

そうなんです。
『甲陽軍鑑』に限らず、もちろん『常山紀談』も含めて、軍記物や逸話集には、およそ史実とは思えない事が書かれている事もあります。

しかし、そこに登場する武将たちは、いずれもいきいきとしてその時を生き、時として失敗しながら成長していく・・・

そして、その一方では、生々しい合戦の事も・・・颯爽と戦場を駆け回る武将は、それだけでカッコイイですが、それは殺戮の記録でもあります。

命を賭けて守るという事は無残に死ぬ事でもあり、平和の尊さを知るためには戦争の悲惨さも知らねばならない…

ストーリーの信憑性はどうであれ、『常山紀談』には、そこに生きた武将たちの姿が、そのままに描かれているという魅力があるのです。
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コメント

本屋、行く。(*゚∀゚)=3 ヒーハー!!

投稿: ことかね | 2011年1月13日 (木) 12時59分

このブログを見て、本屋に行くなんて
「どうかしてるゼ~!」
↑ウソです…うれしいですo(*^▽^*)o

投稿: 茶々 | 2011年1月13日 (木) 15時17分

買いましたよ!

投稿: 山は緑 | 2011年1月17日 (月) 20時02分

山は緑さん、こんばんは~

おぉ…買われましたか~
小説やドラマとは違う、生の武将の姿がイイですよね~

投稿: 茶々 | 2011年1月18日 (火) 02時14分

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