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2011年1月19日 (水)

江戸時代の「ニセ虚無僧・禁止令」

 

延享元年(1744年)1月19日、江戸幕府が偽虚無僧の取締令を発布しました。

・・・・・・・・・・

私・・・子供の頃、京都四条大橋を通るたびに思ってました。

(四条大橋付近はメッチャ人通りが多いので…)
「ここで、お坊さんの格好して立ってるだけでメッチャ儲かるやん。
けど、お坊さんでもないのに、そんなんしたら怒られるんやろなぁ」
(←子供なので許してください(*_ _)人)
と・・・

でも、今日の出来事を見て、
いつの世も、アホな人間の考える事は同じやねんなぁ~とつくづく…

そうです。
「江戸幕府が偽虚無僧の取締令を発布」

こういう法令が出る時は、大抵、それによる被害やもめ事が多発したためであって、それだけニセ虚無僧が大勢出没していたって事ですからね。

 

・・・で、そのニセではない本物の虚無僧(こむそう)というのは、剃髪せずに尺八による「音声説経」をしながら諸国を回る普化宗(ふけしゅう・禅宗の一派)の僧の事・・・

Komusodukiyo600 その普化宗では、尺八は法器とされ、仏教的に尊い物・・・その音は、単なる音楽の音とは違うわけで、その尺八の音を借りて説法をするというわけです。

とは言え、多くの場合、深~い編傘をかぶり、腰には刀を差し・・・という怪しさ満載のそのお姿で、辻や各家の前などに立って無言のまま尺八を吹く・・・

最近の大阪では、とんとお見かけする事がなくなりましたが、私が子供の頃には、遊びに行こうと戸を開けると、ド~~ンと立っていはったり、外出から帰ると、家の前で尺八を吹いていはったり・・・と、大人には理解できても、子供にはトラウマになりそうな事が何度もあったもんです。

ちなみに、ウチでは、夜遅くまで騒いでいると
「はよ寝な、虚無僧来るで!」
と怒られてました。(←マジメな虚無僧さん、スンマセン)
(お前、いくつやねん!というツッコミはなしヨ)

ただ、さすがに、町角での出会いは少なくなったと言えど、時代劇などでは時々登場する事もあり、お若い皆さまも、虚無僧の存在はご存じのはず・・・

個人的には、時代劇の虚無僧=隠密同心伊坂のダンナなんですが・・・

・・・で、そんな虚無僧
最初は、深編傘をかぶって尺八を吹いて・・・というだけだったのが、江戸時代になって、托鉢(たくはつ・街角で経をあげて資金を集める)をする時には、藍色または鼠色の無紋の服男帯、首には、背中には袈裟(けさ)を掛けて、頭には天蓋(てんがい・イ草などで編んだ深い編傘)をかぶるというのが、幕府によって決められた定番のスタイルになったのだとか・・・。

思うに、すでにこの時に、あまりにも千差万別な虚無僧が登場してたって事でしょうね。

そんな中で、やがて登場するのが偽虚無僧です。

だいたい、あの深い傘じゃ、顔もさしませんからね~
今で言えば、フルフェイスのヘルメットか目出し帽ですもん。

しかも、一般の僧なら、それこそ、ありがたいお経の一つも唱えなければ托鉢もできませんが、虚無僧なら、尺八が吹けさえすれば何とかなりますから、「ちょいと練習してやってみよう」って輩が出て来るのも、もっともかも知れません。

・・・で、本物の虚無僧なら、托鉢で、店の前や家の前に立って何も貰えなかったとしても、それは修業の一環ですから、何も言わずに、ただ立ち去るだけですが、当然ニセ者の場合は違います。

「なんで、金を出さないんだ!」
と店前で暴れてみたり、脅したり・・・

一般人とのトラブルが絶えない状態となり、とうとう、延享元年(1744年)1月19日幕府が偽虚無僧の取締令を出したわけです。

その後も何度か出された取締令のおかげで、江戸時代も後半になると、虚無僧も各寺でちゃんと管理されるようになり、その寺が発行した証文がないと托鉢できないようなシステムができあがっていたようです。

やがて、明治の廃仏の嵐に飲み込まれて、一旦は、宗教ごと廃止となった虚無僧ですが、ご存じのように、「宗教の自由」が保証された現在になって、再び普化宗がよみがえり、虚無僧も復活しました。

なので、現在の虚無僧さんは、全員、本物の虚無僧・・・安心して、思いっきり「音声説経」をやってもらっちゃってください。
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コメント

これは「免許制」の走りですね。
「ニセ~」のたぐいはいつの時代もいますね。最近は「水戸黄門」とかで虚無僧があまり出ないです。

投稿: えびすこ | 2011年1月19日 (水) 15時48分

龍馬伝だと、たしか岡田以蔵が追われていた回で、京都の町屋の奥に入っていったら職人がいたり虚無僧のような宗教者がいたりと、近年の「身分的周縁」みたいな世界が描かれてましたね。

延享年間という江戸も後ろのほうになってきて偽虚無僧が出てくるのは、このくらいになると身分の流転というのが起きているのだなぁと思います。

投稿: 黒駒 | 2011年1月19日 (水) 18時08分

えびすこさん、こんばんは~

そうですね~
最近は、時代劇でもあまり見かけなくなりましたね~

投稿: 茶々 | 2011年1月20日 (木) 01時29分

黒駒さん、こんばんは~

そうですか~
龍馬伝で…見落としてました(゚ー゚;

投稿: 茶々 | 2011年1月20日 (木) 01時31分

この記事を読んですぐに東京国立博物館に行っていたのですが通常展に『瀬川菊之丞の女虚無僧』がありました。
女で!虚無僧!それも浮世絵で!
読んだばっかりだったせいもあり、怪しさ倍増でしたよ!
(;^_^A あせあせ

投稿: 桃色熊 | 2011年1月24日 (月) 14時24分

桃色熊さん、こんばんは~

現在も女性の虚無僧もおられるようですが、純粋に宗教的なものでないニセ者の多しの江戸時代で、しかもい浮世絵なんて怪しさ満載ですねww

投稿: 茶々 | 2011年1月24日 (月) 22時50分

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