ペリーのお土産…電信機の発展
安政元年(1854年)2月24日、再び来日したペリー一行が横浜で有線電信機を実験・・・これが日本初の電気通信となりました。
・・・・・・・・・
嘉永六年(1853年)6月3日、東インド艦隊・旗艦サスケハナ・司令長官ペリーがフィルモア大統領の国書を持って、鎖国中の日本へ・・・。
ご存じ、黒船来航です(2008年6月3日参照>>)。
♪太平の 眠りをさます 正喜撰(じょうきせん)たった四はいで 夜も眠れず♪
というよりは、お祭り騒ぎのようになってたみたい(2月3日参照>>)ですが・・・
とにもかくにも、後々の手記を拝見する限りでは、幕末の日本人に好印象を持ってくれたとおぼしきペリーさん・・・(2009年6月3日参照>>)
この嘉永六年の一度目の来航では、とりあえず「開国の要求」をしたのみ・・・
この時に、シュワちゃんよろしく「I will be back」と言ったかどうかはともかく、翌・安政元年(1854年)2月13日、再び来航し、横浜沖に停泊して日米和親条約の締結を求めてきたのです。
この時、将軍への手土産として持って来たのが、蒸気機関車の模型とエレクトル・テレグラフ・・・つまり電信機です。
しかし、この電信機・・・使わなきゃ、何の事だかわからない・・・って事で、安政元年(1854年)2月24日、横浜にて、日本初の有線電信機の実験とあいなったわけです。
ちなみに蒸気機関車の模型のほうは、ペリーと前後して来日したロシアのプチャーチン(10月14日参照>>)が、すでに長崎で走らせちゃってました。
とは言っても、さすがにこの初実験の時は、単に、電信機なる物がどんな物であるのかを見せただけで終わったわけですが・・・
とは言え、
「幾百里へだたる場所も、人馬の労をはぶき、線の達する場所までは音信を一瞬に通達する至妙の機関なり」
と、これを見た人の感想でもわかるように、この電信機なる物は、陸蒸気(おかじょうき・蒸気機関車)(9月12日参照>>)やガス灯(9月29日参照>>)とともに、この先、文明開化を象徴するアイテムの一つとなったわけです。
やがて維新が成った後・・・最初は「針金便り」なんて呼ばれていた電信システムは、イギリス人技師の指導のもと、何度も実験を重ねて、明治二年(1869年)に東京⇔横浜間が開通して一気に実用化へ突入しますが、それはそこ・・・
全国各地に広がるにつれ、初めての物に相対する一般庶民は、そこかしこでおもしろ・エピソードを残しちゃってくれます。
なんせ、何一つ、その原理を教えてもらってない人たちにとっては、まさに西洋の魔術ですからね~
「電信」と書いて、「テレガラフ」と呼んでいた中国地方では、
「あれは、キリシタンバテレンの魔術で、アノ線には処女の生き血を塗るらしい」
なんてウワサが飛び交い、若い女性たちは、皆、眉を剃り落としてお歯黒塗って・・・つまり既婚者のふりをして、捕まえられないようにしていたのだとか・・・
東北地方では
「電信をひく」
というのを、「伝染をひく」と誤って理解され、
「アレは病気を伝染させる悪い者」として、
電線に石を投げたり、ちょん切ったり・・・
また、ある人は
「遠いところにすぐ届く」
というトコだけを聞きつけて、電線に風呂敷包みを結びつけて
「早く、息子の所へ届けておくれ~」
なんて、ほのぼのしたお話も・・・
とは言え、今のように誰もが字が書けて、手紙が書ける時代じゃありませんから、いくら電信網が広がって、何やら伝えたい文章が伝えられるって事が、庶民に理解できるようになってはいっても、イザとなれば何をどう伝えるのかすらわからず、しばらくは、一般庶民が利用する事は、ほとんどありませんでした。
そんな状態を一変させたのが、以前、書かせていただいた神風連の乱の時に、小波(小勝とも)という女性が、母親に送った、緊急事態を知らせる電報でした(10月24日参照>>)。
そのページにも書きましたが、この電報の文章を仮名垣魯文(かながきろぶん)という人物が新聞紙上で紹介した事から評判となり、その替え歌が大流行・・・
そんな替え歌を考えるうち、文章の作り方を学んでいった人たちは、またたく間に、見事に文明の利器を使いこなす事となるのです。
♪海山へだてて暮らしていても 心は切れないテレガラフ♪
♪縁の糸目の針金便り きれずに末まで暮らしたい♪
ワォ!
まるで、メールかTwitterやないですか!
いつの世も、人の心は変わらないものですね。
もちろん、電報は今でもあります・・・たまには、メールじゃなくて、電信機を使用ちうっつーのもアリかも・・・
.
「 幕末・維新」カテゴリの記事
- 「大手違い」…本当はもっと早いはずだった徳川家定と篤姫の結婚(2024.12.18)
- 幕府の攘夷政策に反対~道半ばで散った高野長英(2024.10.30)
- 坂本龍馬とお龍が鹿児島へ~二人のハネムーン♥(2024.02.29)
- 榎本艦隊の蝦夷攻略~土方歳三の松前城攻撃(2023.11.05)
- 600以上の外国語を翻訳した知の巨人~西周と和製漢語(2023.01.31)
「 明治・大正・昭和」カテゴリの記事
- 日露戦争の最後の戦い~樺太の戦い(2024.07.31)
- 600以上の外国語を翻訳した知の巨人~西周と和製漢語(2023.01.31)
- 維新に貢献した工学の父~山尾庸三と長州ファイブ(2022.12.22)
- 大阪の町の発展とともに~心斎橋の移り変わり(2022.11.23)
- 日本資本主義の父で新一万円札の顔で大河の主役~渋沢栄一の『論語と算盤』(2020.11.11)
コメント
鎖国の時代の象徴のような出来事だ。。
情報は、本当に重要である。
情報がないほど、怖いものはない。
だから、通信技術は発達してきた。
この度の異国の大地震においては
twitterやメール、ネットが発揮している。
国家による情報統制だけは避けて欲しいものである。
投稿: やませみ | 2011年2月24日 (木) 17時10分
やませみさん、こんばんは~
今や、メールが八百長を誘い、twitterが不倫騒動を招き、Facebookが革命を起こす時代…人の口に戸は立てられないです。
投稿: 茶々 | 2011年2月24日 (木) 19時16分