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2011年3月 4日 (金)

火事と喧嘩は江戸火消しの華

 

文化三年(1806年)3月4日、明暦の大火明和の大火と共に江戸三大大火の一つといわれる文化の大火が発生しました。

・・・・・・・・・・

文化三年(1806年)3月4日の午前10時頃・・・車町(現在の港区高輪)材木座付近を出火元に発生した火は薩摩藩上屋敷(現在の芝公園)増上寺五重塔を全焼させた後、西南の強風にあおられて木挽町数寄屋橋に飛び火し、そこから日本橋の殆どを焼失させました。

それでも、火は収まる事を知らず、神田から浅草方面にまで燃え広がったと言います。

幸いな事に、翌5日に雨が降ってくれたおかげで、ようやく鎮火しましたが、その被害面積は下町を中心に530町(約58k㎡)・・・現在の港区・中央区・千代田区を足しても、まだ足らないくらいの広範囲ですね。

そのため、焼失家屋は12万6000戸におよび、死者は1200人を超えたと言われています。

「火事と喧嘩は江戸の華」・・・

これまでも、このブログでは、
振袖火事と呼ばれた明暦の大火>>
お芝居で有名な八百屋お七お七火事>>
明和九年の迷惑大火>>
あと、
遊びの殿堂・吉原炎上>>や、
その燃え移る事はなはだしい住宅事情の原因として、あまりの急激な人口増加のお話>>など、火事に関する事を書かせていただいておりますが、

本日は、火事が江戸の華なら、その火事の花形・・・火消しのお話をさせていただきたいと思います。

・‥…━━━☆

火事の現場にいち早く駆けつけ、頭(かしら)の指示に従って、各持ち場にスタンバイ!

その中でもイッチャンにかっこええ男が、水をかぶりハシゴを登り、建物の屋根の上に(まとい)を立てる・・・時代劇でも、お馴染のシーンですね。

♪芝で生まれて 神田で育ち
  今じゃ 火消しの纏持ち ♪

なんて歌われ、火の粉を浴びながら、カッコ良く纏を振る纏持ちは、そんな火消しの中でも、一番の花形でした。

それにしても、
「あんなん振って、火が消えるのか?」
と、かく言う私も、小さい頃には疑問を抱きながら時代劇を見ていたわけですが、もう皆さまご存じのように、当時の火消しの仕事は、完全に火を消しとめるという現在の消火とは、まったく違う物・・・

現在燃えている火を消すのではなく、この先の延焼を食い止めるために、火の行く手にある家屋を破壊する破壊消防というものでした。

かの纏持ちが立つ家こそ、
「ここで、火を食い止めるゾ!」
というボーダーラインで、仲間は、竜吐水(りゅうどすい)と呼ばれる消火ポンプで、その纏持ちに向かって放水するわけです。

纏持ち=代表者を、そんな危ない場所に立たせる意味は、文字通りの「火事場のバカ力」を誘発するための物です。

仲間を犠牲にさせたくないため、必死のパッチで家壊し担当ががんばるというわけです。

そんな火消しは、6万石以下の大名で組織された大名火消しと、旗本の定火消し(じょうびかし)、そして有名な町火消しの3種類があり、大川(隅田川)の西側を担当していたのが町火消しでした。

ご存じのように、この町火消しは「いろは48組」ありましたが、何となく、カッコ悪く聞こえる「へ組」「ら組」「ひ組(←これは縁起担ぎ?)の3つの組は存在せず、それぞれ「百組」「千組」「万組」という名前に置き換えられていたそうです。

ところで、冒頭に「火事と喧嘩は江戸の華」と書かせていただきましたが、火事の花形であった火消しは、もう一方の喧嘩の花形でもあったんです。

それは、上記のように、大名火消しや定火消し、町火消しなど、様々な火消しが入り乱れて現場に駆け付けるため、その主導権をめぐって、現場では、火消し同士の喧嘩が絶えず起こっていたからなのですが、

もともと、火消し自体が、命の危険をかえりみず、火事の現場に立ち向かうほどの男気のある者たちばかりですから、火事の現場だけでなく、普段から血気盛んな人たちが多かったわけで、まぁ、それこそが火消しの心意気でもあったわけですし・・・

この文化の大火のちょうど1年前には、後にお芝居となって超有名になった「め組の喧嘩」と呼ばれる事件も起こっています。

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「め組の喧嘩」描いた錦絵

これは、文化二年(1805年)2月・・・芝明神で行われていた相撲興行を、そのあたり一帯を管轄していた「め組」のとび職・3名が、お金を支払わずに見ようとした事にはじまります。

当然の事ながら、それを見つけた力士の一人が、3人を注意するのですが、3人は謝るどころか、逆に、力士の体の大きさをからかいます。

恥をかかされた力士が、とびたちを投げ飛ばして周囲に悲鳴があがると、そこへ、お互いの仲間が駆けつけて乱闘開始!!!

結局、火消しと力士合わせて36名もの逮捕者を出す大騒ぎとなってしまいました。

・・・で、そのお裁きは、
喧嘩両成敗・・・と思いきや、意外と火消し側に厳しいものでした。

実は、火消しの彼ら・・・仲間を呼び集める時に、本来は、火事の時にしか鳴らしちゃいけない火の見櫓の早鐘を打ち鳴らしちゃったんですね~

カンニングに、ペーパーではなくネットを使ったために、新聞のトップ面に載って逮捕されるのと同じ???違うか(^-^;

まぁ、今でも、普段の移動にパトカーがサイレン鳴らして走ったら怒られますからね。

とは言え、この火消したちは、与力・力士と並んで「江戸の三男」と呼ばれて大いに庶民の人気者だったようです。

今でも、消防士やレスキュー隊員の制服を見ただけで、着ている人物まで男前に見えてしまう制服好き(私ですが…)がいるのですから、当時の人気は、さぞかしスゴかったでしょうね。
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