勝家を出し抜く秀吉…信長の葬儀を行った総見院
大河ドラマ「江~姫たちの戦国」第9回・義父の涙・・・
なんと!柴田勝家が刺繍好き・・・
先週のツンツン娘はどこへやらの親子水入らず・・・
ドラマは創作物なのですから、もう、このホームドラマ路線で行くと知った以上は、今更、歴史と違うのなんのというヤボな事は申しますまい。
が、しか~し、
たとえ創作であっても、そのドラマの中で、つじつまが合わなかったり、一般常識とかけ離れたりというのは、ちょっといただけません。
そうです。
北ノ庄城で平和に暮らしていた勝家一家に、「長浜城が奪われた」との知らせが届いた時・・・
この「長浜城が奪われた」というのは、以前にも書かせていただいてますが(3月11日参照>>)、厳密には、筒井順慶・池田恒興(つねおき)らを先鋒とする5万大軍に城を囲まれた長浜城で、その守りを任されていた柴田勝豊(勝家の養子)が、未だ雪深い越前(福井県)からの援軍が期待できないと判断し、城を明け渡した事・・・それを「長浜城が奪われた」とおっしゃっているのだと思います。
もちろん、細かい事をいちいち言ってもややこしいだけなので、表現はそれで良いと思いますが、ちょっとツッコミたいのは、そのあと・・・。
この三姉妹は、「長浜城が奪われた」との知らせを聞いたにも関わらず、「戦は、いやです」「戦はやめてください」の一点張り・・・しかも、さも、それが正しい事のように主張する。
もう、城を奪われちゃってるんですよ!
「戦は、やめて」もクソも、もう始まってますよ!
確かに、上記の通り、城主の勝豊は、ほとんど戦わずして開け渡していますから、戦闘らしい戦闘もなく、犠牲者も少なかったかも知れませんが、城を奪われるという事は、その城下町も、そこに住む民衆も制圧されるという事です。
たとえ命奪われなくとも、ひとときの平和を味わっていた城下町に、武装した兵が5万も闊歩するのです。
おそらく、事情のわからない庶民の女子供たちは、恐れおののいたに違いありません・・・なのに、このお姫様たちは、「自分とこの城が平和ならそれで良い」という事なのでしょうか?
さらに、その後のお市の方の説得も、「義父を戦に送り出すのが、我々の務め」と言いながらも、その理由が、「戦いたいのが男なのだ」「男=武士とはそういう生き物なのだ」って・・・自分たちの主張が正しいが仕方がないみたいな言い方・・・
私は男でも武士でもありませんが、もし北海道や沖縄が某国に占領されたら、たとえ東京や大阪が無事でも黙ってはいられませんが・・・この脚本家の方は、それでも、戦うべきでないとおっしゃるのでしょうか?
・・・と、ちょっと熱くなってしまいましたが(*´v゚*)ゞ、今日は、そんな話をするつもりではありませんでした。
実は、昨日の放送で、CGと秀吉のアップのみというほぼナレーションスルー状態だった織田信長の葬儀・・・その秀吉主催の葬儀のお話自体は、すでに書かせていただいておりますので、ソチラで見ていただくとして(10月15日参照>>)、
今日は、その葬儀の舞台となった大徳寺・総見院(そうけんいん)・・・現在、「京の冬の旅」のイベント(1月28日参照>>)の一環として特別公開されている総見院へ行って来たというお話です。
・‥…━━━☆
上記の通り、総見院は天正十一年(1583年)に、豊臣(当時は羽柴)秀吉が、本能寺で倒れた主君・織田信長を弔うために、古渓宗陳(こけいそうちん)和尚を開祖として建立した京都・大徳寺の塔頭(たっちゅう・大きな寺院に付属するお寺)です。
そして、その本能寺から100日めに当たる10月11日から17日までの7日間に渡って、亡き信長の法要が行われ、そのうちの10月15日には、3000名の出席者による盛大な葬儀が行われ、火葬場へ向かう道筋は、3万の兵が警固をするという一大イベントを行った場所であります。
しかも、信長の三男・神戸信孝(かんべのぶたか)、信長の妹・お市の方とその夫である譜代家臣・筆頭の柴田勝家をカヤの外に置いての葬儀の決行は、まさに、信長の後継者を自負する秀吉の見事なパフォーマンスでしたね。
ただ、残念ながら、当時は広大な境内だった総見院も、明治の頃の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・建て物や仏像などを破壊して寺院の特権を廃する明治政府の政策)によって、その建物のほとんどを焼却されてしまったため、現在、創建当時のままの姿を残しているのは、わずかに外塀や鐘楼のみで、本堂などの建物は、大正年間に再興された時以降の建物という事になってしまっています。
とは言え、新しいながらも当時をしのばれる造りの茶室の数々や、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石を井筒にしたという堀り抜き井戸、秀吉が千利休から譲り受けたという樹齢400年・日本最古の胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)の木、さらに、信長以下・織田氏一族のお墓など、見どころは沢山あります。
中でも、(個人的に)最大の見ものは、あの織田信長坐像です。
ご存じのように、あの本能寺で信長の遺体が発見されなかった事から、秀吉は、その代わりになる物として、運慶・快慶の流れを汲む康清という仏師に、信長そっくりの像を造らせて、その像を棺桶に入れて火葬する・・・という方法をとったわけですが、その像は2体あって、1体を火葬にして、もう1体を残した・・・それが、ここ総見院に今も残る信長像なのですよ!
高さ約115cm、衣冠帯刀の姿で眼光鋭いその表情は、晩年=本能寺で倒れる直前の信長に生き写しであるとも言われています。
現在は重要文化財に指定されているこの信長像ですが、実は、この像も、本当なら、明治の廃仏毀釈で堂塔とともに燃やされる運命にありました。
しかし、寸前のところで寺の人々に救出され、大徳寺本山に預けられた事で助かったのです。
そして昭和三十六年(1961年)に、預けていた信長像を再び迎え、信長380年忌の法要が行われ、以後、もとの古巣の総見院に安置されているというわけです。
最後にもう一つ・・・行って初めて知った新たな感動がありました。
![]() |
![]() アップです |
上記の左写真は、本堂から茶室へ向かう通路ですが、屋根のすぐ下に、何かあるのがおわかりになりますか?
そこをアップにしたのが右の写真です。(*写真はすべてクリックしていただくと大きいサイズで見られます)
これは輿(こし)・・・今も、両側の柱の金具の上に乗っかっているだけで、いつでも使用できる状態になっているのですが、輿という物は、高貴なお方が乗る特別な乗り物・・・
はてさて、誰が乗った輿なのか?
実はコレ・・・その昭和三十六年に約100年ぶりにこの総見院に戻る時に、かの信長像が乗った輿なのです。
もちろん、後にも先にも、この輿に乗ったのは信長像ただ一人・・・
覇権争いの中で誕生し、数奇な運命をたどった信長像は、総見院に思いを寄せる人々の手で大事に輿に乗せられ、再び戻って来た・・・
なんだか、妙に感動してしまいました(゚▽゚*)。
普段は非公開の総見院・・・3月21日までの特別公開です。
(注:3/8=15時以降、3/9と3/20=13時以降、3/21=終日拝観不可)
この機会に訪れてみてはいかがでしょうか?
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コメント
茶々さん、こんにちは!
仰るように、もはや「江」はホームドラマ感覚ですね。ふと、昔の大映ドラマ「おんな風林火山」を想い出しちゃいましたよ(笑)
…そー言えば「おんな風林火山」には、デビュー仕立てで、まだキャラクターの定まってなかったお市、いや鈴木保奈美が出てましたっけ…
今回の信長の葬儀…於次秀勝は完璧スルーされちゃいましたね。(一応、喪主なんだぞ!)
投稿: 御堂 | 2011年3月 7日 (月) 17時19分
番組に関して多方面から賛否ありますが、私は江さんが好きです。江さんの笑顔を見ると癒されるので。記事に書かれている「戦さは避けた方が良い」と言う発想は、主人公姉妹の生い立ちと作者の女性目線ゆえの事(先日記載した「平穏主義」でもあります)でしょうね。でも人間は年をとると発想が変わります。「城を盗られて黙ってられない」と考えるのは武将なら普通ですけどね。ただ、「男性原作で男性脚本で男性が主人公」のケースでも、多少なりとも上記の発想はあるでしょうね。ただ杞憂になりますが、「ホームドラマ路線ではあまり良くない」となると、「生涯独身で子供がいない人」しか主人公になれない恐れもあるので。(´~`)。゜○
ドラマの内容から少しそれますが、「戦国乱世の時代の女性は、現代人ほどの品位を求められてはいないのでは?」と最近思います。間違ってるかもしれないですが、「女性に品位を求める」と言うのは、太平の時代の考えではないのか、と。
次回から石田三成が出ますね。
投稿: えびすこ | 2011年3月 7日 (月) 18時27分
ホームドラマ路線でも最低限、ギリギリのせんでいいから時代の空気を少しは伝えてほしかった・・・なんだか現代人があの時代にタイムスリップしたみたい。1週間くらい前かな、読売新聞のTV評コーナーで「いくらなんでもここまでやるか?噴飯モノ」と書かれてたけど、よく書いてくれた!と思いました。戦国時代の空気を正確に伝えるとまるで‘戦いを美化してる’ようなのでちゃんと平和の尊さを伝えなきゃ!と、製作サイドが思ってらっしゃるならそれは歴史の捻じ曲げで、歴史に対してもその時代を生きた人にもとっても失礼だと思います。「こんな時代でした」と正しく伝えることで、戦の辛さ、平和のありがたさ、人の気高さ等が上っ面でなく心の奥に伝わってくるんじゃないかと思うんですがね・・芸達者な役者さんぞろいなので楽しみにしてたんですが。
投稿: Hiromin | 2011年3月 7日 (月) 21時00分
茶々さま。なんだかんだ言いながら大河ドラマ観ないと決めていたのに、昨日見ちゃいました。
刺繍してるのにびっくり!!
やっぱり、どうみても3姉妹の演技に違和感を感じてしまいました。あはっ^^
それはそうと、信長の信仰は何だったのでしょうか?
勝手にお寺で供養されてるなんて、信長はどう思ってるのでしょうか?┐( ̄ヘ ̄)┌
投稿: やませみ | 2011年3月 7日 (月) 22時40分
御堂さん、こんばんは~
>「おんな風林火山」…
あれは、はなから大映ドラマだとわかって見てるので、なんとなく許せちゃいましたが、大河だと、ついつい期待してしまって(゚ー゚;
秀勝さん…出してほしかったですね。
ひょっとして、この後、江のダンナさんになるエグザイル秀勝さんと混同してしまうのでスルーだったんでしょうか?
投稿: 茶々 | 2011年3月 8日 (火) 01時43分
えびすこさん、こんばんは~
確かに、未だローティーンの三姉妹が幼い頃のトラウマで「戦はいや!」ってなる事自体はいたしかたないのかも知れませんが、違和感を感じたのは、それに周囲の大人が同調するところです。
できれば、「戦わねばならない時がある事」や「なぜ戦うのか」などの大儀を彼女たちに説いてさしあげてほしかったと…
お市の方までもが「男は戦いたいのだから仕方がない」では、そんな気持ちで送り出される勝家さんが可哀そうで…
投稿: 茶々 | 2011年3月 8日 (火) 01時51分
Hirominさん、こんばんは~
戦争はできればしないほうが良いし、平和が一番に決まってる…それは、戦国も今も変わらない気がします。
しかし、自国と国民を守るためには、時には鬼にならなければ、平和が維持できない事も変わりはしないと思います。
今回の三姉妹の戦争拒否は、尖閣や北方領土にちゃんと向かいあっていない平成の現実を見るようで、いささか心が痛みました。
投稿: 茶々 | 2011年3月 8日 (火) 02時01分
やませみさん、こんばんは~
比叡山や本願寺を敵に回した事で、神仏を信じないイメージがついてしまっている信長さんですが、武装して政治に関与する教徒には厳しいものの、一方では神社仏閣に多大な寄進をしていますし、信仰そのものを禁止したりはしていませんので、神を敬う気持ちや、仏教を尊ぶ気持ちは大いにあったと感じています。
なので、供養される事自体はイヤではなかったと思います…ただ、秀吉好みのあのような形でというのは、喜んでいるかどうかは微妙ですよね(゚ー゚;
投稿: 茶々 | 2011年3月 8日 (火) 02時10分
6日に出た「信長の葬儀」の場面ですが、利家とまつや功名が辻でも、詳しくは触れてなかったような気がします。「羽柴秀勝」は3人いるので確かにややこしいですね。
「江」は我が家ではけっこう、ひいきにしております。
>やませみさん
「どう見ても違和感を感じる」と言うのは、大方のご指摘である大人が少女を演じる点でしょうか?
でも見ていると江さんの子役を使わない理由がわかりますが、子役を使うと主役の上野さんの登場が春まで延びてしまうんです。今回は進行上、主人公の子供時代は例年より多い回数を当てているので、いたしかたないですね。以前も少しその件に触れました。子役に長く任せる事になると、大人の俳優は「開き」がありすぎて、「演技感」が掴めないと思います。
昔の作品でも少なからず同じようなケースはあります。
投稿: えびすこ | 2011年3月 8日 (火) 18時32分
茶々さん、こんにちは!
はじめてコメントさせていただきます♪
読み応え満点の文章力と、広くそして深すぎる知識に、いつも感服しながら読ませていただいております(≧∇≦)
もう1つの京都・大阪・奈良をテーマにしているHPも楽しく読ませていただいております。『歴史大好きな私』と『寺院大好きな夫』は夫婦共々、京都が大好きで結婚前からしょっちゅう訪れています!
今回の総見院の見どころも、次回京都を訪れたときにチェックしたいと思う予習ポイント満載でした(o^-^o)
私がいつも本当に残念に思うのは、京都に限らず日本全国の歴史的建造物で建立時の姿をそのまま見られることが少なすぎることです。
当然のことながら、古い建造物であれば長い時間を経て天災などにより消失してしまうことはあるはずです。。それは仕方の無いこと。
しかしながら、近代政府の方針等によって人為的に取り壊されてしまったケースについては、あまりに惜しくて残念でなりません。
寺院にしてもそうですし、特に城についてはどの史跡に行っても云わば『レプリカ』しか見られないのが悲しいです(ノ_-。)
辿ってきた歴史の性質は違いますが、ヨーロッパなどではいたるところに中世の城が現存していて観光できるだけではなく、宿泊できたりしますよね。フツーに貴族の子孫が住んでいたりしますし・・・。
羨ましくて仕方ありません(p_q*)
ちなみに茶々さんの大河ドラマについての記事も『ホント、そうなんだよね!!』って思いながら読んでいます(^-^;
原作も読みましたが、なんというか・・・まさに『現代劇の脚本家(しかも注目の若手女流脚本家)が書いてみた歴史チックな作品』という印象しか持てませんでした。。。
せっかく女性の目線で歴史に存在感を刻み付けた女性たちを描くのであれば、映画『宗家の三姉妹』(これも女性監督の作品でしたよね)のような重厚感と潤い感で描いて欲しかったなぁ~、と個人的には残念に思ってしまいます。
勝家にしてもお市にしても三姉妹にしても、もっと深くて複雑で根っからの『武家的』な思想を持って生活していたと思うんですよね。。
初めてのコメントのくせに長々と大変失礼いたしましたm(_ _)m
これからも楽しみに読ませていただきます!
投稿: もつこ | 2011年3月 9日 (水) 01時04分
もつこさん、こんばんは~
ご夫婦で京都へ…いいですね~(゚ー゚)
本文にも書かせていただいた通り、総見院は、普段は非公開のお寺ですが、創建当時のままの鐘楼の部分は外壁のところにあるので、中に入れない時でも、外から見られますから、機会がありましたら、ぜひ、訪れてみてください。
HPも見てくださっているとの事でうれしいです。
元気の出るコメント、ありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2011年3月 9日 (水) 01時59分
こんにちは(^^)
初めてコメントをさせていただきます。
中3です。昨年の10月辺り(授業はとっくに公民に入ってる時)から歴史を好きになったばかりなので、今必死に学びなおしています。
なので、すごく為になる事ばかりで、楽しく記事を見させていただいてます。
とその前に
地震・・・本当に心痛いです・・・
私の所は5強でした。
合唱コンクールの閉会式の時だったので大人も大勢いて混乱は避けられました。
舞台の天井や照明が大きく揺れていて今にもおちてきそうでした。
宮城や周辺の県、更に外国までもが多大な被害にあっているのをみると、今どれだけ酷いことが起こっているのかわかります・・・これ以上被害が大きくならないことを只々祈るばかりです。。。募金などを、積極的にしようと思います。
今回の大河・・賛否両論ですよね。
確かにフィクションドラマとわりふって観ているぶんには面白いですが、史実を知らない人達が見たら、盛っている所も信じてしまうので少しどうかと思いました、、、
「男とはそういう生き物」っていうのも、
え、そんなこといっちゃう!?って思いました。。
歴史とは解明されていない所が多いので、ドラマにするのは、難しいんですね(^^`)
でも毎週見てます!!
個人的に長政の出番少なかったのが泣けました(´;ω;`)しょうがないけど
こんな時にすみません、しかも文がうまくまとめられませんでしたm( )m
投稿: 受験生(過去形) | 2011年3月13日 (日) 13時12分
受験生(過去形)さん、こんにちは~
確かに、歴史は解明されていない部分も多いので、ドラマにするのは難しいかも知れませんが、そこが作り手の腕の見せどころでもありますね。
なのに、重要な部分を「戦いたい生き物」でかたずけられては、ちょっと寂しいですね。
この脚本家の方は以前にも、明智光秀の謀反の動機を「わからない(←本人のセリフ)」でかたずけてしまっているので…
投稿: 茶々 | 2011年3月13日 (日) 14時35分