日本武術の祖・飯篠長威斎の伝説
長享二年(1488年)4月15日、天真正伝神道流の創始者で日本武術の祖と言われる飯篠家直が、102歳でこの世を去りました。
・・・・・・・・・
ある武芸者が一人・・・その家の前にやって来て声をかけます。
でも、返事がない・・・
もう一度、家の奥を覗き込むように、また、一段と大きな声で呼びかけますが・・・やっぱり返事がない・・・
でも、せっかく来たのに、このまま帰るのも・・・と思い、庭づたいに裏のほうに回りこんで~
「ワォ!」
驚きました。
熊笹が生い茂る上に爺さんが一人・・・やぶれた座布団を敷いてチョコンと、あぐらをかいて座っています。
もちろん、熊笹はピクリとも動いていない・・・つまり、笹の上に体を宙に浮かせたように乗っかっているのです。
「さっき、声をかけたんは、おまはんかいな?」
静まり返った中に、老人の凛とした声が響きます。
「はい、一手、ご教授願おうかと・・・」
「他人にお見せするような腕は、持ってまへんけど」
「いえいえ、先生のお名前は、東国に響き渡っております」
「そこまで、言いなはるんやったら、こっち来て座りなはれ」
「はい」とばかりに、武芸者が熊笹を押し分けて近くに寄ろうとすると・・・
「こら!笹を倒したらアカン!笹を折らんように座れんか?」
ビクリとする武芸者・・・そんなもん、無理に決まってます。
「笹を折らんと倒さんと、こんな風に座る事ができたら、お相手してもえぇんやがなぁ~」
と・・・
ジ~と目をこらし、怪しい眼差しで様子を観察する武芸者・・・やがて困ったような顔になり、最後には、あきれ果て・・・
結局、そのまま去っていきました。
実は、この爺さんが、飯篠長威斎家直(いいざさちょういさいいえなお)さん・・・その人でした。
長威斎は、こうして、自分に教えを請いに来る武芸者の技量を試していたのだとか・・・
まぁ、21世紀に生きる私としては、おそらくは、何かしらのタネのあるトリックだったんでしょうが、この時代、そのタネがわからなければ、それは幻術・・・神のみのなせるワザなわけで・・・、
ひょっとしたら、そのトリックを見破る事のできるような人物だけを相手にしよう・・・って事なのかも、ですね。
・・・とは言え、そんな空中浮遊が本当にできてしまうんじゃないか?
と思えるくらい、長威斎さんの刀術開眼話はスゴイのです・・・なんせ神道流ですから・・・
元中四年(1387年)、下総国(千葉県)は飯篠村の郷士の家に生まれたという長威斎。
江戸中期に書かれた武芸列伝=『本朝武芸小伝(ほんちょうぶげいしょうでん)』では・・・
「幼弱より刀槍術を好みて精妙を得たり
常に鹿島(かしま)・香取(かとり)神宮を祈る
将(まさ)に その技芸を天下の顕(あら)わさんとす
潜(ひそか)に天真正伝神道流(てんしんしょうでんしんとうりゅう)と称す
中興刀槍の始祖なり」
と紹介しています。
さらに、鹿島は勇士を守る神=武芸の神であると言われているけれど、それは、長威斎がここで武芸の修業をしてから世間に広まったのだとも言ってます。
鹿島神宮は、ご存じのように茨城県鹿嶋市に鎮座する大社・・・主祭神は、記紀神話で武勇優れる雷神=剣の神として登場する武甕槌(建御雷・タケミカヅチ)で、この神が葦原中国(あしはらのかかつくに=神代の日本の事)を平定する時に用いた布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)という宝剣も祀られています。
その事から、この神社に奉仕する神官は、刀術の修得が必須科目で、特に優れた刀術を持つ7人を、京八流に対して鹿島七流と称して継承していたと・・・
で、あの塚原卜伝(つかはらぼくでん)が、この刀術を継承する家柄の出身だったという事を、卜伝さんのページ(2月11日参照>>)で書かせていただきましたね。
一方の香取神宮は・・・
鹿島神宮から利根川を挟んだ千葉県佐原市にある神社で、主祭神は経津主神(フツヌシノカミ)・・・
この神様は、『日本書紀』にのみ登場する神様ですが、実は、上記のタケミカヅチとともに葦原中国の平定をしに来る神様で、一説には布都御魂剣を神格化したものではないか?と言われている神様なのです。
つまり、両神社は、メチャメチャ密接な関係にあるわけです。
先ほどの『本朝武芸小伝』では、鹿島・香取の両社の天真正(てんしんしょう=童子に変化した神)が、長威斎に授けた(伝えた)のが、この刀術である・・・なので天真正伝神道流と・・・
で、もう少し詳しく言うと・・・
香取神宮を崇拝していた長威斎は、神社の境内にある梅木山の毘沙門堂に籠って、毎日夜になると、身を清めてから神前に参拝し、その後、木刀をふるって稽古に励んでいました。
そして、そんな修業が1000日に達した時、神通力を得て秘法に開眼したのだとか・・・
「兵法は平法・・・敵を討つより敵に勝て!」
う~~ん・・・なかなか、良い言葉です。
とは言え、この長威斎さん・・・江戸時代に創作された架空の人物説もあり、その強さはどうだったのか?というと微妙なところでもあります。
ただ伝承では、それまでは、ちゃんとした「型」が無かった武術の世界に、刀術・薙刀・槍・棒術・鎖ガマなど・・・この先、さまざまに枝分かれする武道の原型を造った人とされ、その弟子には、かの卜伝をはじめ、松本政信(鹿島流)や師岡一羽常成(もろおかいっぱつねなり・一羽流祖)などの有名剣客が出ているとも・・・
一説には、若い頃には下総の豪族・千葉氏に仕えていたとも言われる長威斎さん・・・長享二年(1488年)4月15日、剣に生きながらも102歳という長寿は、やはり強さの証なのかも知れません。
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コメント
私は千葉県民なのですが、千葉県について調べる授業のとき、友人が天真正伝神道流を課題にしていたのを思い出しました。
レポートには免許皆伝者が現在、一人しかいないと書いてありました。
文化が絶えてしまうのでは、と心配です。
投稿: ティッキー | 2011年11月 9日 (水) 16時29分
ティッキーさん、こんばんは~
えぇ~一人しかおられないのですか?
おそらく、その方は何人かのお弟子さんを持っておられるでしょうから、
その中から、後継ぎとなる人が出て来てくださる事を祈ります。
絶えてしまうのは、ツライですもんね。
投稿: 茶々 | 2011年11月 9日 (水) 18時25分
千葉氏は飯篠長威斎が去った後、享徳の乱で古河公方に与し、戦乱の続く世を生き抜いていくわけですが、長威斎さんは戦乱とは無縁に過ごしていたのでしょうね。
それにしても102歳とは長寿!ずっと健康だったんだろうなあ。うらやましい…。
トリックでもいいから空中浮遊術を教えてほしいです。
投稿: とらぬ狸 | 2015年4月16日 (木) 20時27分
とらぬ狸さん、こんばんは~
さすがに102歳だと、穏やかな老後をおくられたのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2015年4月17日 (金) 02時34分