決着!賤ヶ岳…鬼玄蕃・佐久間盛政の奮戦
天正十一年(1583年)4月21日、柴田勝家と羽柴秀吉の間で勃発した織田家家臣内のトップ争い=賤ヶ岳の戦いが終結しました。
・・・・・・・・・
織田信長亡き後の覇権を巡って勃発した家臣内のトップを争ったのは、これまで織田家・重臣の筆頭だった柴田勝家と、主君・信長の仇=明智光秀を山崎に倒して意気あがる羽柴(豊臣)秀吉・・・
今日のお話は、完全に昨日=4月20日の続きなので、まだの方は、ソチラ↓を先に見ていただくとありがたいです。
一応、賤ヶ岳に至るまでの経緯のページへのリンクを…
- 信長倒れる本能寺の変>>
- その仇の光秀を秀吉が討った山崎の合戦>>
- 織田家の後継者を巡って開かれた清州会議>>
- 秀吉のパフォマンス=信長の葬儀>>
- 両者のにらみ合い一触即発の賤ヶ岳前夜>>
・・・と、こうして、
勝家と組んだ神戸(織田)信孝(信長の三男)と滝川一益(かずます)が、秀吉に奪われた美濃(岐阜県)を奪回すべく動いたところで、秀吉が主力を岐阜に・・・(2月12日参照>>)
かくして4月20日、秀吉の留守を見計らって、盛政が大岩山砦を襲った>>・・・と、
しかし、その日の夜9時頃・・・木ノ本の南側に、あかあかと照らされた松明の帯を、勝家らは見る事になります。
この急襲の知らせを聞いた秀吉が、美濃大返しで疾風のごとく舞い戻って来たのです。
(【賤ヶ岳岐阜の乱】参照>>) わけです。
・‥…━━━☆
砦の急襲に成功した盛政・・・しかし、いくら一度奪った大岩山砦を捨てがたいと言えど、さすがに、ここは撤退しなければなりません。
早速、後方の飯浦(はんのうら)の切通しに陣取っていた柴田勝政(盛政の弟で勝家の養子)に撤退命令を出し、自らも、日づけが変わった天正十一年(1583年)4月21日午前0時、余呉湖の南岸から西岸沿いに撤退を開始します。
午前2時・・・この盛政らの動きを察知した秀吉が、早速、自軍の先鋒に追撃を開始させると、見事、先頭部隊は盛政隊に肉薄・・・
しかし、盛政もさる者・・・逃げ道の周囲には伏兵を忍ばせ、追撃隊がやって来たところを、両側から鉄砲での狙い撃ち・・・追撃隊が混乱する所を最後尾が撃って出るという巧みな作戦で反撃を喰らわします。
さらにそこに、撤退途中の勝政隊が側面支援し、秀吉の追撃隊は、なかなか思うような成果を挙げられませんでした。
そうこうしているうちに、夜も明けきった午前6時・・・盛政は、余呉湖北側の行市山近くまで到着・・・もはや、柴田本隊に合流したも同然のこの場所で、勝政隊の合流を待ちます。
ほぼ、無傷のままの撤収に成功した盛政隊を見た秀吉は、ここで、未だ撤退途中の勝政隊にターゲットを絞ります。
すると午前8時、勝政隊に新たな動きが・・・いよいよ本格的な撤退開始とみた秀吉は、一斉に鉄砲を撃ちかけ、自軍に総攻撃を命令・・・そこにいた全軍が勝政隊へと突入します。
ここで大活躍したのが、ご存じ「賤ヶ岳の七本槍」(2009年4月21日参照>>)・・・後に、秀吉の右腕として大活躍する加藤清正や福島正則・片桐且元(かたぎりかつもと)などです。
この勝政隊のピンチを知った盛政・・・配下の排郷家嘉(はいごういえよし)らを援軍として差し向けますが、もはや猛攻&乱戦の嵐で家嘉らは討死・・・弟の勝政も壮絶な最期を遂げました。
それでも、軍を整えて再びの反撃を試みようとする盛政・・・しかし、ここで事件が起こります。
そう、あの前田利家・父子の戦線離脱です(くわしくは4月23日参照>>)。
秀吉との密約があったのか?
それとも、戦況を見ての判断か?
もちろん、撤退する時には多少の混乱はあったものの、結果的に、まさにポッカリといった様相で、その前田隊のいた部分だけが穴が開いたように軍勢がいなくなってしまったのです。
その4月23日のページにも書かせていただきましたが、この時、一番前面にいたのは盛政隊・・・その次にいたのが前田隊ですから、3番手&4番手の部隊から見れば、あたかも盛政隊が総崩れをしているように見えたわけです。
まして、余呉湖の反対側の狐塚に位置していた勝家本隊から見れば・・・しかも、反撃しようとしていた矢先のこの状況は、柴田隊全体に大きな動揺をもたらします。
さらに、こちらも密約があったのか?戦況を見てなのか?不破勝光(ふわかつみつ)らも離脱し・・・こうなると、あちこちの諸隊から戦線離脱者が続発、個人的な脱走者も後を絶たなくなってしまいます。
最前線で奮戦中の盛政隊は、もはや、その混乱にも押さえがきかなくなった状態・・・そこを、余呉湖の北側に陣取っていた木下一元(きのしたかつもと)隊や木村隼人正隊が攻めかかり、正午頃、ついに総崩れとなりました。
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(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)
この時、離脱者続出の混乱の中、すでに勝家本隊も、わずか3000ほどになってしまいました。
しかし、このままでは「鬼柴田」の名がすたります。
残ったこの兵で、前面の堀秀政隊に最後の一戦を仕掛けようとする勝家・・・しかし、ここで、堀隊を打ち砕いたとしても、その後方には羽柴秀長(秀吉の弟)の大軍が・・・しかも、もはや総崩れとなった盛政隊の中を駆け抜けた秀吉の追撃隊が、余呉湖に北を回って西から迫って来ています。
いや、しかし・・・
勝家は、自ら先頭に立って、わずかに100名ほどを引き連れて、秀政隊に突進したのです。
まさかの意表を突かれて、少し後退する秀政隊・・・このすきに、勝家は、そばにいた毛受勝照(めんじょう・めんじゅかつてる)を呼び寄せ、御幣(ごへい・神官がお祓いをする道具)の形をした自らの馬印(大将のいる場所を示す印)を手渡しました。
主君と家臣・・・暗黙の儀式です。
すべてを家臣にゆだねた勝家は、そのまま北国街道を北へと落ち、主君に後を託された勝照は、その馬印を持って林谷山砦に入ります。
そこを襲って来たのは、盛政隊を追撃し、そのまま余呉湖の北を回って来た秀吉軍・・・もちろん、その馬印を確認して、勝家の本隊を想定しての総攻撃です。
攻め寄る秀吉隊に、柵越しの一斉射撃で奮戦する勝照・・・
その一斉射撃の騒音に、負けんがばかりに聞こえるのは、
勝照の
「我こそは、勝家なり!」
の叫び声・・・
北へ向かう主君を一歩でも遠くへ・・・
やがて、午後2時頃・・・そんな勝照思いは、討死という形で終わりを迎え、それとともに、2日間に渡って繰り広げられた賤ヶ岳の戦いは、秀吉の勝利で幕を閉じました。
一方、最前線で奮戦していた盛政・・・敗走しようとした越前の山中で捕縛されます。
彼は、「鬼玄蕃(おにげんば)」と呼ばれた猛将・・・その武勇を惜しんだ秀吉は、盛政と対面し、彼を自軍に誘いました。
「これからは、俺を勝家やと思て慕ってくれへんかな?」
すると、盛政は
「ここで情けを受けたとしても、僕はきっと、あとであなたを殺しますよ。
できるなら、ハデハデの衣装で都じゅうを引きまわしてもろて、ほんで死刑にしてください。
そのほうが、秀吉さんの権威も高まりますし…」
と言ったとか・・・
果たして1ヶ月後の5月12日・・・その望み通りに京都市中を引き回された盛政は、宇治の槇島(まきしま)で斬首されました(くわしくは5月12日参照>>)。
そして・・・
次に向かうは、勝家が戻った越前北ノ庄・・・2日後の4月23日、先鋒として北ノ庄に入ったのは、あの前田利家でした。
続きは(先ほどもリンクしましたが…)4月23日のページで>>。
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コメント
大河ドラマでは山田純大さんが演じていましたね。番組では佐久間の失態で情勢が動いたとなっていました。大地震の前後に放送されたのでかなり以前の(2月や3月上旬の出来事の記憶が飛んでいます)事のような気がします。
ところで、「江 姫たちの戦国」ですが、3月上旬以降は大地震のせいか、新しい配役の発表がない(4月20日現在で配役未定の登場見込み人物・年齢順に藤堂高虎、福島正則、加藤清正、真田幸村、黒田長政、土井利勝、豊臣秀頼、
徳川家光、徳川忠長など)状況です。有名な俳優が出演すればスポーツ新聞芸能面に載るんですが…。
黒田長政は父親が出ているので出るはずなんです。
そろそろ後半に出る俳優が決まってほしいです。
投稿: えびすこ | 2011年4月21日 (木) 18時11分
p.s.
脚本担当の田淵さんは放送前に、「月日が経過するといろいろな人物が登場する」とは言っていたんですが、現時点では「家来」の人物の登場頻度が「天地人」より少ないですね。
GW後に一気に大量登場するかな?
投稿: えびすこ | 2011年4月21日 (木) 19時42分
えびすこさん、こんばんは~
なんか…
「江」の佐久間さんは、ハリキリ過ぎのままウヤムヤになって、そのまま消えちゃいましたね。
現代感覚のホームドラマ的もいいですが、せっかくの戦国モノなんですから、武将のカッコイイ死にざまもやってほしいいんですけど、結局最後までホームドラマなんだろうなぁ(戦国にする意味あるのかなぁ?)。
現代からタイムスリップした仁先生のほうが、よっぽど時代に溶け込んでるような気がします。
投稿: 茶々 | 2011年4月22日 (金) 01時53分