ヒデヨシ感激!本多忠勝の後方支援in長久手の戦い
天正十二年(1584年)4月9日、信長の後継を巡って行われた一連の小牧・長久手の戦いの中の、最大の山場=長久手の戦いがありました。
・・・・・・・・・・
織田信長が本能寺で倒れた(6月2日参照>>)後、謀反人の明智光秀を山崎で倒し(6月13日参照>>)、織田家家臣トップの柴田勝家を賤ヶ岳に破った(4月21日参照>>)羽柴(豊臣)秀吉・・・
おかげで、織田家家臣の中でもトップの・・・いや、もはや、織田家に代わって天下をも狙えるその気配に、懸念を抱いたのが、「我こそは織田家の後継者!」を自負する信長の次男=織田信雄(のぶお・のぶかつ)(5月2日参照>>)と秀吉に匹敵する力を持つ徳川家康・・・
この両者の間で、天正十二年(1584年)に勃発したのが、小牧長久手(こまきながくて)の戦いです。
●3月12日の亀山城の攻防(3月12日参照>>)を前哨戦に、
●3月13日に起こった犬山城攻略戦(3月13日参照>>)
●秀吉側の森長可(ながよし)が屈辱の敗北を受けた羽黒の戦い(3月17日参照>>)
●こう着状態のにらみ合いが続いた小牧の陣(3月28日参照>>)
・・・と、ここまでが小牧の戦い。
そして、このこう着状態を打開しようと、先の羽黒の戦いで手痛い敗北を喰らった長可が汚名返上とばかりに、嫁のお父ちゃん=池田恒興(つねおき)の同意を得て提案したのが今回の長久手の戦い・・・
家康が、こちらの小牧長久手に集注しているスキに、本拠地の三河を攻めようという、世に言う「三河中入り策」で、一般的には、秘密裏に行われていたこの作戦が、すでに信雄&家康にバレていて、不意に背後を奇襲されたために総崩れとなったとされます(2007年4月9日参照>>)。
しかし、近年では、この作戦は長可の提案した極秘作戦ではなく、秀吉自らノリノリに準備した作戦で、そこには、この長久手の戦いの直後に秀吉の傘下となる九鬼嘉隆(くきよしたか)の水軍も導入するはずであったとの見方も浮上してきています(4月17日参照>>)。
ともあれ、この長久手の戦いで、
その恒興も(4月11日参照>>)、
あの長可(2008年4月9日参照>>)も討死してしまうのですから、やはり、不意を突かれた秀吉側の大敗であった事は確かでしょう。
ところで、天正十二年(1584年)4月9日のこの日、その長久手の戦場に向かった家康の主力部隊に対して、小牧の陣に居残った人たちがいます。
石川数正、酒井忠次、本多平八郎忠勝・・・
その留守番隊へも刻々と戦況が伝わる中、「長久手での自軍の敗戦ぶりを耳にした秀吉が、自ら援軍を率いて出陣した」との一報が舞い込んできます。
これを聞いた忠勝は、「すわ!秀吉の本陣楽田(田楽)へ火をつけて攻め込もう!」との声をあげます。
しかし、これには数正が反対!
なんせ、留守番隊の手ゴマは少ないですから・・・
ところが、通り過ぎる秀吉の馬印を目にした忠勝は、そんな制止を振り切り、わずか500ほどの手勢を引き連れて駆け出し、向こう岸を長久手へと向かう秀吉軍と並行するように、小川を挟んだ、こちら岸を長久手へとひた走ります。
途中、足軽を前面に押し出して鉄砲を撃ちかけ、「ほら、一戦交えん!」と挑発しますが、秀吉は無視し続けて進軍・・・
そして、まだまだ並走して進む忠勝が、竜泉寺というお寺の近くで、馬ごと川に飛び込み、その水で口をすすいだ時の事です。
戦う事は無視しながらも、その姿を気に留めた秀吉・・・
「あの鹿の角の兜つけとるヤツ・・・誰やねん?」
すると稲葉道朝という者が進み出て
「あ・・・姉川の合戦で、あの兜見た事ありますわ~アイツ、本多平八郎ですわ」
と・・・
そして、ふと、秀吉の顔を見ると・・・
なんと、秀吉は、涙を流しながら、
「見てみぃ、わずか500に満たん手勢で、8万のワシに挑むてか。
そんなもん、千に一つも勝ち目ないで。
まぁ、勝つというよりは、俺らの進軍を手間取らせて、ちょっとでも家康本隊を勝たせる方向に持って行こうっちゅー事なんやろけど、
その勇気と言い、忠義と言い、さすが本多平八郎・・・泣けるなぁ。」
さらに、
「アカン、あいつを撃ったらアカンで!
ここで、アイツを撃とうが撃つまいが、運があったら、この合戦は俺の勝利や。」
と、忠勝に狙いを定めていた鉄砲隊や弓矢を制止させたのだとか・・・
こうして両者は、そのまま長久手の戦場まで向かう事になるのですが、果たして、戦場に着いてみると、もはや戦いは終わり、敵味方ともに人影はありませんでした。
忠勝が茫然と立ちつくしている所に知らせが・・・それは、なんと、「味方は勝利して、すでに小幡城に引き揚げた」と・・・忠勝も間に合わなかったけれど、秀吉も間に合わなかったのです。
早速、馬を走らせて、家康のもとへ参上する忠勝・・・
そばに来て
「小牧に置いてかれたので、合戦に間に合いませんでした」
と、頭を下げる忠勝に、家康は
「いやいや、俺は、お前をワシの代わりやと思て小牧を守らせたんやで。
そこを、しっかり守ってくれたおかげで、後方への不安が無くなり、ワシは勝利でけたんや」
と、泣けるようなひと言・・・
こうして、長久手の戦いにあけくれた一日が終わりましたが、当然、秀吉の本隊は無事ですから、この一連の合戦が終わるわけではなく、この後の6月に行われるのが、最後の戦いとなる蟹江城攻防戦(6月15日参照>>)・・・
前半の小牧と今日の長久手、そして最後の蟹江城・・・これらを、すべて含めて「小牧長久手の戦い」と呼びます。
ところで、本日の長久手の戦いでの忠勝の勇姿に感動した秀吉さん・・・話は後日に続きます。
6年後の天正十八年(1590年)・・・家康とも和睦して、北条も倒して、まさに天下人となった秀吉は7月26日、野洲宇都宮にて忠勝を呼びつけました。
慌てて忠勝が駆けつけると、大広間に並みいる諸将・・・そして、中央に秀吉・・・
何事かと末席に落ち着くと、秀吉が
「熊野におる者がら佐藤四郎忠信の兜をもろてんけど・・・
忠信って、源義経へ忠義を尽くした武将(9月21日参照>>)として有名やから、やっぱり、忠信に劣らへんほど忠義なヤツに、この兜を譲りたいと思うねんけど、皆、誰がええと思う?」
と、質問・・・
誰も、答えられないでいると、
「四郎に勝るのは、平八郎だけやろ!」
と言って、長久手の戦いの話を、そこにいる皆に聞かせたのだとか・・・
さらに、その後、茶室に忠勝一人を呼んで、秀吉自らが茶を点てながら、
「今日、みんなの前で、あんだけ褒めてもろて、ありがたかったやろ?
主君の恩と、どっちがありがたい?」
と聞いたのです。
すると忠勝・・・
「ほんまに、もったいないほどありがたい事です。
けど、主君の恩は、比べる事はできんほどの物ですから・・・」
最後まで忠義を貫くこの答えに、秀吉は大いに満足したのだとか・・・
・‥…━━━☆
ところで余談ですが、今年の大河ドラマ「江」・・・今、ちょうど、このあたりのお話です。
江は、この小牧長久手の直前に、伊勢湾あたりの海賊を中心とした水軍を持っていた尾張(愛知県西部)知多半島の豪族・佐治(さじ)氏の佐治一成(かずなり)と初めての結婚をしています。
しかし、最後の蟹江城の攻防戦で、この佐治氏の水軍が家康に味方した事に激怒した秀吉によって、二人は離縁・・・
「茶々が病気になったので、お見舞いにおいで」と呼びつけられて、そのまま二人は引き裂かれてます・・・って事は、かなり短い結婚生活?
ちょっとネタバレ気味でしたが、一応史実とされている事なので・・・ドラマでは、どのように描かれるのか?
またまた、秀吉の自分勝手満載の悪人ぶりが披露されるんでしょうね(´Д⊂グスン
関連ページ
●3月6日:信雄の重臣殺害事件>>
●3月12日:亀山城の戦い>>
●3月13日:犬山城攻略戦>>
●3月14日:峯城が開城>>
●3月17日:羽黒の戦い>>
●3月19日:松ヶ島城が開城>>
●3月22日:岸和田城・攻防戦>>
●3月28日:小牧の陣>>
●4月9日:長久手の戦い>>
:鬼武蔵・森長可>>
:本多忠勝の後方支援>>
●5月頃~:美濃の乱>>
●6月15日:蟹江城攻防戦>>
●8月28日:末森城攻防戦>>
●10月14日:鳥越城攻防戦>>
●11月15日:和睦成立>>
●11月23日:佐々成政のさらさら越え>>
●翌年6月24日:阿尾城の戦い>>
.
「 戦国・安土~信長の時代」カテゴリの記事
- 浅井&朝倉滅亡のウラで…織田信長と六角承禎の鯰江城の戦い(2024.09.04)
- 白井河原の戦いで散る将軍に仕えた甲賀忍者?和田惟政(2024.08.28)
- 関東管領か?北条か?揺れる小山秀綱の生き残り作戦(2024.06.26)
- 本能寺の変の後に…「信長様は生きている」~味方に出した秀吉のウソ手紙(2024.06.05)
- 本能寺の余波~佐々成政の賤ヶ岳…弓庄城の攻防(2024.04.03)
「 戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事
- 関ヶ原の戦い~福島正則の誓紙と上ヶ根の戦い(2024.08.20)
- 伊達政宗の大崎攻め~窪田の激戦IN郡山合戦(2024.07.04)
- 関東管領か?北条か?揺れる小山秀綱の生き残り作戦(2024.06.26)
- 本能寺の変の後に…「信長様は生きている」~味方に出した秀吉のウソ手紙(2024.06.05)
- 本能寺の余波~佐々成政の賤ヶ岳…弓庄城の攻防(2024.04.03)
コメント
福田千鶴さんの新著では、江と佐治一成の婚姻は信長存命時で、それも婚約のみでなかったかもと可能性を提示されてますね。
大河はデタラメばかりと言われがちですけど、個人的な印象だと大河は冒険もしなければそう大きな嘘もつかない保守的な性格で、あんがい新説を積極的に取り入れない傾向にあると思いますから、江の初婚も通説通りでいくのですね。
投稿: 黒駒 | 2011年4月10日 (日) 15時38分
黒駒さん、こんにちは~
お犬さんの事もあるので、信長さんの生前に…という事もあるでしょうね。
「大河はデタラメ」
というよりは、ここ最近のは、作家さんが歴史作家さんではないので、史実とされている事は、そのまま変えずに、そこへ至る登場人物の考え方や背景を変えてしまっておられるように思います。
投稿: 茶々 | 2011年4月10日 (日) 17時26分
小牧長久手の戦いで、徳川氏の方がピンチでした。切り抜けたのは運?
大河ドラマは原作本を脚色した方が、楽しめます。淀君がヒロインだったら、盛り上がったかもしれませんね。
投稿: やぶひび | 2011年4月11日 (月) 11時40分
やぶひびさん、こんにちは~
昨日の大河(第13回・花嫁の決意)で、佐治一成に江が嫁ぐ事を決意する一番の理由が、「秀吉から茶々姉を守るため」だというのには、さすがにお手上げです(笑)
それを一番にしてしまっては、もう戦国時代劇で描く意味がなくなってしまいます。
フツーに現代のドラマとしてならおもしろいかも知れませんが…
投稿: 茶々 | 2011年4月11日 (月) 11時58分
1週間ぶりです。
パソコンを買い替えたのでしばらく投稿していませんでした。
昨日(17日)の回では織田信雄が和睦案を受け入れて戦いが終結しましたね。
実際はあんなにスンナリ認めた(妥協した)んでしょうか?
番組は中盤以降の展開の方が、本当の意味で面白くなると思います。
余談ですが、豊臣秀勝役のAKIRAさんは地毛でちょんまげを結った(昨日の「いいとも増刊号」より)ようです。5月に登場します。
投稿: えびすこ | 2011年4月18日 (月) 21時11分
えびすこさん、こんばんは~
結婚も離婚も政治的背景に関係のない、秀吉の勝手な思いつきだったとは…
来週は「秀吉の正体」という題名で、あそこまでイメージダウンさせた秀吉を、今度は持ちあげてくれるのか?
さらに、奈落の底に落とすのか?
楽しみです。
投稿: 茶々 | 2011年4月18日 (月) 22時11分