大河ドラマ「江~姫たちの戦国」第20回・茶々の恋でひと言
昨日放送の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」第20回・茶々の恋 ですが・・・
いやはや、とうとう、丸々一話ぶん、秀吉と茶々の「くっつくの、くっつかないの」で終わってしまいました。
果たして、これが、大河ドラマor歴史ドラマor戦国ドラマなんでしょうか?
このストーリーを、戦国を舞台にしてやる意味は何なんだろう?
この脚本家の方は、大変人気のある方だと聞きました。
才能もおありになり、それに伴う実力をお持ちの方であろうと思いますが、少なくとも歴史好きではないようにお見受けします。
確かにドラマは、小説と同様の創作物ですから、史実に忠実である必要はないと思いますが、私が歴史好きの一人として思うのは、歴史好きなら歴史好きなりに、変えてはいけない暗黙の了解の部分があり、逆に、作家独自の視点からの新説や異説でうまくまとめて欲しい部分とがあるように思うのですが、この脚本家さんは、見事にそこのところの期待を容赦なく断ち切ってくださいます。
歴史好きでない方が、歴史モノの脚本を書くと、こうなるのだな・・・とつくづく。
それを如実に表していたのが今回・・・というのも、今回=第20回のNHK大河ドラマの公式ホームページ・・・(NHKでは、ホームページへの直リンクが禁止されているのでリンクはしませんが…)
「江」の公式ホームページには、毎回、その回の「あらすじ」と「みどころ」、そして、時代考証を担当されている静岡大学名誉教授の小和田哲男先生による「江を読む」という解説のページと、3つのページがあるのですが、
この第20回・・・「江を読む」のページが「空前絶後!北野大茶湯」と題して、天正十五年(1587年)10月1日に開かれた北野天満宮での大茶会(10月1日参照>>)を中心に茶会の話に終始しているのに対して、本編のドラマでは、この茶会の話は、お女中の報告のみの一瞬で終わってしまいました。
ドラマの最後にある「紀行」でも、場所は北野天満宮、内容は茶会を取りあげていましたが・・・
なんとなく、脚本家さんと、それ以外のスタッフさんの目線の違いを感じた今回・・・
どうやら、この脚本家さんは、九州平定や、それに伴う一揆、そして、秀吉にとって、公家や諸大名から庶民に至るまでとの関係を、合戦とは別の形で構築すべき戦略を秘めた大茶会という重要事項よりも、秀吉と茶々がくっつくかくっつかないかの方に、よほど関心があるようです。
あと、個人的にに気になったのは、秀吉が茶々に
「私の 思われびとになっていただいきたいのです」(たっだかな?)
と告白するシーンが、何度かフラッシュバックされるのですが、
この「思われびと」という言い方・・・
私は無知でわからないのですが、これって普通によく使う言い方なんですかね?
「思われニキビ」というのがあるので、きっと使う人は使うのかも知れませんが・・・
愛のない結婚なんて考えられないし愛する人はただ一人・・・とお考えのこの脚本家さんにとって、おそらくは、「側室になってください」てなセリフは口が裂けても言わせられないのでしょうが・・・(予告編によると来週は江が言うみたいですが)
確かに、茶々=淀殿を「側室」と記した当時の記録は一つもありません。
そう、実は、茶々は、側室ではないのです。
秀吉の死の直後に書かれた文献には、おねさん&淀殿を指して「両御台様(みだいさま)」と書かれている物もあるのです。
つまり、二人とも正室という事です。
正室が一人で、それ以外は側室という、武家社会でのある意味一夫一婦制が言われるようになるのは、江戸幕府が武家諸法度を制定してから後の事で、それぞれが別の国であった戦国時代は、それぞれの領主によって制定された法律によっての、それぞれの結婚の形態が定められていたわけで、正室が複数というのも、珍しくなかったと思われます。
また、たとえ側室だったとしても、この時代、それを蔑視するにはおよびません。
ただ単に好きという恋愛感情だけでそばに置く場合は、愛妾と称するわけで、側室という限りは、恋愛感情以外の別の有意義な事情(主に政治的背景)があっての側室なのですから、ちゃんと区別しなければ・・・
まぁ、結婚に至るうえで、最も重用な事がお互いの恋愛感情としてしまっているこのドラマでは、そこのところの区別をつける事ができなくなってしまっているため、側室という言葉を使い難い?のでしょう。
使い難いなら使い難いで、「思われびと」なんて言い方せずに、普通に「好きだ!」って言っとけばいいんじゃないか?と個人的には思いますが・・・
結局、ドラマでは、「以前は仇だと憎んでいたのに、何かワカランうちに好きになってしまった」ように描かれていましたが・・・
おそらく、この脚本家の方は、どうしても現在の恋愛常識に当てはめたいがために、こうなってしまったのでしょうが、私個人的には、「権力に屈した」「強い者になびく」という事だったように思います。
現代の常識から「権力に屈した」「強い者になびく」と言えば、何やら良くない印象を受けますが、それこそ、現代の常識を戦国に当てはめてはなりません。
これを「悪」としたならば、戦国時代に生き残った武将のほぼ全員が「悪」になってしまいます。
この時代、男も女も強い者になびいて当たり前・・・なんせ、明日をも知れぬ戦国の世なのですよ。
基本的人権を尊重し、人命を最優先に考え、弱者でも生き残れるようにと福祉政策や保護政策のある時代ではないのです。
もともと、人は人である前に動物であるわけで、自らの血脈を後世に残す事が、最も重要な生きる意味だったわけで、クジャクが羽を広げて求婚するように、体格を大きく見せたり、より美しく変貌したり、強く見せようとしたり・・・これらは、メスが自らの血脈を残すために、より強い相手になびくという本能にアピールしたオスたちの行動なわけで、弱者が生き残れない状況では、ごくごく当たり前の事です。
弱肉強食の世界では「好き」だけではやっていけないし、強いからこそ「好き」になるのです。
茶々も初も江も・・・もはや、父=浅井長政の血脈を持っているのは、彼女たち3人だけだという事は重々承知なのです。
そんな中で、長女である茶々が、現時点で最も強い男=秀吉になびくというのは当然の事・・・彼女には、恋愛感情以上の、もっとしたたかな、もっと重要な意味を持つ夫選びではなかったか?と・・・
それを、現代の常識に当てはめて悪しき事としてしまうのは、それこそ歴史に失礼ではないか?と思うのですが・・・
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コメント
m(_伸_)m 御意ッ!!!
あ″~読み終えてスッキリ致しました。有難うございます。
以前にツイッターでも呟いたのですが、
「史実との違いも、年齢の違和感にも目を瞑るけど、少女漫画の様な脚本が好きになれない。大河ドラマ 三工」
です。
はじめまして。いつも大変楽しく読まさせて頂いております。
重ねて有難うございます。
伸之介 拝
投稿: 伸之介@お江戸荏原郡 | 2011年5月30日 (月) 16時13分
伸之介@お江戸荏原郡さん、こんにちは~
なんか、悪口書いてるみたいで心苦しいんですが、そろそろ限界…
個人的には、もうお腹いっぱいで、毎度々々の恋愛話は勘弁してほしいです。
また、遊びに来てくださいo(_ _)o
投稿: 茶々 | 2011年5月30日 (月) 16時45分
作品によっては茶々が豊臣家を利用する脚色もありますね。過去作品の茶々とは違い、「男勝り」な性格でない点もネックかな?若い時代は性格が違ってもいいんですが。
大河ドラマで「フェミニズミック」は無理があるのかな?
「ジェンダー」的な問題があるんでしょうか?ただ男性の脚本家の場合は内容・展開次第では、「登場する男性にとって都合のいい脚色」になる可能性がありますね。
私が思うにけなされる素の「現代的感性」とは、平成の今ではなく70年代の感性(昭和的)を指すのかな?伸之介さんご指摘の少女コミック全盛時代の頃です。ただ、平成になってから大河の演出が変化してるのかも。朝ドラの「おひさま」も見ていますが、最近の朝ドラ作品は「夫婦は戦友」と言う発想がありますね。(コンセプトが違いますが)時代は「昭和」でも朝ドラの方が「平成的」に見えますね。女性にもある程度の品性は必要ですが、大河ドラマもそれじゃだめでしょうか?
そもそも現代の若者は結婚願望が低くなっているようです。
昨日触れた北野大茶会は「予算がかかりすぎる」と言う理由で、1日で止めたとも言われます。
今は時代劇に縁の薄い世代が、NHK大河ドラマに携わるご時勢なんでしょう。中年以下の世代の作家で、「本格的時代小説」の書き手はあまりいないと思います。同じくどうしても「正統派時代劇」を書ける脚本家も少なくなると思います。
来年の脚本担当の人も歴史好きではない?かもしれないですね。平清盛を「偉人」・「英雄」として、誇張しすぎるかもしれないと思います。反対の意味で脚色の不備があるかと。
投稿: えびすこ | 2011年5月30日 (月) 17時56分
p.s.
もしも、「江 姫たちの戦国」が内容・演出的な理由で打ち切りになるか、主演の上野さんが番組不評の責任を取って降板したら、NHKに責任が出るんでしょうか?多分両方ともありえないと思います。
ここまで来て「番組を打ち切りにしろ」とか、「主演を変えた方がいい」と言う極論はないと思います。
投稿: えびすこ | 2011年5月30日 (月) 18時13分
このドラマは脚本家さんが「恋愛ドラマとして描く」と仰ってました。もう、はなから歴史を描くつもりはなかったのでしょう。でも、このドラマを見て「戦国時代ってひどーい!女性蔑視!そんな中で一所懸命男社会に屈しない生き方をした女性がいたのね。ステキ」なんてとらえ方をする人がいたらそれこそ「歴史に対して、その時代を必死に生きた人に失礼」だと思うのですが。(お市さんや3姉妹に失礼ですよ)結局「人間」も描けてないことになるのでは。私はこの「現代の価値観で歴史をとらえる」事にとても嫌な感じがあって、うまく言えませんがなんか危ない事ではないか。昨今の近隣諸国との摩擦も、その時代、その時代の歴史を正しく知る、という事が出来ないから起こるのではないか。歴史を正しく知る、という事は人間を深く理解することでもあると思うのです。 もうすっかりこのドラマは見てませんが、今度再放送見てみます。なるべく冷静に見るよう努力します。うん。
投稿: Hiromin | 2011年5月30日 (月) 21時29分
えびすこさん、こんばんは~
「番組を打ち切りにしろ」とか、「主演を変えた方がいい」なんて思った事もありません。
造り手の方々は、「これまで大河ドラマを見なかった層を取り込んで、今までの大河ドラマのイメージを新しい物に…」というお考えなのでしょうし、一定の視聴率がある以上、それも成功しているのだと思います。
ただ、新しく変わるという事は、古い物に馴染んで来た者にとっては、ちょっとばかり寂しい物で、往年のファンとしては、予算の少ない民放でさえ「仁-JIN-」のような、若者の指示を得られるすばらしい時代劇を造れるのに、あの大河がなぜに…と残念に思ってしまうという事です。
投稿: 茶々 | 2011年5月30日 (月) 23時19分
Hirominさん、こんばんは~
>脚本家さんが「恋愛ドラマとして描く」と仰ってました。もう、はなから歴史を描くつもりはなかったのでしょう。
そうですね~
最初に、そうおっしゃていたように思います。
戦国時代の男女の仲を、現代の恋愛感覚で描く恋愛ドラマなんていうのは、そもそも不可能…それを無理やり描こうとして、つじつまの合わない部分を、「わからない」とか「勘違い」とかでウヤムヤにしてしまうので、結局、何をしたいのか?何を言いたいのかわからないドラマになってしまっているようで残念です。
一連に流れるテーマのような物が、最後=最終回には理解できるようになっている事を期待しています。
投稿: 茶々 | 2011年5月30日 (月) 23時30分
こんばんは。時代背景・社会風潮・制度・文化といったものは人々の心情や行動に大きな影響を及ぼすと思うんですよね。
例えば、旗本でも役方として官庁で働く人と隠密の統括役とは考え方が違うだろうし、隠密統括でも、戦国の世と平和な時代に幕府維持のために働くのとでは違うでしょうし。
ストーリーを作るときに、そういうものを軽視するというのは、人間の心理を軽視することではないかと個人的には考えています(過激な意見かもしれませんが)。
里中満智子さんの『クレオパトラ』の中で、「中年男のカエサルにすがりつくなんて…」とクレオパトラが渋った時に、侍医が「女王が体を張ることは、男の王が剣を振るうのと同等なのです」と説得するシーンがあるのですが、日本の戦国時代のお姫様はこのような気概を持つように教育されていたのではないかと思います。
製作者の方々には、背景となるものをきちんと調べ、諸々の出来事の因果関係・意義をきっちり整理した上で、魅せるものを作ってほしい。ドラマと史実(厳密には有力説)とを完全一致させる必要はないですが、押さえる点は押さえておかないと、歴史をテーマとする意味が薄れてしまうと思います。
投稿: おぺりん | 2011年5月30日 (月) 23時41分
おぺりんさん、こんばんは~
おっしゃる通りだと思います。
ハラハラドキドキ恋愛ドラマも結構ですが、それだけだと、なんのために戦国時代の設定なのか?
戦国で描く意味があるのか?
と少々疑問に思います。
投稿: 茶々 | 2011年5月31日 (火) 01時16分
いつも楽しく読ませていただいています。勉強になることが満載でありがたいです。
日曜の夜、「江」のあとに「仁」があって、いずれも時代劇としたら、あまりのクォリティの格差から、「江」は完全に見る気をなくしました。
「仁」はタイムスリップというそれこそ荒唐無稽なストーリーですが、歴史を大切にするということ自体がテーマになっています。
もう「江」は早々に打ち切って、「タイムスクープハンター」を拡大してほしいです。
投稿: 甚兵衛 | 2011年5月31日 (火) 05時40分
いつも楽しく拝見しています。
視聴率に迎合する感性に興味はなく
大河ドラマを見ていないのですが
日本のシナリオライターは他国に比べ
レベルが思いっきり低いです。
それは読者のレベルと比例すると思います。
毒舌はこれまで。
投稿: あっくん | 2011年5月31日 (火) 07時17分
初めまして、みゅいんと申します。
私も年齢などの設定に突っ込み入れながら
見ておりました。
これは、賛否分かれるだろうなと。
ただ、デジタルや加工技術の妙で
背景や着物などがとても美しい。
歴史をなぞること自体やりつくした感のある
大河ドラマなので、割り切ってみる分には
良いのではないかと思っています。
伝承と資料だけしか戦国乱世を知ることができない以上、
もしかしたらこんなこともあったかもしれないと想像するのもまた一興かと。
今の技術でもう一度昔のような大河ドラマを作ってくれればいいなあなんて思っています。
投稿: みゅいん | 2011年5月31日 (火) 09時04分
はじめまして。
楽しく拝読いたしました。
さて、北野大茶会、「家康の伊賀越え」はドラマに描かれたのに、こちらは侍女の台詞にしかのぼってこなかったのはの問題なのでしょうか。
自称歴史好きの同僚ですら「胸がきゅんきゅんする」と言わしめるこのドラマ。
賛否の「否」をも味方につけているかのようです。
(けっこうみなさん「変だ」何だと言いながら、チェックされてますものね)
おそろしいです
投稿: やんたん | 2011年5月31日 (火) 16時18分
初めまして、真・白黒の飼い主と申します
いつも楽しく拝見させていただいてます
「江」を創っているところとは少々異なりますが、娯楽映像制作を生業としております
職業柄「江」を初め大河ドラマに関する記事を拝見してますと、マーケッティング的に失敗しているよなぁ、と感じます
例えばウチの業界で最近創った戦国モノと申しますと「戦国BASARA」がありますが、六本の刀を同時に持っての一騎当千な闘いっぷりに、誰も“リアリティがない”なんて突っ込みません(((^^;)
だって、元々そういう意図で創られたものと、お客さんも理解しているからです
大河ドラマは、やはり重厚な歴史ドラマとして期待されてますし、また歴史入門としての役割を担っていると思われます
そのような中、あまりに歴史的事象を軽視した姿勢では、支持はされないでしょう
茶々様の記事や皆様のコメントを拝見したかぎり、「江」は歴史ドラマという観点からしたら、二の次な“恋愛”に焦点を当てたのが失敗なのでしょうか
「バガボンドが若者に指示されているから・・・」「龍馬のドラマ、主演・福山雅治」って書いたら終わりな企画書ではなく、例えばなぜ「篤姫」が当たったのか?、そのことをしっかり分析した上で同じ脚本家を使うとか、もっと頭使って欲しい気がします
高い給与を貰ってるのだから・・・
・・・最後は愚痴気味になってしまいました・・・すいませんm(__)m
投稿: 真・白黒の飼い主 | 2011年5月31日 (火) 18時15分
甚兵衛さん、こんばんは~
>「タイムスクープハンター」
私も見てます!
画面を見る限り、明らかに大河ドラマより予算少ないですが、けっこう楽しんで見ています。
>「仁」は…歴史を大切にするということ自体がテーマ…
おっしゃる通り、創作が多いとか少ないとかという事ではなく、全体を通して、「江」は、歴史を軽視しているような感じがするのです。
歴史好きにとっては、それがとても寂しいのです。
投稿: 茶々 | 2011年5月31日 (火) 19時09分
あっくんさん、こんばんは~
>読者のレベル
耳が痛いです~
ただ、難解な事をわかりやすく表現し、予備知識の無い人にも理解できるような作品を作る…それこそが作家さんの腕の見せ所と言えるような気もします。
それには、多少のはしょりも必要ですが、それこそ、歴史愛のあるはしょりなら、歴史好きには理解されるのではないかと…
投稿: 茶々 | 2011年5月31日 (火) 19時17分
みゅいんさん、はじめまして
>デジタルや加工技術の妙で
背景や着物などがとても美しい…
そうですね~
着物とか、すごくキレイです。
小耳に挟んだ話ですと、大河ドラマは、1話につき6000万円くらいの予算が組まれているとか…
やはり大河だから…と、ついつい期待してしまうんですよね~
投稿: 茶々 | 2011年5月31日 (火) 19時22分
やんたんさん、こんばんは~
なんだかんだと言いながら、私も見てますからね~
何を見ても、なかなか胸キュンとはならない年齢となってしまいましたが…(ノ_≦。)
投稿: 茶々 | 2011年5月31日 (火) 19時25分
真・白黒の飼い主さん、こんばんは~
そうですか…
業界の方でしたら、その分析もスルドイですね~
私も、「篤姫」は良かったと思います。
創作もありましたが、「あのような創作なら○です」と、このブログで書いた事もありました。
歴史ドラマと言えど、その中に恋愛話はあって当然だと思いますし、むしろ必要だと思いますが、今のところの「江」は恋愛しかありません。
ただ、時期的に、主人公とその姉妹がお年頃であるという事もありますので、愛のない結婚に否定的な作家さんは、そこに恋愛を絡めざるをえないのでしょう。
江が秀忠と結婚して落ち着けば、少しは良い方向に向かうのではないか?と期待しております。
投稿: 茶々 | 2011年5月31日 (火) 19時45分
え〜? あ〜?
と思いながらも最初の頃は見ていました。別にドキュメンタリーじゃないわけだし・・・可能性がなかったわけじゃなし・・・と、私は歴史好きじゃないのかもしれません。
や〜光秀はうまいな〜とかですね。
しかし、大震災がおきてしまいました。
それ以降、このばかくさいのはやめてしまえ! といらだつようになってしまい、見なくなりました。
戦ということは、短絡的に言えば相手の首を切り取ってくること、兜首であれば丁重に洗い、化粧を施す、それは女人の仕事。”うっ”とするような血の臭い・・しかも、立場違えば自分が化粧されてしまう・・・
そんな時代を背景にしたものだと思うんですが、なんとも
土曜日台風で別に見るものもなく、久々再放送分を見ました。
宮沢りえそれなりにうまいな〜と思います。さすが遍歴?
主役さえ出なきゃ、それでも見るのになと思います。
おバカ礼賛はもう時代が受け入れないんじゃないでしょうか?
突然的に失礼しました。
投稿: てる | 2011年5月31日 (火) 21時59分
てるさん、こんばんは~
光秀の謀反=本能寺の動機が「自分でもわからぬ」には、少々驚きましたが、それでも、ここのところの恋愛話よりは良かったような気がします。
特に、光秀が信忠の動きを確認していた所なんか…
しかし、ここ何回は、ずっと恋愛話で、かなり満腹になっていたところに、今回は、45分間のすべてがソレだったので…
でも、先のお返しコメントに書かせていただいたように、姫様方の結婚が落ち着けば、恋愛話も落ち着き、新たな展開になるのではないかと期待しています。
投稿: 茶々 | 2011年6月 1日 (水) 02時31分
おぉ!大盛況ですね。コメント読むのが楽しいです。
皆さん見てるんですね。
私は第15回しか見ていませんが、そのときの感想は、
“大爆笑 抱腹絶倒 殺す気か!”
...死にたくないので、もう見ません。(おい)
展開が変わったら、また教えてください。
投稿: ことかね | 2011年6月 1日 (水) 13時52分
ことかねさん、こんにちは~
>“大爆笑 抱腹絶倒 殺す気か!”
アハハ…
一昨年の「天地人」見ていて、「これほどの物はもう出まい」と思っていたのに、わずか2年で、それ以上の物が出てしまいました。
投稿: 茶々 | 2011年6月 1日 (水) 17時26分
記事の内容・皆様のご意見とは少し離れますが、江さんは「父・兄弟の男性親族不在の母子家庭」で育った人ですね。男の従兄弟で自分より若い人がいても、あまり交流がないと思います。だから結婚に関して「願望」が先行するのかも?
推測ですが男性不在の家庭で育ったからか、母子家庭環境に該当する女性全員に当てはまりませんが、息子(竹千代・国千代)への育児がうまくいかないのかとも感じます。娘に関しては問題ないのかな。あまり信じませんが、大奥ものである「愛情の偏り」の逸話はそれで納得できます。でも春日局がフォローしたおかげで、竹千代の育児はカバーできています。逸話のイメージが先行しているせいで、どうしても親としては?な人になりますね。
この数年の大河主人公の人物像に対する反響が、「50周年記念作」となる再来年の主人公(もう決まったかもしれないですが)の人物像に、いくらか影響を与えるんですかね?
余談ですがNHK大河ドラマの主演は、おおむね番組終了後の1年間は、他局ドラマの主演は敬遠する傾向らしいです。
仲間由紀恵さんは例外ですが。
投稿: えびすこ | 2011年6月 1日 (水) 18時02分
えびすこさん、こんばんは~
結婚相手にしか、顔を見せないし名前を名乗らないという古代の風習が、上流階級には未だ伝統として残っていた時代だと思いますので、母子家庭であってもなくても、男性と接する機会は、あまりなかったと思います。
ただ、戦国期は動乱の時代でもありますので、特別な出来事による例外も数多くあったでしょうが、平静時の基本は、妻は夫の、姫は保護者の許しが無い限り、客前にも出てはいけない事になっていたので、そこのところは「お姫様教育」の中で学ぶしか無かったかも知れませんね。
子育ても、乳母と侍女がやるので、母親としての感情の置き場が、なかなか難しかったかも知れません。
とにかく、現代の感覚とはまったく違う世界なので、想像すらし難いですね。
投稿: 茶々 | 2011年6月 1日 (水) 23時41分
大河ドラマって高尚でなくてはいけないものなんでしょうか?
歴史が好きな方々を馬鹿にするつもりは毛頭ございませんが、歴史の面白みは真実を明らかにすることではありませんよね?歴史が好き、あるいは歴史の研究を生業としている方とて各々のロマン(妄想)をもってして、歴史をみていますよね?真実以外は受け入れないというのなら、歴史には何の意味もありません。
視聴率重視、史実軽視、大河ドラマにはバッシングされる要素が確かにあります。しかし、それが歴史に興味を抱くきっかけになることも否定できません。真の歴史好きならば、個人の主観はさておき、歴史に興味を持つ人が増えるかもしれない可能性に目を向けるべきです。制作者の意図がどうであったとしても、間違った歴史が世に流れることになったとしても、そこから歴史に興味を抱き深く探ろうとする人はきっといるはずです。
私は大河ドラマが好きなわけではありませんが、内容や出来栄えよりもこういった点が大河ドラマを評価する点で必要なことかと思います。内容や出来栄え云々はあまりに狭い視野における論点ではないかと。
生意気言ってすみません。
投稿: かず | 2011年6月27日 (月) 00時27分
かずさん、こんばんは~
ご意見ありがとうございます。
本文にも書いております通り、私も、ドラマはドラマなので歴史に忠実である必要はないと思っていますよ。
歴史を生業となさっておられる方の中には、「史実と違う」とお怒りの方もおられるようですが、その歴史だって正しいかどうかはわからないわけですし、教科書などで断定されている通りにドラマを造れば、どれも同じ内容になってしまうわけですし、単なる歴史好きの私は、おもしろくなるなら、どんどん変えて下さって結構だと思っています。
>そこから歴史に興味を抱き深く探ろうとする人はきっといるはず…
これも、まったく同意見です。
なんせ、私がそうですから…最初のキッカケは漫画やドラマです。
私が、感じているのは、恋愛がらみの現代劇を上手に書く脚本家さん自身が、「歴史ドラマ(大河ドラマ)」というジャンルにとらわれ、その手腕を思う存分に発揮できずに、ドラマのストーリー自体がつじつまが合わなくなって、結果的に面白くなくなってしまっているのでは?という事です。
茶々には秀吉の側室になって秀頼を産んでもらわなければならないし、江も3回結婚しなくちゃいけないし・・・などの流れに、脚本家さん自身が逆らえず、それでいてラブストーリーを書きたいというお気持ちも捨てきれずにいて、結局、ラブストーリーとしても、歴史ドラマとしても中途半端になってるような…???
大河に限らず、どんなドラマでもどんな番組でも、おもしろいと思う人もいれば、つまらないと思う人もいるわけで、逆に100%の賞賛を得られるなんて事の方がおかしな世界ですから…
これは歴史にも言える事ですが、様々な考えがあり、違う意見を持っている者同志が発言し合える世界こそ健全だと思います。
とエラそうな事言ってますが、これはあくまで個人的な感想でして…もともと、このブログは個人の趣味のブログなので、個人的な感想を書いても良いのでは?と思って書いております。
投稿: 茶々 | 2011年6月27日 (月) 02時44分
「現代的要素を取り入れると、大河ドラマの持ち味を失う」、と言う矛盾がある事ですね。歴史小説では主人公の恋愛の要素は薄いですね。
再来年はあまり「トレンディー」にこだわる必要がないと思います。主人公の言動に「おじさん世代」の人から、ひんしゅくが出ない事を祈ります。
投稿: えびすこ | 2011年6月27日 (月) 08時52分
補足
大河ドラマは「五社協定体制」時代に、映画で共演が難しかった人気俳優の競演を実現する意図も(初期の頃は)あったんですね。内容や演出的な重要度は元々少ないらしいです。この間、BSの大河初期作品特集を見ましたが、初期の方が娯楽的なウェートが高いですね。
「大河ドラマ」と言う冠名も1970年代になってから決まった物で、最初は「大河ドラマ」とは呼ばずに「長編時代劇」(本来は3年間限定の予定だったとかで、「長寿番組」になる事を想定していない)の、呼称であったようです。
テレビ番組の視聴率が慢性的に低迷するのは、「多チャンネル時代」だから(意外とこれが指摘されない)でもありますね。BS番組はビデオリサーチ社の視聴率の調査対象外ですが、いずれは別方式で調査するでしょうね。
投稿: えびすこ | 2011年6月27日 (月) 11時27分
えびすこさん、こんにちは~
以前の大河は娯楽要素が大きくても、ここ何年かの作品のように、ジャンルから逸脱する事もなく、歴史好きからさほどの非難も浴びなかったような気がします。
確かに、見ている側にも創作物を本当の事と勘違いしてしまう視聴者が増えた問題もあるのでしょうが、そこは一つ、造り手の方々にプロとして、その時代にあった良い作品を造っていただきたいと希望しています。
投稿: 茶々 | 2011年6月27日 (月) 15時14分
いつも楽しく拝見させていただいてます。
子供の頃から歴史好きの者です。
今回の淀・江の件に関して私見を述べさせていただきますm(_ _)m
私は秀吉と茶々、秀忠と江の結婚に関しては秀吉、家康が支配者となる為に信長の血筋を取り入れるという思惑が濃いような気がするんですがいかがでしょうか。
淀・江が「強いものになびいた」よりも秀吉、家康が「強いものになびいた」と。
織田家の血筋との政略結婚をする事によって信長の配下であった秀吉、家康(家康を配下と括るのは間違いと思いますが敢えて)が天下人となる為の「大義」ではなかったかと。
私は一番最初に知った歴史上の偉人は織田信長でした。それから子供ながらに戦国時代を勉強し始め、戦国時代の終焉にきっちり信長の血筋が豊臣・徳川の両家に受け継がれてる事を知り、ガキんちょの無垢な感想として「結局、織田が天下取ってるやん」と感じた事を思い出したのでコメントさせていただきましたm(_ _)m
これからも楽しみにしています‼︎
乱文失礼致しましたm(_ _)m
投稿: 如 | 2015年1月 6日 (火) 23時56分
如さん、こんにちは~
>淀・江が「強いものになびいた」よりも秀吉、家康が「強いものになびいた」と…
もちろん、それもあると思いますよ。
ただ、秀吉が淀殿を望んでいた事は、もはや周知事実では無いのかな?と思っていて、それを淀殿が受け入れた気持ちとして「強いものになびく」という表現を使わせていただきました。
一方の江の気持は…解るほど史料が残っていないような気もします。
投稿: 茶々 | 2015年1月 7日 (水) 16時26分