比叡山を日本仏教の母山とした伝教大師・最澄
弘仁十三年(822年)6月4日、伝教大師として知られる天台宗の開創者・最澄が56歳の生涯を閉じました。
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第29代・欽明天皇の時代に、百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)から、仏像拝みセットをプレゼントされた=仏教伝来に始まる日本の仏教・・・(3月30日参照>>)
日本古来の神を優先する物部氏と、渡来系の束ね役として仏教を推す蘇我氏とのスッタモンダの末、物部守屋(もののべのもりや)(7月7日参照>>)を倒した蘇我馬子(そがのうまこ)が日本初の僧寺・法興寺(元興寺=建っていた場所は現在の飛鳥寺の場所ですが、元興寺自身は平城京遷都とともに現在のならまちに移転)建立して(4月8日参照>>)、徐々に日本に浸透していった仏教は、やがてその蘇我氏と天皇家の血をひく聖徳太子の時代に、国家の思想的基盤になるまでに至り、神教と並ぶ2大宗教となりました。
その後、ますます盛んになる仏教は、まるで国教のごとき勢いで、天皇自ら、各地に国分寺&国分尼寺建立の詔(みことのり)を発布し、あの東大寺の大仏開眼(10月15日参照>>)という一大イベントを経て、南都奈良仏教の最盛期を迎えます。
とは言え、あまり勢力が強くなり過ぎると、何かと問題も起きるわけで・・・っで、これら南都の宗教勢力を払拭するかのごとく、奈良のお寺は奈良に置いたまま(それまでは都が移転すると寺も新都に移転してました)、平安京という新しい都に遷都したのが、第50代・桓武天皇でした(10月1日参照>>)。
こうして、日本的な文化の開花期と言われる平安時代へと突入するわけですが、仏教界でも、ここに、日本生まれの日本人のための宗派が誕生するのです。
それが、伝教大師(でんぎょうだいし)最澄による比叡山を本拠地とする天台宗と、弘法大師(こうぼうだいし)空海による高野山を本山とする真言宗です。
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最澄は、神護景雲元年(767年)の近江国滋賀郡にて、志賀漢人系の渡来氏族の豪族の子として生まれたと言います。
12歳で近江国分寺に入って、大国師行表(ぎょうひょう)の弟子となり、14歳で得度(とくど=出家の儀式)・・・その名を最澄と名乗りました。
その後、19歳の時に東大寺の戒壇(かいだん=正式な戒を受ける場所)にて受戒して僧の資格を得ますが、その直後・・・突如として比叡山に登って、一乗止観院(いちじょうしかんいん)という草庵を建てて、そこで山林修業の生活を始めたのです。
当時の仏教界の墜落を見て独自の道を歩み始めた・・・といった感じですが、時に延暦七年(788年)、最澄=21歳、この一乗止観院が、後に根本中堂と呼ばれます。
ここで、ただひたすら修業に励む最澄・・・
「浄戒を身具するまではお布施を受ける法要には出ない」
「空智を得るまでは世間との関係を断つ」
「功徳は己に受けない」
などなど・・・当時の願文には、並々ならない決意が記されています。
こうして、徐々に僧としての力を身につけ、その名も知られるようになっていくわけですが、ここに、最澄にとってラッキーサプライズが起こります。
そう、それが、あの桓武天皇の平安京遷都・・・鳴くよ(794)ウグイス平安京から見て、比叡山が、艮(うしとら)の方角=鬼門に当たる場所である事から、そこを本拠地とする最澄に、桓武天皇は多大の信頼を置くようになるのです。
延暦十六年(797年)には、十禅師(宮内庁御用達の10人の僧)の一員となり、翌・延暦十七年(798年)からは、毎年、一乗止観院にて法華経講会を開きますが、これがまた大評判!
かくして延暦二十三年(804年)、37歳となった最澄は、遣唐使として中国に渡るわけですが、この時、同じく、遣唐使として海を渡ったのが、修業中の空海でした。
とは言っても、すでに高僧の名をほしいままにしている最澄の待遇は還学僧(げんがくそう)=朝廷から認定された国費での留学生だったのに対して、未だ無名の空海は、お金を払って遣唐使船に乗せてってもらうだけの私費留学生・・・この時ばかりは、7歳の年の差以上に、最澄は空海より、遥か上にいる存在だったのです。
しかし、この事が、後の二人の関係に、大きく関わってきます。
ところで、この時の二人・・・遣唐使時代に顔を合わせた形跡がな無い事から、おそらく、彼らは別々の船に乗ったのだろうと言われていますが、以前も書かせていただいたように遣唐使船は4艘で1団体(4月2日参照>>)・・・この時、同時に船出したうちの第3船は暴風雨のために途中で引き返し、第4船は消息不明となっています。
つまり、無事、大陸に到着した2艘のうちのどちらかに最澄が、残りのもう一つに空海が乗っていたわけで、どちらか一方、あるいは二人ともが3番目や4番目に乗っていたら、その後の天台宗&真言宗の誕生もどうなっていたか・・・まさに、歴史の女神のイタズラが、その後の日本も変えたのですね~
こうして、無事、唐に渡った最澄は、到着後、ただちに天台山のあるに台州(だいしゅう)に向かい、そこにある国清寺(こくせいじ)の僧・行満(ぎょうまん)から、中国の正統天台宗の教えと大乗戒(だいじょうかい=大乗の菩薩が受持する戒)を受けると同時に、多数の経典を書写するなど、とにかく、勢力的に本場の仏教を学び、吸収していきます。
・・・というのも、国費の留学生は、遣唐使節とともに唐に渡って、遣唐使節とともに帰って来なくてはならない・・・つまり、(公費だから当然かも知れないけれど)滞在の日数が決まっているのです。
最澄の場合は、実質8ヶ月しか中国にはいられませんでした。
もちろん、私費で行った空海は滞在し放題・・・
やがて、まもなく帰国という頃、一応、「滞在中にやらねば・・・」と目標にしていた事を達成した最澄は、ふと、現在の唐で、密教なる物が流行っている事に気づき、慌てて、その門を叩いて、にわか密教を学んでみたりしますが、とてもとても、残ったわずかな時間で学べる物ではなく・・・
帰国後の延暦二十五年(806年)には、桓武天皇のもとで天台宗の創立が公認され、まさに宗祖となった最澄ですが、密教を思う存分学べなかった事は、彼の心残りとなったのです。
一方、やりたい事がやれる環境にあった空海は、まずはサンスクリット語とインド哲学を学ぶところからはじめ、その後、真言密教の大成者であった青龍寺(せいりゅうじ)の恵果(えいか)を訪ね、その大法を授けられた後、2年後に帰国します。
その後、密教に興味を持った嵯峨天皇によって、空海は仏教の星となっていくわけなのですが・・・そう、ここで、中国で思いっきり学べなかった最澄の心残りです。
何にでもベストを尽くさないと気がすまないマジメ最澄は、「どうしても密教の事を知りたい!」とばかりに、自分よりもはるかに地位の低い空海に教えを乞う事になるわけですが・・・
マジメ最澄の質問攻めに空海はウンザリし、経典の貸し借りでトラブり、果ては、弟子の引き抜きにまで発展し、結局、この事が両者の間に大きな亀裂を生む事になってしまったわけです(12月14日参照>>)。
こうして、晩年には空海との決別がありつつも、南都仏教と教義上での激しい論争にも負ける事なく、天台宗の基礎を築きあげた最澄ではありましたが、弘仁十三年(822年)6月4日、56歳でその生涯を閉じます。
「我が為に仏を作る勿(なか)れ、我が為に経を写す勿れ、我が志を述べよ」
この精神を引き継いだ弟子たちによって、比叡山は日本仏教の母体と言えるほどの隆盛を極める事となるのです。
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コメント
おばんです。(ニャハ!!)
現在の仏教の発展から見ても伝教、弘法両大師の存在は、とてもトテモ…。
最澄の後の有名な人物は多数いるが、空海の後の有名人はほとんどいない…と言われていますが、実際はどうなんでしょう?
有名人=傑物とも思えないし…
空海を継ぐめっちゃ面白い人物が存在してたりして…
時間があれば真言宗の歴史的経緯などご教授お願いします。
ではでは
投稿: azuking | 2011年6月 6日 (月) 00時01分
azukingさん、こんばんは~
>時間があれば真言宗の歴史的経緯など…
ハイ!
と言いたいところですが、宗教関連はなかなか奥が深いです(゚ー゚;
じっくり、勉強させていただきますです!
投稿: 茶々 | 2011年6月 6日 (月) 01時30分
今も天台宗と真言宗が残っているのは、すごい事だと思います。曼荼羅だけ見ても、密教文化の隆盛を知る事ができますね。
投稿: やぶひび | 2011年6月 6日 (月) 20時50分
やぶひびさん、こんばんは~
いやはや、1000年以上の歴史には脱帽ですね~
投稿: 茶々 | 2011年6月 6日 (月) 22時17分
きよかりしみなもとなればいはし水
すゑはるばるとすみぞましける
源頼朝
投稿: 306590362024 | 2011年6月13日 (月) 03時07分
306590362024さん、こんにちは~
天台宗を引き継いだのは茲円さん、
という意味でしょうか??
投稿: 茶々 | 2011年6月13日 (月) 10時29分
こんにちは~
東(ひむかし)の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば月かたぶきぬ
柿本人麻呂
いつの間に長き眠りの夢さめて
驚くことのあらんとすらむ
西行
225149714461.tumblr.com
投稿: 135299235469 | 2011年6月15日 (水) 15時45分
135299235469さん、こんにちは~
う~~ん(@Д@;??
う~~ん(@Д@;??
無知な私には、このページの内容と歌が、どのような関係にあるのかがわかりませぬ
help
投稿: 茶々 | 2011年6月15日 (水) 16時11分