緒方洪庵と適塾
文久三年(1863年)6月10日、天然痘の治療に貢献し、日本近代医学の祖と讃えられる緒方洪庵が、江戸にて54歳の生涯を閉じました。
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人気ドラマ「JIN-仁」に、初盤の重要な役どころとして登場し、有名度がさらに増した緒方洪庵(おがたこうあん)先生・・・
文化七年(1810年)に、備中国(岡山県)は足守藩の下級藩士・佐伯瀬左衛門惟因(これより)の三男として足守(岡山市北区足守)に生まれました。
幼い頃から病気がちで体が弱く、武士で大成する事は難しいと考えていた14歳の洪庵少年…
そんな時、父の仕事が大坂勤務になった事で、ともに大坂にやって来ます。
「体が弱いなら勉学で身をたてよう」と考えた洪庵は、翌・15歳で、蘭方医の中天游(なかてんゆう)の門を叩き、そこで蘭学を・・・特に医学を中心に学びました。
大坂で4年間学んだ後、江戸へ出て坪井信道(つぼいしんどう)や宇田川玄真(げんしん)(12月18日参照>>)らのもとで5年間・・・その後、長崎に遊学して、オランダ人医師・ニーマンから医学はもちろん、最新の西洋事情についても学びます。
そして天保九年(1838年)・・・29歳になった洪庵は、大坂に戻って瓦町(大阪市中央区瓦町)にて医者として開業すると同時に、蘭学塾「適塾」を開きました。
同じ年には、ともに中天游のもとで学んだ先輩の娘=八重さんとの結婚も果たしています。
その7年後に、適塾は、現在の場所=大阪市中央区北浜3丁目に移転しますが、その移転理由は、門下生の増えすぎ・・・そう、すでにこの時点で、洪庵の名声はスゴイ事になっていたのです。
洪庵が優れた医者であったというだけでなく、優れた教育者であった事は、この適塾出身者の、その後の活躍を見ても明らかです。
尊王の牽引者であった橋本左内(10月7日参照>>)、維新の立役者=大村益次郎(11月5日参照>>)、昨日の日清戦争にも登場した函館戦争の生き残り=大鳥圭介(おおとりけいすけ)(6月9日参照>>)、その函館戦争で博愛精神を貫いた医師=高松凌雲(りょううん)(5月18日参照>>)、日本赤十字社の創設者=佐野常民(つねたみ)(12月7日参照>>)・・・そして、ご存じ、慶応義塾を創設する1万円札でおなじみの福沢諭吉(11月25日参照>>)などなど・・・まだまだ沢山・・・
そんな適塾の教育事情は、主に蘭書の会読でしたが、その予習のために使用するヅーフ辞書(長崎のオランダ商館長・ヅーフが作成した蘭和辞書)が、わずかに1冊しかなく、塾生たちは、それが置いてある「ヅーフ部屋」に集まっては、奪い合うように見ていたと言います。
かの福沢諭吉も
「西洋日進の書を読む事は、日本国中でも誰にでも出来る事やない!俺らだけができるんやv(^o^)v」
と、むしろ、勉強できる事を自慢げに語り、
「あれほど勉強した日々もなかったなぁ…けど、逆に、勉強以外の事は無頓着で、食器まで仲間と共同で使たりして、身なりもムチャクチャやったわ~」
と、自伝にて、その青春時代を懐かしそうに振り返っています。
現存する適塾の2階にある32畳の大部屋は、そんな塾生たちが、1人1畳を与えられて寝泊まりを含む日常生活をしていた部屋で、成績の良い者から順に、日当たりの良い快適な場所を勝ち取る事ができたとか・・・
適塾の大部屋
適塾への行き方は、本家ホームページの「中之島歴史散歩」>>で紹介しています。
それも、洪庵先生の生徒たちを発奮させるための愛ある仕掛けの一つ・・・ちなみに、一番アカン場所は階段の横=写真の「出口」と書かれた看板のあたりなのですが、そこは夜中にトイレに行く塾生に踏まれる事山のごとしなのだそうで、ベッタコの定位置でした。
とは言え、やはり、洪庵の業績で特筆すべきは、あの天然痘との戦いでしょうね。
当時流行していた天然痘・・・唯一の予防法は、人から検出したワクチンを人に打つ「人痘法」という物でしたが、これには、予防のつもりが本格的に天然痘にかかってしまうというリスクがありました。
洪庵自身も、これで死者を出しています。
そんな中、嘉永二年(1849年)に牛から摘出した牛痘ワクチンが日本に入って来て、洪庵も、肥前佐賀藩から(1月18日参照>>)分苗式でこれを分けてもらい、古手町(大阪市中央区道修町)に除痘館なる施設を設けて予防接種を開始するのですが、まだまだ庶民の医学に対する知識の薄い当時ですから、「牛のワクチンを打ったら牛になる」なんて噂がたって、受けに来る人は、ほとんどおらず・・・
このワクチンというのは、人の腕に植えつけてから7日で効力を失う・・・つまり、7日のうちに次の人に植えつけないと、そこで終わってしまうわけで、新しく打ちに来てくれる人がいないとワクチンそのものが無くなってしまうのですよ。
そんなこんなしてるうちに、資金もなくなって来るのですが、ここで洪庵、めげません!
洪庵は、勢力的に地方の医師たちに分苗をする事で何とか活路を見い出します。
それは、苗を維持するとともに、徐々に、全国に広がっていくという事にもなるのですが、一難去ってまた一難・・・広がったら広がったで、ニセワクチンを投与して金儲けをしようという詐欺集団も現われ・・・
今度は、それに対抗すべく、何度も何度も幕府に申請・・・やがて、その願いかなって、安政五年(1858年)、ようやく洪庵の予防活動のみが幕府公認となった事で種痘が免許制となり、やっと本格的な予防が開始される事になります。
また、同じ安政五年(1858年)に、コレラが流行した時には、『虎狼痢治準』を刊行して、その予防にも尽力しています。
やがて、幕府からの度々の要請に応じて、文久二年(1862年)には、奥医師兼西洋医学所頭取として江戸に出仕した洪庵・・・
「大坂がえぇねんけどなぁ・・・」
と、慣れ親しんだ土地を離れる事に、ちょっぴり寂しげだったと言いますが、結局、その翌年の文久三年(1863年)6月10日、江戸の医学所頭取役宅で突然吐血して窒息・・・帰らぬ人となってしまいました。
「人の為に生活して己の為に生活せざるを医業の本体とす」
洪庵が、その生涯を通じて発した思いは、若き精鋭たちに引き継がれていった事でしょう。
そして、忘れてはならないのは、奥さんの八重さん・・・病弱な洪庵を支え、全国から集まる塾生の母となり、自身も9人の子供を立派に育てあげました。
適塾が、あの松下村塾に勝るとも劣らない功績を残せた影に、彼女の努力があった事も、ここに付け加えておきます。
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コメント
先々週の「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げていました。洪庵は「JIN」で有名になりましたね。今年100歳になる聖路加病院理事長の日野原重明先生も「20世紀のJIN」さんかも。私は聖路加病院にちょっと縁があるんです。
「弟子」のうち福沢諭吉は学問で大成しましたが、洪庵が死んだ数年後に慶応義塾(のち大学)を創設したんですね。
「義塾」は適塾の流れを組む意味かも。
投稿: えびすこ | 2011年6月10日 (金) 17時27分
えびすこさん、こんばんは~
>先々週の「歴史秘話ヒストリア」で
地元なのでウレシイです。
投稿: 茶々 | 2011年6月11日 (土) 02時53分
「JIN」では江戸で緒方洪庵が亡くなるとなっていたが、本当なのか疑問でした。やはり江戸だったのですネ。勉強になりました。お墓は何処にあるか教えてください。
投稿: 銀次 | 2011年6月11日 (土) 04時19分
こんにちは~!
緒方洪安大好きです。諭吉がコレラで倒れた時も必死に診察し続け、ついでに諭吉のお兄さんのリウマチまでタダで診た(しかも目が飛び出るような薬代も自腹!)慈悲ぶかさ。逆に、住友の当主からはかなりふんだくってたらしいですが…。
そういえば、手塚治虫の曾祖父良庵も滴塾でした(笑。諭吉と同窓だとか。
あと、岡山の出身だったのですね。これは知らなかった。地元の歴史で聞かなかったのはやはり岡山で活躍してないからでしょうね。
あとあと、滴塾自身も確か大阪大学だか関西大学だかの元のひとつになってます。名前うろ覚えでなんですが…(^^;
投稿: おみ | 2011年6月11日 (土) 08時03分
銀次さん、こんにちは~
お墓は、大阪市営地下鉄の南森町駅から、寺町通りを東へ行った龍海寺というお寺にあります。
以前、大塩平八郎のお墓にお参りさせていただいた際に前までは行ったのですが、中に入っていないので、本家ホームページの歴史散歩【大塩平八郎の足跡をたどる】>>のページでは、その場所だけを紹介させていただいています。
投稿: 茶々 | 2011年6月11日 (土) 14時34分
おみさん、こんにちは~
確かに…
活躍したのは大阪ですが、かの除痘館の設立後、大阪とともにいち早く洪庵を支援したのは、地元=足守藩でしたから、やはり、地元の誇りだったのではないでしょうか?
>あとあと、滴塾自身も確か…
そうです、そうです、
今も、適塾の維持管理は大阪大学です。
「阪大の医学部」と言えば、超一流です(*^-^)
投稿: 茶々 | 2011年6月11日 (土) 14時42分
おひさしぶりです。
北浜界隈は、お薬の町なのでしょうか。
ミドリ十字もあの時、報道陣でいっぱいでした。><
投稿: やませみ | 2011年6月12日 (日) 13時25分
やませみさん、こんにちは~
道修町はお薬屋さんの町ですね。
神農さんがありますし…今も大手の製薬会社の本社がたくさんあります。
投稿: 茶々 | 2011年6月12日 (日) 16時26分
緒方洪庵も登場する「ほぼ時代劇」のJINの視聴率が、関西では第1回から全部20%以上を記録しているみたいですね。19日はサッカー中継の後でしたね。最終回では25%を超えるか?関東では「マルモのおきて」が追い上げています。
今調べたんですが、洪庵のライバルの「華岡青洲」の項目がないんですね。近々記念日があれば記載をお願いします。
投稿: えびすこ | 2011年6月21日 (火) 17時31分
えびすこさん、こんにちは~
>関東では「マルモのおきて」
この間、何かの全国ネットの番組で(JINを抜いたと)聞いてびっくりしました。
関西では「マルモ」はベスト20にも入っていないです。
まぁ、関西は、金曜深夜の「ナイトスクープ」が1位になったり、日曜お昼の「そこまで言って委員会」がベスト10以内に入ったりする土地柄ですから、他と比較はできないと思いますが…
投稿: 茶々 | 2011年6月21日 (火) 18時05分