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2011年7月28日 (木)

真夏の夜の怪談話5…姫路城の七不思議の不思議

 

昨年の播州皿屋敷>>
宮本武蔵の妖怪退治>>

そして先日の姫路城の刑部姫>>
・・・と、姫路城の七不思議と称される物をご紹介して来ましたが・・・

個人的には、武蔵の妖怪と刑部(おさかべ)姫はつながってる気がするのですが、どうやら、七不思議というくくりでは、妖怪・長壁(おさかべ)刑部姫の伝説は別物だという事で・・・

ならば、七不思議と称される以上、あと4つの不思議がある事になるわけですが・・・

残りのうちの一つは『傾いた天守閣』・・・

この姫路城の普請を任された腕自慢の大工の棟梁・桜井源兵衛さん・・・城が完成したお披露目の祝宴に、妻とともに出席するのですが、その宴の席で・・・

「お城が巽(たつみ=南東)の方角に傾いているんじゃないか?」
と誰かが言いだします。

「気のせいじゃ!気のせいじゃ」
と、その場では事無きを得たものの、翌朝、天守閣近くで、ノミをくわえた源兵衛の死体が発見されます。

皆の前で天守閣の傾きを指摘された事を苦にした源兵衛が、ノミをくわえたまま天守閣から飛び降り自殺をはかったのです。

以来、天守閣は年々、東南の方向に傾きはじめ、江戸時代には
♪東傾く姫路の城は 花のお江戸が恋しいか♪
という歌まで流行ったとのこと・・・

実はコレ、源兵衛さんの設計ミスが原因ではなく、建っている場所の地盤沈下が原因・・・昭和の大修理の際、本当に東南に60cmほど傾いていた事が確認されましたが、その時に天守閣の土台がコンクリートで補強され、今は大丈夫との事・・・

おそらく、この源兵衛さんのお話は、建った当初はわからなかったのが、徐々に傾いている事に誰かが気づいた事で、いつしか生まれた伝説なのでしょうね~

5つめの不思議は『切腹丸』・・・

現在も、姫路城郭内の備前丸の東側に「切腹丸(はらきりまる)と呼ばれる場所があります。

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姫路城内にある「切腹丸」

建物の石打棚(いしうちだな)検視役人の座で下の板場が切腹場、前の井戸が首洗いの井戸・・・しかも、生い茂る木立による薄暗い感じが相まって、いつしか、ここが切腹の場所とされ「切腹丸」を呼ばれるようになったのだとか・・・

とは言え、正体見たり枯れ尾花で恐縮ですが、実際には、ここは帯郭櫓(たいかくやぐら)と呼ばれる場所で、山際が迫っている場所にある事から、掘を越えて来る敵に攻撃を仕掛けた場所だと考えられおり、ここで切腹をした記録は一つもないとの事・・・

そして6つ目の不思議は『千姫を襲う怨霊』・・・

ご存じ!千姫は、あの徳川家康の孫娘・・・2代め・秀忠さんと、大河の主役・お江さんとの間に生まれた姫で、豊臣秀頼に嫁いでいましたが、大坂夏の陣で大坂城が落城する時に救出され、後に本多忠刻(ただとき)結婚して姫路城にやって来る(2009年2月6日参照>>)のですが・・・

以前、実は・・・という事で、実際には、こうだったのではないか?というお話をさせていただきましたが(2007年2月6日【千姫・ご乱行の真相】参照>>)、伝説上では、大坂城から彼女を命がけで救出する際に、ひどいヤゲドを負ってしまった坂崎出羽守(さかざきでわのかみ)の事を嫌った千姫が、イケメンの忠刻と結婚し、彼女にフラれた出羽守が、花嫁行列に斬り込み、大勢によってたかって殺されてしまう・・・てな事になってます。

・・・で、姫路城に輿入れした千姫は、度々妊娠するも、毎度々々流産して子宝に恵まれない・・・そこで、祈祷師の祈祷を受けたところ、
「千姫には、秀頼と坂崎出羽守、二人の怨霊がとりついて、子孫繁栄を阻止している」
と告げられたとか・・・

実際に(私は、まだ見てないのですが)大阪城天守閣には、秀頼の死霊に宛てた
「怨念を解いてください」
との千姫の願文が残っているらしいです。

姫路城の北西にある天満宮も、このお告げを聞いた千姫が、秀頼と坂崎を祀るために建てたのだと・・・おかげで、その後、待望の姫が授かったと言われています。

そして、いよいよ最後、7つ目の不思議・・・
と、いきたいところなのですが、どうしても7つ目の不思議が見つからない・・・

姫路城下には、竪町(たてまち)という場所があって、城郭から南北の縦に通じていたから名づけられたものの、そこは山陽道の往来から見ると東西の横になるので「横に竪町」といわれて姫路の七不思議の一つとして語られてる・・・なんて話も聞きましたが、これは、城下のお話で、姫路城の七不思議じゃない(ノ_-。)・・・

ひょっとして、これは・・・
「6つしかないのに七不思議と呼ぶのが7つ目の不思議」
という、例のアレですか?

コレ、昔から漫才のオチによく使われていたので、私は、てっきりお笑いのネタだと思ってたんですが、今回調べてわかったのは、意外に「6つしかない七不思議」というのが、数多くあるという事・・・

以前、このブログでも「知恩院の七不思議(2月24日参照>>)や、本家ホームページのほうでも「比叡山の七不思議(HPの【平安京魔界マップ】参照>>)をご紹介していますが、このように7つ目の不思議があるほうが、むしろ珍しいのだそうです。

・・・で、「6つしかないのに七不思議と呼ぶのが7つ目の不思議」というパターンの場合では、
「本当の7つ目の不思議を知ると、呪われる」
のだそう・・・

ひぇ~~!!
姫路城はそのパターンなのか?
今回、6つ目でやめといて助かったぜぃ
ヾ(;´Д`A

退散、退散・・・
 .

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怨霊・伝説・昔話・不思議話」カテゴリの記事

コメント

言われてみれば、何の不思議はないかもしれませんが。現在の科学でも不思議な事も多いですね。

投稿: やぶひび | 2011年7月28日 (木) 19時32分

ちょっとゾ~としました(゚ー゚;
今日は蒸し暑いので、こういう話題はいいですね・・

投稿: Hiromin | 2011年7月28日 (木) 20時12分

特に、通っている学校には七不思議は、ありませんが、小学生の頃トイレの花子さんのお話がありました。友達が挑戦していましたが、私はびびりなので逃げました\(;゚∇゚)/

投稿: Ikuya | 2011年7月28日 (木) 22時46分

やぶひびさん、こんばんは~

私は不思議な事も大好きですが、科学的な事も大好きで、常に葛藤しております。

投稿: 茶々 | 2011年7月29日 (金) 01時17分

Hirominさん、こんばんは~

今日のような日は、ホント良いですね~ピッタシ!

投稿: 茶々 | 2011年7月29日 (金) 01時19分

Ikuyaさん、こんばんは~

そう言えば、学校には大抵七不思議がありますね~

町中で、学校を造れるほどの公共の広い土地…っていうのは、維新が成る前は幕府の何かの施設だった事が多いので、七不思議が生まれやすいんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年7月29日 (金) 01時23分

母が若い頃には、まだ腹切丸には血の飛び散った後があって、胸がつまる足の震えるようなところだったそうですが、それでも年一回は出かけたそうです。
ちなみに、、私の幼児期にはやはり、名古屋の親戚が宝塚の観劇に来たときに、祖父と出かけるのですが、
白い壁に大きな蛾が止まっていて、行列を並ぶ間、退屈しのぎに見上げては、本当にあんなのが飛んだら、どんなだろう?って考えていました。。
当時、大きな蛾のコレクターをしてるお兄ちゃんが近所にいて、蝶でも気持ち悪いのに、蛾って、身が太く、毛むくじゃらで柄も不気味で怖くないのかな?
夜、飛ぶんでしょう。
きっと、何かしら、怪しい謂れの多いお城で、間違ったか、嘘、詐欺に関わったのではないでしょうか?
私にとって、一番の印象は、母の若い頃には、まだ血のあとが残って生々しいお城だったということ。。
白鷺城って美しいイメージですが、恐ろしいだまし討ちのお城だったのでは?

投稿: 長坂愛子 | 2014年5月22日 (木) 15時38分

長坂愛子さん、こんにちは~

こんな話を書いておきながらですが、私としては、心霊的なお話は、あまり信用していません。

しかし、「記録が無い」=「無かった」という事では無い歴史の世界…あったかも知れないと思いながら考えていくのも、一つの推理の仕方ですね。

投稿: 茶々 | 2014年5月23日 (金) 13時32分

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