島津のメンタルトレーナー~軍師・川田義朗
文禄四年(1595年)7月24日、軍配者的軍師として島津義久&義弘兄弟に仕えた川田義朗が亡くなりました。
・・・・・・・・・
もともとは安易な気持ちで始めたブログが、こうして5年半続けて来れたというのも、いつも訪問してくださる皆々さまのおかげと感謝しておりますm(_ _)m
「徐々にアクセス数が減るんじゃないか?」
「いつか、誰も見ないブログになるんじゃないか?」
という不安を抱えながら、続けていたブログですが、
今のところ、毎日の平均的アクセス数は、徐々に増えつつある傾向・・・脳天気な私は、「アクセスの増加は、イコール応援して下さる方が増えているのだ」と自分勝手に良い方に解釈して、それが、日々の更新の原動力となっております。
閲覧してくださる皆さまにとっては、単に「今日も見てやろうか」と思って来てくださっているだけなのかも知れませんが、その一人一人のお気持ちが積み重なってアクセス数となって反映され、それが、私の励みとなっているわけです。
よく、スポーツ選手が言いますよね?
「皆さまの応援があって優勝できました!」なんて・・・
でも、本当は、応援したからって実質的に何かあるわけじゃない・・・しかし、熱いエールを受けると、選手自身のモチベーションが上がり、頑張ろうという意欲を産みだし、さらに努力する元気を産む・・・そして、それが結果となって現われる。
目には見えない「気持ち」という物を押し上げる・・・そう、これがメンタルトレーニング
(やっと話をつなげたゼ!ヽ(*≧ε≦*)φ)
本日、ご登場となった川田義朗(かわだよしあき)は、軍配者的軍師と称される人です。
以前、北条氏に仕えた軍師・中山修理介(なかやましゅりのすけ)さんのページ(10月7日参照>>)で、軍師と呼ばれる人たちの大まかな分類をさせていただきましたが、軍配者軍師というのは、陰陽師や修験者の観点から風水的に戦略を考えて合戦の日取りを占ったり、必勝祈願の儀式的な事を仕切ったりという事をする軍師の事・・・
理にかなった兵法というよりは、神がかり的な指導をする軍師です。
21世紀の現代に生きる皆さまにとっては、出発日を占いで決めたり、必勝祈願のお祈りをしたりという事は、非科学的で、「武将たる者が神頼みなんて┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」って思われるかも知れませんが、実は、これがメンタルの観点からは、非常に重要な事なのです。
そんな軍師・川田義朗が歴史上に登場するのは永禄十年(1567年)頃、未だ薩摩一国の統一に奮闘していた頃の島津氏(6月23日参照>>)・・・とある戦いで多くの戦死者が出た時、その戦死者の霊を慰める血祭(ちまつり=慰霊祭)の指揮を取るという形で登場します。
ちなみに、この義朗という人には、島津の家臣で軍師でもあった伊集院忠朗(いじゅういんただあき)の弟子として腕を磨き、一人前の軍師なったという話もありますが、実際のところは、どこで、その軍師としての奥義を身につけたのかは謎に包まれています。
とは言え、天正四年(1576年)には、島津義久(よしひさ)から正式に軍配を任された義朗は、その2年後に起こった大友宗麟(そうりん)との合戦・耳川の戦い(11月11日参照>>)で、少し苦戦を強いられ、陣形が崩れそうになった時、自らが祈りを捧げて軍神を降臨させて、一斉に挙げる鬨(とき)の声を扇動し、味方を3方に分けて突進させたと言います。
もちろん、実際に軍神が降臨したわけじゃないですが、その様子を見た将兵には、「神が我が味方についた!」という一体感も生まれ、さらに一斉に鬨の声を挙げる事によって、精神集中・・・見事、全隊の士気を高めて崩れかけた陣形を立てなおして勝利に導く事ができたわけです。
さらに天正十二年(1584年)の沖田畷(おきたなわて)の戦い(3月24日参照>>)では、戦いの前に、敵の大将である龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)の死を予言してみせたと言います。
これも、今の科学の世の中を思えば、完全にハッタリですが、大勢の信頼を一身に浴びる義朗が堂々と宣言すれば、それが戦う者たちのモチベーションを挙げる事になるわけです。
そして、ご存じのように、この時の隆信は、あまりにも積極的な押せ押せ攻撃があだとなり、壮絶な討死を遂げています。
もちろん、戦い終わった後に、敵兵の首を並べた場所での儀式を仕切り、その供養のための祈祷を行うのも彼の役目でした。
さらに、その戦後の論功行賞でモメた時には、義朗がクジを引いて、将兵たちの恩賞を決めたとか・・・
「なんで、クジで褒美を決められなアカンねん!(#`Д´)」
との声もありましょうが、コレも、戦国時代の場合は、意外に理にかなっているのです。
・・・というのも、戦国時代というのは殿さまのワンマン経営・・・時には判断ミスも犯しますし、えこひいきによる片手落ちの恩賞となってしまう事もしばしば・・・そんな時、クジ引きは、ある意味、全員に公平なわけで、しかも、この時代の神がかり的な人が引くクジは、神のお告げでもあるわけですから、誰からも文句の出ない方法として重宝されたのです。
その後も、島津の各戦線にあって、出陣の日取りなどを決め、軍師として活躍した義朗でしたが、その出生も不明なら、その死亡も・・・
文禄四年(1595年)7月24日に亡くなったとされてはいますが、その死因も、その時に何歳であったかもわからず、後世に多くの謎を残したまま、この世を去りました。
合戦に最も重要な将兵のモチベーション・・・士気を高める役割をこなした義朗がいればこその、九州に轟く島津の快挙だったのかも知れませんね。
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コメント
1000人目おめでとうございます
ヽ(´▽`)/パッパカパーン
今回の記事を見て、昔の人は神仏をとても敬っていたのだなというのが伺えます。現代でも風水など気にしますかね。
投稿: Ikuya | 2011年7月24日 (日) 17時36分
栄えある千人目が超有名人じゃないところが、またいいですね。(私は今回初めて知りました)歴史の教科書に載ってるスター以外の、沢山の、その時代影響を与えた人を紹介してくださるのがありがたいです。そして、歴史上のスターの知られざる一面とかも大変面白くて、楽しみながら勉強にもなります。これからも末永く続きますように<(_ _)>
投稿: Hiromin | 2011年7月24日 (日) 20時19分
o(_ _)oペコッ 祝・1000人到達おめでとうございます。
各戦国大名には軍師と言う人が必ずいますね。
今日は折しも大安。(o^-^o) 節目にふさわしい日です。
投稿: えびすこ | 2011年7月24日 (日) 21時12分
文の最後を間違えました。気にしますかね、でなく気にしますよね、に訂正します。ごめんなさい。
♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪
これからも楽しんで見させていただきます。
投稿: Ikuya | 2011年7月24日 (日) 22時46分
Ikuyaさん、ありがとうございますm(_ _)m
そうですね。
今でも、結局、なんだかんだで大安の日に結婚式が多いらしいですし…
「どうせなら、運の良い日にやろう」って事なのかも知れませんが…
投稿: 茶々 | 2011年7月24日 (日) 23時40分
Hirominさん、ありがとうございますm(_ _)m
そうですね~今回の川田さん、あまり有名人ではないと思います。
wikiの説明も、いたくあっさりしてましたww
投稿: 茶々 | 2011年7月24日 (日) 23時45分
えびすこさん、ありがとうございますm(_ _)m
今日は大安なんですか?
(知らなかった)
なんだか、うれしいです。
投稿: 茶々 | 2011年7月24日 (日) 23時47分
人物の紹介だけで1000人とはスゴイ!!
そろそろ本出しましょか…(笑)
「川田義朗」…全く知りまへん。(笑)
このブログで自分の知らない記事を見るのも愉しみの一つどす。
無理せず続けていただければとても嬉しいです。(ニャハ!!)
投稿: azuking | 2011年7月25日 (月) 09時17分
こんにちわ、茶々様。
>1000人目の人物の登場!
おめでとうございますψ(`∇´)ψ
>不安を抱えながら、続けていたブログですが
私は海外で商売をしていますが、始めた時はお客さんが1日に1人なんてこともありました。当時は『こんな国で何してるんだろ(´Д⊂グスン』と寝れない日もありましたが、現在は旅行者をはじめ、多くのお客さんが来店してくださり『忙しいな・・・休みが欲しい』と思うこともシバシバ。
従業員とのコミュニケーション不足、考え方の違いでストレスがたまる日々ですが、そんな私の日々の楽しみが『今日は何の日?徒然日記』です。
(やっと話が繋がりました!(*^-^))
笑いと涙と時折まじる茶々様のギャグを毎日の活力にしています。
続けるということは非常に困難なことですが、これからも体に気をつけて頑張ってください
o(_ _)oペコッ
投稿: DAI | 2011年7月25日 (月) 11時12分
azukingさん、ありがとうございますm(_ _)m
>無理せず続けていただければ…
やさしいお言葉…うれしいです。
長く続けていくためにも、頑張らないよう頑張っていきます(笑)
投稿: 茶々 | 2011年7月25日 (月) 12時24分
DAIさん、ありがとうございますm(_ _)m
いつも、元気の出るコメントをいただいて…それこそ、私の更新の励みになっております。
これからも、よろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2011年7月25日 (月) 12時27分
1000人到達を記念して、このブログを本にする事が可能ならば、書籍にしていただきたいです。m(_ _)m
賛同する出版社があればいいですね。
スポーツ関係でも名鑑以外で、1000人分のプロフィールや裏話を載せる物は少ないです。
著者名を「羽柴茶々」にすれば支障がないのでは?
投稿: えびすこ | 2011年7月25日 (月) 15時36分
えびすこさん、こんにちは~
>可能ならば、書籍に…
夢のまた夢ですね~(#^o^#)
投稿: 茶々 | 2011年7月25日 (月) 15時46分
茶々様
遅ればせながら、1000人達成、おめでとうございます。これからも歴史好きを楽しませてください。
投稿: いんちき | 2011年7月25日 (月) 20時14分
いんちきさん、ありがとうございますm(_ _)m
こちらこそ、これからも末長くよろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2011年7月25日 (月) 23時30分