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2011年7月27日 (水)

戦国からの脱却…第3代将軍・徳川家光誕生

 

元和九年(1623年)7月27日、徳川家光が第3代の江戸幕府・征夷大将軍に任ぜられました。

・・・・・・・・・・・・

徳川家光は慶長九年(1604年)、第2代江戸幕府将軍・徳川秀忠と、その正室の小督(おごう)もしくは於江与(おえよ)もしくは(ごう)・・・と名前がいっぱいあってややこしいですが、そう、今年の大河ドラマの主役お江さんとの間に生まれます。

異母兄で長男の長丸が、わずかな歳で亡くなってしまっていたため、次男として生まれた家光ですが、その昔、かの徳川家康が、そして、家康の長男である徳川信康が使った、徳川家の長男が名乗る幼名・竹千代を継ぎ、長男としての扱いを受けていました。

Tokugawaiemitu600b しかし、幼い頃の家光は病弱でおとなしく、内気でネクラで、やる事成す事がどん臭かったと言います。

一方、家光には、2歳違いで忠長(当時は幼名・国松)という弟が生まれますが、この弟がこれまた真逆で、聡明でしっかりしてて明るくて、なにもかもに積極的・・・そのせいなのか、母の江が、弟の忠長ばかりをかわいがったとか・・・。

そのうち、家臣の間にも、
「ひょっとしたら、この先、弟君の忠長様が家督を継ぐかも知れない」
なんて噂もたちはじめます。

そんな空気を察して警戒していたのが、家光の乳母=春日局(かすがのつぼね・お福)・・・

『春日局譜略』によれば・・・
元和元年(1615年)、父・秀忠と母・江に嫌われている事に悩んだ12歳の家光が自殺を図ろうとしたところを見つけた春日局が、慌てて抱きしめて思いとどまらせ、その足で、「伊勢参り」と称して江戸城を出て、駿府にいる家康に、涙ながらの直訴をしたと・・・

・・・で、その訴えに心動かされた家康が、江戸城を訪問・・・皆が居並ぶ前で、孫二人に「ジッチャンがお菓子をあげる」
と、家光には、側に寄らせて手渡しでお菓子を与えたのに対し、同じように近づこうとした忠長には、
「お前は、そこに控えとけ」
と言って、お菓子を投げて渡し、家光は後継ぎ、忠長はその家臣という立場をはっきりさせた・・・という有名なエピソードとなるわけですが・・・

まぁ、お察しの通り、おそらく、春日局の直訴も、お菓子のエピソードも後世の創作でしょうが、一般的には、家光の世継決定は、元和元年以降と考えられています。

しかし、実は、もう少し早く・・・
慶長十七年(1612年)2月15日付けの家康の書状という物が残っています。

それは、家光&忠長の母・江どのに宛てた訓誡(くんかい)・・・

それには、
「嫡男とそれ以外の男子は違う」
「弟が兄より威勢が強いのは家の乱れのもとである」

など、16項目に渡る戒めが書いてあるそうです。

原本の残っていない写しのみの訓誡状ですが、信用度が高く、これが、「母・江が忠長を溺愛」の噂の根源となっているようですが、言い替えれば、この時点で、家康は家光を3代めにする事を決めていたという事になります。

この時点での江の忠長溺愛はそれほどでもなかったかも知れないし、春日局の直訴もなかったかも知れませんが、少なくとも、家康の目には「そうなるかも知れない」兆候が見てとれ、「そうなる前にクギを刺した」という感じだったのかも知れません。

では、なぜ、家康は家光を後継者に選んだのか?

それこそが訓誡状にある
「弟が兄より威勢が強いのは家の乱れのもとである」です。

戦国の常識では、兄弟たちの中で最も優れた者が家督を継ぐ事が、その家が生き残る方法だったわけですが、徳川家が天下を取った以上は、それをそのままにしておけば、徳川家内の乱れにもなりますし、他家からの脅威も常に感じなければなりません。

なんせ、兄弟で争ってるうちに家そのものが衰退しかねないし、どこかの大名に優秀な息子が生まれたら、徳川家に取って替わられるかも知れません。

力のあるなしに関わらず、年齢の順に家督を継ぐ・・・

これを将軍家自らが実践すれば、他の大名も「右へならえ」で、いつしか、それが一般常識となります。

乱世には能力優先だけれども、世の中が安定すれば秩序を優先する・・・これが、家康の今後の方針だった事でしょう。

家康が決定した3代め家光は、まさに戦国からの脱却・・・安定した江戸時代への幕開け宣言だったと言えるかも知れません。

とは言え・・・元和二年(1616年)、その御大・家康が亡くなると、忠長擁立派の動きが活発になる事も確か・・・

なんせ、家光が元服した同じ日に忠長も元服する・・・なんていうのは、未だ、ライバル心ありありの感じがします。

もちろん、忠長自身や母の江が、本当にその気だったかどうかは微妙ですが、少なくとも、忠長のそばにいた人たちは、未だ、世継ぎの夢は捨て切れていなかったでしょう。

そこに父の代わりに・・・とばかりに裁定したのが秀忠です。

本年の大河ドラマでは、なぜか父の家康に反発心ありありの行動をとってる秀忠さんですが、史料で見る限りでは、秀忠という人は、いたってマジメで、父・家康の言う事をそのまま実行する人ですから、この時も「父上様のお心の通りに・・・」とばかりに、元和九年(1623年)7月27日将軍職を息子・家光に譲り、第3代将軍・徳川家光の誕生となるのです。

これで、兄弟の後継者争いは一安心・・・

と思いきや、秀忠が亡くなると、やはり、何やら不穏な空気が流れたのでしょうか???

大御所として君臨した父・秀忠との二元政治から解放された家光が親政を行う中、結局、弟・忠長は、悲しい末路を遂げる事になるのですが・・・そのお話は12月6日のページでどうぞ>>
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コメント

茶々様、こんにちは。
「生まれながらの将軍」、ドラマでよくあるセリフですが、確かに戦国時代を脱却した瞬間かもしれませんね。

投稿: いんちき | 2011年7月27日 (水) 17時28分

「生まれながらの将軍」。家康や秀忠はそうではなかったので、「戦国レジームからの脱却」と言う意味では実感がありますね。家光は家康の死去前後から、人物が変わった印象があります。偉人ほど幼少期・少年期は「出来の悪い人」の様です。信長と反対でおっとりしていたのが、心配のタネにされたのかな?ちょうど織田信長・信行兄弟とダブります。土田御前が江さんですね。これは因果応報なのでしょうか?
今年の大河ドラマでは時間的関係で、今日の世継ぎ問題の事に触れないまま終わるかな?江さんの代の人の事と、15歳あたりまでの時期を重点的に扱ったので。秀忠が将軍(+江さんが将軍御台所)になれたのは半分はタナボタなので、家康の様な「自力天下」ではないんですよ。

「世紀のワイドショー」ですが、小谷城の戦いと大奥誕生の回で、江さん関連の家系図が出ていますが、保科正之に触れませんでした。もし大河ドラマで触れなかったら、会津からエライ騒ぎになりそうな…。次回のBS・TBSの「THEナンバー2」が、保科正之です。江戸時代になってから生まれた人で、番組に出るのは初めてです。

投稿: えびすこ | 2011年7月27日 (水) 18時01分

いんちきさん、こんばんは~

やはり「安定した天下」を印象付けるには、家光が後を継いだほうが良かったんでしょうね。

家康&秀忠が、戦国時代に見た諸大名の様々な失敗を教訓として活かした事が、江戸の安定を築いたんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年7月27日 (水) 23時58分

えびすこさん、こんばんは~

大河は、ちょっと子供の頃が長かったですね。

スターが多くいすぎて、彼らを描く事に翻弄されたり、好きだの嫌いだのに引っ張られすぎた感があります。

投稿: 茶々 | 2011年7月28日 (木) 00時00分

今年の大河ドラマは3がキーナンバーのような気がします。
私が気が付いた点を挙げてみると。
江さんは浅井3姉妹の3女。3人目の夫・秀忠は3男。息子・徳川家光は3代将軍。2番目の夫の豊臣秀勝は3人兄弟。舅・徳川家康は関ヶ原の戦いの3年後に、日本で3つ目の幕府の初代将軍となる。
そして、江さんを演じる上野さんも3姉妹の3番目。
田淵さんは3年前の「篤姫」でも脚本を担当。
これは偶然なのか?

「主人公の子供の時の回数が多すぎた」と言う指摘は多いですね。でも簡潔すぎても生い立ちが分かりにくいと思います。
今年の大河ドラマの隠れた功績は、豊臣秀勝に脚光を当てた事ですね。

投稿: えびすこ | 2011年7月28日 (木) 17時56分

えびすこさん、こんばんは~

>3がキーナンバー

考えた事もなかったです~


>豊臣秀勝に脚光を当てた

秀勝の事を始めて見た人が、アレが原因で死んだと思ってしまわないかと心配です。

投稿: 茶々 | 2011年7月29日 (金) 01時14分

すいません。大河ドラマでの春日局についての補足です。
以前、「春日局役は冨田靖子さんに決まったようです」と投稿した記憶がありますが、それを一旦忘れてください。m(_ _)m
NHKに配役の確認をしたんですが、「HPも見たんですが、現時点では配役は未定です」と回答がありました。
大河ドラマガイドブックに、演じる女優の写真・経歴がないので、どうなっているのかなと思っています。
予想だと春日局(お福)は10月になってから出るので、今後彼女が出る場面の収録があるはずです。雑誌などでまだ取り上げてない事は、人選をやり直したんでしょうか?
まさか無視はしないでしょう。

投稿: えびすこ | 2011年7月30日 (土) 10時35分

えびすこさん、こんにちは~

まさか…
春日局が出なかったら、オカシイどころか事件です。
信長オジサマより、よっぽど接点あるでしょ。

投稿: 茶々 | 2011年7月30日 (土) 16時47分

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