「女は顔やないで!」吉川元春の嫁選び
天文十二年(1543年)8月30日、毛利元就の次男・少輔次郎が14歳で元服し、元春と名乗りました。
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享禄三年(1530年)に、あの毛利元就(もとなり)の次男として生まれた吉川元春(きっかわもとはる)・・・もちろん、もともとは毛利姓で、幼名も少輔次郎だったわけですが、
その破天荒な次男坊は、天文九年(1540年)に勃発した尼子氏との芸郡山城・攻防戦(1月13日参照>>)で初陣を飾ります。
なぜ破天荒かと言うと、この時、未だ元春は元服前の11歳・・・父・元就は、彼が出陣する事に反対していたのですが、それを押し切っての初陣だったのです。
やがて天文十二年(1543年)8月30日、父の「元」の1文字をもらい(諸説あり)元春と名乗って元服・・・その4年後には、父の他家乗っ取り作戦の手駒として、吉川家へと養子に出され、ここから吉川元春となります。
吉川家は、もともと、藤原南家の流れを汲む鎌倉幕府の御家人として駿河吉川(静岡市)に住んだ事から吉川氏を名乗り、後に安芸(あき・広島県)の地頭として赴任してこの地で繁栄した名門の家柄・・・この時の当主は吉川興経(おきつね)が務めていました。
元就の奥さん・妙玖(みょうきゅう)(11月30日参照>>)は、この興経の父・元経(もとつね)の妹ですから、興経と元春の関係は従兄弟同士・・・そこを利用して、なんだかんだの理由をつけて興経を隠居させて、養子として送り込んだ元春に吉川家を継がせて乗っ取ったわけです(9月27日参照>>)。
最終的に、この後、新しい当主=元春に謀反を起こしたとして、興経は息子とともに殺害されてしまいます。
ところで、そんな乗っ取り劇に前後して、元春は嫁取りも行っています。
お相手は、毛利の家臣である熊谷信直(くまがいのぶなお)という人物の娘・新庄局(しんじょうのつぼね)・・・
この信直という人は、あの源平合戦での活躍で有名な熊谷直実(くまがいなおざね)(11月25日参照>>)の直系の子孫という事で、代々、安芸の守護を務めていた安芸武田氏の家臣でしたが、あの西国の桶狭間と呼ばれる有田城外の戦い(10月22日参照>>)で元就が武田氏当主・を武田元繁(もとしげ)を破った後くらいから、毛利の傘下となっていた人だったのです。
しかも、なんと、この結婚・・・元春の独断なんだとか・・・
というのも、
「そろそろ、元春にも良い嫁を・・・」
と考えた元就の意向を受けて、家臣の児玉就忠(なりただ)が、元春に、その気持ちを聞きに行ったところ
「まだ、嫁さんをもらう気はなかったんやけど、お父ちゃんがそない言うねやったら結婚しよかな…、でも、実は、もう心に決めてるコがおんねん」
と元春・・・
そして、彼が「このコと結婚したい!」と名前を挙げたのが、熊谷信直の娘だったのです。
元就の使者としてやってきた就忠・・・すでに、元春に心を決めた女性がいる事にも驚きましたが、その数倍驚いたのが、人物のチョイス・・・
実は、この新庄局・・・たぐいまれなるブサイク=残念なお顔であるとの評判の姫だったのです。
元春ほどの武将となれば、三国一の美女だってOKするはず・・・思わず就忠は、
「まことにアレですが、信直の娘というのは、この世にまたとないブサイクって聞いてますけど、後悔しはりませんか?」
と、確かめたりなんぞ・・・
すると元春は、
「いやいや、ブサイクやからええねんがな」
と・・・
「美人やったら、あっちゃこっちゃからお声がかかるけど、ブサイクやったら、そうも行かへんから、父親の信直はんも、きっと心配してはるやろ。
そこを、俺が嫁に欲しいって言うたら、信直はんは、やれ!うれしいとばかりに、この先も毛利のために尽くしてくれるに違いないやないか?
それに、チヤホヤされて育った美人よりも、ブサイクのほうが心配りができるかもヨ」
・・・と、こうして結婚した二人・・・
元春の読みはズバリと当たって、新庄局は家臣に慕われる良い奥さんになり、元就も「さすが!俺の息子や」と大いに喜んだ・・・という事ですが、お察しの通り、このお話、三国志の諸葛孔明(しょかつこうめい)の嫁選びと良く似たお話で、ちょっとウサン臭いです。
この「新庄局がブサイクだった」という記述も、出て来る文献が限られていますので、ひょっとしたら事実ではない可能性も大いにあり・・・
実は、先ほど書かせていただいたように、元春の吉川家の乗っ取りが完了となるのは、吉川家の元当主である興経とその息子が殺害された時点なわけですが、その実行犯は、誰あろう、かの信直・・・個人的には、おそらくは、それに絡む政略結婚の可能性のほうが高い気がします。
それを、後世の人が、いかにも「元春が先見の明を持つ、カッコイイ武将」というイメージを作りたいがために、「新庄局は、実はブサイクで…」てな話にしてしまったのではないかと・・・
ただし、この時期に二人が結婚したのは、おそらく事実で、夫婦仲が良かったのも事実でしょう。
いくつか残された手紙でわかるのは・・・
この新庄局という人は、なかなかの気の強さを持っていた人のようで、結婚後は、渡鬼バリの嫁VS姑+小姑バトルを繰り広げていたようですが、こと、夫=元春との関係はすこぶる良好・・・四男二女をもうける仲睦まじい夫婦で、力を合わせて吉川家を盛り上げたようです。
事実、元春は生涯、側室をもうける事はなく、新庄局一筋で過ごしました。
元春の破天荒さと、新庄局の気の強さを受け継いだのか、ゴンタくれの不良息子だった次男の吉川広家に、夫婦連名で手紙を送るなど、良きパパ&ママぶりも垣間見えます。
ご存じのように、父・元就、兄・隆元(8月4日参照>>)亡き後は、その兄の息子の輝元を、弟の小早川隆景(こばやかわたかかげ)とともに盛り立て、吉川の「川」と小早川の「川」で、「毛利の両川」と称されるほどに活躍する元春ですが、外戦の多い彼が、安心して家を留守にし、思う存分戦う事ができたのは、やはり奥さんのおかげ・・・
美人だろうがブサイクだろうが、しっかりした良い嫁をもらった事は確か・・・その点では、元春さんの嫁選びは正解だったって事ですね。
本年の大河ドラマ「江」・・・
どうしても、戦国時代の結婚に恋愛感情を絡めて、良き妻に、妻一筋の夫という構図を造りたいのであれば、お江さんではなく、新庄局を主役にした方が、よほど恋愛ドラマとして作りやすかったような気がしますが・・・
あっ、でも、たぐいまれなるブサイクを主役にすると、それはそれでマズイのかも・・・(。>0<。)
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