三遊亭円朝と「怪談・牡丹燈籠」
明治三十三年(1900年)8月11日、明治時代に落語家として活躍し、落語界の中興の祖とも言われる初代・三遊亭円朝が71歳でこの世を去りました。
・・・・・・
天保十年(1839年)に初代・橘屋圓太郎(たちばなやえんたろう・初代圓橘)の息子として江戸湯島に生まれた三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう・圓朝)は、早くも7歳で初高座を経験し、その後もみるみる昇進・・・
とにかく噺がうまく、あまりの技術の高さに、周囲の落語家からの嫉妬を受け、彼の得意とする演目を、次から次へと先廻りして演じられて舞台を妨害される・・・なんてイケズも受けたのだそうです。
しかし、天才というものは、違うもんですね~
逆境を、逆手に取って
「ほんじゃ、誰もできない演目をやればいい!」
とばかりに、次から次へと、自らが創作した新作落語を発表して、更なる拍手喝采を浴びたのだとか・・・
そんな円朝が最も得意としたのは、お笑い系の話ではなく、人情噺や怪談噺といった物・・・それこそ、その後の落語の形態を変えるほどの、見事な牽引ぶりを発揮して、「中興の祖」と称されるようになったのです。
中でもよく知られているのは『怪談・牡丹燈籠(ぼたんどうろう)』・・・
このお話は、『四谷怪談』(7月26日参照>>)、『番長皿屋敷』(7月29日参照>>)とともに日本三大怪談と称されるほどの有名なお話で、ドラマや映画として数多く描かれてきましたが、四谷怪談や皿屋敷が、深い怨念のもとに、言わば復讐する形で加害者のもとに登場するのと違って、この牡丹燈籠は、「叶わなかった恋を成就させたい」と願う、切ない乙女の恋心という事で、他の2作品とは、少し趣が違っています。
もともとは中国のお話だったというところから、なんとなく雰囲気が違ってみえるかも知れません。
・‥…━━━☆
ある時、萩原新三郎というイケメン浪人者が、知り合いの医者のもとを訪ねたところ、そこに治療に来ていた17歳のお露という女性に出会い、二人はお互いに一目惚れ・・・
しかし、新三郎はしがない浪人で、彼女は武家のお嬢様・・・会いたくても会えぬ日々が続きます。
そんな中、ある日の夜に、新三郎が一人家にいると、遠くから、カラン…コロン…と、家に近づく下駄の音・・・
気になって外に出てみると、そこには、美しい牡丹の花が描かれた燈籠を手に持つ女中のお米と、その後ろには振袖姿も艶やかなお露・・・
「こんな夜更けにどうしたんですか?」
と新三郎が聞くと、
「どうしても会いたくなって、こっそり会いに来ました」
と、お露・・・当然のなりゆきとばかりに、その夜、二人は新三郎の部屋で結ばれます。
それからというもの、お露は毎夜々々、新三郎のもとを訪ねてきます。
そうなると、いつしか近所の人々にも、なんとなく知れ渡るもの・・・一人暮らしのはずの新三郎の部屋から、毎夜々々聞こえて来る楽しそうな話声に興味を持った長屋の連中が、ふと興味本意で部屋の中を覗き込むと、新三郎が楽しそうに話し込んでいる相手は、なんとガイコツ・・・
そう、実は、新三郎に恋こがれながらも、会えぬ苦しみに打ちひしがれたお露は、恋わずらいとなり、やせ細ったあげく、すでに焦がれ死にしていたのです。
幼い頃から彼女の世話をしていた女中のお米も、その後を追うように自殺していて、二人は、もう、この世の人ではなかったのです。
そうとは知らず、毎夜逢瀬を重ねる新三郎は、みるみるうちに痩せていき、心配した近所の人たちが、新三郎に、すでにお露さんが亡くなっている事を告げ、「このままでは死人にとり殺されてしまうから・・・」と、お坊さんに頼んで、家の周囲にお札を貼って、霊が入って来れないようにします。
さすがにお露大好きの新三郎も、相手が幽霊となると、ちと怖い・・・
その夜、やはり、いつものように、カラン…コロン…と下駄の音・・・扉の前で、下駄の音が止まったかと思うと
「新三郎さま・・・なぜ、このような事を・・・開けてくださいまし!」
と懇願するお露の声・・・
ドラマなどでは、結局、「たとえ死人でも、やっぱり、お露が好き!」と、情にほだされた新三郎が、お札をはがして、お露を迎え入れるというパターンもあるのですが、落語の原作では、お露が、伴蔵という者に大金を支払って、お札をはがしてもらい、家の中に入るという事になってます。
やがて、しらじらと夜が明ける頃、お米の照らす牡丹燈籠の後には、お露と、そして、その後ろをついて行く新三郎の姿・・・
そのまま行方知れずとなった新三郎は、お露の墓の棺桶の中、すでに白骨となっているお露と抱きあった姿で死んでいるところを発見されます。
・‥…━━━☆
と、まぁ、こんな感じですが、円朝の落語では、ここに、お露の実家である飯島家のお家騒動や、継母の浮気などが絡んで、もっと複雑なお話になっているのですが、そこンところは、実際に落語をお聞きになるか、書籍などを読んでお確かめください(けっこう長いですので)。
お家騒動や不倫の果てに、それぞれが「邪魔者を消そうか」と画策するあたりは、ひょっとしたら、純粋な恋のみに生きる幽霊よりも、今生きてる人間のほうがよっぽど怖いと感じるかも知れません。
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コメント
この幽霊は足があるんですね。ゲタの音がするのは、鬼太郎だけないけど〜
投稿: やぶひび | 2011年8月17日 (水) 07時45分
やぶひびさん、こんにちは~
噺では、
お露がもう死んでいると知って、お札を貼った家に籠る新三郎のところに、どこからともなく聞こえる下駄の音が…
ってところが一番の怖がりどころとなってますね~
ドラマや映画でも、この場面はお露さん自身を映す事なく、音だけが強調されるような演出になってます。
幽霊に足があるってのも怖い物ですね~
投稿: 茶々 | 2011年8月17日 (水) 12時14分
東京藝術大学の大学美術館で開催されている、「うらめしや~冥途のみやげ」という展覧会で三遊亭円朝の幽霊画コレクションが展示されていたので観てきました。
円朝コレクションは、東京の谷中にある全生庵(山岡鉄舟が建立しました)というお寺に所蔵されているそうです。
幽霊には足が無い、という観念を日本人が持つきっかけとなった、円山応挙の作といわれている幽霊画もありました。幽霊を描いたものではない、ともいわれていますが、たしかに言われてみれば美人画を情緒たっぷりに描いたもののようにも見えました。
不思議なもの、怖いもの、理解しがたいものなどが人間には必要不可欠なのだな~、とあらためて感じられました。
投稿: とらぬ狸 | 2015年8月11日 (火) 20時50分
とらぬ狸さん、こんばんは~
夏に幽霊画…イイですね~
円山応挙のあの絵の女性は、ホント美人です。
スリル体験は脳が活性化されるらしいです。
投稿: 茶々 | 2015年8月12日 (水) 02時14分
名跡「三遊亭円朝」は現在、襲名できる落語家がいないと見なされています。
上方落語では桂米朝師匠が亡くなられましたが、「桂米朝を襲名できる人は数十年いないのではないか?」と聞きます。
襲名できるとしたら弟子筋になりますが、米團治さんやざこばさんが米朝襲名を辞退した場合は、本当に数十年先になると孫弟子あたりになるのではと思うのです。
投稿: | 2015年8月16日 (日) 13時08分
こんばんは~
落語の世界の名跡の継承は独特の物があるようで…なかなかスンナリとは行かないみたいですね。
投稿: 茶々 | 2015年8月17日 (月) 03時01分