戦国真っただ中に生きた後奈良天皇
弘治三年(1557年)9月5日、第105代・後奈良天皇が崩御されました。
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第104代天皇・後柏原天皇の第2皇子として生まれた知仁(ともひと)親王が、父の死を受けて第105代天皇・後奈良天皇として践祚(せんそ)したのは大永六年(1526年)・・・31歳の時でした。
ちなみに、この践祚というのは「前天皇から天子の位を受け継ぐ事」・・・でも、それって「即位(そくい)」って言うんじゃ?
実は、即位というのは、「践祚した事を内外に明らかにする事」で、古くは、天皇の位を継いだ事を示す『践祚の儀』があって、それに続く『即位の礼』で継いだ事を公表するって事だったわけですが、それこそ、貴族全盛の奈良時代後半や平安時代初めの頃は、ほぼ同時に行っていたので、践祚と即位というのは、ほぼ同じ意味でした。
また、現在の『皇室典範』でも
「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」
「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」
とあり、践祚と即位を区別する事はされていません。
なので、「践祚と即位は同じ」と考えても支障は無いと思うのですが、あえて今回「践祚」とさせていただいたのは、実は、後奈良天皇の即位の礼が行われたのが、践祚してから10年後・・・ここに10年のブランクがある事で「践祚」という言葉を使わせていただきました。
そうです。
この後奈良天皇が天皇の位を受け継いだ大永六年(1526年)頃は、まさに戦国・群雄割拠の真っただ中・・・朝廷の財政はひっ迫し、幕府の権威も地に落ちて、とてもじゃないが「内外に公表する儀式」なんて、やれる状況じゃなかったわけです。
践祚した後、あっちこっちに寄付を頼みまくって、やっと10年後に『即位の礼』・・・この時、天皇家に多くの寄付をしたのは、大内氏・今川氏・北条氏・朝倉氏などの地方の戦国大名たちだったという事ですが、それでも、本当なら『即位の礼』とともに『大嘗祭(おおにえのまつり)』をやってこそ正式な即位となるのですが、それも行えなかったようで・・・
天文十四年(1545年)には、
「大嘗祭を行わないのは、私の怠慢ではなく国力の衰退による物・・・今、この国では徳のある賢者もおらず、私利私欲にとらわれた下剋上ばかりが盛んです。
このうえは神のご加護にすがり、上下和睦して民の豊穣を願うばかりです」
と、お詫びとも願いともとれる文を伊勢神宮に託しておられます。
天文八年(1539年)には諸国が大洪水に見舞われて大凶作となり、翌年には飢餓と疫病がまん延し、無数の餓死者や病死者が出た時には、般若心経を書写して供養し、それを25ヶ国の一宮に奉納して災厄の終息を願ったのだとか・・・
日頃は、清原宣堅(のぶかた)らに漢詩を学び、三条西実隆(さなたか)らから日本の古典を学ぶという学問好きだった後奈良天皇・・・時おり、宸翰(しんかん・天皇の直筆)の書を売って生計の足しにせねばならないほどの困窮を味わいながらも、決して、「献金と引き換えに官位を授ける事はしない」というまっすぐな性格だったと言います。
そんな後奈良天皇が62歳で崩御されたのが弘治三年(1557年)9月5日・・・その在位は、大永六年(1526年)~ 弘治三年(1557年)という事になりますから、あの斉藤道三の美濃乗っ取りに始まり、織田信長がやっと尾張を統一する頃くらいまで・・・
まさに、戦国動乱の真っただ中の時代を生きた天皇という事になります。
しかしそんな動乱の中にも、般若心経を写して奉納した際には
「朕(ちん)、民の父母として、徳覆うこと能(あた)はず。
甚(はなは)だ自ら痛む。
こひねがはくは、疾病の妙薬たらんか」
という言葉を付け加えていたのだとか・・・
自らの力のなさ故に国民を救えない歯がゆさに心痛めつつ、それでも、ただひたすら、国民の平穏を願われていたのでしょう。
こんな天皇家の衰退を救ってくれるのは、後奈良天皇・崩御の11年後に足利義昭(よしあき)を奉じて上洛する織田信長・・・それは、後奈良天皇の崩御を受けて、第106代の天皇になった第2皇子・正親町(おおぎまち)天皇(10月27日参照>>)の時代です。
そら、
「蘭奢待(らんじゃたい)削ってもええで」って言うてまうわ!
(↑あくまで個人的意見です…くわしくは3月28日のページで>>)
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コメント
後奈良帝こそ聖帝
投稿: | 2011年10月14日 (金) 23時13分
ほんとに、そうですね。
コメントありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2011年10月15日 (土) 01時46分