二宮金次郎像のヒミツ…その隆盛と衰退
天保十三年(1842年)10月6日、江戸幕府が、利根川の水利土木調査の為の御普請役格に二宮尊徳を登用しました。
・・・・・・・・
ご存じ、あの二宮金次郎です。
一昔前までは、全国・・・それこそ、津々浦々の公立小学校の校庭に、背中に薪(たきぎ)を背負い、本を読みながら歩いている銅像があったものです。
ちょっと前は「歩きながら本を読むのは危ない」として、
薪を横に置いて、「道ばたに座って本を読む」姿の銅像などもありましたが、「それって、ただの休憩やん!」というツッコミを入れる間もなく、もはや、現在の小学校では、その姿を見る事は困難となりました。
おそらく、金次郎10代の少年の頃の姿を映したとおぼしきこの銅像は、貧しい家に生まれ、働きながらであっても、勉強はいつでもどこでも出来、「勉強すれば、将来、立派な人になれる」という勤勉の大切さを子供たちに教えるための物だったわけです。
ところで・・・
ならば、この金次郎はどんな立派な人になったのか???
その逸話に関しては、金次郎の高弟・富田高慶(とみたこうけい)が書いた『報徳記(ほうとくき)』によるところが大きいのですが、その冒頭には
「鶏鳴(けいめい)に起きて遠山に至り、あるひは柴を刈り、あるひは薪をきり、これを鬻(ひさ)ぎ、夜は縄をなひ草鞋(わらじ)を作り、寸陰(すんいん)を惜しみ、身を労し心をつくし、母の心を安じ二弟を養ふことにのみ苦労せり」
と、天明七年(1787年)に相模(さがみ)国足柄上(あしがらかみ)郡柏山(かやま)村(神奈川県小田原市)に生まれた金次郎が、幼くして父を亡くし、母と弟を養うために苦労した事が書かれています。
また、続いて
「採薪(さいしん)の往(ゆ)き返(かへ)りにも大学書を懐(ふところ)にして、途中歩みながらこれを誦(しょう)し、少しも怠らず。
これ先生の聖賢の学の初めなり。
道路高音にこれを誦読(しょうどく)するが故に人々怪しみ、狂児(きょうじ)をもってこれを目するものあり」
と、あります。
おそらくは、上記のシーンを、具体的に見ただけでわかるよう銅像にしたのが、あの二宮金次郎像って事ですね。
・・・で、こうした努力を積み重ねた金次郎は、やがて、小田原藩主・大久保忠真(ただざね)にその才能を認められて、藩内の農村復興に腕を奮い、藩財政の再建に大きな功績を残す人物となったわけです。
彼が説いた「報徳思想(ほうとくしそう)」は、その独学で学んだ神道・仏教・儒教などの学問上の道徳理論と、幼い頃から働いた経験で身に着けた農業の実践的ノウハウを融合させた経済学・・・豊かになるための生活の知恵とも言うべき物です。
そのモットーは
「私利私欲に走らず社会に貢献すれば、いずれ利益は自分たちに戻ってくる」
まさに正論・・・その内容は、今でも充分通じますし、むしろ、親孝行や努力や勤勉といった物が失われつつある今こそ、再確認せねばならない思想かも知れません。
まぁ、細かな個々の業績に関しては、いずれ書かせていただくとして、
それにしても・・・
明治の初めにもてはやされ、国定教科書にも1位2位を争う頻度で登場して隆盛を極めたあげく、各地の小学校に建てられたはずの銅像が、もはや、ほとんど見られなくなったのはなぜ???
実は、その銅像誕生と衰退には、金次郎本人とは無関係の大人事情があったのです。
そもそも、この銅像・・・先ほどの『報告記』の記述をもとにしているとは言え、「実際に金次郎が薪を背負いながら本を読んだという事実はない」とされています。
なんせ、高弟と言えど、直接金次郎の少年時代を見たわけではなく、いかに先生が頑張って勉強したかを伝えたいがための文章なのですから・・・
で、なぜ、「金次郎が薪を背負いながら本を読んだという事実はない」と言われるかと言いますと・・・
実は、近年の研究で、当時の足柄上郡には、荷物を背負う習慣がなく、物を運ぶ時は天秤棒を使っていたという事が解明されているから・・・天秤棒だと、両手がふさがりますから、本を持つ事ができません。
「いやいや、勉強熱心な金次郎の事だから、どこかで見聞きした“背負って運ぶ”という方法を知ってたんじゃないの?」
と、思われるかも知れませんが、実は、その背負いでも本を読む事は、ほぼ不可能なのです。
それは、明治以前の日本人の歩き方・・・以前書かせていただいた『ナンバ歩き』です(くわしくは11月11日参照>>)。
明治維新後に西洋式の軍隊が導入されて、現在のような歩き方になるまで、日本人は皆、このナンバで歩いていたわけですが、このナンバ歩きの最大の特徴は、前のめりになって体重を移動させて前へ進む事・・・つまり、歩く時には、ほとんど前を見ないで、地面か、もしくは自身のお腹のあたりに顔が向くわけで、金次郎ならずとも、のんびりと読書しながら歩くという事は、たぶん無かったでしょうね。
では、なぜ、そんな金次郎に薪を背負わせ、銅像にしたのか???
実は、明治初期の日本が、英語の教科書として採用していたアメリカの『ウィルソン・リーダー』という書に、「アメリカで勤勉だと評判の牛をひきながら本を読む少年の話」というのがあり、これを日本の歴史上の人物に置き換えて、明治五年(1872年)に発足したばかりの文部省が、子供たちに勤勉さを教える象徴として登場させたのが金次郎とその銅像ではなかったか?と・・・
だからこそ、教科書にも頻繁に登場し、明治三十五年(1902年)には、文部省の幼年唱歌に「二宮尊徳(桑田春風:作詞)」なる歌も登場しています。
正直・勤勉・忍耐・・・子供の理想像としての金次郎像という事なのです。
しかし、こうして、大人の事情で誕生した金次郎像は、またまた、大人の事情で衰退を見せます。
そう、あの太平洋戦争・・・
GHQにとっては、日本人の勤勉性はいかにも脅威・・・その勤勉性や忍耐力が、愛国心や忠誠心を養うと考えられたようです。
そう言えば、戦後しばらくは忠臣蔵の上映&上演も禁止でしたからね。
今では、どう考えても危険とは思えない二宮金次郎像ですが、時代とともに、様々な事情があるのかも知れませんね。
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コメント
現代で二宮金次郎像が多い地域はどのあたりですか?確かアメリカに1体あると聞きました。
昔は「本を読みながら歩く」行動がないとは知りませんでした。日本人に猫背が多いのはナンバ歩きの名残ですか?
投稿: えびすこ | 2011年10月 6日 (木) 12時45分
えびすこさん、こんにちは~
>現代で二宮金次郎像が多い地域は…
それは、知りません(゚ー゚;
今でも、あるんでしょうか?
>日本人に猫背が多いのは…
それは違うような気がします。
ナンバは完全に忘れ去られてますので…
投稿: 茶々 | 2011年10月 6日 (木) 15時00分
入学した小学校にはまだ二宮金次郎の像がありました。 正直、苔むす位古びていて、新入生には不気味な存在でしたけど。集団登校して、その前で挨拶してから教室に散った記憶があります。
その後、新校舎に移転したので、金次郎さんとは数ヶ月のお付き合いでしたね。新しい校地にはもう彼はいませんでした。
旧校舎には 明治国家の「キリストなきプロティスタンシズム」の香りが微かにありました。ストイックで、勤勉で、目には見えないけれど、神聖なものの気配が漂っているような…。簡素なプロテスタント教会を見ると、妙に懐かしい感じがするのはそのせい?
社会のために働くことが自分の利益になって還ってくる…、実はこの精神なしには近代資本主義は成立しないのですね。明治の人達は本能的にそれが解っていました。金次郎像はその象徴でしょうか。足らざるを知る、これは偉大な事です。
投稿: レッドバロン | 2011年10月 6日 (木) 15時32分
レッドバロンさん、こんにちは~
今こそ、金次郎の教えを再確認せねばならない時なのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2011年10月 6日 (木) 16時35分
こんばんは
二宮金次郎で思い出したのは、小4の時に教科書に市内の江戸時代に作られた用水路の話に出てきたなと言うのと、小学校の時に二宮金次郎像の怪談があったなというのを思い出しました。
小学校の二宮金次郎像は、低学年の時は、蔦がぐるぐる巻きで、いつしか蔦がなくなっていました。
怪談とは、二宮金次郎像が背負っている薪は左右で数が違うのと、ためしに数えると呪われるというよくある怪談です。(薪の数が違うのは、手で彫るからしょうがなだろと思いますが)
また、二宮金次郎さんはてっきり江戸時代の始めのほうの方かとおもっていましたが、おわりの方だったのですね。
投稿: Ikuya | 2011年10月 6日 (木) 20時47分
Ikuyaさん、こんばんは~
「金次郎の銅像が夜中に行程を歩く」という怪談もあったような…(@Д@;
私の小学校には金次郎さんはいませんでしたが、何となく、近寄りがたい存在だったような気がします。
投稿: 茶々 | 2011年10月 6日 (木) 23時26分
どうしても二宮金次郎が薪を背負う銅像に目がいってしまいますね。『荒地にも徳がある』と言って下野の農民にすぐれた指導をおこなった足跡は今に伝えていく必要があります。小田原城のそばにある『尊徳記念館』。人間の知恵や度量を考えさせられます。
投稿: 銀次 | 2011年10月 7日 (金) 05時01分
銀次さん、こんにちは~
>どうしても二宮金次郎が薪を背負う銅像に目がいって…
ホントっですね。
あまりにも銅像が有名なので…
正直なところ、私も小さい頃は、銅像は知っていても何をした人なのかよくわかりませんでした。
不況が続く現在、経済的な理論は学ぶべき部分も多いので、今一度注目すべき人なのでは?と思いますね。
投稿: 茶々 | 2011年10月 7日 (金) 08時12分