武士?僧侶?ストーカー?スパイ?謎多き歌人・西行
保延六年(1140年)10月15日、鳥羽上皇の北面の武士であった佐藤義清が、突然に出家し、西行と名乗りました。
・・・・・・・・・
ご存じ、西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した僧侶で、全国を旅しながら、おりにふれて詠んだ歌は、平安貴族のそれとは一風変わった新時代の歌として高く評価され、後には、あの松尾芭蕉が、その足跡をたどって旅をして俳句を詠むなど、歌人としても、後世に大きな影響を与えた人物です。
しかし、そんな西行・・・冒頭に書かせていただいた通り、もともとは、鳥羽(とば)上皇の院の警固を担当する北面の武士・・・
その名を佐藤義清(のりきよ)と言い、あの平将門(まさかど)を倒した事で有名な藤原秀郷(ひでさと)の9代めの子孫で、代々、近衛兵として仕える家柄であり、紀伊国(和歌山県)に田仲荘という所領も持ち、経済的にはかなり裕福・・・
しかも、彼自身が18歳の若さで兵衛尉(ひょうえのじょう)に任じられるほど武勇にも優れ、このまま行けば、かなりの出世を見込めるエリートコースを歩んでいた武士なのです。
ところが、保延六年(1140年)10月15日・・・突如として、未だ23歳の若さで出家してしまいます。
それも、『西行物語絵巻』によれば、「お父ちゃん、見捨てんといて!o(;△;)o」と、追いすがる幼い娘を、縁側から蹴り落としてまで、現世との縁を断ち斬っての出家だったとか・・・
何が、西行をそうさせたのか???
それには、いくつかの説があります。
『源平盛衰記』では・・・
「申すも恐れある上朧(身分の高い女性の事)」に片思いをして何度も迫るうち、その女性から「あこぎ(しつこい)!」と拒否された事に傷ついて・・・って、ストーカーかい!ヽ( )`ε´( )ノ
そのお相手は、鳥羽上皇の中宮の待賢門院(たいけんもんいん)だったとも、鳥羽上皇の皇后の美福門院(びふくもんいん)だったとも、鳥羽上皇と待賢門院に生まれた上西門院(じょうさいもんいん)だったとも言われますが、もし、それが本当の理由なら、蹴られて捨てられた妻子が、あまりにもお気の毒・・・
・・・で、やっぱり『西行物語』に戻れば・・・
仲良くしていた同僚の佐藤憲康(のりやす)と、「明日、一緒に出勤しような」と元気に別れたものの、翌朝、誘いに行くと、すでに昨晩、急死したと・・・その場で泣き崩れる老母と嫁をの姿を目の当たりにし、明日をも知れぬ人生の空しさを感じたのだと・・・
さらに、鳥羽上皇と、対立する息子の崇徳(すどく)天皇との板挟みになって苦しんでいたという話も・・・なんせ西行は、崇徳天皇の母である待賢門院の実家・徳大寺家の家人でしたが、上記の通り、務め先は鳥羽上皇の警固なわけで、この対立は、後に、保元の乱(7月11日参照>>)まで引き起こし、負けた崇徳天皇を史上最強の怨霊(8月26日参照>>)にしてしまうくらいですから、その板挟みとなれば、悩みも大きいかも知れません。
でもなぁ~~(-ε-)、
ストーカー説よりは、後者の説の方が説得力はありますが、なんだか男の責任を果たしてない気がする・・・いくら「空しさを感じた」「板挟みが辛かった」とは言え、君には、養うべき嫁と子がいるのだゾ!
でも、まぁ、それこそ現代の価値観では測れないし、ひょっとして、彼の世話になどならずとも一生食うに困らないほど、嫁さんの実家が裕福なら、さほど、男の責任を感じる事もないだろうし・・・
が、しかし、その出家理由もさる事ながら、実は、その後の西行にも少々疑問が残ります。
・・・と言うのも、上記の通り、出家して諸国を放浪し、その土地々々で仮の草庵を構えては多くの歌を残した西行ですが、まったく俗世間との接触の無い世捨て人となったか?というとそうでもありません。
意外と時の権力者に近くにいて、ある時は、北面の武士だった頃の人脈を駆使して、高野山の免税の交渉に尽力したりもしています。
また、『吾妻鏡(あづまかがみ)』の文治二年(1186年)8月15日の項に書かれている鎌倉での源頼朝との対面などは有名ですね。
この時、西行69歳で頼朝40歳・・・鶴岡八幡宮に参拝した頼朝が、そこで西行に出会い、弓馬の事や和歌の秘訣についてなど尋ねたところ・・・
「秘伝の兵法書が焼けてしもたし、罪つくりな事はぜ~んぶ忘れてしもたんで」
と武勇については語らず
「僕は、花や月やらに心動かされた時に、それを31文字にして詠むだけで、特別な秘訣なんておまへんわ~」
と、どちらの質問にもうまくかわされたのだとか・・・
さらに、頼朝が「お礼に…」と西行に渡した銀製の猫を、八幡宮門前で遊んでいた子供にポイっと渡して、サッサと立ち去って行ったと・・・
と、これだけの内容だと、何やら、ひと言ふた言、二人が言葉を交わしただけように見えますが、実は、この時の二人の面会は一晩中かけて行われていて、その内容を、頼朝は、右筆(ゆうひつ=秘書・文官)の藤原俊兼(としかね)に書きとめさせていたとか・・・
しかも、この時の西行は、東大寺の再建資金に苦労していた僧・重源(ちょうげん)から、財力を誇る奥州の藤原氏への寄付金の依頼を頼まれていて、この先、奥州・平泉へと向かう途中であったという事・・・
そう、文治二年(1186年)8月と言えば、その前月に、あの静御前が男児を産み(7月29日参照>>)、翌月の9月には、佐藤忠信が壮絶な討死を遂げる(9月21日参照>>)、おそらくは、奥州藤原氏を頼って落ち延びたと思われる弟の源義経(よしつね)を必死で捜索していた、まさにその頃だったわけです。
そんな時期に奥州へと向かう西行に頼朝が会った・・・これは、偶然の出来事ではないのかもしれません。
故に、西行は出家後も武の一面を失う事なく過ごし、もしかしたら「頼朝の放ったスパイだったのでは?」との噂も囁かれますが、これは、あくまで噂・・・
やはり、旅の中にあって風流な歌を詠む歌人として姿が、一番西行らしいのかも知れません。
♪ねかはくは 花の下(した・もと)にて 春しなん
そのきさらきの 望月の比(ころ) ♪
晩年に詠んだこの歌の通り、 文治六年(1190年)2月16日・・・釈尊涅槃の日に73歳で、その生涯を終えたという事です。
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コメント
ある年の歌会始の儀、はっ!とした事があります。二・二・六事件で刑死した青年将校のご兄弟(歌人)が召人としてお出になってたのです。
わが国の宮廷には、政治的事件で生じた深刻な亀裂を歌の世界で回復する、そのような伝統があるのやもしれません。
西行の旅と繋がるかどうか解りませんが、表現が高級になってくると、シンボリズムの世界にもなりますね。一見非政治的な舞台に深い政治的な意味が込められていたりします。
「政治とは生活なり」は某ボンクラ党のキャッチ・フレーズでしたが、生活とは一編の詩でもあります。
西行自身が、多くを含み、謎でありたかったような気がしますね。
投稿: レッドバロン | 2011年10月15日 (土) 18時43分
吉野山に庵があったそうですね。「西行桜」見てみたいです。
投稿: やぶひび | 2011年10月15日 (土) 21時16分
西行さん…はて、名前は割りと聞くような気がしますが、誰でしたっけ??一瞬、ゆく川の流れは絶えずして、の作者?だったっけ?と思った次第です(あ、あれは吉田兼好さんでしたよね)。新古今和歌集に載ってる方でした、よね??
元々なじみのない方なんで、出家の為に妻子を捨て、しかし俗事が忘れずイロイロチョロチョロしてた方、とインプットされそうです(笑)
投稿: おみ | 2011年10月15日 (土) 21時32分
レッドバロンさん、こんばんは~
応仁の乱の頃には、和歌で領地を取り戻した人もいましたしね~
西行にも、政治批判している和歌がありますが、歌は偉大ですね。
投稿: 茶々 | 2011年10月16日 (日) 02時52分
やぶひびさん、こんばんは~
>西行桜…
西行ゆかりの地に、いくつかあるみたいですね~
私は、まだ、どれも見た事ないので見てみたいです。
投稿: 茶々 | 2011年10月16日 (日) 02時53分
おみさん、こんばんは~
「ゆく川の流れは絶えずして」は鴨長明さんですね。
「徒然なるままに」が吉田兼好さんです。
このへんはややこしいですね~
イロイロチョロチョロしてたのはあくまで噂なので…
このブログでインプットしてしまうと大変な事になります(笑)
どうか、ちゃんとした歴史本で…再確認を(><)
投稿: 茶々 | 2011年10月16日 (日) 03時04分
茶々さん、こんばんは。
西行がストーカーだと私は性格破綻者でしょうね。
それはそうと願わくは花のもとにしなんという言葉はわかります。
願わくは砂漠の中でしなんと言うのが私の思いです。
でも日本は何故気温が安定しないのでしょうか?黒潮にしても世界中であんな大蛇行をする海流はありません。冷水塊なんか他の国で聞きません。いつもこの国は特殊なのかなと思ったりします。去年訪れたイタリアは夏だったのかショックが多いので感じなかったのでしょうか?あまり気温の差が無かったので本当に不思議に思います。
同じ緯度の地域でここまで気温差がある国は見たことが無いです。不思議です。確か世界で一番南で冬季五輪をしたのは日本です。本当に季節の変化が激しいので文学作品が多いのかなと思ったりもしますが、早く冬は終わってほしいです。
投稿: non | 2017年1月29日 (日) 18時55分
nonさん、こんばんは~
私は、日本の季節の移り変わりが、むしろ好きです(o^-^o)
投稿: 茶々 | 2017年1月30日 (月) 03時39分