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2011年11月19日 (土)

トンチの帝王・曽呂利新左衛門と豊臣秀吉

 

毎月19日は、その語呂合わせから、「トークの日」という記念日なのだそうで・・・これまで、いつ書こうかと悩んでいた曽呂利新左衛門のお話を・・・

・・・・・・・・・

曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)は、あの豊臣秀吉御伽衆(おとぎしゅう・殿さまの相談相手)として仕えたとされる人物で、トンチの利いた言い回しで、オモシロ逸話をたくさん残した事から、落語家の祖とも言われ・・・って事で、無理やりな雰囲気ですが、「トークの日」の話題にさせていただきます。

とは言え、笑える逸話的な物が数多くあるものの、正式な記録にはあまり登場せず
「架空の人物かも知れない」
「同時代の僧・安楽庵策伝
(あんらくあん さくでん)(3月17日参照>>)と同一人物かも」
いやいや
「本名は杉森彦右衛門というんだ」
などなど・・・そう言った意味では謎の人物です。

ちなみに、明治の頃に活躍した落語家の2代目・曽呂利新左衛門は、この戦国期の曽呂利新左衛門をもじって、シャレで「二世(ニセ=偽)曽呂利新左衛門」と名乗っていたという事らしいです。

・‥…━━━☆

・・・で、そんな新左衛門さん・・・ある時、秀吉からのお呼びがかかります。

「はてさて?」
と、急いで参上しますと、

秀吉は
「日頃から、お前のトンチで笑わせてもろて・・・おかげで、ワシの心も休まるわ。
せやから、なんか褒美をやろかな~って思て・・・
何か、欲しい物あるか? 何でも言うてみ」

と・・・

しばらく考えた新左衛門さん・・・

「ありがたいこってす。
せやけど、今は、特別に欲しいっちゅーもんも、あらしませんねやけど・・・
かと、言うて、せっかくの殿下のお言葉に背くんもあきまへんさかい・・・
ま、ほな、お言葉に甘えて、紙袋一つに入るくらいの物、何かいただきましょか」

「紙袋一つに入る物???
なんや、そんなんで、ええんかい」

と、スゴイ褒美を要求するかと思っていた秀吉は、拍子抜けしたような雰囲気・・・

しかし、その日以来、10日ばかり、新左衛門の姿を見かけなくなります。

「病気にでもなったんやろか?」
「何か、重大な出来事でも?」

と、少々心配になった秀吉は、新左衛門の屋敷に使者を送り、様子をうかがわせました。

そして、ひととき経って、帰って来た使者が言うには・・・

「新左衛門は病気ではないみたいです。
なんや、知りませんけど、大勢人数を集めて、“紙を張り合わせてる最中やから忙しい”ってな事らしいです」

「紙を・・・?何のために???」
と、不思議がる秀吉・・・

「ようわかりませんけど、なんや、大きな紙袋やそうです」

それを聞いて、ハタと思いだした秀吉・・・
「まさか・・・( ̄○ ̄;)!」

「なんや、先日、太閤殿下と約束をしたとかで、米蔵ごとスッポリ入る紙袋を作るんやそうです」
「しもた~~ヾ(;□;)э」

紙袋に入る物と聞いて、てっきり小さな物だとばかり思っていた秀吉・・・
「こら、一本取られたなぁ」
と苦笑い・・・

もちろん、これは座興で、新左衛門も、本気で米蔵を貰おうなんて思ってるわけではなく、いわゆる、「何日にもまたがった、長~いボケってヤツですな。

さらに・・・
またまた、ある時、新左衛門のオモシロ話に機嫌をよくした秀吉が、
「何か、欲しい物はあるか?」
と、ご褒美をくれる様子・・・

すると新左衛門は
「ご褒美はいりませんので、一日一回、殿下の耳の匂いを嗅がせてもらえまへんか?」
と、まことにもって理解し難いお願い・・・

「変な事、言うやっちゃな?」
と思いながらも、
「新左衛門の事やから、何かあるのかも…」
という期待もあり、
「ええよo(*^▽^*)o」
快諾・・・

その日から、毎日、秀吉の耳の匂いを嗅ぐ新左衛門・・・しかも、そのタイミングは、決まって、諸大名たちが秀吉を訪ねて来ている時・・・

「ちょっと、失礼」
と言って、いつものように耳の匂いを嗅ぎに来て、何やら、訪問中の大名の顔をチラチラ見ながらクンクンクン

そうです。
何も知らない訪問者から見れば、何やら新左衛門が、自分の事について秀吉にコソコソと耳うちして、噂話を報告しているように見えるのです。

それ以来、諸大名たちは、何かと新左衛門の機嫌をとるようになり、彼のもとには贈り物が絶えなかったのだとか・・・

秀吉どころか、多くの大名たちも、新左衛門に一本取られてしまったのですね。

Dscn3055a800 現在、大阪城の南に位置する玉造稲荷神社の東門…この神社の東隣に曽呂利新左衛門は住んでいたと言います。
ちなみに、秀吉時代には、千利休の屋敷もこの周辺にあり、神社の境内の水でお茶を点てていたそうです。

★玉造稲荷神社への行き方は、本家ホームページ:歴史散歩「上町台地」でどうぞ>>

もうひとりの落語の元祖安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)については、3月17日【戦乱の世に笑顔を…落語の元祖・安楽庵策伝】のページでどうぞ>>
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戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

コメント

数学の教科書に新左衛門が広間の畳にまずは一粒次は二粒と増やしていったらスゴいことになっちゃった~というお話しが載っていました。
秀吉好きの先生はいきなり秀吉を語りはじめました(笑)

上のコメントはどう見てもスパムですね(`Д´)

投稿: Ikuya | 2011年11月19日 (土) 16時34分

Ikuyaさん、こんにちは~

ご心配をおかけしまして…
スパムはniftyに通告して排除させていただきました。

>広間の畳にまずは一粒次は二粒と…

なんか、それも聞いた事あります。
私の知ってるのは、「米粒を毎日一粒ずつ下さい」ってヤツ…
ただし、「翌日は前日の倍の数」って事で、1→2→4→8…っと、またたく間にスゴイ数になる事に気づいた秀吉を慌てさせたって言う話でした。

これも、オモシロイですよね。

投稿: 茶々 | 2011年11月19日 (土) 16時45分

曽呂利新左衛門は死ぬ時、向こうで殿様のためにお城を築いておきますと言ったとか。あまりドラマとか出てこないから、いたのかな〜忍者だった?

投稿: やぶひび | 2011年11月19日 (土) 17時08分

一日一回、殿下の耳の匂いを嗅がせろなんて、いかにも上方文化ですよね。
江戸では将軍様に冗談でも、そんなこと言えません。

西洋では 王様の側に道化師が付いてますが、笑いは統治者の頭脳を柔軟にするのでは。

投稿: レッドバロン | 2011年11月19日 (土) 18時40分

こんにちは~

ほんと、落語みたい!頭が切れるのに嫌味がない。凄いな~!
子供の頃アニメで見て(話はすっかり忘れてるのに不思議と)昔から何となく好感を持ってました。やっぱいいですね。改めて好きになりました。
いい話をありがとうございますm(__)m

投稿: おみ | 2011年11月19日 (土) 19時01分

やぶひびさん、こんばんは~

忍者ですか~
それもロマンがあって良いですね~

ひょっしたら芸名で、実は、その正体はメッチャ有名な人だったりして…

投稿: 茶々 | 2011年11月19日 (土) 20時48分

レッドバロンさん、こんばんは~

確かに…
上方文化ですね~

統治者こそ、息抜きが必要でしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年11月19日 (土) 20時50分

おみさん、こんばんは~

上品な笑いは、やはりレベルの高い人なればこそですね。
そういう人ほど、嫌味がなく、高慢な態度もとらないんですよね~

投稿: 茶々 | 2011年11月19日 (土) 20時53分

お久しぶりです。
曽呂利新左衛門のお話、面白いですね。てっきり小説の架空人物かと思っていましたが、色々な逸話があるのですね。ソロリさんも玉造神社に行ったんでしょうか(?_?)私も行ってみたいです。ガラシャさんの句も好きです。

投稿: ひろ | 2011年11月20日 (日) 07時38分

ひろさん、こんにちは~

玉造稲荷神社には、この10月に、ゆかりのある豊臣秀頼公の銅像もでき、なにやら活気づいています。

曽呂利さんも、何かの願掛けに訪れたかもしれませんね~
もちろん、ガラシャさんも…

投稿: 茶々 | 2011年11月20日 (日) 15時48分

この玉造神社は友人の家の近くなので、何度も通ったな、と思って写真だけで懐かしいです。そんな人の屋敷があったんですね。写真もありがとうございました。

投稿: minoru | 2011年11月23日 (水) 03時03分

minoruさん、こんばんは~

お近くなんですか?
私も、ここは、子供時代のテリトリーでした。

その頃は、まだ、あの豊臣秀頼寄進の鳥居が見事に建ってたんですが…

投稿: 茶々 | 2011年11月23日 (水) 03時20分

社会人になってからの友人なので、子供時代とは違うのですが。今は海外なので大阪が懐かしいです。おまけに、この面白い話と写真が懐かしいです。海外にいると大阪が、日本が懐かしいです。

投稿: MINORU | 2011年11月23日 (水) 16時19分

MINORUさん、こんばんは~

そうでしたか…


>海外にいると大阪が…
ホントに…
私なんか、転勤で、ちょっと北陸へ移動しただけで、吉本新喜劇見たさにCSに入っってしまいましたから、海外ならなをさらでしょう。

でも、海外という事を、聞かなければわからない時代なんですね~
ネットはスゴイ…と、つくづく

投稿: 茶々 | 2011年11月24日 (木) 01時54分

曽呂利新左衛門のことですが、謎の人でも架空のひとでもありません。3年前ですがわたしは仕事上でたまたま曽呂利さんというご婦人に会いました。そしてすぐに「もしかして、あの有名な曽呂利新左衛門さんのご子孫ですか?」とたずねました。ご婦人はそうですとおっしゃっていました。たいして有名ではないと謙遜しておられました。冗談でそうですと言ったのではなく本当にご子孫だとおもいます。大阪市内でのことです。あとお会いする機会はないのですが。曽呂利家は代々続いていたということになります。

投稿: dondon | 2017年10月 7日 (土) 20時59分

dondonさん、こんばんは~

曽呂利さんという苗字の方は、現在も30人ほどおられるそうです。
確かに珍しい苗字なので、ご子孫かも知れませんね。

「謎の人」と言うのは、生い立ちや経歴などの記録が見られないという意味で、「架空の人物かも」というのは、別の名前を持っていて正式な史料などではその別のお名前で登場するのかも…というような意味合いも含まれていると思っていただければ幸いです。
明治以前の方々は、生涯で何度も名前を変える方の方が多いですから…

本文にも書かせていただいたように「住居跡」と称される場所もあるので、たぶん実在の人物なのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2017年10月 8日 (日) 02時14分

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