西園寺公望、パリのカフェで大暴れ
昭和十五年(1940年)11月24日、総理大臣を2度経験し、最後の元老として知られる西園寺公望が92歳でこの世を去りました。
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精華家(せいがけ・公家の家格で摂家の次)の一つ、徳大寺家の次男として生まれた西園寺公望(さいおんじきんもち)は、4歳の時に、やはり精華家の一つであった西園寺家の養子となって家督を相続します。
その血筋としては天皇家の男系子孫で、第113代東山天皇の6世の孫にあたります。
なので、幼い頃は、年齢も近い祐宮(さちのみや=後の明治天皇)様の遊び相手として重宝され、度々召されていたのだとか・・・
やがて迎えた動乱の幕末期ですが、この頃には未だ政治的活躍の場が無かったものの、鳥羽伏見の戦い(1月3日参照>>)の頃から徐々に頭角を現しながら、維新後には新潟府知事などを務め、公卿としては始めて散髪をして洋装に身を包むといった外国を強く意識した人であった事から、明治四年(1871年)には官費でフランス留学を果たします。
パリ留学で、彼が身につけた自由主義の思想は、藤原氏の末裔として生まれて皇室と深く関わらねばならない自分の立場とは相反する物でしたが、そこを見事に融和させ、彼なりの落としどころを見つけながら、独特の世界観を作り出して、やがては、他に類を見ない政治家へと成長していきます。
明治二十七年(1894年)に、第2次伊東内閣の文部大臣として初入閣を果たした後は、政界の一員として活躍し、明治三十九年(1906年)の第12代、明治四十四年(1911年)の第14代と、2度の総理大臣を経験した頃は、桂太郎と交互に首相の座に就いた事から『桂園(けいえん)時代』と称されたりします。
晩年、大正天皇の即位とともに元老(政府の最高首脳の重臣)となり、彼を最後に、新たな元老が指名される事が無かった事から、最後の元老と称されますが、昭和十二年(1937年)に元老の辞退を申し出た後は、元老辞退そのものは認められなかったものの、政治の表舞台からは姿を消す事になります。
・・・と、まぁ、一気に西園寺さんの生涯を見てみましたが、それこそ、この場では書ききれないほど情報が多数ある有名人ですから、ネット上にも、彼の生涯に関しての書き込みは多く、政治家としてのお話は、それらのほうがずっと詳しいでしょうから、マジメなお話はソチラで見ていただくとして、今回のこのブログでは、そんな西園寺さんの留学時代の、知られざるエピソードをご紹介したいと思います。
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若き日の留学時、日本大使館でアルバイトをしながら勉学に励んでいた公望青年・・・どうやら、その収入のほとんどを使ってしまうほどカフェ通いをしていたようで、留学生仲間の中江兆民(ちょうみん)(12月13日参照>>)らはもちろん、後に東洋自由新聞の記者として活躍する光妙寺三郎なんかとも、そのカフェで知り合いになって意気投合して大親友となるといった具合でした。
ある時、そのカフェで泥酔状態となっていた三郎が、ちょっとしたはずみから、あやまって、お店の窓ガラスを1枚割ってしまいました。
慌ててやって来たボーイが
「ちょっとお客さん、弁償して下さいよ~」
と詰め寄ると、
「弁償??? ほな、弁償さえしたら文句ないねんな?」
と念を押す公望・・・
当然、ボーイは
「もちろん」
と答えます。
すると、やにわにステッキを持って、スクッと立ちあがった公望は、あれよあれよと言う間に、そのステッキで店内の窓ガラスを全部、叩き割ってしまったのです。
ぼう然とするボーイ・・・ハタッと我に返り、慌てて、すべての窓ガラスの代金を計算します。
すると公望・・・すかさず、その、全窓ガラスの代金を、全額、キャッシュで支配い、
「あぁ~~~スカッとしたわ!!」
と、言いながら、三郎を連れて、悠々と店を出て行ったのだとか・・・
今やったら、大変な問題になりそうですが・・・
大胆な人ですね~
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コメント
西園寺さんが パリに遊学したのは 第二帝制が終わり、第三共和制が始まった頃。欧州が平和で、華やかだった時代で、カフェ通い、楽しかったでしょうね。彼は十年もパリに居続けたのでした。
窓ガラス叩き壊すの、ちと乱暴ですが、ま、人に指図されるのが嫌いな人ですから。日本は英米に指図される国になってはならない、指図する側にならなくては…と、まだ若い頃に言ってます。
投稿: レッドバロン | 2011年11月24日 (木) 16時37分
この話で、窓ガラスを全部割るなんて、中学生の頃のストレス発散したい気持ち(でも、非行少年で無いのでできない)をやって、大人買いした感じ。って違いますよね、天下の総理大臣ですもんね。
投稿: minoru | 2011年11月25日 (金) 00時22分
レッドバロンさん、こんばんは~
やはり、相手に負けてなるか!
って気持ちの現われなのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2011年11月25日 (金) 02時16分
minoruさん、こんばんは~
総理大臣も若い時には、ちょっとハメをはずしちゃうんでしょうね。
アルバイトのワリにはガラス代をキャッシュで払えるお坊ちゃんですし…
投稿: 茶々 | 2011年11月25日 (金) 02時18分
今もパリのカフェって、日本と違うように思います。
投稿: やぶひび | 2011年11月25日 (金) 09時38分
やぶひびさん、こんにちは~
>日本と違う…
独特の雰囲気があるって事ですか?
やはり、ファッショナブルな物への誇りと伝統のある国ですもんね~
投稿: 茶々 | 2011年11月25日 (金) 11時25分
茶々様、こんにちは。
豪快なエピソードですね。ガラスを全て割れば、そりゃ、スッカとするでしょう。
投稿: いんちき | 2011年11月25日 (金) 12時33分
いんちきさん、こんにちは~
スカッとするでしょうね~
おいそれとはできませんが…(゚ー゚;
投稿: 茶々 | 2011年11月25日 (金) 16時33分