「宗教法人令」施行で廃止された神社の社格
昭和二十年(1945年)12月28日、旧「宗教団体法」が廃止され「宗教法人令」を公布・施行・・・これにより、信教の自由が保障され、宗教法人と認められた団体は自由に布教活動が可能になりました。
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第二次世界大戦後に日本に進駐していたGHQによって、これまでの国家機関によって統制する「宗教団体法」の廃止命令が出た事を受けて、日本政府は、昭和二十年(1945年)12月28日の勅令を以って、これを廃止しする事とし、認可制だった宗教法人を届出制にして宗教法人の設立や規則変更、解散などを自由に行なえる「宗教法人令」を即日施行したのです。
ただし、この時の「宗教法人令」は、はなから平和条約の発効により廃止される期限付きの物だったので、その後、昭和二十六年(1951年)4月3日に、新しく「宗教法人法」を公布して即日施行される事になりました。
おかげで、戦後には様々な新興宗教法人が相次いで誕生・・・自由な信仰も保障されたわけですが、一方では、一度、宗教法人として認証された後は所管庁のチェックが甘い事から、色々な問題もはらみつつ現在に至っているのは、皆さまもご存じの通り・・・
・・・とは言え、近代史にウトイ私ですので、そこンところは、もう少し勉強してからお話するとして、本日は、ちょうど2日前に書かせていただいた『「延喜式」の誕生』のページ(2011年12月26日参照>>)に書ききれなかった、神社の社格のお話についてご紹介したいと思います。
そうなんです。
その『延喜式』に端を発する神社の社格が廃止され、神社も宗教法人となるのが、今回の「宗教法人令」の公布・施行・・・という事ですのでね。
・‥…━━━☆
そもそもは、大宝元年(701年)8月3日に、あの『大宝律令』(8月3日参照>>)が誕生した際、朝廷より奉幣する官社というのを定め、それ以外の神社と区別したのが社格の始まりとされます。
つまり、律令制によって、朝廷による国家統制がなされる中で、国家のために霊験あらたかな神社を制定し、それらの神社の祈年祭などに神祇官を派遣して奉幣が行われるなど、国家事業として、神社への礼遇が行われたわけです。
奈良時代に入ると、その数はグンと増えます。
しかし、そうなると、都から近い所へは、なんとか神祇官を派遣できるものの、遠方となると、直接神祇官が奉幣する事もなかなか難しく・・・
そこで、平安時代になってからは、これらの遠方の神社には、それぞれの地に派遣された国司(こくし・くにのつかさ=地方行政官)が代わって奉幣する事となり、ここに官幣の神社と国幣の神社が区別される事となります。
『延喜式』の神名帳によれば、全国の推定3万余もの神社の中から、
●官幣大社=304社
●官幣小社=433社
●国幣大社=188社
●国幣小社 =3207社
の合計:4132社が選出されています。
原則として五畿内(大和・山城・和泉・摂津・河内)にある神社は官幣の大&小社とし、その他の諸国は国幣の大&小社としていましたが、もちろん例外はあり・・・特別に由緒のある神社は、地方でも官幣の大社に名を連ねる事もありました。
ちなみに、この『延喜式』に選出されている神社を「延喜式内社」と呼びます。
やがて、平安時代も末期になると、神社の中でも特に国家が尊敬した神社22社が号する神宮や、各国に置かれた総社・一の宮・二の宮・三の宮などの社格も誕生しました。
各地方に派遣された国司は、現地に赴任すると、まずは、吉日を選んで、その地方の主だった神社を巡って参拝し、それが終わってからはじめて、政務を行うのが通例となっていましたが、この時に、最初に詣でるのが一の宮、次いで二の宮・・・と巡るのです。
総社というのは、その国司が一の宮やら二の宮やらを合祀して国府の近くに置いた神社の事・・・ちなみに一の宮のほとんどが国幣大社に選ばれていました。
・・・で、これらの通例が一変されるのが、例の明治維新・・・明治四年(1871年)の太政官布告によって神官の世襲が廃止されるとともに、神社への補助金制度や神官職などの神社規定などが、『延喜式』以来の信仰度合いに基づいて、
神祇官管轄の「官幣大社・中社・小社」と地方官管轄の「国幣大社・中社・小社」に分けられ、それ以外は諸社と呼び、それぞれの地方が管轄する府県社としました。
また、府県社の下には、その土地で多くの信仰を集めている神社を郷社とし、その次が村社、さらに、村社に至らない神社を無格社としました。
そんな中では、明治五年(1872年)に明治天皇の勅旨(ちょくし=天皇の命令書)で以って創建された湊川神社(兵庫県神戸市)を別格官幣社(人臣を祭神とする準官幣小社)とするなど、ちょいと政治色の強い物もありました。
まぁ、湊川神社の祭神は天皇家の英雄・楠木正成(5月25日参照>>)ですからねぇ( ´,_ゝ`)
ただし、こうして決められた後も、合併統合されたり、逆に村社から郷社、さらに府県社へ昇格する神社が出てきたりなどを繰り返しながら、やがて、冒頭の昭和二十年(1945年)12月28日の廃止となるわけですが・・・
ちなみに、この時、廃止された社格別神社数としては・・・
●官幣大社=62社
●官幣中社=26社
●官幣小社=5社
●別格官幣社=28社
●国幣大社=6社
●国幣中社=47社
●国幣小社=44社
●府県社=1148社
●郷社=3633社
●村社=44934社
●無格社=59997社
と、合計10万以上が記録されています。
なんだか、種類分けと数字の多い記事になってしまいましたが、史跡めぐりで訪れる神社の由緒には、今も「この神社は『延喜式』では○○に属していて・・・」と書かれていたりするくらい、神社側にとっては重要な社格・・・
今もなお、延喜式での社格の高さは神社のアピールポイントなので、神社巡りの際に、ふと、今回のお話を思い出していただければ幸いです。
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コメント
毎日来ているのですがコメントはお久し振りです。
自分の住んでいる宇都宮は一の宮がなまって地名になった説があるみたいです。
あまりよくはわからないのですが、宇都宮の地名の由来となった神社は戊辰戦争で燃えてしまったために社格が下がってしまいその後はどうなったかわからないのですが、神社も大変だと思いました。
投稿: Ikuya | 2011年12月28日 (水) 19時16分
Ikuyaさん、こんばんは~
明治の変革期は、お寺にとってはもちろん、神社にとっても、別の意味で大変でしたね~
祭神が変更されたり…生き残りも必死でした。
投稿: 茶々 | 2011年12月29日 (木) 01時58分