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2012年1月 6日 (金)

神代から現代まで…色の色々な歴史~「色の日」にちなんで

 

1月6日は、「1=イ」「6=ロ」の語呂合わせから、「色の日」という記念日なのだそうで、今日は「色」のお話をさせていただきます。

・・・・・・・・・・

そもそも、古代の日本で、最も重要かつ好まれた色は「赤」でした。

現在の私たちでも想像できるように、赤とは、
太陽の赤、
炎の赤、
血の赤、

と、何かと、エネルギーや生命を感じさせるところから、強い色=邪悪な者にも打ち勝つ色と認識され、縄文時代の頃には、すでに、魔よけの色として土器や日用品にも多く用いられました。

以前書かせていただいた、愛する人と結ばれている「運命の赤い糸」(8月21日参照>>)のもととなったお話でも、周囲に赤土をまいて、その場を清めるというまじないだっただろうと思われます。

それは、古墳時代になっても続き、古墳の石室内にほどこされた大量の赤は、現在でも確認する事ができます。

未盗掘で発見された奈良の藤の木古墳から、大量のベニバナの花粉が見つかった(9月25日参照>>)のも、記憶に新しいところです。

ま・・・、この場合は、赤というよりは「朱」といったほうが良いかも知れませんね。

そもそもお祝いの時に赤飯を炊くのも、もともとは神棚にお供えしていた「強飯(こわめし・こわいい)が赤かったからで、当時はモミを蒸しただけの物だったのが、玄米になり、さらに白米になるうち、現在のように、白米に赤味をつけるために、小豆と一緒に炊くようになったわけです。

壬申の乱の時に、大海人皇子(おおあまのおうじ=後の天武天皇)赤旗を使用した(7月2日参照>>)事もご存じかと思いますが、これも、五行思想の「火」をイメージしたとされ、ここで、乱に勝利して、天皇家の基盤を作る天武天皇が使用した「赤」が官軍の色となった事から、後の源平の合戦では、官軍(安徳天皇いますから)だった平家が「赤旗」・・・

そして、それに対抗すべく色として、八幡菩薩にちなむ「白旗」源氏が使用したのではないか?と思われています。

この赤白は、ご存じのように、現在の運動会の赤白や、あの紅白歌合戦にも通じています。

とは言え、これらの色にも、時代時代によっての流行が出てきます。

ご存じ、聖徳太子の時代の「冠位十二階」では、紫→青→赤→黄→白→黒(それぞれに濃と淡で12です)と、濃紫が最も高貴な色とされました。

おそらく、赤と青を合わせた中間色という事で、色そのものもミステリアスであり、染めるにも難しく、また原料も大変高価だった(主に日本では紫草の根、ヨーロッパでは貝紫)事などから、紫系の色が高貴な色とされたのだと思いますが・・・

この「紫が身分が高い」という観念は、けっこう長く続いていたようで、江戸時代の初めには、色がらみの紫衣事件(11月8日参照>>)が起こっていますが、ここで言うところの衣服の色は、あくまで階級を示す公式の場の色です。

なんたって、いろんな色の服を身につけたいのは、いつの時代も同じですから、奈良時代の終わり頃には、徐々に使用制限も緩められていたようで、正式な場を除いては、必ずしも階級による色が守られる事はなく、結構、自由な色合いを楽しんでいたようです。

平安時代には淡い色が好まれ、その上にさらに薄物を重ねて、下の色が透けて見える微妙な色合いを楽しむ事が大流行したそうです。(←もちろん、男もです)

ただ、それも、一部の貴族たちの楽しみで、一般庶民は、ほとんど、黒か黄色くらいしか許されなかったそうですが・・・(←工事中か!)

やがて鎌倉時代になると、武士中心の世の中になり、そのファッションリーダーもバトンタッチ・・・武士らしく、緑系や青系や褐色といった色がもてはやされ、それは、さらに、室町時代に花開いた「侘び・さび」の精神から、特にシブイ色が好まれるようになります。

ところが、そんな流行が一転するのが、織田信長豊臣秀吉・・・つまり、安土桃山時代です。

この二人のリーダーが好んだ「金銀派手派手色とりどり」ってのが流行し、今も残る桃山文化の建築物は、それはもう、目にも鮮やかな物ですね。

桃山時代の傑作とされる西本願寺唐門なんか、見ていると時間の経つのを忘れるとして別名・日暮門などと呼ばれています。

Karamon800
西本願寺:唐門

ところが、これも・・・
先の紫衣事件じゃないですが、江戸時代になると、一転して茶色や鼠色ばっかりに・・・

まぁ、これは、流行というよりは、何度も財政難に陥る江戸幕府が、度々質素倹約を呼びかけて、派手な衣装を禁止した事にあるわけですが、「それならそれで…」とばかりに、庶民たちは、逆に、黒や鼠色の中での微妙な色の違いを楽しむようになり、わずかな色の濃淡、あるいは、わずかに別の色を入れた新しい色を次々と生み出し、

それらの色に、花鳥風月を思い起こす美しい名前をつけたり、その色を好む人気の歌舞伎役者の名前をつけたり、イメージする歴史上の人物の名を入れたりして・・・

鼠色 濃鼠 銀鼠 葡萄鼠 利休鼠 藍鼠
源氏鼠 深川鼠 青磁鼠 白梅鼠 
素鼠
一応文字の色は、その色にしてみましたが、
携帯などで、
見え難い場合はゴメンナサイ

「鼠と素鼠は違うのか?」という疑問を残しつつも、これはこれで、結構楽しめ、おかげで、現在でも「そんな名前の色、あるの?」って驚くほどの色の種類が日本にある事は、皆さまもご承知の事と思います。

以前、ご紹介した天下御免の「氷」道中の旗印とされた緋色(8月5日参照>>)
巴御前の鎧の縅(おどし)の色だった萌黄色(1月21日参照>>)
雰囲気から名づけられたであろう今様色
まさに夕陽を思わせる茜色
ウチはもっと汚いゾの納戸色
じつは海って…の紺碧
そんなんあったんや~の空五倍子(うつぶし)

今日はひとつ、ゆっくりと、日本の色を探索してみるのもイイですね~
 .

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コメント

わりと最近(秋頃かな?)学校の総合の時間で日本の色についてしらべました。
同じ紫でも京紫と江戸紫があったりして、実際に区別つくのか?って思ってしまいました。

今様色などの細かい種類の色が1000年くらい昔からあったと知ったときはビックリしました。(だから十二単が作れたのですね)

投稿: ティッキー | 2012年1月 6日 (金) 19時13分

日本語は色のボキャブラリーが世界一豊かなようですね。確かに、国風文化の時代になると、俄かに色彩が淡く中間色になってきますね。

それで私達はチャイナ・レストランの二階のような部屋で目を覚ます侘びしさを味あわずに済んだ訳です。風水だか易学だか、意味はあるんでしょうが、あの色彩は日本人には耐え難いです。

投稿: レッドバロン | 2012年1月 7日 (土) 02時04分

ティッキーさん、こんばんは~

へぇ~、今は、そんなお勉強もするんですね~
古式ゆかしい名前がついていると、なんだか遠い昔に思いを馳せてしまいます~(*゚ー゚*)

投稿: 茶々 | 2012年1月 7日 (土) 03時02分

レッドバロンさん、こんばんは~

赤などの派手派手な色は、落ち着かない色として、ファーストフードのお店の壁の色として使用されてますね。
お客の回転が速くなると…

やっぱり、誰しもが落ち着かないんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2012年1月 7日 (土) 03時05分

日本の古式ゆかしい色って
その名前を見ているだけで
落ち着きますねぇ。
(妄想が広がるというか…(^_^;))

明日から始まる大河「平清盛」でも
興味深い色や柄が
見られそうで楽しみですね。

投稿: hana-mie | 2012年1月 7日 (土) 11時28分

hana-mieさん、こんばんは~

そうですね~
「平清盛」…いよいよですね~
楽しみです。

投稿: 茶々 | 2012年1月 7日 (土) 19時03分

「源氏物語」でも色とりどりの装束がありますね。「赤」1つでも名称が複数あります。
松の内が終わり、今週から本格始動しますね。テレビのドラマも。

投稿: えびすこ | 2012年1月 8日 (日) 09時16分

はじめまして。
楽しい、わかりやすいブログですね(^_^)v
色の話、とてもおもしろかったです。
日本人の色に対する感覚ってすごいと思います。名称の付け方もいいですよね。
過去の記事も、これからゆっくり読ませていただきます。
おつきあいいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします<(_ _)>

投稿: YUMI | 2012年1月 8日 (日) 09時50分

えびすこさん、こんにちは~

今夜は清盛ですね~
ワクワクです(*^-^)

投稿: 茶々 | 2012年1月 8日 (日) 12時11分

YUMIさん、こんにちは~

>楽しい、わかりやすいブログですね(^_^)v

そう言っていただけるとウレシイです。

ただ、わかりやすさのためにはしょっている部分も多々あり…
「これは、はしょるな」
「はしょり過ぎで意味が通じてない」
はたまた
「はなから間違ってる」
なんて場所がありましたら、お教えくださいませ。
よろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2012年1月 8日 (日) 12時19分

訂正と言うか、なんというか…
昔の紫は「紫草(むらさきそう)」で染めます。君が袖振る標野で育ててる奴です。現在は染料店(東急ハンズとかの中なら入りやすいと思います)で誰でも買えます。
藍と紅花(韓藍・くれない)で染めた紫は二藍といいます。こっそり直しておいていただけると幸いです。
最近はゴムはんこにはまっていて、紫でいろいろ捺しまくっています。
ちなみに「茜色」と「空部子色」も染料名がそのまま色名です。茜は草の根ですが、「空部子色」はなんとヌルデの虫こぶ(五倍子・ぶし)で染めるのです。

投稿: りくにす | 2013年1月 6日 (日) 22時15分

りくにすさん、こんばんは~

ご指摘、ありがとうございます。
言葉足らずで申しわけありませんでした。

私が言いたかったのは、「紫という色を青と赤を混ぜて染めた」=染色の仕方の事ではなく、色の認識の中で、「原色には無い中間色」の「紫という色」という意味でした。

古代の日本語で「色」を認識する言葉は、
闇夜の「黒」
白々と夜が明ける「白」
昇って来る太陽の「赤」
真昼の空の「青」
の4色だけでした。
なので、緑の葉っぱの事を、この4色から最も近い色を使い「青葉」と、今でも表現しますよね?

本文に書かせていただいた通り、時の流れとともに様々な色の観念&名称が登場して来る事になりますが、私としては、やはり、基本の色ではない中間の色である事や、原料が貴重だっだが故に高貴な色とされたのではないか?と考えています。

ややこしく書いてしまって、申し訳なかったですm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2013年1月 7日 (月) 03時15分

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