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2012年1月24日 (火)

味覚の文明開化~明治天皇が牛肉を食す

 

明治五年(1872年)1月24日は、明治天皇が初めて牛肉を試食された日だそうです。

・・・・・・・・・

維新と同時に押し寄せた文明開化の波・・・

欧米列強にナメられる事なく、「追いつき追い越せ!」を推進するために、明治新政府が西洋化を推し進めたのはご存じの通り・・・
鹿鳴館参照>>) 帝国ホテル参照>>)

かと言って、人間、長年続けて来た風習をおいそれと変えられる物ではありません。

特に、外国を写真で見た事すらない一般庶民には、なにがどうなっているやら・・・

そこで、政府が旗印としたのが、明治天皇・・・

以前にも、そのお誕生日に少し書かせていただきましたが(11月3日参照>>)、維新当時15歳だった明治天皇は、それまでは、眉を剃り、お顔にはお化粧&お歯黒をほどこし、宮中にて女官に囲まれて、かるたや双六で遊び、お習字して和歌を詠む・・・といった生活をされていたわけですが、それを一大転換させて、天皇自ら、生活を洋風にする事で、民衆のお手本となり、文明開化の実現を図ったわけです。

実際に、明治四年(1871年)8月に発布された断髪令の時にも、チョンマゲを切る事に抵抗があり、なかなか庶民には浸透しませんでしたが、明治天皇が断髪される事によって、一気に民衆の間にも広まったという事がありました(8月9日参照>>)

かくして、明治五年(1872年)の正月元日に、初めて西洋料理を食された明治天皇は、その23日後の明治五年(1872年)1月24日初めての牛肉を体験されたのです。

明治天皇ご自身は、日本料理がお好きで、鮎やハモなどが大好物だったとの事ですが、それこそ、「国民のためにも自ら実践せねば!」というお気持ちでいらした事でしょう。

その翌年には、正式なテーブルマナーを学ばれ、その年の9月には、自らがホストとなって、イタリアからの国賓をフランス料理でおもてなしされ、以来、宮中の正餐にはフランス料理が採用されるようになったのだとか・・・

・・・で、一方の庶民のほうは、と言いますと・・・

これには、オモシロイ文献が残っています。

明治四年(1873年)~五年に刊行されたという仮名垣魯文(かながきろぶん)『安愚楽鍋(あぐらなべ)の中に、当時大流行していた牛鍋屋の様子が書かれています。

Aguranabe
教科書でおなじみの安愚楽鍋の挿絵

「天は万物の父母。人は万物の霊。
故に五穀草木鳥獣魚肉。
是が食となるは自然の理にして。
これを食ふこと人の性なり。」

「味をしめこの喰初(くいぞめ)に。
そろそろ開けし西洋料理」

「士農工商老若男女。賢愚貧福おしなべて。
牛鍋食はねば開化不進奴
(ひらけぬヤツ)
鳥なき郷
(さと)の蝙蝠(こうもり)傘」

と、軽快な調子で、実におもしろく書かれているのですが・・・

上記の通り、これを食べないと「時代遅れ」と言わんばかりの勢いで、町でイキがってる連中から、西洋風の書生から、儒学者のような紳士まで、老いも若きも・・・

遠くは人力車にて乗りつけ、近くは銭湯の帰りに寄ってこか~って感じで、店内は混み合い、懐中物に用心しなければならないほどで、人の出入りも激しく、お会計して、「ありがとうございました~」と言えば、またすぐ「いらっしゃいませ~」といった感じで、大変な盛況ぶり・・・

そのメニューには、牛肉はもちろん、牛乳乾酪(かんらく=チーズ)乳油(ちちあぶら=バター)まで・・・お土産として買って帰る人もたくさんいたとか・・・

・・・て、これだけ流行ってたって事は、牛肉食に関しては、官も民も、ほぼ、同時に馴染んで行ったって感じですね。

やがて、こんな感じの手軽な牛鍋屋から、西洋料理店も開店するようになり、上野精養軒築地日新亭神田三河屋といった、いわゆる名店も誕生していくのです。

とは言え、明治になって、一番変化した味覚と言えば、甘い物・・・

もちろん、それには、今回の牛肉とともに庶民の口に入るようになった乳製品に絡んでの事なのですが、比較的辛い物がヒットしたこれまでとは違い、アンパンや飴玉といった甘い物が好まれるようになり、一般家庭でも、それまでは、梅干しや漬物が一般的だったお茶うけに、甘いお菓子が出されるようになったとの事・・・

それにしても、日本人は、異文化の受け入れが早い!!

今じゃ、お寿司・天ぷらと並んで、すき焼きが代表的な日本料理ですからね~
考えたら、天ぷらもオランダですがな…(;´▽`A``
 .

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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

明治時代初頭には西洋料理を作れるシェフはまだそんなにいないですね。公募したのでしょうか?ちなみに明治天皇はアンパンが好物だったそうです。アンパンは和洋折衷。西洋のパンに和菓子に使うあんこを入れているので。

投稿: えびすこ | 2012年1月24日 (火) 18時37分


明治天皇は 個人的には和風、京好みで、電気もガスも写真も実はお嫌いでした。畏れながら多分パジャマは召されなかったと思います。しかし、寝所から一歩お出になれば、洋装で通され、国策に適うように振る舞われたのですね。

「王政復古」と「文明開化」を同時並行で断行するアクロバットは明治天皇の無私の精神なくしては不可能でした。中東はじめ近代化への激しい揺り戻しを見る度に、何とか師が宗教的権威で、かつ政治的指導者では、到底無理なことが よく解ります。

投稿: レッドバロン | 2012年1月24日 (火) 21時09分

えびすこさん、こんばんは~

そう言えば、以前、天皇陛下の料理人のドラマがあったような??
それを見ていないので、その天皇が明治天皇かどうかはわかりませんが…

投稿: 茶々 | 2012年1月24日 (火) 23時57分

レッドバロンさん、こんばんは~

>中東はじめ…

ホントですね~
史実としての歴史はともかく、神代から続く天皇家が、率先して西洋化される…大変だったと思います。
昔から「国際化」「国際化」と言われますが、個人的には、日本ほど国際化してる国は無いと思ってます。

投稿: 茶々 | 2012年1月25日 (水) 00時02分

茶々さま 仰せの通りです。

大事なことなので、最コメントします。日本は世界文明を豊かに取り込んできました。私の好きなカステラも、オランダ船(置物)も、大工さんが建てた西洋式ホテルも、異邦の薫りはするけど、日本の文化そのものであります。

大概の書物を、多くの人たちが翻訳で読めるのも日本をおいて他にありません。これも過去形になりつつありますが。軽薄なグローバル化やってるうちに、世界を内部に取り込み、豊かに熟成させてきた日本の文化力もどんどん衰えて行きます。
大変に憂慮すべきことと思いますね。

投稿: レッドバロン | 2012年1月25日 (水) 15時57分

レッドバロンさんの文面の一部。
>世界を内部に取り込み豊かに成熟させた。

中国においてはそれと反対の現象があり、モンゴルの元王朝や満州族の清王朝も、支配下に置いた漢民族の人の政治体制・生活風俗を自分たちの政権に取り入れたんですね。それ以前の時代においても似た事がありました。

こうして考えると日本文化はまだ海外に浸透していないとも言えますね。正月の特集番組で未だに日本のイメージを誤解していた人(来日前のイメージ)がいたとか。

投稿: えびすこ | 2012年1月25日 (水) 17時42分

レッドバロンさん、こんばんは~

>日本は世界文明を豊かに取り込んできました。

ホントです。
天ぷらもすき焼きも照り焼きも肉じゃがも…
取り入れながらも日本らしく…

今では、なにか「本場その物」が良いような風潮で、映画の題名や歌の題名も外国語ばっかり…

取り入れながらも日本らしいのが、個人的には好きなんですが…

投稿: 茶々 | 2012年1月25日 (水) 18時51分

えびすこさん、こんばんは~

浸透してないというよりは、浸透しても、外国の人は、それを日本製(日本発祥)と知らない事が多いような気がします。

お国柄もありますが、「どこの物か気にならない」っていうのもあるかと…

投稿: 茶々 | 2012年1月25日 (水) 18時53分

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