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2012年1月11日 (水)

東洋のエジソン~からくり儀右衛門こと田中久重

 

明治十四年(1881年)1月11日、幕末から明治にかけて活躍し、「東洋のエジソン」と呼ばれる発明家=からくり儀右衛門こと田中久重が82歳の生涯を閉じました。

・・・・・・・・・・

人気ドラマ「仁-JIN」に、手術をする仁先生手元を明るく照らす灯明を提供する人として登場した事も記憶に新しい田中久重・・・

Giemon400 彼は、寛政十一年(1799年)に筑紫国(福岡県)久留米べっこう細工職人田中弥右衛門の長男として生まれます。

幼い頃から、父が細かな細工をする姿を見て育った彼は、9歳のある日、寺子屋仲間に、自作の硯箱(すずりばこ)を、「コレ、開けてみぃや」と差し出します。

硯箱とは、硯やら筆やら文鎮やらを収める単なる箱で、普通、蓋など簡単に開けられる物・・・ところが、友達がよってたかって試してみるものの、誰一人として、その箱を開けられる者がいなかったのです。

つまり、久重がちょっとした細工をほどこし、一見、何の変哲もない箱に見せながら、絶対に開けられないように作ってあった・・・これが、久重の発明の原点となる「開かずの硯箱」でした。

友人たちが、「あーだ」「こーだ」と言いながら、目をキラキラと輝かせて不思議がり、皆が考え込む姿を見て、楽しくてたまらない久重さん・・・

そんなこんなのある日、久重少年は、近所の神社の縁日で、その時の友人たちのように、目をキラキラと輝かせて不思議がりながら、何かを見ている集団に出会います。

彼らが見ていたのは「からくり人形」の興行・・・これは、当時、庶民の間の娯楽として大流行していた物で、からくり興行師が、その体内などに様々な機械的な仕掛けをほどこして、太鼓を叩いたり、あるいは舞いを舞ったりといった動きをする人形を観客に披露する見世物です。

Karakuri500 まるで魔術のように、ひとりでに動く人形たち・・・それを、あの日の友人たちのように目をキラキラと輝かせて見つめる久重は、一発で、その魅力にとりつかれます。

大流行となっているからくりですから、その手本書となる書籍も出版されており、まるで、平成の子供たちが、人気ゲームの攻略本を買うがごとく、その手本書を手に入れた久重は、寝る間も惜しんで、その本を読みふけったと言います。

やがて、自らの一大決心を父に告白する久重・・・
「家業は弟に継がせてください…僕は、からくりで身を立てます」
と・・・時に久重、14歳でした。

その後、からくり興行師として九州や、大阪京都江戸などを巡業する中、次々と、水力や空気圧などを利用した新しいからくり人形を発明して人々を驚かせる久重は、各地で大評判となり、「からくり儀右衛門」として、行く先々で人気を博します。
(儀右衛門というのは彼の幼名です)

その中の一つが、超有名な「弓曳き童子」・・・

これは、4本の矢を、的に向かって射る子供の人形なのですが、その動きだけでもスゴイのに、その4本の矢のうち、1本だけ失敗し、その時だけ顔を少し下に向けて「惜しい!」って感じの表情をするという念の入れよう・・・久重さんが、いかに全力でからくりの開発に挑んでいたのかがうかがえますね~

ちなみに、この「弓曳き童子」を再現した工作キットが、以前、学研「大人の科学シリーズ」で発売されましたが、残念ながらすでに完売・・・せめて、その動きや雰囲気だけでも、その販売ページでお楽しみください↓
学研のページへ>>別窓で開きます)

やがて天保五年(1834年)、36歳になった久重は、大坂伏見町に居を構え、実用品の政策&販売を手掛ける事にします。

そうなんです。
人を喜ばせる事が大好きだった久重ですが、一方では、そのからくりで、人の役に立つ物を作りたいとも思っていたんですね~

そして売り出したのが真ちゅう製の「携帯用懐中燭台」・・・ちょっと小ぶりなろうろく立てって感じの物ですが、これが、夜間の帳簿つけに便利と大評判!

さらにその3年後には「無尽灯(むじんとう)・・・これは、空気を圧縮する事によって、自動的に油を補給する灯明で、「いつまでも消えない灯り」として、これまた大人気となります。

そんな中、南蛮渡来の西洋時計を目にした久重・・・「こんなんを作りたい!」とムラムラと制作意欲が湧くものの、西洋時計を作るためには、西洋の天文学や蘭学を学ばねばなりません。

男・久重・・・49歳にして、天文学の大家である土御門家の門を叩きます

あの伊能忠敬さんも、50歳にして天文学の道に進み、その後、例の日本地図を作る(9月4日参照>>)わけですが、いやはや、男の一大決心という物は大したモンです。

こうして天文学の知識を身につけた久重さん・・・3年後には、和時計・須弥山儀(しゅみせんぎ)を、その翌年には万年自鳴鐘(まんねんじめいしょう・万年時計)を完成させます。

これは、からくり時計の最高傑作と言われる物で、西洋時計和時計のほかに、二十四節気曜日天球儀もついて、さらに十干と十二支(12月28日の真ん中あたり参照>>)から月の満ち欠けまでが一目でわかり、一度ゼンマイを巻けば1年間動くというスグれモノ・・・しかも、ベルも鳴る

ここに来て久重のワザ極まれり!!もはや、その名は全国に知られる事になります。

しかし、まだまだ手を休めぬ久重は、その後も、ユニークな目覚まし時計など発明しつつ・・・やがて日本は開国の嵐へと突入していきます。

そんな中、外国との玄関口である長崎を管轄する事で、大砲の製造や蒸気機関の研究に力を入れていた佐賀藩の藩主・鍋島直正(なべしまなおまさ)(1月18日参照>>)のもとに馳せ参じた久重は、精煉方として着任し、日本初の国産蒸気機関車や蒸気船の模型を完成させます。

その後、安政元年(1854年)に、幕府が下田函館を開港した事によって入って来た西洋技術の最先端の品々を目にした久重は、それらをヒントに、電信機写真機から蒸気船アームストロング砲まで、ありとあらゆる物を手掛けていきました。

やがて動乱の嵐が過ぎ、明治の世となります。

60歳を過ぎても、なお、探求心止まない久重は、今度は兵器などではなく、自転車人力車精米機など、生活に密着した発明品を生み出しつつ、いよいよ、東京の土を踏みます。

新政府が、彼のウデを欲しがったのです。

その読みはピタリと当たりました。

ほどなく、彼が作りあげた電信機は、輸入品のソレをはるかに上回る物だったとか・・・

その後、明治八年(1875年)・・・76歳にして東京は銀座8丁目に、新しい工場兼店舗を構えて田中製造所を設立した久重は、「万般の機械考案の依頼に応ず」と称して、様々な依頼を受け、そして希望に応じた機械を製作しています。

やがて明治十四年(1881年)1月11日82年間の発明人生に幕を閉じた久重・・・

残された田中製造所は、その後、芝浦に移転し事から、社名を芝浦製作所と改めますが、

さらにその後、昭和十四年(1939年)に東京電機株式会社と合併して、今度は東京芝浦電気株式会社という名前に・・・

そう、これが、現在の東芝です。
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コメント

こんにちわ、茶々様。

『今日も記事が面白いなぁぁ~』
『オチは何かなぁぁ~?』
と読んでいて最後に

>そう、これが、現在の東芝です

えぇぇぇ~、私のノートPCはdynabook、TVは東芝の32型REGZA・・・

またまた歴史の面白さを堪能させてもらいました。
今日も茶々様に感謝ですo(_ _)oペコッ

投稿: DAI | 2012年1月11日 (水) 15時22分

これは、いい話ですね、さすが日本の技術!がんばれ!ちょっとTVの販売ははここ米国にては韓国に負けているけど。

投稿: minoru | 2012年1月11日 (水) 16時34分

我が家のパソコンもダイナブックです。
仁を観て、久重さんをしった者です(笑)

以前学研の科学と学習を兄が、毎月購読していました。そこで毎回1ページ広告として、からくり人形の写真があったのですが、今日久重さんのものを再現したキットだったのですね。
わたしが購読した頃には広告のページがなくなっていました……。


投稿: ティッキー | 2012年1月11日 (水) 16時57分

DAIさん、こんばんは~

「東芝の…」と聞くと、何か身近に感じますよね~

現在でも、久重さんが田中製作所を設立した明治八年が、東芝の創立記念日だそうですよ!

投稿: 茶々 | 2012年1月11日 (水) 18時33分

minoruさん、こんばんは~

そうですね~
日本の職人さんの技術は世界一だと思います。

実際に、コレが不況を脱出するカギではないか?と…
頑張ってほしいです!

投稿: 茶々 | 2012年1月11日 (水) 18時35分

ティッキーさん、こんばんは~

「仁」は、歴史上の人物と、架空の主人公を、うまく融合させてましたね~
いいドラマでした( ̄▽ ̄)

科学と学習への広告掲載は、やっぱ、保護者狙いなんでしょうね~
見たら、欲しくなりますもんね~

投稿: 茶々 | 2012年1月11日 (水) 18時39分

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