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2012年1月29日 (日)

古き良き道頓堀を偲んで…

 

古き良き・・・と書くと、「今はアカンのかい!ヽ( )`ε´( )ノ」と突っ込まれそうですが、決してそうではなく、あくまで、幼き頃に垣間見たあの光景が忘れられず、懐かしんでるといった感じと思ってください。

そう、私が小さな頃に親しんだ道頓堀には、まだ中座があって、確か松竹新喜劇がかかっていた・・・

角座は落語家さんや漫才師さんが出演する演芸場で・・・
すでに名前は変わっていたけれど、朝日座映画館で、弁天座文楽をやっていたはず・・・
(歳がバレるので、このへんでヤメとこ)

そう、少し前の道頓堀は、大阪の庶民が、何日かに1回、演芸やお芝居を見に行って、おいしいモン食べて帰る男どもは、その後アルサロに行く)・・・そんな場所でしたが・・・

確かに、今も賑やかなネオンが灯り、ちょっぴり大人のムード漂う雰囲気で、人に溢れた元気な通りなのですが、その一方で、一大観光地のようになってしまって、なんだかよその町に来ているよう・・・昔を知ってる者としては、幼馴染が遠い存在になったようで、ちょっと寂しいかな?

・・・で、そんな道頓堀は、ご存じのように、慶長十七年(1612年)に、東横堀川西横堀川の汚濁を解消するために、成安(安井)道頓という人物が作った人工の川=新川が、後に道頓堀川と改称され、その沿岸が開発された事にはじまります。

Ebisubasie 寛文三年(1626年)に、別の場所にあった芝居小屋が、道頓堀川の南側に移転したのをキッカケに、次々と芝居小屋が誕生しますが、今度は逆に、繁盛しずぎて、芝居小屋の乱立状態となってしまいます。

そうなると、中には、ただ建物を通り抜けるだけの物や、あっちの穴とこっちの穴から双子が交互に顔を出して「瞬間移動」ってな事やったり・・・と、とても芝居とは言えない芝居小屋まで出て来たため、ちゃんとした芝居小屋に格式を持たせようと、名代(興行権)制度が導入されました。

最初に名代を許されたのは、「中之芝居」「角之芝居」「大西之芝居」の3軒・・・名代を許された劇場は、高く櫓(やぐら)を掲げてその証としました。

その後、最盛期には、歌舞伎=6座、浄瑠璃=5座、からくり=1座の合計12軒がありましたが、天保十三年(1842年)の改革によって、「中之芝居」「角之芝居」「筑後(大西)之芝居」「若太夫之芝居」「竹田之芝居」の5軒に絞られ、「道頓堀五座」と呼ばれて親しまれ、周囲には芝居茶屋が建ち並び、大変な賑わいをみせました。

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明治期の道頓堀・地図

その後、明治時代になって、中之芝居が「中座」となり、角之芝居が「角座」、筑後之芝居が「浪花座」、竹田之芝居が「弁天座」になって、ここに江戸末期に焼失していた角丸芝居が「朝日座」と名を改めて復興され、これが、明治の道頓堀五座となりました。
(ちなみに、一番西にある松竹座は、大正十二年=1923年に竣工された建物で道頓堀五座には含まれません)

明治期の道頓堀を描いた絵には、誇らしげに掲げた櫓に竹竿に垂れ幕を下げた角座が威風堂々と描かれていますね~

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明治期の道頓堀(右側に大きな櫓を掲げた角座が見えます)

ちなみに、通りを渡るように上空に貼られた旗は「蛸(たこ)吊り」と呼ばれ、道頓堀の各店が、ひいきの役者の名前などを描いて貼り出した物で、旗の製作費から、その維持管理まで(雨が降ったらかたずけないといけない)を実費で出して貼りめぐらした事で、その年間維持費は相当な額だったらしく、その旗の多さは、道頓堀に店を出した者のステータスとなっていたようです。

まさに、道頓堀はお芝居&演芸の町だったんですね~

ただ、それらの劇場のすべてが、今は無くなってしまいましたが・・・
追記:平成二十五年(2013年)7月28日、旧角座ビル跡地に「DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」の名で角座が復活しました)

実は、今、そんな古き良き道頓堀を垣間見れる場所があります。

それが、中座跡(現在はくいだおれビル)近くにある「道頓堀今井」さん・・・

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「道頓堀今井」(左側に見える提灯のある場所が浮世小路です)

明治の頃には、「今井楽器店」という楽器屋さんだったお店が、うどん屋さんに改業されて、今も健在なのですが、そのお店の横・・・

そのお隣に、今井さんが私有地を提供されて造られた「浮世小路」という小さな路地があります。

幅は人ひとりがやっとのくらいの狭さで、長さもわずか48mですが、そこに、在りし日の道頓堀が再現されています。

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浮世小路

有名な法善寺横丁にある「夫婦善哉(めおとぜんざい)・・・今は造りも変わってしまったこのお店の以前のたたずまいや、以前の劇場の入り口などが再現されたうえ、写真のパネル展示なども・・・とても48mとは思えない、ワクワク感満載の路地です。
(個人の感想です←通販か!)

その浮世小路の仕掛け人が、クリエーターでプロデューサーの吉里忠史さんという方・・・実は、先日、この方に案内していただいて道頓堀をウロウロしまして、古き良き道頓堀を偲んで来たというわけで、本日のブログを書いております。

上記の、道頓堀の歴史なども、その時に教えていただいた次第です。

こうして見ると、江戸に始まり、明治・大正・昭和と来た道頓堀・・・幼き頃見た道頓堀が、明治や大正のそれと、あまり変わりはしなかった気がするのに、ここ何年かで劇場が次々と閉鎖され、もはや、あの「くいだおれ」も無くなり・・・

ここ最近の時代の流れ方の速さには驚くばかりですが、もし、皆様も道頓堀に来られる機会がありましたら、カニの看板やグリコの看板も良いですが、ちょっとばかり浮世小路を訪れて、古き良き道頓堀に触れてみるのも良いかと思います。
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コメント

「道頓堀プール構想」を聞きましたが、ダムの要領で一部を積き止めてプールにするのでしょうか?
昔に比べて水質が良くなったようですね。

投稿: えびすこ | 2012年1月30日 (月) 17時10分

えびすこさん、こんばんは~

たぶん、まだまだヘドロだらけやと思いますが…

問題は、「あそこで泳ぎたい」と思う人が何人いるかやと思いますが、少なくとも私の周りには一人もいません。
「沿岸の店屋から、泳いでる水着ギャルが見られるなら行く」という人はいましたが…

…と、プールと聞いて「水着ではしゃぐ」というのばかり想像してましたが、ひょっとして、阪神優勝の時のための、「飛び込み用プール」なのか?

投稿: 茶々 | 2012年1月31日 (火) 01時48分

プール用水はちゃんとした清潔な水にすると思います。「プール用地」を仕切りで区切って、川の水と混ざらないようにすると思いますね。水道管の配管もしてプールの部分の水を入れ替えできるようにするのでは?更衣室もそばに置くのかも。
さすがに川の水をプールには使えないですね。構想段階なので実現できるかどうかわからないです。

ところで文中に出てきた「くいだおれ」にあった、くいだおれ人形は今どこにいますか?

投稿: えびすこ | 2012年2月 2日 (木) 13時40分

えびすこさん、こんにちは~

なんや、2kmのプール作って「遠泳大会やる」言うてはるみたいですわ

前代未聞の距離で、プール製作業者にとっても未知の世界らしく、テレビ局の取材で「いくらくらいかかる?」と聞かれた、とある業者の人は絶句してはりましたゎ。
どないなんねやろ??

投稿: 茶々 | 2012年2月 2日 (木) 14時26分

書き忘れてました(゚ー゚;

くいだおれ人形は、中座跡の「中座くいだおれビル」の前にあります。

地下が「道頓堀ZAZA」という劇場になってて、地上にはいくつかのレストランが入ってます。

投稿: 茶々 | 2012年2月 2日 (木) 14時29分

こんにちは。
このブログのほかの記事で「大阪は下水の先進地だった」と知って大変驚きました。
橋下知事のプール計画に先立つ話題だったと思いますが、道頓堀川そのものの水質浄化をして泳げるようにする、という取り組みをしている府職員(?)の話題がテレビでとりあげられたことがありました。
淡水パールを作るカワシンジュガイなどは水の汚れを吸い込んで自らの栄養にしてしまいます。そしてアコヤガイ同様美しい真珠層を作ります。真珠貝のオーナーを募って資金を作り、大量に道頓堀に入れて養殖し、できた真珠はオーナーの物になるというものですが、試験的に作った真珠はいびつで色も悪く、浄化作戦に貢献した証拠以上にはなりそうにないしろものでした。
真珠オーナーの募集の話とかありましたか?

投稿: りくにす | 2012年7月 7日 (土) 15時19分

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受信: 2015年3月14日 (土) 07時44分

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