日本を2度救った慈愛の人・和気広虫
延暦十八年(799年)1月20日、奈良時代末期から平安初期の3代の天皇に仕えた女性・和気広虫が亡くなりました。
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岡山県吉備地方と言えば、神代の昔から天皇家とのなんやかやがある場所(12月1日参照>>)・・・そのため、古くからの豪族は、大和朝廷との関わりの中で、采女(うねめ)の貢進を続けて来ていました。
それは、言わば、和平の証の人質のような物でもありましたが、一方では、一族の祀る神々の霊力を身につけて中央政府へと赴く神聖な女性という事で、重要視もされていました。
しかし、やがて時代も8世紀に入ると、そのような神聖な部分は薄れ、地方から貢上された女性は天皇後宮の女官となり、中央に仕えるという形になりますが、それは、それぞれの地方豪族が中央とのつながりを持つ絶好の機会でもあります。
そんな中、天平十四年(742年)に行われた采女の定員の大幅アップ・・・これは、新興豪族にとって、全国ネットの舞台に躍り出るチャンス!
・・・で、現在の岡山県吉井川流域を本拠とする新興豪族の娘として、天平二年(730年)に、生まれたとされる和気広虫(わけのひろむし)も、ちょうどこの年に、後宮職員採用の最低年齢である13歳に達したとして、中央政府との架け橋となるべく使命を帯びて出仕したわけです。
やがて2年後、15歳になった広虫は、光明皇后の後宮である皇后宮職(こうごうぐしき)の少忠(しゅうちゅう・中間管理職クラス?)であった葛木連戸主(かつらぎのむらじへぬし)と結婚します。
その勤務状況から見て、戸主さんは、おそらく30歳くらいだと思われ、広虫となら、かなりの年の差結婚となるわけですが、ひょっとしてオフィスラブなのか?
戸主さんは、その葛木(=葛城)というお名前でもわかる通り、いち時は畿内を代表する大豪族だった葛城氏の末裔・・・しかし、今は完全に没落して、実家の後押しもない中流官僚・・・ひょっとして、メチャメチャ大恋愛の末の結婚か?
と、ちと喰いつき過ぎましたが・・・
ともかく、ここらあたりから、戸主さんは、意外にも出世街道を駆けのぼりはじめます。
・・・というのも、以前書かせていただいたように(7月4日参照>>)、この頃の皇后宮職というのは、聖武天皇をトップとする朝廷とは別の、もう一つの朝廷のような存在となっていたばかりか、ここに来て聖武天皇が病気がちとなり、むしろ、コチラのほうが力が勝る状況になっていたのです。
そんな皇后宮職を紫微中台(しびちゅうだい)として改変し、その長官となったのが、光明皇后お気に入りの甥っ子・藤原仲麻呂(なかまろ=恵美押勝)でした。
やがて病死した聖武天皇の後を継いだのは、第46代孝謙(こうけん)天皇ですが、この方、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた皇女・・・つまり女帝で、しかも仲麻呂ラブなので、仲麻呂の権力はますます大きく・・・
そんな仲麻呂が、その能力を高く評価したのが戸主・・・実務官僚としてコツコツとマジメに仕事をこなすタイプの戸主を、仲麻呂は、ことのほか気に入り、戸主は、いつしか仲麻呂政権の中でも判官職のトップとなり、寺院の献物帳などには、仲麻呂と並んで堂々たる署名を残すほどに出世していきます。
しかし、そんな全盛期に訪れたのが、天平宝字八年(764年)・・・藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)(9月11日参照>>)。
仲麻呂の言うがままに、彼の推す第47代・淳仁(じゅんにん)天皇に皇位を譲って上皇になったは良いが、その途端に彼は政務に夢中になって、ちっとも孝謙上皇のもとに寄りつかない・・・大きく穴の開いた女帝の心に、スッポリと入って来たのが、彼女の心の病気を癒しに来た僧・道鏡(どうきょう)・・・
道鏡ラブとなった孝謙上皇と対立した仲麻呂が乱を起こし、そして負けたのです。
そして、孝謙上皇が再び即位して第48代・称徳(しょうとく)天皇となる中、本日主役の広虫は叙勲されていますので、おそらく女帝側についた・・・まぁ、それ以前の天平宝字六年(762年)に孝謙上皇が出家した時、広虫も、ともに出家して法均と号していたとされる(出家は天平神護二年=766年説もあり)ので、彼女のブレーンとしてピッタリと横についていたのでしょう。
なんせ、この乱の事後処理の時、「事件関係者375人を斬刑、即刻死罪とする」と決定した孝謙上皇を、広虫が必死に説得して、仲麻呂本人とその一族郎党34人だけを処刑するに留まったらしいですので、孝謙上皇の彼女への信頼も、かなり篤かったと思われます。
一方、夫の戸主は、この乱の2~3年前から、史料に登場しなくなる事から、乱以前に亡くなっていたか、仲麻呂事件のあおりから、失意のうちに病死したのだろうとされています。
とは言え、広虫と夫との関係は、最後まで良好だったようです。
なぜなら、二人の間に子供がいなかった事から、この乱で家族を失った孤児たちに食糧や衣服を与え、さらに養子として引き取って、自らの戸籍に加える広虫ですが、その戸籍というのが「葛木連」の姓・・・つまり、夫の姓に子供たちを編入したのです。
その数・83人・・・官からも、若干の支援があったようですが、孤児救済への彼女の情熱は、並大抵ではありませんね。
しかし、広虫の持つ魅力は、そんなやさしさだけではありません。
しっかりと冷静に事を見据えるしたたかさ&強さも兼ね備えているのです。
それは、この後、神護景雲三年(769年)に起こる宇佐八幡神託事件・・・
この時、道鏡ラブな称徳天皇は、道鏡を皇位につけたいと願いますが、さすがに日本の歴史上、皇族でない人が天皇になった事は無いわけで、「それを神に聞こう」と、広虫に「九州の宇佐八幡に聞いて来て!」と頼みます。
しかし、彼女が体が弱かった事を案じて、3歳年下の弟・和気清麻呂(わけのきよまろ)が九州へと向かい、宇佐八幡の神託を受ける事に・・・実は、この時、広虫は、こっそりと弟に「道鏡の野心を砕け!」と進言していたとか・・・
・・・と、この事件の顛末は、戦前は教科書にも載っていた有名なお話なので、ご存じの事と思いますが(9月15日参照>>)、ここで「皇族以外の者を天皇にしたらアカン!」という神託を、清麻呂が受け取って来た事で、道鏡が天皇になる事はありませんでしたが、怒った道鏡派によって、清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名されて大隅(九州南部)への流罪、姉の広虫も、別部狭虫(わけべのさむし・せまむし)もしくは別部広虫売(わけべのひろむしめ)と改名されて、都から追放処分に処せられてしまいました。
しかし、ほどなく称徳天皇は亡くなり、道鏡も失脚(10月9日参照>>)・・・世は、次代の天皇、第49代光仁(こうにん)天皇の時代となります。
しかも、この光仁天皇・・・ここまで約100年続いた天武天皇系から交代した天智天皇系の血筋・・・世の中が一気に変わり始める中、罪を許された広虫と清麻呂も都に戻り、復帰します。
いや、復帰どころか、光仁天皇の後を継いだ第50代桓武天皇のもと、二人は大いなる信頼を勝ち取ります。
新しい世の中を模索する桓武天皇が一旦、長岡京に遷都した(11月11日参照>>)ものの、異常気象のなんやかんや(2007年10月22日参照>>)、藤原種継暗殺事件のなんやかんや(2006年10月22日参照>>)、奈良仏教勢力とのなんやかんや(10月1日参照>>)、で悩み続ける天皇に適格なアドバイスを行い、平安京遷都という一大事業をサポートしたのが、他ならぬ、広虫&清麻呂姉弟・・・
かくして桓武天皇の信頼を一身に受けた広虫は、延暦十八年(799年)1月20日、おそらくは70歳近い大往生で、この世を去りますが、仲よしの弟と二人、常々「お互い、ごたいそうな葬式はやめとこな」との約束をしていたらしく、その法事も、ごくごくささやかな物だったとか・・・
思えば、皇位継承の危機と平安遷都の危機・・・二つの大きな危機に直面した日本を救ったのは、この二人の姉弟・・・しかし、その根底にあるのは、孤児を慈しむやさしい心・・・
剣を振るわずとも、国を救えるとは・・・なかなか、大したものであります。
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コメント
売国奴集団=民主党政権を打破して、この国を救ってくれる平成の和気清麿の出現を待ち望みます。護王神社に鎮まります和気広虫・清麿姉弟は今の政権を苦々しく思ってられるでしょう。
投稿: マー君 | 2012年1月20日 (金) 19時49分
マー君さん、こんばんは~
ふんふん…
今の政治家さんには、頑張っていただきたいですね~
投稿: 茶々 | 2012年1月21日 (土) 02時21分
東京では、和気清麿さん(像)は 皇居のお堀端・竹橋に立っていらっしゃいまする。
今なお、皇室と首都を守るがごときお姿です。
投稿: レッドバロン | 2012年1月21日 (土) 04時12分
民主党政権は頑張らなくて良いです。日米関係をズタズタにした上、米国に無理難題突きつけられてもキチンと対応出来ない。中国の顔色を伺い、尖閣問題やら何やらかんやら言われ放題・やられ放題。韓国にも竹島は取られ、従軍慰安婦問題でゴネられても何にも言わず、悪くもないのに謝罪を繰り返し、経済援助の名を借りた恐喝を受け続ける。こんな腰抜け売国奴政党が頑張ったところで何にも変わりません。それどころか、奴らの目指すところは日本解体だと真正保守議員は見ています。だから民主党は頑張らなくて良いからサッサと解散して下さいと言いたい。
投稿: マー君 | 2012年1月21日 (土) 11時22分
レッドバロンさん、こんにちは~
戦前はヒーローでしたからね~
確か、お札にも…
投稿: 茶々 | 2012年1月21日 (土) 15時41分
マー君さん、手厳しい~~(。>0<。)
投稿: 茶々 | 2012年1月21日 (土) 15時44分
あんな売国奴集団は破防法適用して解散!!させたいぐらいです。ドジョウの阿呆が伊勢神宮に参拝してましたが、あんな逆賊が神宮の聖域を汚したかと思うと腹立たしい。伊勢なら良くて靖国は駄目ってな考えの人間に首相は勤まらない。和気広虫・清麿姉弟の神罰が下ると良いんです。
投稿: マー君 | 2012年1月21日 (土) 16時06分