伝説に彩られた都一の美女・常盤御前…と信長?~山中常盤
平治二年(1160年)1月17日、先の平治の乱に破れて命を落とした源義朝の愛妾・常盤御前が都落ちしました。
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とは言え、常盤御前(ときわごぜん)に関してのお話は、ほとんど、伝説の域を出ない物・・・
史実だろうとされるのは、源氏の棟梁・源義朝(みなもとのよしとも)の愛妾(側室)となって、今若(いまわか)・乙若(おとわか)・牛若(うしわか・後の義経)の3人の男の子をもうけていた事。
義朝亡きあとに、公家の一条長成(いちじょうながなり)の妻となり、能成(ながなり)という男子と女子(名前は不明)を産んだ事・・・(清盛の愛妾となり、女の子を産んだというのは軍記物語にのみ登場)
さらに、後に息子の義経が、兄の頼朝に追われるようになった時、義経を探索する鎌倉幕府によって、いち時、拘束された事・・・(後に開放されています)
ある程度信頼のおける史料には、ほぼ、これくらいしか登場せず、それ以外の事は、いわゆる軍記物という、今で言う歴史小説の類の中のお話なのです。
しかし、それでは、ちと寂しい・・・
今年の大河ドラマ「平清盛」では、玉木宏さん演じる清盛の好敵手=義朝のお相手として、常盤御前を武井咲さんという美しい女優さんが演じるのですから、おそらく、ただ「出る」だけではないはず・・・伝説とは言え、様々な逸話が織り込まれる事でしょう。
って事で、まずは、室町時代に成立したとされる軍記物の一つ『義経記(ぎけいき)』に沿って常盤御前のお話をすすめて参りましょう。
(5年前に書いたページ>>と、大いに内容かぶってますが、新たに付け加えたいお話もあるので許してねo(_ _)oペコッ)
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前年の暮れに勃発した平治の乱(12月26日参照>>)に破れた源義朝は、東国へと落ち延びるべく都をあとにし、途中で息子たちとも別れ、乳兄弟の鎌田政家(かまたまさいえ・政清)とともに、尾張国知多にいた政家の舅・長田忠致(おさだただむね)を頼りますが、恩賞に目がくらんだ忠致によって謀殺されてしまいました(1月4日参照>>)。
一方、夫の敗北を知った常盤御前は、3人の幼子を連れて、平治二年(1160年)1月17日の明け方に都落ちし、大和国(奈良県)宇陀(うだ)岸岡に住む知人を頼りますが、断わられてしまいます。
やむなく、同じ大和の国の大東という所に身を隠していましたが、ほどなく京都に住む常盤の母・関屋が六波羅(平家の本拠地)へ連れて行かれた事を聞くのです。
当然、平家の狙いは母では無く自分・・・いや、女の常盤は大丈夫かも知れないけれど、おそらく、捕まって命取られるのは、今若(7歳)・乙若(5歳)・牛若(1歳)の3人の息子たちです。
しかし、子供を助けようと、このまま身を隠していれば、母がどうなるか・・・
「親孝行をする者には堅牢地神(けんろうじしん)という女神のご加護があるという・・・きっと良い方向に傾くに違いない!」
と決心した常盤は、3人の子供を連れて自首するのです。
こうして屋敷にて、清盛と面会した常盤・・・と、清盛は、彼女を見るなり一目惚れ!
そもそも常盤が、第76代・近衛天皇の中宮である九条院(藤原呈子)の雑仕女(ぞうしめ=召使い)に採用されたのも、美しい人が大好きな九条院が、京都中の美女を1000人集め、1000人の中から100人を選び、100人の中から10人を選びして、最後の1人・・・つまり、1番となった美女が常盤だった事で、彼女が採用されたのです。
しかも、その後、その美貌が目にとまって、源氏の棟梁・義朝の愛妾になったわけですし・・・
常盤が、自らの命にかえても、3人の子供を守りたいと思っている事を知った清盛は、彼女が自分の愛を受け入れてくれるなら、「子供たちの命を保障する」と約束・・・こうして、常盤は、今度は清盛の愛妾となるのです。
今若と乙若は、ほどなく、僧になるべく寺に預けられ、この時、まだ乳飲み子だった牛若は、4歳まで手元で育てられた後、山科の源氏ゆかりの者のもとで7歳まで暮らし、その後、鞍馬寺へ(4月30日参照>>)・・・そして、『義経記』では、この後は、牛若の成長の物語となり、ご存じ、源義経として、源平合戦の表舞台で活躍する様子が語られます。
ちなみに、清盛と常盤の間には廊御方(ろうのおんかた)という女の子が生まれていて、後に平家一門とともに都落ちし、あの壇ノ浦で捕えられたとされますが、このお話は、『平家物語』や『源平盛衰記』のみに登場するお話で、史料とされる文献や『義経記』には書かれていません。
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と、軍記物はおおむね、このような感じですが、史実としては、おそらく、清盛が常盤御前を愛妾にしたという事はなく、3人の息子たちの命が助かったのは、あくまで清盛自身の判断による物であろうと言われています。
考えて見れば、実際に平治の乱の出陣したうえに、義朝の嫡男である頼朝の命を助けている(2月9日参照>>)清盛なのですから、まだ合戦の意味もわからない幼い3人の子を処刑する気は、はなから無かったのかも知れません。
なので、この後、常盤が一条長成の妻となるのも、清盛から下げ渡されたというような物ではなく、普通の結婚だったのでしょう。
ところで、こんなに伝説に彩られた常盤御前・・・その最期も伝説として語られます。
ただ、コチラは、軍記物ではなく、はなから伝説として伝わっていたお話・・・まずは、その伝説をベースにした浄瑠璃が戦国時代頃に人気となり、さらに江戸時代に絵巻物となって後世に伝わった物なのです。
それは『山中常盤』と言います。
ストーリーは、
承安三年(1173年)、鞍馬寺を出てから消息不明となっていた牛若=義経が、奥州藤原氏に庇護されている事を知った常盤は、どうしても我が子に会いたくて京を出て、侍従とともに中山道を東へ向かいます。
しかし、街道沿いにある山中という宿場町で、盗賊集団に襲われて衣装を奪われて裸にされたあげく惨殺されてしまったのです。
たまたま、東北から京へ向かう途中の義経が聞きつけ、母の恨みを晴らすべく盗賊たちのもとに馳せ参じ、めった斬りにして本懐を遂げた・・・というもの・・・
ハッピーエンドとは言い難い血なまぐさいストーリーですが、創作臭プンプンなお話ですね。
史実としての常盤御前は、その没年齢は不詳となっているものの、冒頭に書いた通り、義経が頼朝から追われるようになった時に幕府に拘束された事が、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』と、信用度の高い公家の日記『玉葉(ぎょくよう)』に書かれているのですから、やはり、コチラを信用して、その頃には、まだ生きていたと見るべきしょう。
ただ、おもしろいのは、この話が、あの『信長公記(しんちょうこうき)』に登場するところ・・・
つい先日書かせていただいた斉藤道三のページ(1月13日参照>>)でもお話しましたが、この『信長公記』は、戦国時代屈指の1級史料とされる物で、専門家の間でもかなり信頼されている文献です。
そこに・・・
織田信長が、度々京へと往復する道すがら、いつも山中宿にさしかかると、道のほとりにみすぼらしい物乞いの者が立っているのが気になっていました。
そこで、ある時、村の者に
「あの者は誰か?」
と尋ねますと、村人は・・・
「あの者は“山中の猿”でございます」
と・・・
『山中の猿』とは、その昔、彼らの先祖が、この地にて常盤御前を惨殺した報いにより、まともに働く事ができず、子々孫々と、ああして、物乞いをしているのだと言うのです。
哀れに思った信長は、木綿二十反を物乞いの者に与え、村人に「彼を保護してやってくれ」と頼んだのだとか・・・
う~~ん┐(´-`)┌これはどういう事なのか???
「山中常盤』は、実際にあったのか?無かったのか?・・・
ただ、信用度の高い『信長公記』の記述が事実であったとするならば、おそらく、「すでに伝説として広まっていた“山中常盤”の話を利用して、物乞いをして廻る人たちが、実際にいた」と考えられますね。
つまり、常盤御前の話は伝説だけど、それにかこつけて物乞いをする人がいたというのは事実という事・・・あくまで、推理ですが・・・
伝説と史実・・・巧みに合わさった感が歴史好きには、たまりませんね~ヽ(´▽`)/
はてさて、今年の常盤御前は、どのように描かれるのか?
楽しみですね。
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コメント
7年前の「義経」での常盤御前は稲盛いずみさんでしたね。今年は順当に行くと武井さんの登場は夏前かな?
もし常盤御前が架空の人物ならば、義経の生母は誰なんでしょう?
投稿: えびすこ | 2012年1月17日 (火) 16時08分
えびすこさん、こんばんは~
常盤御前が架空の人物だとは、考えた事も無かったです。
義経だけじゃなく能成もいますしね。
たぶん、実在してると思います。
美人かどうかはわかりませんが…
投稿: 茶々 | 2012年1月17日 (火) 18時28分
>今年の常盤御前は、どのように描かれるのか?
予想してみます。
清盛といい仲になるも義朝にカッさらわれ、
密会を繰り返すうちに牛若が生まれる。
...最近の大河は油断できないし。┐( ̄ヘ ̄)┌
投稿: ことかね | 2012年1月19日 (木) 12時40分
ことかねさん、こんにちは~
今のところ、昨年のアレの大反省を踏まえて、良い意味で新たな挑戦をされているようですが、確かに油断できません。
昨年のアレも、今頃は、まだ良かったですからね~
期待しましょう!
投稿: 茶々 | 2012年1月19日 (木) 13時45分