多くの仏像を残した修業僧・円空
寛文六年(1666年)1月26日、津軽藩から追放処分を受けた円空が蝦夷地へと渡りました。
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円空(えんくう)と言えば、寛永から元禄まで、1600年代の後半を生きた放浪の僧・・・訪れた各地に残した、あのゴツゴツとした荒々しい雰囲気の独特の仏像のファンも多いです。
一説には、生涯に渡って12万体の仏像を彫ったと言われ、現在でも5000体以上が確認できるそうです。
ある時は、訪れた地の村人のため・・・
ある時は、食事を分けてもらったお礼に・・・
まるで「裸の大将」のようですが、その足跡は、西は四国の愛媛県から、東は、今回の北海道にまでおよび、各地に様々な逸話も残しています。
飛騨高山のある宿では、宿泊代の代わりに、そっと仏像を置いていったとか・・・
病がまん延して困っていた村にやって来た円空が薬師三尊を彫った途端、たちどころに病がおさまったとか・・・
ある時は、お腹がすいた円空が、川の上流から、彫った仏像を流したところ、下流で、その仏像を見つけた村人が食べ物を持っていったとか・・・
ある村の観音堂に納める仏像の材料を探していた円空が、川の上流で良い木を見つけ「○○村行き」と書いて川に流したら、ちゃんと、その村にたどり着いたとか・・・
とは言え、どこでも、誰にでも、頼まれれば彫るかと言えば、そうではなく、円空が気に入った心の素直な人にしか、仏像は彫らないのだとか・・・
そんな円空は、北海道に残した1体の観音像の背面に、
「(自分は)郷里に近い近江(滋賀県)の伊吹山の平等岩で修業した修業僧である」
という事を書いていて、その出身地は、岐阜県の羽島市か、郡上(ぐじょう)市であろうという事です。
・・・で、今回の北海道行きは、当時の幕府の宗教政策で、寺を持たない僧侶の布教活動が禁止され、弘前藩から退去命令を受けた事を受けての渡海・・・
寛文六年(1666年)1月26日・・・円空さんご本人が、「松前に向かう」と言い残して旅立ったと言います。
当時の蝦夷地は、松前藩が置かれていた渡島半島(おしまはんとう)一帯のごく一部以外は、一般人の渡航が許されておらず、実のところ、行くだけで違反行為なんですがね。
この頃の円空は、未だ僧になって間もなく・・・年齢も35歳頃の血気盛んな時です。
追放命令を逆手に取って、あえて禁断の地に向かう・・・
「自らに、より厳しい修行を課して行こう」
という、若い円空の姿が垣間見えますね。
もちろん、その北海道にも、断崖絶壁の洞窟に籠って修業を重ねたという逸話が残っており、その時に彫った仏像も、大正時代まではあったと記録されています。
こうして全国各地を放浪し続けていた円空が、最後の場所として選んだのは、美濃国(岐阜県)にあった弥勒寺(関市)・・・
荒廃していた弥勒寺を再興した円空は、死をさとった64歳の時、この寺の南側に流れる長良川のほとりに穴を掘り、お経を唱えながらその穴に入り、自ら土に埋もれ、即身仏になったと言います。
元禄八年(1695年)7月15日、円空は、静かに仏となりますが、その最期の言葉は、当時の弥勒寺に生い茂っていた藤を見ながらの、
「この藤の花が咲く間は、私は土中にいる」
だったと・・・
円空が、ここを最後の地に選んだのには理由があります。
実は、彼が、僧となるべく寺に入ったキッカケは、長良川の洪水によって母を失った事からだとの事・・・
ひとつ所に留まる事無く、全国を放浪して修業にあけくれた円空も、最後には母の胸に飛び込んで、その懐に抱かれる事を望んだのでしょうか?
そのお顔を見ると、思わずコチラも微笑んでしまうような柔和なお顔の円空の仏像・・・そのやさしげなお顔の下には、彼が全国を放浪しながら探し求め続けた、何かが、隠されているのかも知れません。
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コメント
良いお話です!
円空の彫った仏像は優しげですけど、意匠的にはモダンな感じもしますね。
しかし、深い人間性、…宗教性と言うべきかな、が滲んでいるところは モダン・アートとは決定的に違う。色々と考えさせられる人であり、作品です。
投稿: レッドバロン | 2012年1月26日 (木) 18時57分
レッドバロンさん、こんばんは~
私はまだ本物を見た事がないのですが、一見荒々しく見える独特の彫り方は、近くでじっくり見ると、非常に繊細な彫り方なのだそうです。
機会があれば、じっくり見てみたいです。
投稿: 茶々 | 2012年1月27日 (金) 02時37分
そうですね。たしかに円空の彫り物は好きです。しかしあまりに多くて、これ全部本物?と眉をよせたくなるものも。
ぜひ円空館にどうぞ。岐阜県はかれが最後に入仏した関市のちかく美並村や洞戸に円空館があります。わたしはこの現関市の洞戸にある円空館の仏像(高賀神社というところにおさめてあります)やその周りの地域がとても気に入ってます。
円空さんの仏像は荒々しいのから、柔和なものもあるようdす。
投稿: montague | 2012年1月29日 (日) 15時41分
montagueさん、こんばんは~
まぁ、12万体ですからね~
数多くあるのは仕方が無いでしょうね。
いくつあっても良い物は良いです(*^-^)
投稿: 茶々 | 2012年1月29日 (日) 18時41分