農耕のはじまり~『御事始め』から連想
今日・2月8日は、『御事始め』という節目の日なのだそうです。
・・・・・・・・・
以前、今日、2月8日が針供養を行う日である事を書かせていただきましたが(2008年2月8日参照>>)、そのページにある通り、針供養は、この2月8日と12月8日の年・2回・・・
東の地方では2月が多く、西の地方では12月が多いと・・・
実は、この『御事(おこと)始め』というのも、今日・2月8日と12月8日の2回なのです。
と言っても、こちらは少し複雑・・・
2月8日が『御事始め』の時は、12月8日が『御事納め』
逆に
12月8日が『御事始め』の時は、2月8日が『御事納め』
地方によって、両方やったり、片方しかやらなかったり、どっちも無かったりと、様々なようですが、実は、前者が農業を基準にした物で、後者がお正月を基準にした物・・・
農業を基準にした物では、この2月8日に1年の農作業を始める日とされ、12月8日が一連の農作業を締めくくる日なのです。
逆に、お正月を基準にした物では、12月8日に、すす払いなどして1年のホコリを落とすと同時に、ぼちぼちお正月の準備をしはじめ、その後、お正月を過ごしたら、今度は2月8日に年神様の神棚を取り外して、一連の正月行事を終える・・・と、
なるほど・・・こうして、両方並べて見るとわかりますが、
1年のうちの2ヶ月チョイの間だけ、正月気分でお休みし、あとは、仕事に勤しむ・・・という事ですね。
まぁ、昔は、12月後半から2月の初めなんて極寒の季節に、農作業なんてできるわけがありませんから、その間に大掃除をしたり、正月行事を行ったりという事だったのでしょうね。
ちなみに、この日は『御事汁(おことじる)』という、里芋やごぼう、大根、にんじんなど、冬らしい根野菜を入れた味噌汁を作って、いただくのだそうです。
とは言え、私の家はもちろん、親戚中でも、コレをやってるのを見た事無いので、恥ずかしながら、それ以上くわしくは知らないのですが・・・
・‥…━━━☆
って事で、ここからは、「農作業を始める」というワードから連想した「農耕の始まり」について書いてみたいと思います。
日本での農耕の始まりと言えば、これまでは弥生時代のイメージが強かったですが、ここ最近は、縄文時代から農耕を行っていた=『縄文農耕論』が主流になっています。
この『縄文農耕論』自体は、昭和の初め頃から論じられていましたが、それは、あくまで、それまでに出土した石器や、発掘された遺跡の集落の様子などから見た推論であったわけです。
それを変えたのが平成四年(1992年)の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の発見でした。
その場所は、すでに江戸時代から土器が頻繁に出土し、何かしらの遺跡がある事はわかっていて、近年にも何度か発掘調査されていた場所だったのですが、その平成四年に、野球場を建設するために発掘調査したろころ、縄文時代前期中頃から中期末期の、これまでに無い巨大な集落跡が発見されたわけです。
まぁ、あまりの過熱ぶりに「最盛期には、100戸に500人の居住者がいた」なんて発表しちゃって、「そら多すぎだろ!」と異論反論の嵐になった事もありましたが、同時に住んだ人数なんてのは推測の域を出ないものの、その集落跡が広大である事や、そこに、多くの大小竪穴式住居跡があった事は確か・・・
しかも現場からは、ひょうたん・ゴボウ・豆などの栽培植物が出土しているほか、特に重要だったと思われる栗は、デオキシリボ核酸(DNA)分析により、実際に栽培されていた事が明らかとなりました。
つまり、農耕が行われていたと・・・
また、クワやキイチゴなどの種子と一緒に、ショウジョウバエの仲間のサナギが発見されており、このハエが醗酵物を好むハエである事から、おそらく、これらの実を発酵させて果実酒を作っていたという事も判明しました。
いち時の過熱ぶりも影をひそめて落ち着いて来た三内丸山遺跡・・・その後の調査から、今では、ここに住んだ人たちには階級が無かったであろうとの見方が強まっています。
この場合の階級=支配する者とされる者の関係という物は、集団が大きくなってこそ、はじめて生まれる物で、ここに住んだ人たちは、それが生まれるほどの多人数ではなかったという事なのでしょう。
とは言え、これまで微妙だった『縄文農耕』が、最新科学で明らかになった事は大きな進歩・・・
いや、むしろ、個人的には・・・
地元の方や、期待している方には、ホント申し訳ないのですが、それほど大きな集落でなくて、ちょっとホッとしたかな?・・・なんて気持ちも、
だって、ある程度の規模のムラだったからこそ、ここの住人たちは、ともに栗を栽培し、ともにお酒を作りながらも、誰が誰を支配するという事はなく、皆平等に暮らしていたわけで・・・
きっと彼らは、ともに笑い、ともに助け合い、ともに生きる、争いなど知らない人たちだったのではないかと・・・
ちょっと理想的過ぎる妄想ですが、今のところは、そう思っておきたいのです(*´v゚*)ゞ
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コメント
>この場合の階級=~
私は、そこに加えて敵の存在が必要では?と思います。
敵から守ってくれるからこその支配=権威・納税でしょう。
なので、茶々様の『理想的過ぎる妄想』は、ほぼ正鵠を射ていると思います。
投稿: ことかね | 2012年2月 8日 (水) 13時08分
私が学生の頃の縄文農耕論は、「弥生時代以前に稲作があったかどうか」だったように記憶しています。それがいつの間にか稲作以外の農耕も含めて議論されていたり、縄文時代の稲作とされるものの多くが弥生時代に組み込まれたり、時代を感じます。
投稿: 高来郡司 | 2012年2月 8日 (水) 20時02分
ことかねさん、こんばんは~
おぉ、確かにそうですね~
階級=支配と聞くと、ついつい封建的な雰囲気を想像してしまいますが、集落の村人全員が恐怖を覚えるような外敵がいる場合には、それに対抗するためのリーダーが必要になって来ますね。
1500年ほどに渡ってここに住んだ人たちが、なぜ、その後に三内丸山遺跡を捨てたのか?という事が謎となっているようですが、そのへんに捨てた原因があるのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2012年2月 9日 (木) 00時18分
高来郡司さん、こんばんは~
今では、稲作も縄文時代に行われていたものの、当時は主食ではなく、野菜扱いで、あまり多く生産されなかったので、稲作は弥生から…という感じですね。
まぁ、この見解も、新たな発見があれば変わるのでしょうが、それが、歴史のおもしろさでもありますね。
投稿: 茶々 | 2012年2月 9日 (木) 00時22分
>誰が誰を支配するという事はなく、皆平等に暮らしていたわけで・
う~ん・・生き物の世界、支配関係が全くないってことはないような気がします。どの生き物も。三内丸山遺跡から出土した220基の墓壙のうち、10基の墓壙は特別仕様のものだったそうですし、巨大な6本の柱をはじめあれだけの、何世代にもわたって住み続けられる都市?を創るからにはそれなりの指導者はいて、やはり特別な存在だったのではないかと・・・
農耕というと「稲作」のイメージですが、様々な作物を栽培してたということでしたら三内丸山もそうですよね。ここのクリは粒の大きいものをせっせと作ってたそうです。
あと、縄文時代も殺された人は当然いて、それが一人前の証である抜歯がない男性だったりすることから身分制度とまではいかないかもしれないけど、その萌芽はあったとも言われてます。
投稿: Hiromin | 2012年2月10日 (金) 22時38分
Hirominさん、こんばんは~
そうですね。
私も、twitterにいただいたつぶやきに返信していた時にふと思ったのですが、人間、4~5人のグループがいれば、その中で、自分の意見をボンボン言って、自分の思い通りに事を運ぼうととする人が出て来て、周囲が、うまく収めるために、何となく、その人の言う事聞いてしまう・・・支配とまでいかないまでも、そんな関係がすぐに出来上がってしまうような気がします。
まったくの平等というのは、かなり難しい事かも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2012年2月11日 (土) 01時42分
茶々さま
ほとんど毎日チェックしていますが、
この回だけ飛ばしていて、今頃読みました。
ところで。
私が住んでいるところはかなりの田舎です。
(嫁いできたんですが)
過疎と少子高齢化がハンパないところです。
で・・・実は、「こと」と呼ばれる新年会の習慣があります。
町内会の中で隣近所10数軒のグループである「隣保」(個々の家の次に小さい単位)で集まって行います。
さすがに現代では日にちの限定は無理なので、概ね2月中の週末に開催します。
うちの隣保も12日の日曜日でした。
今では公民館などに集まって
仕出し弁当を取って簡単に済ませますが、
昔は、輪番制で各家に集まっていたそうで、
自分ちに当たった年には畳を総替えしたり
湯呑みを何十個もそろえなおしたり、
一大イベントだったとか。
兵庫北部で積雪もある地域なので、
冬はもちろん農閑期。
まだまだ雪が降る時季は終わっていませんが、
「こと」がおわれば少しずつ、
春に向かって動き始めるように思います。
茶々さまのお話を読んで、
「御事始め」と、由来がつながっている気がしました。
投稿: hana-mie | 2012年2月16日 (木) 17時58分
hana-mieさん、こんばんは~
たぶん、つながっているでしょうね。
「こと」だけなので、「始め」か「納め」なのかが気になるところですが、ひょっとしたら、これが「両方やる」という事かも知れませんね。
つまり
「(農業の)御事始め」であり
「(正月の)御事納め」である
という事なのかも知れません。
なので、
「始め」も「納め」もつけずに、ただ「こと」と呼ぶのかも…
ちょっとしんどいかも知れませんが、ずっと残っていてほしい風習ですね。
投稿: 茶々 | 2012年2月17日 (金) 01時48分